にっき。

なまけもののグダグダ日記。

いつも言葉が、追いつかない。

2005-12-27 02:14:38 | こころ
いつだって、言葉は後付けだ。
言葉にもならないカタマリが、自分のなかに留まっている。

話すことも、
書くことも、
考えることですら、
すべて「言葉」を仲介するしかない。

2割ほども正確に伝えられない。
言葉にした瞬間、カタマリは一歩先に行く。
表せば表すほど、言いたいことからかけ離れていく。

すごく、どうしようもなく、もどかしい。

もっとダイレクトに、このカタマリを伝達出来たなら。
直接このカタマリを表現することが出来たなら。
その方法を知ることが出来たなら。
もう少し楽になれるかな。

「アー・ユー・ハッピー?」

2005-12-13 03:52:28 | 出来事
このあいだほぼ日でネット中継されていた「広告サミット2005」で、矢沢永吉さんの「成りあがり」という本の話題が出ていた。
糸井さんがずっとついて取材をしたという。

この本の名前は聞いたことがあった。
どこでだったかは忘れたけれど、ぽつりぽつりと、いろんなところでこの本の名前を聞いたように思う。
一度読んでみようかな、と頭の片隅で思ったことはあったけれど、いままではその機会がなかった。

ちょっと、読んでみようと思った。

そしたらネットは便利だね。
探して、調べて、すぐに買うことができる。
早速その「成りあがり」と、いっしょに「アー・ユー・ハッピー?」を注文した。
成りあがり How to be BIG―矢沢永吉激論集
角川書店
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アー・ユー・ハッピー?
角川書店
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「アー・ユー・ハッピー?」は、以前にほぼ日で紹介されていたのを知っていたのと、いつのまにか文庫化されていたのと、「成りあがり」とセットで読んだらおもしろいとのことだったので買ってみた。

届いて、読んだ。
読みやすい、というのもあるけれど、自分にしては珍しく3日で2冊、読み切ってしまった。
おもしろかった。

自分は、「矢沢永吉」という人のことをあまりよく知らない。
曲をきちんと聞いたこともない。
昔に「キャロル」というバンドがあったということも知らない。
缶コーヒーのCMに出ていた、なんて印象が強かったりもする。
だいたい、クレジットを見てみたら「成りあがり」が最初に単行本になったのが、自分の生まれた年だ。

それでも、この2冊はおもしろかった。

「成りあがり」ではただひたすらに熱い、
「アー・ユー・ハッピー?」では穏やかで強い、
正直で、素直で、逃げない、
本人の言葉でそれぞれ書かれていた。

どちらかといえば、20代で出した「成りあがり」よりも、50代で出した「アー・ユー・ハッピー?」のほうが、対比して読んだという事もあるのだろうけれど時間の経過が感じられて、自分は好きだった。
貧乏も、屈辱も、サクセスも、富も、名誉も、裏切りも、家庭も、離婚も、
いろんな経験をしてきた矢沢永吉という人が、昔を振り返って
「オレはいまだから言える。人の痛みをわかりたいと思う。あいつはなんでこんなことを言うんだろうな、ってことがわかりたいと思う。」
と書いている。
すごい、心にきた。


最後の方でこんなことが書かれていた。

「アー・ユー・ハッピー?」ということばには、たぶん、「アー・ユー・ファイティング?」という意味が、隠れているのかもしれない。


アー・ユー・ハッピー?

そう問い掛けられたら、自分はどう答えるだろう。
たぶん、いまはアンハッピーと答えるだろう。
ハッピーと言えるだけ、自分が納得出来るだけ闘ってはいないと、そう思うから。
それは、ほんとに、さみしいことだよね。
もう一度、きちんと考えなければいけないな。


これを読んで、また以前のほぼ日の記事()を読み返したくなった。
いま読み返したら、また新しい発見があるんだろうな。

笑顔の総量。

2005-12-09 02:20:11 | こころ
この世界で大切なものはなに?
人は何を求める?
どういう状態が幸せと呼べる?

いろいろ表現する言葉はあるけれど、ひとこと「笑顔」という言葉でまとめてみる。
幸せな、嬉しい、楽しいときにはみんな、笑顔になるでしょう?

俺は、より多くの「笑顔」を見たい。
より多くの「笑顔」を生み出したい。
「笑顔」の総量を増やしたい。
そのために、努力したい。

今のところ、俺は俺自身が「笑顔」になることが苦手なようだ。
それが心の底からのものであればあるほど。
笑顔を生み出すことの出来る素材があったとして、それを自分のために使っても「笑顔」が生まれないのなら、それは他の誰かのために使われるべきだ。
俺が笑わないよりも、誰かが笑ってくれたほうが、俺も嬉しい。
それが「笑顔」を増やすことにつながるから。

でも決して、自分を諦めたりはしていないよ。
ただ、いまはまだ、これでいい。

俺が、本当に、笑うことができるよう、
地道に、後戻りもするかもしれないけれど、
少しずつ、努力をしよう。
その気持ちだけは、片隅にだけだったとしても、持ち続けよう。


いつもこう思えるわけじゃないけれど、
不完全な自分を形作っている、たくさんのなかのひとつの要素では、ある。

同窓会の知らせ。

2005-12-06 03:37:34 | 雑談
同窓会の知らせが来た。
小学校の同窓会だ。

今まで学生時代に仲の良かった友達数人で集まることはあったけど、こうして「同窓会」として開催されるのは、今回がはじめて。

しかも小学校の頃の同級生なんて、今ではもうほとんど連絡を取っていない人がほとんどで、みんなどこに行って、何をしているのか、全然知らない。
それはだって、卒業してから15年だもんなぁ。
自分も含め、変わっていたり、変わっていなかったりするんだろう。


出席しようかどうしようか、少し迷った。
あんまり集まらないんじゃないのかなぁとか、
見栄の張り合いみたいになったら嫌だなぁとか、
忘れられていたら寂しいなぁとか、
覚えていなかったら悲しいなぁとか、
なんだかちょっと考えちゃって。

でも、出席することにしたよ。
これは必ず、刺激になると思ったから。

あのころ好きだった人に会うも良し、
一緒にサッカーやってた奴に会うも良し、
あんまり接点のなかった人に会うも良し、
15年という歳月によって様々にかたちを変えた、15年前の小学生たち。
みんな、どう変わったのかな。
どう、生きてきたのかな。

さぁ、15年を経た小学生たちには自分はどう映るのだろう。
ちょっと、楽しみ。

一人称、追加。

2005-12-06 03:06:29 | 雑談
どうも「自分」を言うときの一人称に、しっくりくるものがない。
僕、俺、私、自分。
今まで文章を書くときは、なんとなく無色に感じられる"自分"を使ってきた。
でもなんだか、文章を読んだときにより「突っ込んだ」感じが薄い。
主観ではなくて、客観ベースの表現になってしまうような。

なので、ちょっと試しに"俺"をレパートリーに追加してみようと思う。
より主観的な文章を書くときに使ってみようかな。
ちょとずつね。