That's the Way I Am

私の好きなものについて

映画 ■■そして父になる■■

2013年10月03日 19時31分45秒 | 映画
長文書いてたのに
消してしまった
ショックなので、もう、手短に書く



他の人がもう書いているようなことは
わざわざ繰り返す必要ないし



と、言いつつ
またまたかなりの長文になってしまった...



映画 ■■そして父になる■■



Yahoo映画の評価(2013年9/30現在) 3.85(5点満点)



福山演じる野々宮良多は
「私がもし子持ちだったら
こんな母親になりそうだな」
という、私に似たタイプの父親なので

彼の感じていることが痛い程分かって
辛かった



福山演じる野々宮良多は
子どもの将来のために
私立小学校を受験させ
ピアノも習わせているような
教育熱心な父親
しつけにも厳しい

多分
鼻水やヨダレを垂らしたり
泣きわめいたり、うるさく騒いだり
汚したり、散らかしたりする子どもは
嫌いなタイプ



今までの人生では負け知らずで
クリエイティブな仕事に就き
仕事は順調で
都心の高級なタワーマンションに住む

家族にも恵まれ
一人息子は礼儀正しく
私立小学校にも合格した



家族を顧みる時間が無いほど
仕事に没頭してきたけれど
それは、家族を守るため
子どものために明るい将来を贈るため
これが、彼の愛情表現なのだ



誰よりも子どもを愛し
命よりも大切と思っているが

その愛情は自分の中に隠していて
子どもにそれを伝えるのは苦手
愛情表現が下手、不器用
なんだか気恥ずかしい
どうやったら「愛している」という気持ちが伝わるか
分からない



一方、リリー・フランキー演じる斎木雄大の方は
子どもの心を掴むのが上手くて
子どもと一緒にどろんこになって
とことん自分も遊ぶタイプ
自営業だから
一緒にいる時間も多く
兄弟や祖父もいるから
家の中は賑やかで、いつも笑いに溢れている



この映画は
「生みの親か、育ての親か」
または
「血の繋がった子どもか
自分が育てた子どもか」

という問いを投げかけてくる



これは、私がいつも興味深く感じている
「遺伝子が重要か
後天的な努力や環境の方が
影響力が強いか」
という謎にも、少し似ていて

ハートも脳も両方満足させてくれる映画だった



「遺伝子か環境か」という謎には
私は「環境(後天的な条件)の方が大切」
と、常々信じているのだけど

この映画を観てやはり
「血のつながりよりも
一緒の時間を親子として過ごす事の方が
親子を結ぶ力がある」と受け止めました



その受け止め方は人それぞれでしょう



このような赤ちゃんの取り違えは
この映画のように「The End」となる問題ではなくて

双方の両親、子ども達
兄弟や祖父母の人生を
一生の間ずっとゆがめ続ける
悪夢のように恐ろしい出来事だと思います



「何故自分がこんなことに巻き込まれるのか?」
福山演じる野々宮良多は
運命を呪ったことだろうと思いますが

この事件が発端となって
「自分は良い父親だったか」
「自分には子どもを幸せにする力があるのか」
と、自らを省みて
父親として成長できたのは良かったと思います



この映画の参考文献
奥野修司著
「ねじれた絆-赤ちゃん取り違え事件の十七年」

図書館で予約しました

また別な感想も出てくるかも知れません



アメリカでリメイクも決定したみたいだし
こちらも楽しみです

スピルバーグがほれ込み、米リメイクが決定!『そして父になる』是枝監督が対談



















ネタバレ感想



福山は
それまでの人生、常に勝者で来たのに

「子どもへの愛情表現の豊かさ」では
リリー・フランキーに完敗していて

血の繋がった子ども、琉晴には
「リリー・フランキーの方が良い!」と言われ
家出され



一方、自分の育ててきた慶多は
家出してくることもなく?
リリー・フランキーとの生活を楽しんでいるみたい?



「琉晴がなじまないようなら
うちで2人とも育ててもいいんですよ」って
福山よりも生活レベルの低い
お金の話ばかりして品がない
田舎者だと見下してきたタイプの
リリー・フランキーの妻に上から目線で言われ

一番言われたくない人に
一番言われたくないことを言われ
もう、プライドはボロボロ



ラストシーン、私はよく分からなかったのですが

結局、今まで通り
6年間一緒に暮らしてきた家族の方に戻る...
という選択をしたのよね?

それとも
「もう少し、時間をかけて様子を見ていきましょう」
と、決めたのかな



私は、両親も子ども達本人も
「育ての親子」の方を選んだ
と、受け止めたのですが...



リリー・フランキーとの生活を楽しんで
お父さん(福山)が来ても
逃げ隠れていた慶多は

福山との堅苦しい生活が嫌で逃げたんじゃなくて
本当は、福山の所に帰りたいんだけど

「これは、慶多を強くするミッションだから
辛くても我慢しなきゃダメだ」と言われた
お父さんとの約束を、けなげに守っていたのだと思いました

一見、リリー・フランキーとの生活を
楽しんでいるように見えたけど

本当は、6年間一緒にいた両親の方に帰りたくて
でも、自分のために時間をさいて
一緒に遊んだりお風呂に入ったりしてくれる
リリー・フランキーに悪いと思って
そんなことも言えなかったんじゃないかな

「自分はここで生きていくしかない」と
必死に自分に言い聞かせて
生きていこうとしていたのではないかと想像します



同時に

何故、突然捨てられてしまったのか
分からなくて
大好きな両親に拒絶されたように感じて
絶望感やら、怒りやら、不安やら
様々な感情で、混乱して

そんな気持ちに勝手に陥れた両親に
精一杯、「NO」と言っていたのかも知れません



この映画の中で
愛情表現の苦手な福山演じる良多が
自分に一番近いと感じたので
私は、主に彼の心理に注目して見ていきました

つまり「親たちに起こった悲劇」の方を
見つめてきました



でも、観終わってから考えてみると
一番の被害者は
選択権を持たない子ども達だと思いました

子ども達はいつも
大人が決めたことに巻き込まれ
ただ、従うしかありません



ラストシーンも
「ああ、良かった」と思うような
「良かったのかな?」とも思うような
何とも言えない宙ぶらりんの気持ちで終わります



映画の終わりは
決してこの問題の終わりではなく
子ども達が死ぬまで
ずっとずっと何十年も、苦しみは続いていくのです



この映画は
観終わってからもあれこれと考えては
最初は気にならなかった登場人物が
気になってきたり
「もしかしたら、こう思っていたのかも」
なんて、新しい見方を発見したり
後になってからジワジワきます



映画観ていると
「良多が...」というよりは
「福山が...」
「あっちのお父さんが...」というよりは
「リリー・フランキーが...」と
役そのものよりは、役者として見えていたり
随分、客観的に見えていたと思うのです

つまり「これは虚構の物語なのだ」と
よく分かって
ちょっと引いてみていたはずなのですが

「これからどうなるんだろう」とか
「あの子達、どんな大人になるんだろう」とか
虚構の世界に住む子ども達のことが
とても心配になったりします



是枝監督の「誰も知らない」を観たときも
同じように感じました

虚構の物語なのに
なんでこんなに気になるんだろう
と、不思議です

最新の画像もっと見る

コメントを投稿