この問題に直面した時(人それぞれでしょ)って言う人が結構多くて、さもそれが(正解)みたいに聞こえる言い方をする。
しかしそれって(考えるのをやめた人)って事でもあるんで(問題に直面したら考えるを辞める価値観を押し付ける)って事でもある訳で、狭き門へ向かうしんどさや辛さ、乗り越える充実感を放棄せよとの(自己責任論)と言う事になる。
楽な道、考えない道が(正解の人もいれば)(不正解の人もいて)その人の時期によっても(変わる)って事を説明できないで、(人それぞれです)(時間が解決する)って言うてる本人も(意味がわかってない場合)が多い気がする
ではどうやって価値観が作られるのか? DNAって部分は(その後の価値観を学ぶ)って事で変化する場合が多いので、一旦置いとくとしよう。
それでは、1回目の(価値観)ってのはどこか?確実に(親、ないし育ててくれた人)な訳です、親が鼻くそを喰っていたら、子供も確実に鼻くそを食べることに疑問は持たないって事になるますよね? それくらい1回目の価値観ってのは強烈で、それ以外の人に触れずにいると、その価値観は上書きされずに永遠に(鼻くそをくらい続ける)って事になる
(鼻くそ食べてはダメですよ)って至極当たり前の事にこそ(違和感を覚える)訳です、では鼻くそ食べるって価値観を(私の言う事以外聞く意味なし)って価値観に置き換えれば、こんなに恐ろしい事はない訳で、幼少から念仏のように(刷り込まれたら)成人したとて(気づけばその価値観)に縛られ続けるって事になります
なので、昔からのことわざで(若いうちの苦労は買ってでもした方がいい)とか(遠くの親より近くの他人)とか他にも色々あるのには(意味が有る)って事です、つまり意味が重要なのです、そして言葉の前後につける(言葉)も重要なのです。
若いうちに苦労すれば(俺は若いうちに苦労したからな!)何て言わない訳です、そういう人の裏側にあるのは(苦労した俺すごい?言ってくれへんかったら心が落ち着かへんねん!)っていう価値観な訳です、それ親から受けたメッセージですね... その後に待ち受けるのは、狭き門に向かったはずが肯定する人ばかりを集めるって事になり、自分が世界のどこにいるのか分からなるって事です
自分のためになる(自分の望む道へと向かうメンター)は現れずにディメンターに心を奪われるんですね、ややこしいのは世の中じゃなくて、自分の頭の中でしかない。頭の中の価値観を上書きできれば、全てが変わるかもね。 お知らせ新しいブログへ移行してくれたら助かります、ブックマークよろしくお願いします
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます