播磨えび♪BLOG

趣味であるえびの飼育をメインに釣りや日々の出来事を面白く、楽しく書いて行こうと思ってます。

社内 4日目 蘇州・上海

2008年01月14日 13時55分26秒 | 仕事
     もう少しで解き放されると思うと少し希望が見えだした。
     早く仕上げないと内容忘れてしまう・・あと少しだから頑張ろうっと

     1月9日 今日も朝から霧が凄い・・。
     こんな事と珍しいんだって
     相変わらず朝・・・定時連絡のモーニングコールで6時にたたき起こされる
     毎日夜遅くまで起きてるので・・だんだん朝が辛くなってきてる。
     養豚所の豚さん見たいに・・・美味しくない朝食を済ませ・・本日の日程を。

4日目の行程

朝6時に起床
朝食を済ませ7時30分にクッションの悪いバスへ
蘇州観光 虎丘
昼食・・・広東料理・・もう中華料理見るのもイヤになってきてる。
昼食後バスで上海へ
上海観光 多倫路文化有名人街の散策・新天地散策
夕食・・・上海料理
食後 上海雑伎団観賞

虎丘
紀元前514年、呉王が蘇州に城を築いたのが歴史の始まりとされここに蘇州を都として開いた呉王の父の埋葬地だそうです。

一番の見所は東洋のピサの斜塔」と呼ばれている「虎丘塔(雲岩寺塔)です。
ピサの斜塔と同じく傾いていることが特徴です。
「虎丘」は 城砦の外側にあり、標高30m前後の丘。
太古の時代には海中の小島だったそうです。
「虎丘」という名前は「埋葬3日後に白い猛虎が現われ墓を守った」という伝説からこの名「虎丘」がついたのだそうです。


始皇帝や孫権がその剣を探し求めて掘られた剣池(剣をこよなく愛した父のために息子の夫差は3000本の剣を埋めたと言われてる)
唐妓女真娘の高潔を偲ぶ真娘墓、コウリョの墓を建造した千人の工匠達を殺戮、鮮血に染まった岩石は雨のたび紅く染まったと伝えられる巨岩の千人石(呉王の墓の造営に携わった千余人が皆殺しにされ)その血で石を染めたという言い伝えの場所。
歴史的見所は多くあります。
北宋代、961年に建立された八角七層の「虎丘塔」は、現在、地盤沈下によって
約15度傾いているそうです。南宋建炎年間から
清咸豐年間までに7回の火災に遭っているそうです。

虎丘の正門??
造りが虎に似せて作ってあります。
偉い人は門をくぐると食べられる・・・と縁起を担ぎ門をくぐらなかったそうです。
聞けば・・・何となく虎の正面に似てますね。


虎丘塔
中国版ピサの斜塔と言われる雲岩寺塔です。別名、虎丘塔とも呼ばれるこの塔は、宋の建隆2年(961年)に建設された八角七層のレンガ造りの
高さ約47.5mの塔で、明代から傾斜し始め、今は西北へ15度ほど傾いています。次の剣池を掘ったために傾いたとも伝えられています。

写真が変になってしまって・・・済みません。
少し傾いてるのが判れば???

見学・散策後・・・
昼食 広東料理・・(ここまで中華料理)が続くと何が広東・杭州・蘇州料理か区別が付かない
たぶんみんなそうだと思います。
食後バスで上海に移動・・・
移動途中で総合民芸品店でショッピング・・・ここで買った天津栗・訳のわからない焼き鳥??がおいしかった。

多倫路文化有名人街
多倫路は以前竇楽安路と呼ばれていた。1920~30年代、魯迅、郭沫若、柔石といった文化人と有名人の多くがここに住んで文学活動を行こない、多倫路は現代中国の「文化発祥の地」と言える。
1998年に道路を改修して「多倫路文化名人街」という名前で再建されたそうです。
多倫路の全長は550mほど、風格の違う建築物が建ってます

新天地
上海の観光地として欠かせない存在になった新天地。
上海近代建築のシンボルである「石庫門」建築を改造し、娯楽施設として生まれ変わった。新天地は外観は、20世紀初頭の上海が・・建物の中に入ると現代の流行を取り入れたデパート・茶店・レストラン・ブティック等になってます。
値段は・・・衣類はこちらと変わらないて高かった。

夕食は・・・上海料理
こ個での楽しみは上海かに・・1人1杯しかなかったけれど味噌が濃厚で最高!!
やっと楽しみにしていた中華料理??が食べれたような気分でした。
こちらで言えば川がに・もくずかに・・爪に毛がいっぱい付いてました。

上海かには日本での呼び名で、上海近郊の湖が産地として有名な事からこのように呼ばれているようです。実際は中国各地の河川に生息しており、10月に子の沢山詰まったメスを食し、11月にオスを食すといった、一年でもわずか2ケ月程しか味わえないものでしたが、今では養殖のお陰で年中味わえるようになりました。

可哀想に私のお腹に入った上海かに・・
♂で甲羅の径が5*8㎝ぐらいかなぁ??


やっとまともな??中華料理を堪能し雑伎団へ・・・
ここも良い席を取っていただき前列から4列目の真ん中!!最高のポジションで
観賞できました。
国内では見たことありますが実際に見るのは初めてでした。
やはり上海に来ればみなさん見るんでしょうね。
すぐに満席になりました。
演技じかんは7時30分から9時までの1時間30分
日本人がほとんどなのに挨拶は レディース・アンド・ジェントルメンで開演!! 会場は、ほぼ満席状態。日本人が多いみたいで、周りの団体は、全部日本人だ。
会場が暗くなり、スポットがステージの中央をてらし開演・・・
なんじゃ~~・・この人達は私達と同じ人間??
イッタイ何者??本当に生身の人間?
ため息ばかり・・・はぁ~ ほ~・・うん~
とにかく、スゴイ個人芸・団体芸・・ハラハラしたり、驚いたり、楽しめました。
皿回しも、すごい。
皿を落としているお姉さん??お嬢さんも居ましたが・・・これも愛嬌で・・。
軟体人間のお姉さん・・・この人の骨はどうなってるの??
なんて変な感動を覚えたり・・・などなど。
クライマックスは5台のバイクが球の中で走り回る技。
いくら昔バイクをガンガンぶっ飛ばしてた私でも・・・無理!!
ぶつからないのが不思議。。。。。
あっという間に終わってしまった感じです。

皿廻し??のお姉さん達・・
美人揃いでした。

鉄球の中で5台のバイク(90ccだと思います)がエンジン全開で縦横無尽に走り回ってます。

すごい技に見とれて写真は撮ってませんでした。
ゴメンね!!
見たい方は・・上海へどうぞ。

雑伎団見終わってから・・
小腹が空いたので・・・レストランへ・・・何処にしょうかと迷いましたがぶらぶら歩いてると目の前に「神田川」って看板が・・
飛び込んでみると・・・そこは「ラーメン屋」
メニューが「博多ラーメン」「喜多方」「札幌」・・なんでって思いながら注文すると・・・後は想像して下さい
ちなみに「札幌味噌ラーメン」はみそ汁の濃い風味??
麺は全て同じでした。

それからホテルに帰る途中で足裏マッサージへ行きました。
ホテルの近くだから日本語少しは・・と思ってましたが全く通じません。
英語の単語とゼスチャー何とか入場でき・・・お姉さんに水虫の足裏のマッサージ
して貰いました。
60分で90元(1,350円ぼど)安くて日本と違い痛くないんだなぁ。
心地よい!!
いままでの疲れ全て取れました。

4日目の日程これで終了・・・
明日は帰宅でき・・・
美味しいお茶漬けが食べれると思うと嬉しいようなもっと滞在したいような・・・複雑な気持ちでベットに入りました




















社内旅行 3日目 上海・無錫・蘇州

2008年01月14日 01時11分07秒 | Weblog
     今日も頑張って書くぞって意気込んでますが・・
     本当の所・・苦痛です
     
     3日目も朝6時のモーニングコールでたたき起こされ・・毎度の事ながら
     美味しくないバイキング・・・食べたのはカリカリのベーコンと目玉焼き
     それとパサパサのパン2枚と苦いコーヒー・・・でおしまい!!

     朝からもの凄い霧で視界ほとんど無し・・・
     今日は無錫・蘇州に行く予定だったのですが高速道路が通行止めに・・
     急遽行き先変更で

     3日目の日程
     ホテル7時30分出発
     上海博物館
     上海城市歴史発展陳列館
     霧が少し晴れ高速道路の通行止めが解除されたので無錫へ・・・
     昼食 無錫料理
     無錫公園 
     太湖遊覧
     バスで蘇州へ・・・
     世界遺産留園 寒山寺
     シルク工場見学とショッピング
     夕食 蘇州料理
     夕食後 蘇州運河遊覧と夜の山塘街散策
     ・・・・で3日終了・・・・

上海博物館
上海博物館は1952年に開館した中国古代芸術の総合博物館です。開館当時は南京西路325号の馬総会跡地に位置していたが、その後1959年に河南南路の旧中匯大楼に移転した。現在の場所に再び移転したのは1996年。新しい建物は1993年から3年の工期を経て完成したもので、建築総面積39200平米、4階建ての建設費用は5.7億元だそうです。
現在は中心に上海市庁舎がそびえ、上海博物館はその正面となり上海の政治・文化の中心地となっています。

展示物は歴史的価値があると思いますが、私は博物館等は全く興味がありません
4階建てで展示物が沢山ありましたが・・・タダ見ただけ・・行っただけです

至る所に自転車の出来損ない??改造車??で荷物を運んでます。

上海市内観光が霧が少し晴れ高速道路の通行止めが解除されたので
急いで無錫・・・
写真は高速道路から撮った一部ですが
至る所でこんな風景が・・・
上海郊外は2010年の万博

の為に昔からある古い建物は至るところで解体・・更地へ
そこにマンション等を建てるそうです。
土地は全て国のもので・・立ち退き命令が出ると従わないといけないそうです。
何でも34階建て以上も高層ビルが上海市内だけで3200棟以上あるそうです。
施工方法はまだまだ・・・足場は良くて単管足場で外部養生ネットはごく一部しかありません。
4階建てぐらいだとまだ竹足場で結束は麻縄で縛ってます。
コンクリートも生コン車が少なく現場で練ってます。

これは道路改良工事??の風景
こんな状態で2~3㎞ぐらい続いてます。
当然夜になると暗闇・・・この状態で事故等が無いのが不思議です。
旗??が防護柵だと思います・・・だって工事現場ではよく見かけました。
それとブレーカーが無いのか少ないのか??
コンクリートをチィスと大ハンマーで叩いて壊してました。
私には信じられない世界・・・
半年後・・・同じ場所に行ってもまだ手バツリしてると思います。
杭打ちも都会の真ん中でヂィーゼルハンマーを使用しそこら中油振りまいて打ってましたよ。
当然、作業服は着て無いし、安全靴・ヘルメットも無し・・・
考えられない世界??

続いて太湖 
バスは霧の中 無錫の街を抜け、太湖へと向かって走る。
太湖は中国で4番目に大きな淡水湖で、面積は琵琶湖の約3倍の約2,200k㎡。平均水深は2.0m・最大水深は48mで周囲は400kmである。水産資源に恵まれた太湖では、淡水ガニが豊富に捕れ、その多くが上海へ出荷され、高級料理食材『上海ガニ』としてテーブルに並ぶのだそうです。

船に乗り換え太湖遊覧。
あいにくの天候で周囲は全く見えず寒いので船内でのんびり・・・。
古代の船の復元とか??
この船で太湖遊覧しました。
私にはバイキングの船見見えました

太湖遊覧のあとは、バスは真珠製品の土産物屋に寄りました。
体育館ほどの大きさの建物で、関西のおばさん達一行が建物内に入ると、扉はバタンと・・・閉じられた??
買うまでは帰さない、という決意の現れか?
日本でよく見る真珠は直径7~9mm位の丸いものだが、淡水の真珠は他の貝の肉を入れ3年以上で大小の真珠が20個以上出来るとか・・白<ピンク<紫って高級になるんだって。
どうしても綺麗な丸にならなくて不自然な歪な形してる。
イヤリングやネックレスといったアクセサリー関係はもちろんだが、その小さな真珠をつなぎ合わせて、動物や植物等の装飾品が多った。
皆さん適当に値切りお土産買ったようです。

少しバスで走り・・・昼食!!
当然中華料理で・・・無錫料理とか・・まだ私には違い解りません。
ここも香辛料が強い!!
まぁ適当詰め込む・・・だんだん日本食が恋しい。

またもやクッションの悪いバスで蘇州へ・・・
楽しみにしてた世界遺産の留園だ!!
留園は
1997年12月4日、ユネスコの世界文化遺産リストに登録されました。
明の嘉靖年間(1522~1566)に築かれたのもで清代に改築され留園と呼ばれるようになったそうです。
かつてマルコポーロが東洋のヴェネチアと言った水郷の街で
蘇州には、多くの庭園(拙政園・留園・滄浪亭・網師園)等があります。
留園は、蘇州第二の規模をほこる庭園で面積20,000m2
建物の配置は、中、東、西、北の四つに大別され、建物で隔てて異なった趣の景観を作り出しています。
園内の東花園にそびえる冠雲峰は、蘇州庭園の太湖石で最大の一枚岩で、高さは6.5mあり天然が生み出した、太湖石の穴やくぼみ、シワなどが特徴だそうです。



1枚岩では無く無数の石を接着(今はモルタル等で補修してますが)米・粘土等で接着し1個の石に見えるように工夫されてます。

これが1枚岩で高さ6.5mあり穴のが数が73個あるとか・・・それが全て繋がってるそうな??




続いて次は寒山寺
寒山寺は蘇州市昌門の外、楓橋鎮にあります。
蘇州を訪れた日本人は必ず尋ねる名所です。。
城外を巡る水路?運河があり、あちこちにアーチ型の石橋がかかってます。
天監年間(627~649)の創建で、初めは妙利普明塔院と言い
貞観年間に高僧の寒山と拾得が住職をつとめたと伝え、のち寒山寺と改称された。清の咸豊10年(1860)に全山が戦火で焼失し、現存するのは清代末期に再建されたものと伝えられてます。
唐の詩人張継の「楓橋夜泊」に詠まれた寺で、寺の鐘は日本から寄贈されたもので
除夜の鐘としても有名ですでこの寺の除夜の鐘を聞くと10年若返ると言われていて、毎年12月31日になると日本人観光客とチョ尾語句の著名人でお寺は一杯になるとか。  
張継の「楓橋夜泊」
月落烏啼霜満天    江楓漁火對愁眠
姑蘇城外寒山寺    夜半鐘聲到客船

月落ち烏鳴いて霜天に満つ
江楓漁火愁眠に対す
姑蘇城外の寒山寺
夜半の鐘声客船に到る
  唐・張継     論争が多いことで有名

城壁廻りの運河に掛かる石橋
こんな石橋が至る所にあります・・多分歩行者だけだろうなぁ。
施工方法は長崎のメガネ橋によく似てます。

寒山寺の釣鐘堂

愛する??奥さんと・・・・





五重の塔「普明塔」
ピンボケの訳は・・腕もありますが霧と粉塵・・・

寒山寺の散策・観光が終わりシルク工場へ・・
あまりめぼしい物が無く・・羽毛の布団よりシルクの布団の方がいい・・ってしきりに購入を勧めてました。
買った人がいましたが・・・
聞くところによりと、やはり羽毛の方が温かいとか??
軽かったです。
チャネドレス・ネクタイ・カッターシャツ・ハンカチ等の販売店かな??

これで夕食・・・どうでもいいけど蘇州料理だった。
同じく私の口にはあいません<
本日最後の観光は
蘇州運河夜景遊覧
真っ暗なので水の汚れは見れなかったけれど汚いとか・・
その水で洗濯してるとか??
ネオン・ライトアップと言ってもこちらで見るイルミネーションの方が断然綺麗!!
昼間の水が汚いので・・・夜間遊覧してるのでは??

蘇州の人々の暮らしは、すべて流れる運河と結びついている。
低い家並みのすぐ下を運河が流れ、たくさんの
舟とたくさんの荷物、そして日焼けした逞しい
人々の顔が行き交う。
唐代の多くの詩人はこの水多き町に魅せられ
数々の詩を詠んだ。
近頃では東洋のベニスと呼ぶ声もある。
その真偽のほどは定かではない。
小運河沿いに並ぶ黒い瓦屋根と白壁の家々、
朝もやに立ち上る煙突からの煙、市内に点在
する美しく整備された庭園など独特の雰囲気
を持った町である・・・ってガイドさんが言ってました。

なぜか2枚とも露出??がおかしい・・・
カメラが悪いのではなく・・これはカメラを夜景モードにしてなかったんだ

でもこんな写真も有りかも


これで3日目が終了・・・
あと2日・・残ってる・・・本当に疲れたよ

今度から旅行は長くても・・・3泊以上は絶対にしない

今日は4時間強・・・・

ブログの更新でいっぱい・・・コメの返事出来そうもありません。
ゴメンね