BLOG記事 「AMSTECの児童書2冊」 に大学受験で地学が軽んじられているの記載があり、高校時代に地学部に在籍した自分にとって、どうだったかなと振り返ってみようと思う。
小学生、中学生、高校1年生1学期まで勉強らしいことをしなかった自分は、ある事件があって高校1年生2学期から主要科目だけではあるが勉強し出したのです。。当時、高校1年生の理科科目は「地学」と「生物」。これらの科目も主要科目とは言い辛い。でも理科はやはり好きな科目で結構良い点数が取れた。(全くだめなのが国語。英語も得意ではなかった。) 当時の地学担当の教師が目をつけて、地学部への入部を薦め、そのままスンナリ入部してしまう。そこで文化祭にて、地学部も展示をやることになる。地学部は、地域の関係で関東大震災の被害状況などをポスターにして、地震の怖さを伝えようとしていたが、震災後の大火災についての内容が主で、地震そのものについては述べられていなかった。当時としては当たり前なのかもしれません。そこで先生は自分に「プレートテクトニクス」に関する論文を渡し、分かりやすく説明するポスターの作成を指示し、それに従って、自分でしっかり理解していたか定かではありませんが、なんとかデッチあげたのでした。当時、「プレートテクトニクス」が認知されていたか、微妙ですが、日本列島が複数のプレートがぶつかり合う地球上稀な特異点であったことだけは拙い理解力の自分でも分かった気がしました。
図:日本列島とその周辺のプレート
参照: 地震調査研究推進本部HP 用語集 https://www.jishin.go.jp/main/yogo/e.htm
図:プレート間地震の発生サイクル
参照: 地震調査研究推進本部HP 用語集 https://www.jishin.go.jp/main/yogo/e.htm
地震の強度に「マグネチュード」という値が出てきて、エネルギーの対数値として理解したものこの時期でした。都内にありながら、天文観測もできたんですよ。夜に天体望遠鏡を校舎屋上に2台設置し、土星なんかも見て、ワクワクしたのを憶えています。
参照: 光学製品のミザールテック http://www.mizar.co.jp/product/view/299
さて、自分の過去を語るのはこのぐらいにして、この関東大震災というキーワードに触発され、両国の国技館の北側にある東京慰霊堂へ出向きました。
TOPの画像が「東京慰霊堂」の正面になります。
東京慰霊堂 裏廟堂 2018.SEP
両国付近では、関東大震災後の大火災で多くの方々が亡くなられた場所で、身元が確認できなくなった方々を慰霊するために東京慰霊堂が建てられたのでした。1932/9/1という震災が起きた当時は台風の余波で大風が吹き荒れ、震災で生じた火災がその風に煽られ、避難していた人々が持ち出してきた荷物や家財道具に火が付き大きな炎となり、人々は逃げ場を失う結果となったそうです。
図:関東地震による東京の火災の拡大経過 (震災予防調査会,1925による)
参照:https://dil.bosai.go.jp/workshop/02kouza_jirei/s17fire/f3kakudai.htm
or
https://dil.bosai.go.jp/workshop/02kouza_jirei/s17fire/f3kakudai.htm
北海道での今回震災も台風一過による地盤の軟弱化もかなり影響していますね。9月というのはそんな複数の災害が影響し合って、被害を大きくしている感じがします。よくよく過去を調べれると似たような災害が過去にあったんではないかと思う次第です。最近、富に災害が大きく報道されているのはメディアあっての感じもします。日本は自然災害といつも向き合っていたという歴史があると思うのですが、どうも時間が立つとその事をすっかり忘れてしまうのでしょうか。嫌なことは忘れたいという気持ちもあるでしょう。東京という大都市、激震がきたらインフラの殆どが機能停止し、高層ビルや高層マンションにいる方々なんか、本当に建物が大丈夫でも、そこで生活が成り立たなくなるのではと危惧します。一度地面に降り立っても再び自分が住んでいる階に戻れる体力・気力がでるのかな、、と心配してしまいます。こんな不安を勝手申し上げて良いのやら、と自己嫌悪になってしまいます。
少しでも、近未来への災害への対策を積み上げていくしかないでしょう。自治体も「自助努力をお願いします」と自治会へ話しています。近隣との方々と日頃からお付合いをしておかないと、一人では何も出来なくなります。そういう事からでもやって行くことも必要だと思います。
参考:「自助、共助、公助とは?」(もし防)
https://dil.bosai.go.jp/workshop/02kouza_jirei/s17fire/f3kakudai.htm
以上、取り留めのないお話でした。