少し前のこと。
『明日の記憶』という映画を観た。
公開前からサイトで特集をされており、個人的に「記憶を失う」というテーマに興味があったこともあって、原作も読みつつこの映画に望んだ。
だが、期待をしていたほどには自分の心には響かなかった。
「若年性アルツハイマー病」という実在する病気を扱った話ではあったが、
焦点はそこではなく、
疑いもしない「そこに在るはずのもの」が、突然そうではなくなってしまうという事実、
日々の生活に現れた、暴力的なまでの「喪失」、
そんな「日常」と「喪失」との関係、そこから生じる想い、
そんなところであったのではないかと感じた。
いま、大切なものを持っている人ほど、響く話なのだと思う。
自分はまだ50年も生きてはいないし、
連れ添った妻も居ない、
もちろん嫁いでゆく娘も居なく、
何十年と会社で勤め上げたわけではない。
そもそも、自分が何かを持っているなんて、微塵も思っていない。
少なくとも、その自覚を持っていないか、価値を感じていないかだ。
失うことが、本当に怖く思えるものが、きっとないのだ。
主人公の佐伯のように、
大切な時間、
大切な人、
大切な想い、
絶対に失いたくないそれらのものをこの手に抱えているときに、
大切なそれらを心の傍らに置いて、もう一度観てみたいと思う。
『明日の記憶』という映画を観た。
公開前からサイトで特集をされており、個人的に「記憶を失う」というテーマに興味があったこともあって、原作も読みつつこの映画に望んだ。
だが、期待をしていたほどには自分の心には響かなかった。
「若年性アルツハイマー病」という実在する病気を扱った話ではあったが、
焦点はそこではなく、
疑いもしない「そこに在るはずのもの」が、突然そうではなくなってしまうという事実、
日々の生活に現れた、暴力的なまでの「喪失」、
そんな「日常」と「喪失」との関係、そこから生じる想い、
そんなところであったのではないかと感じた。
いま、大切なものを持っている人ほど、響く話なのだと思う。
自分はまだ50年も生きてはいないし、
連れ添った妻も居ない、
もちろん嫁いでゆく娘も居なく、
何十年と会社で勤め上げたわけではない。
そもそも、自分が何かを持っているなんて、微塵も思っていない。
少なくとも、その自覚を持っていないか、価値を感じていないかだ。
失うことが、本当に怖く思えるものが、きっとないのだ。
主人公の佐伯のように、
大切な時間、
大切な人、
大切な想い、
絶対に失いたくないそれらのものをこの手に抱えているときに、
大切なそれらを心の傍らに置いて、もう一度観てみたいと思う。