That's the Way I Am

私の好きなものについて

本を読んで思うこと

2013年09月06日 19時27分05秒 | diary
数年前まで
読書なんて一切しなかったんだけど
あまりにネット・アディクトなの反省して
本当に少しずつだけど
読むようになりました



主に映画の原作とか
文学賞受賞作品とか
最近の人気のある作品を選んで
読んでいましたが

最近は Kindle で、0円で読める
夏目漱石や芥川龍之介、太宰治などの
名作も読んでます



最近の作品には
「ユニクロでシャツを買って」とか
出てきたり

本当に、「今」という時代に生まれた作品を
「今」読んでいるんだな
と、感じます



Kindle 0円の名作の中には
「丸善に入った」とか
「菊人形を見に行くことにした」
とかいう文章が出てきます
若い男女が、菊人形を見に行くなんて!

...そんなふうに
作品が書かれた時代独特の空気を
感じる描写も多いのですが

今の作品の
「ユニクロでシャツを買って」も
100年後に読んだら
とてもクラシックな
ほこり臭い昔の空気を感じる表現に
感じるのかも知れません



「今」という時代に生まれた作品
100年後
Kindle で0円で読める作品に
選ばれるでしょうか

洪水のように次々と発表される作品
いったいこの中の何が
後世まで残り
平成の名作、古典となって
生き残るのでしょうか



夏目漱石の「三四郎」が書かれたのは
明治41年だそうですが

登場人物の暮らしぶりを見ていると
とても優雅であるけれど品があり
当時の日本人誰もが
こんな暮らしぶりだったとは思えません

明治時代に作家になれた人は
そして、文学を嗜んでいたのも
本当に限られた
特権階級の人達だけだったんだな~
と、思います



明治時代の識字率は
Wikipediaによると
滋賀県では男性89%、女性39%
鹿児島では男性33%、女性4%

私は山口出身の女性ですが
私が昭和ではなく明治時代に生まれていたら
読み書きも出来なかった可能性高し

読書なんて出来ないし
ましてや大学なんて



今は読み書きなんて
当たり前になっているし
大学行きたい人には道が拓けている

改めて、良い時代に生まれたものだ



明治時代は
特権階級の人でないとなれなかった作家だけど
今は、みんな当たり前に読み書き出来るから
誰でも挑戦出来る

今は、writer と reader の境目が曖昧になって
非常に混沌としている



結果的に星の数ほど作品が生まれ
一つ一つは小粒な気がする



でも、明治時代だったら
決して writer 側に廻ることはなかった人達の中から
意外な才能が発掘されて
晴天の霹靂のように
予期せぬ輝きや色彩を見せたりするんだよね

そういうセンセーショナルな
作家の誕生もあるから

「今」という時代は面白い



今読んでいる人気作品のどれが
古典として生き残っているか
見届けたいけど

さすがにあと100年は生きられないので
残念...



うーん、興味ある

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