中国四大家魚と呼ばれる魚たちがいる。淡水魚釣りに詳しい方はご存知だろう。ソウギョ・ハクレン・コクレン・アオウオだ。
Web「青魚倶楽部」の資料によると、明治期から昭和初頭まで農林水産局により食料増産を目的にソウギョを主に中国から移入される。輸出地での選抜的な採捕、幼魚期の選別が困難だった為ハクレン10%、コクレン・アオウオが1%以下の割合で混じったと思われ、繁殖が確認されている利根川水系における現生息数比に繋がっているのではないかとされている。
4種とも大きく育ち1mを超えるものも珍しくないといわれるが、30cm位から飼育を始めたソウギョはコイ主体の混養の為か1mになるのに15年程かかった。
その後も全国各地で、水草の繁茂抑制・除去を目的として放流は続けられているようだが、佐賀・福岡の筑後川水系でソウギョ以外を目にしたことはない。他種の放流数が少ないのが主な要因だろう。
久留米市の北、筑後川に架かる両筑橋で「イルカほどの魚がジャンプするのを見た。」という話を聞いた。
後日、「地元の名人がその巨魚に挑み、針がかりはさせたものの、その走りを止められなかった。」との記事も雑誌で目にした。
淡水大型魚のジャンプといえばハクレンを想像するが、この辺りでは、霞ヶ浦などで見られるヘラブナ釣りをパワーアップしたような浮子釣りをあまり見たことがない。そのような釣りをしているベテラン釣り師の話を聞く機会が一度あったが、彼はレンギョを知らなかった。大方の釣りが専らブッコミ釣りであることを考慮に入れるとハクレンと特定するのは難しく、泳層・食性を変えて棲み分けをしているとされるコクレンかどうかの特定はより困難だ。
しかし四大家魚のうち表層にいるとされるソウギョが、岸辺に浮かせたヨシの葉、底を1m切った胴突き仕掛け、底に落としたイモにもヒットするのも事実だ。
佐賀新聞社刊「佐賀の淡水魚」がハクレンを「1978年に筑後川で記録あり」、コクレンを「1982年 有明海」と写真付で紹介している。1985年7月26日朝刊記事として写真で紹介しているのはアオウオだろう。記事引用の経緯もあってか、「ソウギョ 全長1.48m、胴回り85cm、重さ55kg 筑後川」と記しているが、体長と重量の関係、何よりソウギョよりもザラツキが目立つ鱗、頭部の形状及び目の位置などから判断している。
環境に変化を及ぼす要因となる筑後大堰は1985年4月に稼動を開始している。
果たして現在もハクレン・コクレン・アオウオがこの流域に生息しているかは判らないが、繁殖が確認されていないソウギョが、数を減じた印象を与えることなく見受けられるのは、継続的な放流によるものだろう。
そこに3種が混入する可能性はとても低いが。
この流域での大型魚釣りは、ルアーによるスズキを例外に殆どコイが対象で、イモがエサとして用いられている。
ヘラブナに似た食性を持つレンギョ、甲殻類を主食とするアオウオなどは外道として釣り上げられる可能性が低いのではないか。
この辺りを拠り所に彼等の存在を想う。
Web「青魚倶楽部」の資料によると、明治期から昭和初頭まで農林水産局により食料増産を目的にソウギョを主に中国から移入される。輸出地での選抜的な採捕、幼魚期の選別が困難だった為ハクレン10%、コクレン・アオウオが1%以下の割合で混じったと思われ、繁殖が確認されている利根川水系における現生息数比に繋がっているのではないかとされている。
4種とも大きく育ち1mを超えるものも珍しくないといわれるが、30cm位から飼育を始めたソウギョはコイ主体の混養の為か1mになるのに15年程かかった。
その後も全国各地で、水草の繁茂抑制・除去を目的として放流は続けられているようだが、佐賀・福岡の筑後川水系でソウギョ以外を目にしたことはない。他種の放流数が少ないのが主な要因だろう。
久留米市の北、筑後川に架かる両筑橋で「イルカほどの魚がジャンプするのを見た。」という話を聞いた。
後日、「地元の名人がその巨魚に挑み、針がかりはさせたものの、その走りを止められなかった。」との記事も雑誌で目にした。
淡水大型魚のジャンプといえばハクレンを想像するが、この辺りでは、霞ヶ浦などで見られるヘラブナ釣りをパワーアップしたような浮子釣りをあまり見たことがない。そのような釣りをしているベテラン釣り師の話を聞く機会が一度あったが、彼はレンギョを知らなかった。大方の釣りが専らブッコミ釣りであることを考慮に入れるとハクレンと特定するのは難しく、泳層・食性を変えて棲み分けをしているとされるコクレンかどうかの特定はより困難だ。
しかし四大家魚のうち表層にいるとされるソウギョが、岸辺に浮かせたヨシの葉、底を1m切った胴突き仕掛け、底に落としたイモにもヒットするのも事実だ。
佐賀新聞社刊「佐賀の淡水魚」がハクレンを「1978年に筑後川で記録あり」、コクレンを「1982年 有明海」と写真付で紹介している。1985年7月26日朝刊記事として写真で紹介しているのはアオウオだろう。記事引用の経緯もあってか、「ソウギョ 全長1.48m、胴回り85cm、重さ55kg 筑後川」と記しているが、体長と重量の関係、何よりソウギョよりもザラツキが目立つ鱗、頭部の形状及び目の位置などから判断している。
環境に変化を及ぼす要因となる筑後大堰は1985年4月に稼動を開始している。
果たして現在もハクレン・コクレン・アオウオがこの流域に生息しているかは判らないが、繁殖が確認されていないソウギョが、数を減じた印象を与えることなく見受けられるのは、継続的な放流によるものだろう。
そこに3種が混入する可能性はとても低いが。
この流域での大型魚釣りは、ルアーによるスズキを例外に殆どコイが対象で、イモがエサとして用いられている。
ヘラブナに似た食性を持つレンギョ、甲殻類を主食とするアオウオなどは外道として釣り上げられる可能性が低いのではないか。
この辺りを拠り所に彼等の存在を想う。
推定150cm50kg(ソウギョとは比べ物にならないサイズ)
足元を悠然と泳いでいました
その時に持っていたライギョロッドでは釣り上げるのは不可能だと感じる程のサイズで、恐怖すら感じました