播磨えび♪BLOG

趣味であるえびの飼育をメインに釣りや日々の出来事を面白く、楽しく書いて行こうと思ってます。

疲れたよ。

2008年01月29日 22時33分32秒 | エビ


長いことかかって書いたブログが・・・・投稿をプチしたのに更新されない・・・なんで

疲れたので今日は写真で・・・・・・

 



テンプレート変更したのが間違いだったのかぁ??

社内旅行 5日目 最終 上海→関空~自宅

2008年01月16日 01時36分56秒 | Weblog
やっと最終日に・・・これを書き終えると解放・・最高の快感!!

今・・・体調は絶不調。
旅行の疲れと睡眠不足が原因かなぁ??
毎年,11月頃から風邪を引き春先まで風邪引いてます
若い頃・・大病をして抗生物質を大量に摂取しましたの薬飲んでも全く効き目なし!!
書くの辞めようと思ったけれど・・あいだ空くと書く気が無くなるので
頑張って書き終えます

5日目 最終日の日程

朝・・最終日なのでゆっくりめに(7時)何時も通りモーニングコールで起床。
何とか朝食のバイキングを流し込み
ホテルを9時の出発
今日も朝から・・・霧と粉塵で視界が悪い。
結局中国5日間・・・スッキリした晴れ間無しでしたが雨も降らなかったので
よかった。
(個人的には上海動物園にパンダ見に行きたかったんだ)
上海市内観光 豫園・豫園商場・・散策
       東方明珠テレビ塔観光
昼食・・・飲茶料理
       豫園・豫園商場・・散策
リニアモーターカーで空港へ
19:05発→関空22:00着の予定です。
豫園(よえん)
「豫」は愉を示し、すなわち「楽しい園」という意で面積は約2万m²。もとは四川省の役人であった潘允端が両親のために贈った庭園で、1559年から1577年の明代に造られた400年以上の歴史を持つ古典庭園。
上海随一の観光スポットとしても有名でです。

毎日お寺・庭園を観光してたら・・だんだん同じに見えてくるのは
私だけ??
ここも太湖石を使ってます。







豫園商場
東京で言えば「浅草」??のようで豫園の周りにあり、
門前町のような場所。
豫園に来る人、廟に参拝する人を対象にした土産物・小吃を食べる店・駄菓子屋・レストラン骨董屋・などがたくさん集まってここも上海を訪れると必ず寄るところ。

密集地にお土産屋等がいっぱい列んでます。

スタバ・・・ここで飲んだコヒーでやっと生き返りました。
味は・・・同じだった。

ガイド見習いさんと・・・
千と千尋の神隠し・のような建物がいっぱいあったよ!!


一歩裏通りに行くと・・・少し不安になる。

地元の人以外は入らない方が??
私はしゃべれないけれど・・地元の人です。

東方明珠テレビ塔 観光
高さ468mのテレビ塔でアジアで1番、世界でも3番目に高い高層建築で、浦東新区の開発に先駆けて1991年に着工、1995年に完成しました。展望台は3つで350m・263m・90mの高さのところにあって総建設費8.3億元。

毎日霧で展望台に高速エレベーターで上がりましたが
全く景色は・・・見えませんでした
ここから見る上海の夜景は絶品とか??
今度は霧の無いときに一度は行ってみたいと思いますが???


昼食は・・・飲茶・・・これは最高に美味しかった。
      毎日これにしてくれればいいのに・・
      食べるのにいっぱいで写真撮るの忘れました。

食後ぶらぶらしてたら有料の公衆便所
(中国の便所は紙がありません・・・)
確か1元(15円)払って用を足しました。


昼食後バスで駅に向かう途中で見つけたマクド・・関東ではマック??
食べたかったけれどホテルの近くには無かった
いったいどんな味だったんだろうね??
よくマクドとケッタッキーを見かけましたが
あまり人は入って無かったような??
ちなみに、ミスドは1店も見かけませんでした。

大勢の観光客やビジネスマンで一杯のリニアモーターカーで空港へ
約8分で到着
普段は400km以上のスピードで走行するそうですが
霧の為に最高速度は300km強でした。

もっとスマートな顔してるのかなと思ってたら
意外にノーマル??




これで全ての観光が終わり・・・帰路へ
でもまたもや霧のために飛行機が飛ばず・・・
1時間30分遅れで離陸・・・
おいおい・・・最終のリムジンバスに乗れないがなぁ
飛行機の運転手??飛ばしてくれ
お願い

でも無理みたい・・・関空から出られへん
関空のロビーで泊まり??・・・最低や
何とか関空で・・手続き済ませ・・・タクシーで帰るか??
途轍もない金額・・・旅費より高い??どげんしょ・・と思案してたら
航空会社のお姉さんが誤りに・・そして1人に5,000円ずつくれました。
ラッキー・・・と喜んだものの5,000円貰っても・・・
するとご厚意で観光バスの手配して頂き取りあえず三宮まで
JRの時刻表調べると・・・バスが急いでくれれば何とか近くの駅まで帰れる!!
そこで・・・運転手に
すると「頑張りましょう」って
何とか最終電車25時04分の乗れましたが・・・家までは
終点からタクシーで泣きと中国のお土産で少しまけてもらいました
自宅に着いたのは午前3時前
最後まで・・・ハラハラドキドキの社内旅行でした。

来年はどんな旅行になるのか今から楽しみですが・・・ブログ書くのが大変なので
もっと短期間の旅行にしょうかなぁって思ってますが・・・
認知症が少し出てますので・・・多分忘れて...
ハードな日程の旅行になるでしょう!!

もっといっぱい書くことあるけれど・・・
問題があるので想像にお任せします。

おしまい・・おしまい












社内 4日目 蘇州・上海

2008年01月14日 13時55分26秒 | 仕事
     もう少しで解き放されると思うと少し希望が見えだした。
     早く仕上げないと内容忘れてしまう・・あと少しだから頑張ろうっと

     1月9日 今日も朝から霧が凄い・・。
     こんな事と珍しいんだって
     相変わらず朝・・・定時連絡のモーニングコールで6時にたたき起こされる
     毎日夜遅くまで起きてるので・・だんだん朝が辛くなってきてる。
     養豚所の豚さん見たいに・・・美味しくない朝食を済ませ・・本日の日程を。

4日目の行程

朝6時に起床
朝食を済ませ7時30分にクッションの悪いバスへ
蘇州観光 虎丘
昼食・・・広東料理・・もう中華料理見るのもイヤになってきてる。
昼食後バスで上海へ
上海観光 多倫路文化有名人街の散策・新天地散策
夕食・・・上海料理
食後 上海雑伎団観賞

虎丘
紀元前514年、呉王が蘇州に城を築いたのが歴史の始まりとされここに蘇州を都として開いた呉王の父の埋葬地だそうです。

一番の見所は東洋のピサの斜塔」と呼ばれている「虎丘塔(雲岩寺塔)です。
ピサの斜塔と同じく傾いていることが特徴です。
「虎丘」は 城砦の外側にあり、標高30m前後の丘。
太古の時代には海中の小島だったそうです。
「虎丘」という名前は「埋葬3日後に白い猛虎が現われ墓を守った」という伝説からこの名「虎丘」がついたのだそうです。


始皇帝や孫権がその剣を探し求めて掘られた剣池(剣をこよなく愛した父のために息子の夫差は3000本の剣を埋めたと言われてる)
唐妓女真娘の高潔を偲ぶ真娘墓、コウリョの墓を建造した千人の工匠達を殺戮、鮮血に染まった岩石は雨のたび紅く染まったと伝えられる巨岩の千人石(呉王の墓の造営に携わった千余人が皆殺しにされ)その血で石を染めたという言い伝えの場所。
歴史的見所は多くあります。
北宋代、961年に建立された八角七層の「虎丘塔」は、現在、地盤沈下によって
約15度傾いているそうです。南宋建炎年間から
清咸豐年間までに7回の火災に遭っているそうです。

虎丘の正門??
造りが虎に似せて作ってあります。
偉い人は門をくぐると食べられる・・・と縁起を担ぎ門をくぐらなかったそうです。
聞けば・・・何となく虎の正面に似てますね。


虎丘塔
中国版ピサの斜塔と言われる雲岩寺塔です。別名、虎丘塔とも呼ばれるこの塔は、宋の建隆2年(961年)に建設された八角七層のレンガ造りの
高さ約47.5mの塔で、明代から傾斜し始め、今は西北へ15度ほど傾いています。次の剣池を掘ったために傾いたとも伝えられています。

写真が変になってしまって・・・済みません。
少し傾いてるのが判れば???

見学・散策後・・・
昼食 広東料理・・(ここまで中華料理)が続くと何が広東・杭州・蘇州料理か区別が付かない
たぶんみんなそうだと思います。
食後バスで上海に移動・・・
移動途中で総合民芸品店でショッピング・・・ここで買った天津栗・訳のわからない焼き鳥??がおいしかった。

多倫路文化有名人街
多倫路は以前竇楽安路と呼ばれていた。1920~30年代、魯迅、郭沫若、柔石といった文化人と有名人の多くがここに住んで文学活動を行こない、多倫路は現代中国の「文化発祥の地」と言える。
1998年に道路を改修して「多倫路文化名人街」という名前で再建されたそうです。
多倫路の全長は550mほど、風格の違う建築物が建ってます

新天地
上海の観光地として欠かせない存在になった新天地。
上海近代建築のシンボルである「石庫門」建築を改造し、娯楽施設として生まれ変わった。新天地は外観は、20世紀初頭の上海が・・建物の中に入ると現代の流行を取り入れたデパート・茶店・レストラン・ブティック等になってます。
値段は・・・衣類はこちらと変わらないて高かった。

夕食は・・・上海料理
こ個での楽しみは上海かに・・1人1杯しかなかったけれど味噌が濃厚で最高!!
やっと楽しみにしていた中華料理??が食べれたような気分でした。
こちらで言えば川がに・もくずかに・・爪に毛がいっぱい付いてました。

上海かには日本での呼び名で、上海近郊の湖が産地として有名な事からこのように呼ばれているようです。実際は中国各地の河川に生息しており、10月に子の沢山詰まったメスを食し、11月にオスを食すといった、一年でもわずか2ケ月程しか味わえないものでしたが、今では養殖のお陰で年中味わえるようになりました。

可哀想に私のお腹に入った上海かに・・
♂で甲羅の径が5*8㎝ぐらいかなぁ??


やっとまともな??中華料理を堪能し雑伎団へ・・・
ここも良い席を取っていただき前列から4列目の真ん中!!最高のポジションで
観賞できました。
国内では見たことありますが実際に見るのは初めてでした。
やはり上海に来ればみなさん見るんでしょうね。
すぐに満席になりました。
演技じかんは7時30分から9時までの1時間30分
日本人がほとんどなのに挨拶は レディース・アンド・ジェントルメンで開演!! 会場は、ほぼ満席状態。日本人が多いみたいで、周りの団体は、全部日本人だ。
会場が暗くなり、スポットがステージの中央をてらし開演・・・
なんじゃ~~・・この人達は私達と同じ人間??
イッタイ何者??本当に生身の人間?
ため息ばかり・・・はぁ~ ほ~・・うん~
とにかく、スゴイ個人芸・団体芸・・ハラハラしたり、驚いたり、楽しめました。
皿回しも、すごい。
皿を落としているお姉さん??お嬢さんも居ましたが・・・これも愛嬌で・・。
軟体人間のお姉さん・・・この人の骨はどうなってるの??
なんて変な感動を覚えたり・・・などなど。
クライマックスは5台のバイクが球の中で走り回る技。
いくら昔バイクをガンガンぶっ飛ばしてた私でも・・・無理!!
ぶつからないのが不思議。。。。。
あっという間に終わってしまった感じです。

皿廻し??のお姉さん達・・
美人揃いでした。

鉄球の中で5台のバイク(90ccだと思います)がエンジン全開で縦横無尽に走り回ってます。

すごい技に見とれて写真は撮ってませんでした。
ゴメンね!!
見たい方は・・上海へどうぞ。

雑伎団見終わってから・・
小腹が空いたので・・・レストランへ・・・何処にしょうかと迷いましたがぶらぶら歩いてると目の前に「神田川」って看板が・・
飛び込んでみると・・・そこは「ラーメン屋」
メニューが「博多ラーメン」「喜多方」「札幌」・・なんでって思いながら注文すると・・・後は想像して下さい
ちなみに「札幌味噌ラーメン」はみそ汁の濃い風味??
麺は全て同じでした。

それからホテルに帰る途中で足裏マッサージへ行きました。
ホテルの近くだから日本語少しは・・と思ってましたが全く通じません。
英語の単語とゼスチャー何とか入場でき・・・お姉さんに水虫の足裏のマッサージ
して貰いました。
60分で90元(1,350円ぼど)安くて日本と違い痛くないんだなぁ。
心地よい!!
いままでの疲れ全て取れました。

4日目の日程これで終了・・・
明日は帰宅でき・・・
美味しいお茶漬けが食べれると思うと嬉しいようなもっと滞在したいような・・・複雑な気持ちでベットに入りました




















社内旅行 3日目 上海・無錫・蘇州

2008年01月14日 01時11分07秒 | Weblog
     今日も頑張って書くぞって意気込んでますが・・
     本当の所・・苦痛です
     
     3日目も朝6時のモーニングコールでたたき起こされ・・毎度の事ながら
     美味しくないバイキング・・・食べたのはカリカリのベーコンと目玉焼き
     それとパサパサのパン2枚と苦いコーヒー・・・でおしまい!!

     朝からもの凄い霧で視界ほとんど無し・・・
     今日は無錫・蘇州に行く予定だったのですが高速道路が通行止めに・・
     急遽行き先変更で

     3日目の日程
     ホテル7時30分出発
     上海博物館
     上海城市歴史発展陳列館
     霧が少し晴れ高速道路の通行止めが解除されたので無錫へ・・・
     昼食 無錫料理
     無錫公園 
     太湖遊覧
     バスで蘇州へ・・・
     世界遺産留園 寒山寺
     シルク工場見学とショッピング
     夕食 蘇州料理
     夕食後 蘇州運河遊覧と夜の山塘街散策
     ・・・・で3日終了・・・・

上海博物館
上海博物館は1952年に開館した中国古代芸術の総合博物館です。開館当時は南京西路325号の馬総会跡地に位置していたが、その後1959年に河南南路の旧中匯大楼に移転した。現在の場所に再び移転したのは1996年。新しい建物は1993年から3年の工期を経て完成したもので、建築総面積39200平米、4階建ての建設費用は5.7億元だそうです。
現在は中心に上海市庁舎がそびえ、上海博物館はその正面となり上海の政治・文化の中心地となっています。

展示物は歴史的価値があると思いますが、私は博物館等は全く興味がありません
4階建てで展示物が沢山ありましたが・・・タダ見ただけ・・行っただけです

至る所に自転車の出来損ない??改造車??で荷物を運んでます。

上海市内観光が霧が少し晴れ高速道路の通行止めが解除されたので
急いで無錫・・・
写真は高速道路から撮った一部ですが
至る所でこんな風景が・・・
上海郊外は2010年の万博

の為に昔からある古い建物は至るところで解体・・更地へ
そこにマンション等を建てるそうです。
土地は全て国のもので・・立ち退き命令が出ると従わないといけないそうです。
何でも34階建て以上も高層ビルが上海市内だけで3200棟以上あるそうです。
施工方法はまだまだ・・・足場は良くて単管足場で外部養生ネットはごく一部しかありません。
4階建てぐらいだとまだ竹足場で結束は麻縄で縛ってます。
コンクリートも生コン車が少なく現場で練ってます。

これは道路改良工事??の風景
こんな状態で2~3㎞ぐらい続いてます。
当然夜になると暗闇・・・この状態で事故等が無いのが不思議です。
旗??が防護柵だと思います・・・だって工事現場ではよく見かけました。
それとブレーカーが無いのか少ないのか??
コンクリートをチィスと大ハンマーで叩いて壊してました。
私には信じられない世界・・・
半年後・・・同じ場所に行ってもまだ手バツリしてると思います。
杭打ちも都会の真ん中でヂィーゼルハンマーを使用しそこら中油振りまいて打ってましたよ。
当然、作業服は着て無いし、安全靴・ヘルメットも無し・・・
考えられない世界??

続いて太湖 
バスは霧の中 無錫の街を抜け、太湖へと向かって走る。
太湖は中国で4番目に大きな淡水湖で、面積は琵琶湖の約3倍の約2,200k㎡。平均水深は2.0m・最大水深は48mで周囲は400kmである。水産資源に恵まれた太湖では、淡水ガニが豊富に捕れ、その多くが上海へ出荷され、高級料理食材『上海ガニ』としてテーブルに並ぶのだそうです。

船に乗り換え太湖遊覧。
あいにくの天候で周囲は全く見えず寒いので船内でのんびり・・・。
古代の船の復元とか??
この船で太湖遊覧しました。
私にはバイキングの船見見えました

太湖遊覧のあとは、バスは真珠製品の土産物屋に寄りました。
体育館ほどの大きさの建物で、関西のおばさん達一行が建物内に入ると、扉はバタンと・・・閉じられた??
買うまでは帰さない、という決意の現れか?
日本でよく見る真珠は直径7~9mm位の丸いものだが、淡水の真珠は他の貝の肉を入れ3年以上で大小の真珠が20個以上出来るとか・・白<ピンク<紫って高級になるんだって。
どうしても綺麗な丸にならなくて不自然な歪な形してる。
イヤリングやネックレスといったアクセサリー関係はもちろんだが、その小さな真珠をつなぎ合わせて、動物や植物等の装飾品が多った。
皆さん適当に値切りお土産買ったようです。

少しバスで走り・・・昼食!!
当然中華料理で・・・無錫料理とか・・まだ私には違い解りません。
ここも香辛料が強い!!
まぁ適当詰め込む・・・だんだん日本食が恋しい。

またもやクッションの悪いバスで蘇州へ・・・
楽しみにしてた世界遺産の留園だ!!
留園は
1997年12月4日、ユネスコの世界文化遺産リストに登録されました。
明の嘉靖年間(1522~1566)に築かれたのもで清代に改築され留園と呼ばれるようになったそうです。
かつてマルコポーロが東洋のヴェネチアと言った水郷の街で
蘇州には、多くの庭園(拙政園・留園・滄浪亭・網師園)等があります。
留園は、蘇州第二の規模をほこる庭園で面積20,000m2
建物の配置は、中、東、西、北の四つに大別され、建物で隔てて異なった趣の景観を作り出しています。
園内の東花園にそびえる冠雲峰は、蘇州庭園の太湖石で最大の一枚岩で、高さは6.5mあり天然が生み出した、太湖石の穴やくぼみ、シワなどが特徴だそうです。



1枚岩では無く無数の石を接着(今はモルタル等で補修してますが)米・粘土等で接着し1個の石に見えるように工夫されてます。

これが1枚岩で高さ6.5mあり穴のが数が73個あるとか・・・それが全て繋がってるそうな??




続いて次は寒山寺
寒山寺は蘇州市昌門の外、楓橋鎮にあります。
蘇州を訪れた日本人は必ず尋ねる名所です。。
城外を巡る水路?運河があり、あちこちにアーチ型の石橋がかかってます。
天監年間(627~649)の創建で、初めは妙利普明塔院と言い
貞観年間に高僧の寒山と拾得が住職をつとめたと伝え、のち寒山寺と改称された。清の咸豊10年(1860)に全山が戦火で焼失し、現存するのは清代末期に再建されたものと伝えられてます。
唐の詩人張継の「楓橋夜泊」に詠まれた寺で、寺の鐘は日本から寄贈されたもので
除夜の鐘としても有名ですでこの寺の除夜の鐘を聞くと10年若返ると言われていて、毎年12月31日になると日本人観光客とチョ尾語句の著名人でお寺は一杯になるとか。  
張継の「楓橋夜泊」
月落烏啼霜満天    江楓漁火對愁眠
姑蘇城外寒山寺    夜半鐘聲到客船

月落ち烏鳴いて霜天に満つ
江楓漁火愁眠に対す
姑蘇城外の寒山寺
夜半の鐘声客船に到る
  唐・張継     論争が多いことで有名

城壁廻りの運河に掛かる石橋
こんな石橋が至る所にあります・・多分歩行者だけだろうなぁ。
施工方法は長崎のメガネ橋によく似てます。

寒山寺の釣鐘堂

愛する??奥さんと・・・・





五重の塔「普明塔」
ピンボケの訳は・・腕もありますが霧と粉塵・・・

寒山寺の散策・観光が終わりシルク工場へ・・
あまりめぼしい物が無く・・羽毛の布団よりシルクの布団の方がいい・・ってしきりに購入を勧めてました。
買った人がいましたが・・・
聞くところによりと、やはり羽毛の方が温かいとか??
軽かったです。
チャネドレス・ネクタイ・カッターシャツ・ハンカチ等の販売店かな??

これで夕食・・・どうでもいいけど蘇州料理だった。
同じく私の口にはあいません<
本日最後の観光は
蘇州運河夜景遊覧
真っ暗なので水の汚れは見れなかったけれど汚いとか・・
その水で洗濯してるとか??
ネオン・ライトアップと言ってもこちらで見るイルミネーションの方が断然綺麗!!
昼間の水が汚いので・・・夜間遊覧してるのでは??

蘇州の人々の暮らしは、すべて流れる運河と結びついている。
低い家並みのすぐ下を運河が流れ、たくさんの
舟とたくさんの荷物、そして日焼けした逞しい
人々の顔が行き交う。
唐代の多くの詩人はこの水多き町に魅せられ
数々の詩を詠んだ。
近頃では東洋のベニスと呼ぶ声もある。
その真偽のほどは定かではない。
小運河沿いに並ぶ黒い瓦屋根と白壁の家々、
朝もやに立ち上る煙突からの煙、市内に点在
する美しく整備された庭園など独特の雰囲気
を持った町である・・・ってガイドさんが言ってました。

なぜか2枚とも露出??がおかしい・・・
カメラが悪いのではなく・・これはカメラを夜景モードにしてなかったんだ

でもこんな写真も有りかも


これで3日目が終了・・・
あと2日・・残ってる・・・本当に疲れたよ

今度から旅行は長くても・・・3泊以上は絶対にしない

今日は4時間強・・・・

ブログの更新でいっぱい・・・コメの返事出来そうもありません。
ゴメンね









社内旅行 2日目 杭州・紹興・上海

2008年01月13日 03時23分53秒 | 仕事
中国旅行の2日目
      疲れました・・・やる気無くしました。・・・死にそうです。
      頑張る気力無くしました
      3時間以上掛かって日記書き・・・もう少しで終わりって所で
      何があったのか・・・画面が・・・どうしても戻りませんでした

      こんど失敗したらもう・・中国旅行の日記書くの辞めますので・・・あしからず

気を取り直して

      朝、6時にモーニングコールで起床
      睡眠時間3時間弱・・・熱いシャワーを浴び少し奥さんの化ける
     (変身)の長時間待ち食堂へ・・・バイキングで朝食
      朝からきつい香辛料入りのおかずが食べられないので
      お粥とパン・・お粥は味が全く何ので食べれましたが
      パンはもさもさ(ぱさぱさ)でまずいコーヒーで流し込みました
      2日目の日程
      7時30分ホテルを出発
      バスで紹興市へ
      そこで魯迅記念館・魯迅故里を見学と散策
      蘭亭
      紹興酒工場見学(試飲)
      昼食・・・紹興料理
      その後バスで杭州へ・・・
      中国版新幹線で杭州→上海(約80分)
      到着後・・・四川料理
      食後 外灘で夜景観賞
      ホテル20:00着
魯迅
(1881~1936)は中国近代の文学者。日本(仙台)に留学し医学を学ぶが、その後文学に転じ『狂人日記』『阿Q正伝』などの作品を残してます。
また革命の指導者としても、非常に今でも尊敬されてます。
魯迅記念館
陳列館には魯迅の自筆原稿、手紙、写真、衣服などが数百点展示されてます。その隣りに彼が十七歳まで過ごした故居があり道路を隔てて、彼が少年期に通学した三味書屋があります。
子どもの頃遊んだ百草園も保存されている。

魯迅と鶴瓶の記念写真
魯迅が夏目漱石と似てるの思うには私だけ??

バスで蘭亭に移動中に見た接触事故
車社会なので車と歩行者・自転車・電動自転車(バッテリー自転車で10,000円ぐらいで売ってますが・・・1年で動かなくなるそうな??)原チャリ等の事故が
日常茶飯事だとか
なんせ車以外「信号なんか関係ねぇ!!」だし自転車・原チャリが3線道路の真ん中大きな顔して走ってます・・・なのでクラクションが喧しいほどそこら中で鳴り響いてます。
高速で無い限り・・車での仮眠(ウトウト)は不可能??
それと日本人は絶対に中国での車の運転不可能だと思います。
重大災害で無ければその場で当事者同士で解決するそうな
来年から原チャリが乗れなくなるとか??
排気ガス規制??
他にもっと色々あると思うんだけどなぁ??

蘭亭
蘭亭叙は、王羲之の法帖のなかで最も有名であり、書を学ぼうとしている人の必修科目??
王 羲之(おう ぎし)
生没年不詳 303年 - 379年ぐらいは中国東晋の政治家で書道家。字は逸少。右軍将軍であったことから王右軍とも呼ばれてます。琅邪王氏の王導や王敦らの一族に連なる名門の出身です。
右軍将軍、会稽内史、揚州刺史などを歴任しましたが、351年に官を辞して隠遁生活。
秦・漢代の字体などを研究しそれぞれの字体を行書、草書などと組み合わせ、奔放で力強く優雅な書体が特徴です。
書道の革命家と言われ、近代書道の体系を作り上げ、後世の書道家達に大きな影響を与えました。
その書の中では「蘭亭序」「楽毅論』」等が有名です。
王羲之が永和9年(353)の3月3日、蘭亭に41人の文人達を集めて流水曲水の宴を開きました。
その時に詠まれた詩を、王羲之が鼠鬚筆(鼠の鬚で作った筆)を以て、宴の様子を後々まで伝えようと書いた草稿です。
王羲之はこれを書いたとき酔っていたと言われ、後に草稿を何回も書き直しましたが、草稿以上の文字が書けず、それをそのまま残しておいたものです。
同じ文字はことごとく変化し王羲之自身も最高傑作であると認めたと伝えられている行書の名品で、
行書を学ぶ者全ての人が一度は書いているものです。











書に関係ない人は全く興味無いでしょうね・・・
私も余り興味ありませんが私の親父は書道家で中国と国交が無いときから
毎年のように訪中団してましたし、奥さんも書道家の端くれなので・・名前だけは知ってました
ちなみに・・・私の書体はミミズ書体で急いで書くと
書いた本人でも読めません

どこまで書いたっけ??
2度目書き始めてからかれこれ3時間がたちました。
通算で6時間弱
今の時間は・・えっとまだ午前2時過ぎ・・このまま書くとするか??日が昇るまで終わりそうだから・・・

次は紹興酒工場
ここは国営で紹興酒を作ってるとか??
10年物までの試が出来ました。
古酒になるほど口当たりが良くまろやか・・・
ここは相ちゃん・宮ちゃん・関さんが行くところ。
私には「関係ねぇ!!」
でも酒飲みの親父のお土産として3.5.10.15.20.25年物の紹興酒を買いました。
後から・・・重たいのに気が付き・・・最低!!
よく考えれば・・・日本でも売ってる

昼食は紹興料理・・・これも前回同様に香辛料がきつく
上品な私の口にはあいません。
食べたのは焼きめし(これも癖がある)と野菜の炒め物
そろそろ・・きつねうどんが食べたくなってきた。

これで紹興・杭州ともお別れ・・・バスで杭州駅に・・・
移動中どこでもよく見かける庶民タクシー??が上手く撮影できたので・・
でも人が乗ってるところ見たこと無し・・・
上海で外国人(・・おいらもそうだが)白人夫婦が乗ってるの1度見かけました。


今中国では中間所得者はラブホみたいな4階建ての住宅に住んでるそうです
全てレンガ造りで総工費200万円 庭は全くなし植木1本も植わってません

杭州から中国版新幹線で上海へノンストップ
杭州駅は凄い人・・大阪のラッシュ時以上の人・・人・・人
地方から商品を運んでるのか
地方に売りに行ってるのか知らないけれど 誰もが大きい荷物持ってる

中国版新幹線は在来線を走って乗ったときは最高速度170km前後でした。
新快速・特別快速??に少し毛が生えたぐらいの速度かなぁ??
スタイルは良いんだけど・・・椅子も悪いし乗り心地も・・イマイチ

途中の駅・・・駅名は知らん。・・・がほとんど人はいなかった
すれ違った貨物列車は日本では考えられんほど長い・・・


約80分で上海に到着
大きい荷物はで長い時間掛かってホテルまで運んでくれてるそうな??
その間また夕食・・・今度は蘇州料理だとか??
今は何を食べても中華は中華・・香辛料が苦痛になってる
1品ずつ上品に出てくるのだが・・・
お茶も不味い・・・飲めないビール美味しく思えてきた。
このままで行くと・・・アルコール中毒?
夕食が終わり・・・外灘へ夜景観賞へ・・・
夜景観賞って何処高いところから見ると思うのだがここは河川のほとりのベランダ??見たいな所からの観賞!!
写真撮ったけれど霧と光化学スモッグで上手く撮れん・・・当然腕も
船にイルミネーションや巨大スクリーンで楽しませてくれる。
おいらはそんなのより「社長さん・・社長さん・・」って寄ってくる
コピーとかオモチャ売りの相手も方が面白かった。
購入しなかったけれど
コピー商品が3個で1,000円・・・駆け引きで7個で1,000円まで行きました。
「10個で1,000円」と言うと・・・中国語でおいらのこと褒めながら??
たの「社長さん」の所へ・・・すたこらさっさ・・・。
ばりばりの関西人舐めるなよ!!

綺麗な写真は河さんのブログの8月を見て下さい

ほろ酔い気分の鶴瓶と愛人??・・・・

違います
ちゃんとしたガイドさんが居て・・・その見習いのガイド??
2年後ぐらいに独り立ちするそうですが・・・どうなる事やら??
日本語が余り上手くなく・・・おいらがちゃんとした日本語教えました。
たとえば・・・
ボケ・だぼ・・カス・・ぶちまっそ・・どついたろか・・われ・・
男の人はおっさん・おとん・・・女の人はおばはん・おかん
て・・関西語の最上級の言葉 教えました
・・・「チッチキチー」って親指出せば・・
「そんなの関係ねぇ}・・・etc
もし変な日本語しゃべるガイドさんが居れば彼女だと思いって下さい。
ちなみに21歳で・・日本語学校の学生です。

以上で2日目の行程と日記終わりました。
ちなみに今・・・午前3時半・・・・
後3日書かなくては・・・

誰も読まなくても・・・

意地でも書いてやる


毎度の事だけど誤字脱字は許してね。


社内旅行 1日目 杭州

2008年01月12日 03時44分32秒 | 仕事
    6日より10日迄4泊5日で上海・蘇州・杭州へ行ってきました。
   
    何でこの時期にって・・・みなさん思うでしょうね??
    12月の初めに正月明けの仕事が少し空白期間があったので
    毎度のことながら私の思いつきで勝手に急遽決めました。
    社員は・・・あきれ顔ですが旅費・その上少しの小遣いも会社持ちなので
    喜んで??1人を除いて全員参加・・・・
    所が困ったことに私の奥さんも参加しました
    行って欲しくなかったのですが・・・
    さすがに「行くな」って言えません
    なんせ会社の会計は奥さんが管理してますので・・・
    社員も羽目を外せないので・・少しガッカリ

    総員11名の珍道中の開始
    海外旅行の経験者は私を含め5名で6名は初海外
    6日の朝・・・早朝出発。
    万が一を考え飛行機は他国の飛行機を使用しないでANAを選択・・
    (もしもの時保険金が高いから)
    
    関西空港を10時35分NH0951 杭州着12時25分 2時間弱ですが
    時差が1時間あるので実際は3時間弱です
    悪戦苦闘しながら何と飛行機に乗ることができ杭州に到着。

    1月の平均気温は5度前後と聞いていたので当然 皆厚着・・
    なのに着いてみると気温が17度ある・・なんで??
    全員汗まみれ・・・
    身につけてたカイロは当然撤収処分しました
    何でも中国も温暖化の影響で毎年平均気温が上がってるとか
    それに5日間とも・・・霧。
    ガイドは霧だけだと言ってましたが・・粉塵も凄い・・
    毎日鼻の中真っ黒で視界も最悪

    到着後すぐに専用バスで杭州市内観光。
    そのバスが・・・ひどいまぁしょうがないかぁ
    
    1日目の内容は六和塔・西冷印社・西湖遊覧
    夕食は杭州料理でホテル到着は19時30分頃でした。
    食後近くで宋城観光そして宋城ショー・・・これが最高に良かった
    夕食は杭州料理・・・
    私には杭州・四川・紹興・広東・蘇州・上海料理の区別は全く解りませんでした
    どれも香辛料が強く(特にはっかく??)口にはあいませんでした。
   (こちら 日本で食べる中国料理の方がだんぜん美味しい!!)
    なので食べたのは総菜と焼きめし??ぐらい。
    ホテルに帰ってから外で日本食を食べに出て食べましたがこれも・・・
    食べるものが無いぞ??
    水もダメ!!・・・全て市販のミネラル(3元日本円で約45円)・・
    これもまともかどうか??
    最後には水代わりに・・・
    ビールは苦みがなくアルコール分も3.5度なので飲めました。
    これから4日間が不安
     

    
六和塔
銭塘江(せんとうこう)のそばに立つ塔で北宋時代に呉越王が銭塘江の高波を鎮めるために建立したそうで造りは木とレンガで高さ60m。塔内は草花、人物、鳥、虫、魚などの彫刻もあるそうですが時間が無かったので昇りませんでした。
銭塘江(せんとうこう)は旧暦8月の大潮の時の「銭塘江大逆流」は天下の奇観として世界的に有名です。

西冷印社
西湖のほとりにある金石・篆刻の研究施設です。
中国唯一の国家レベルの篆刻研究中心地で、書画・篆刻芸術に造詣が深い方の間では「西冷印社」は知らない人はいないというぐらい有名なところで、篆刻や朱肉など印学研究の聖地なのだそうです。
「西冷印社の印章」は毛沢東・江沢民・フランス大統領シラクをはじめ、
日本の元内閣総理大臣田中角栄も愛用していたのだそうで最近では元日本首相の小泉純一郎も愛用され
今年の北京オリンピック大会のエンブレムに、
「西冷印社」の印鑑が決まったとか??

西湖
西湖の水深は平均1.8m、最も深いところでも2.8mしかなく、非常に浅い湖。
なんでも人工池だとか??


西湖からの遊覧で見る六和塔
霧と粉塵で霞んで見えます。

宋城
テーマパークは『宋城』は杭州が首都だった南宋時代の街並みを再現したもので日本で例えると「日光江戸村」か「京都の太秦映画村」みたいなものかなぁ??ショーの内容は「宋城千古情」という"全景式大型歌舞"が最大の呼び物とのことで、
まぁ「宝塚」か「ラスベガスショー」にたいなもの。
世界各国から毎年200万人が見に来ているらしい....??
ショーの内容は4部構成で、第1部は中国の伝説時代、第2部は宋朝の隆盛、第3部は宋朝の滅亡、第4部は未来と世界との絆、
毎回男女数十人のダンサーが繰り広げるパフォーマンスで宙吊り・雑伎団的要素もふんだんに盛り込み、火薬・レーザー等の照明効果、滝のような雨を舞台に降らせたり、客席にまで霧雨を降らせビックリさせたり
前方の客席が移動してその跡から突然セリが上がってきたり、ブロードウェイのミュージカルのようなエンタテイメントでした。
席が特別席で前から2列目の真ん中・・綺麗なお姉さんが間近で見れて最高でした。

宋城
日本でいえばUSJ等のテーマパーク見たいなものかなぁ??

宋城ショー





これで1日の観光終了・・・
社員と少しカチカチ(解らないだろうなぁ?関西の花札?)をして真面目に3時に就寝しました。

更新するのがいっぱいなのでコメントの返事が送れると思います
これを書くのに4時間以上掛かりました



遅くなりましたが・・・

2008年01月05日 23時19分13秒 | その他
         遅くなりましたが・・・・
         新年明けましておめでとうございます。
         
         本年もブログはマイペースで
         えびは適当に・・・・行きますので
         宜しくお願いいたします


         昨日(4日) 本年最初の初打ち・・・
         変な意味じゃなく・・・・ゴルフですよ。
         思ったより寒くも無く・・友達と楽しい1日を過ごしました。
         スコアは・・・聞かないで下さい
        
         久しぶりの屋外だったので寒かろう・・って思い込み
         カイロを張ってのプレイで汗をかき・・・そして
         またもや風邪を引き・・・
         朝から喉は痛いし・・鼻水ダラダラ・・
         明日から4泊5日で社員旅行で上海・杭州・蘇州に
         行くのに最悪です。

         建設業を営んでるのに
         なぜ・・この時期に行くかって誰もが思うでしょうね。
         訳は・・・
         仕事が1週間ほど暇そうだったので・・・
         同じ行くなら少しでも安い時期に
         と思って申し込みましたが・・・急に忙しくなり年末31日迄仕事してました。
         でも家で奥さんに酷使われなくて良かった・・って
         従業員は喜んでましたよ
         本当かなぁ??

         との訳で・・今週は好きなブログ廻り・書き込みが出来ません
        
         少しは選別の進んでる旧1軍水槽で~す。



         バンドタイプは減ってるでしょ??
         後 色抜け・・日の丸・♂を抜いていけば
         ソコソコに水槽になるのでは??と思ってますが
         残りの選別は何時になるやら

         無事に帰ってこれること祈ってます