創刊のことば
竹村紀年子
本号をもって歌誌「井泉」を創刊する。
この誌名は、師春日井建の第八歌集『井泉』に由来し、ご生前の同先生が、
この名で歌誌を立ち上げてはとお奨めくださったものである。当時すでに病篤
かった先生が、中部短歌で実った果実が方々で種をこぼし、新しい若々しい芽
が育ったら、それだけ私の分身が増えるわけで、それもどんなに嬉しいことか
と語られたお声は、未だ筆者の耳に鮮しい。
先生への追慕の悲しみは到底尽きないが、病を越え、痛苦を凌いで凛(すず)しくも
成し遂げられた業績を仰ぎ、その高志を継いで、微力ながら「井泉」の誌名の
もとに、息長く学び合うことが会員すべての願いである。
先生がかつて、新聞に寄稿された文章の中に「新人とは芸術の世界であれ、
勝負の世界であれ、変転きわまりない時や状況の最前線に立っている人達のこ
とだ。」と書かれている。新しく発足する本誌もまた同じであろうと思えば緊
張に耐えない。さらに続けて「いずれにしろ新人は、<永遠の孤独>に立ってい
る。その仕事は時代の前線で進行中である。審判をくだすのは<時>だ。」と
ある言葉を肝に銘じ、会員相互のあたたかい心の和を力として、新しい出発を
することにしよう。そして湧き出る泉のように豊かな作品や作者が生まれてほ
しいと、心から願う。ちなみに、歌集『井泉』の帯文には、「井泉」とは湧水
する歌の源泉であると記されている。
(創刊号、平成17年(2005年)1月1日発行)
竹村紀年子
本号をもって歌誌「井泉」を創刊する。
この誌名は、師春日井建の第八歌集『井泉』に由来し、ご生前の同先生が、
この名で歌誌を立ち上げてはとお奨めくださったものである。当時すでに病篤
かった先生が、中部短歌で実った果実が方々で種をこぼし、新しい若々しい芽
が育ったら、それだけ私の分身が増えるわけで、それもどんなに嬉しいことか
と語られたお声は、未だ筆者の耳に鮮しい。
先生への追慕の悲しみは到底尽きないが、病を越え、痛苦を凌いで凛(すず)しくも
成し遂げられた業績を仰ぎ、その高志を継いで、微力ながら「井泉」の誌名の
もとに、息長く学び合うことが会員すべての願いである。
先生がかつて、新聞に寄稿された文章の中に「新人とは芸術の世界であれ、
勝負の世界であれ、変転きわまりない時や状況の最前線に立っている人達のこ
とだ。」と書かれている。新しく発足する本誌もまた同じであろうと思えば緊
張に耐えない。さらに続けて「いずれにしろ新人は、<永遠の孤独>に立ってい
る。その仕事は時代の前線で進行中である。審判をくだすのは<時>だ。」と
ある言葉を肝に銘じ、会員相互のあたたかい心の和を力として、新しい出発を
することにしよう。そして湧き出る泉のように豊かな作品や作者が生まれてほ
しいと、心から願う。ちなみに、歌集『井泉』の帯文には、「井泉」とは湧水
する歌の源泉であると記されている。
(創刊号、平成17年(2005年)1月1日発行)