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本を読むのだ

主に飛躍した感想文。

「フルーツバスケット」の思い出

2015-07-15 08:53:12 | 本の記憶
 好きな小説、好きな漫画、好きな作品、色々あるけれど、一番好きな少女漫画は? と聞かれたら迷わずフルバと答える。高屋奈月先生のフルーツバスケット 白泉社全23巻。言わずと知れた名作ですね。アニメ化もされて、海外版も出ているようです。
 ざっくり説明すると、異性に抱きつかれると、十二(+1)支の動物に変身してしまう呪いを持つ一族、草摩家に、普通の優しい少女、透が居候する話。本当にざっくりだ。
 フルバの魅力はいっぱいありすぎて、書き表すことができないので、未読の方はぜひ読んで欲しい。そして癒されてください。
 
 フルバは、ジャンルとしては恋愛物と位置づけられているけれど、私としては広義の愛について語る物語だと主張したい。異性間、あるいは同性間に発生する、恋愛だけではなく、家族愛、友情… そういった物を知るストーリーであったと私は思うのだ。
 今手元にないんだけどね…。実家にあるw
 このストーリーのすごいところは、透は普通の女の子だというところだ。花ちゃんみたいに超能力もない、魚ちゃんみたいに特殊な環境にもいない、草摩の一族のように特別容姿に恵まれているわけでもない、普通に愛されて育った頑張り屋で優しい女の子なのだ。
 だから当時の思春期女子たちは、感情移入しまくりの同一視しまくりだったわけだがwww 現に私もその一人であったwwwww
 ストーリー的にもそうでなければならなかった。一般的には、正義の味方が弱いものを助ける、あるいは、正義の味方が悪いものを倒すというストーリーが多い。ヒーロー物とか推理物とかね。スポーツ物もある意味そういう点があるだろう。それが一番わかりやすい。
 しかし、透は、強くはない。彼女自身もかなり迷ったり傷ついたりしている。強いように見えるキャラクターもみんな悩み迷っている。特に終盤はとても素晴らしかったよね…。
 それを、透は、上から助けようとするのではなく、いつも同じ目線に立っている。倒れている人を起こそうとするのではなく、起きられるかも、起きてみようか、という気持ちにさせるのだ。
 
 私が一番好きなシーンは、優しさについて語るところなのだけど、

「でも疑うよりは信じなさいってお母さんが言ってました。人は優しさを持って生まれて来ないんだよって。生まれながらに持っているのは食欲とか物欲とかそういう欲。つまり生きる本能だけなんですって。優しさは体が成長するのと同じで、自分の中に育てていく心、良心なんだって。だから人によって形が違うんだって。
『欲望は誰でも生まれながらに持っているから理解しやすいけど、優しさは個人個人の手作りみたいな物だから、誤解されたり偽善だと思われやすいんだよな』そう聞いて私、丸だったりトンガリだったり、いろんな形の優しさがあるのかと思うとわくわくしました。草摩くんの優しさはろうそくみたいです。ぽっと灯りがともるのです。そうすると私はうれしくてにっこりしたくなるんです。」

 このセリフは、由希が特殊な能力を持ってしまい、疎外感を持って、悩むシーンですね。みんなと同じように仲良くしたい、けど、仲良くしすぎると、能力がバレてしまう。嫌われたくないが故にみんなに優しくしてしまう。これは偽善なのではないか、と思い悩むところです。


 もう一つ。透が夾と個性について語るシーン

「……あ もしかしたら背中についているのかもしれません…
例えば人の素敵というものが オニギリの梅ぼしのようなものだとしたら
その梅ぼしは背中についているのかもしれません…っ
世界中誰の背中にも 色々な形 色々な色や味の梅ぼしがついていて
でも背中についているせいで せっかくの梅ぼしがみえないのかもしれません
『自分には何もない まっ白なお米だけ』
そんな事ないのに 背中にはちゃんとぼしがついているのに
……誰かを 羨ましいと思うのは 他人の梅ぼしならよく見えるからなのかもしれませんね」
(今も誰かが羨ましがっているかも 自分では気づかない何かに 憧れているかも
そう考えると少しだけ もう少しだけ 「自分」をがんばってみようかなって思えてくる)

 こちらのシーンは、夾がおにぎりを握るのが上手と、透が褒めるシーン。上のシーンと対になっていて、上のシーンでは由希が夾に対し、普通の人と、何の壁もなくコミュニケーションを取れるシーンを羨ましがり、こちらは、夾が、由希の何でも卒なく上手にこなすのを羨ましがっている。その後、夾だけの良さを透が見つけて、伝えるシーンなのだ。


 この2つのシーンの何がよいかというと、まあ、セリフだけでも素晴らしいのだけど、見えにくいわかりにくいものを上手に表しているところ。

 例えば、優しさ。優しさというものは、いまいちわかりにくい。怒るのも優しさだけど、慰めるのも優しさ。助けるのも優しさだけど、助けないのも優しさ。というように、相反するような行動であっても、あるいはしなくても、優しさというものは存在するらしい。
 じゃあ、一体何なのよ? っていうと、多分、気付かないと見えないものなのかもしれないと思うのだ。わかりやすいものもあるけど、時間が経たないと気付かないもの、誰かに指摘されて気づくもの、色々あるのだと思う。そう気付かされるセリフだと思う。

 あるいは、個性。個性という言葉は本文で出てたかな? 今、確認できないけど…。おにぎりの具というのは、きっと個性のことだと思っている。混ぜご飯のような自他ともに見やすい個性もあるけど、大体の場合、自分一人ではわからない。だから褒められると嬉しいんだね。自分の良いところあったのももちろんだけど、誰かに良いところを見つけてもらえるのはとても嬉しい。

 人生で悩んでいたり、迷っている時に、思い出すのだ。自分にも、自分なりの優しさの形、おにぎりの具、あると信じてみたくなるのだ。


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