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映画 ■■おとなのけんか■■

2012年03月27日 22時18分31秒 | 映画
原題は 「carnage」(大量殺戮)

舞台劇がオリジナルで、そのタイトルは
「God of Carnage」(大量殺戮の神)

舞台版の邦題は「大人は、かく戦えり」



映画 ■■おとなのけんか■■





日本の Yahoo ムービーの評価 4.13(5点満点)



たいてい、邦題というのは
全く原題から離れてしまっていたり
余計な印象を与えてしまったり
訳者の独りよがりだったり
全然、原作者の意図を伝えていない...と
私は思うのですが

今回の邦題「おとなのけんか」は
原作の意味からはやはり離れていますが
かなり秀逸だと思います。

日本でもよく言われている
「子どものけんかに大人が出るべきではない」
という言葉に引っかけていると思うのですが

「ほらね、こうなっちゃうから
大人が出てこないほうが良いのよ!」
と、言っているようであり

「ほんとに、これが大人がすることですか!?」
と、思うほど子どもっぽい言い合いをする大人を
皮肉っているようでもあります。



原題の「carnage」は「大量殺戮」という意味ですが
まあ、「修羅場」くらいの日本語が一番しっくりきそうです。



男の子同士のけんかで
振り回した棒が息子の顔に当たり
前歯2本が折れ
もしかしたら、神経が死んでしまうかも知れないという
大ダメージ!

もし、自分が被害者の母親だったら
冷静になるのは難しい!
でも、ここは感情的になってしまってはダメ!

大人なんですから
落ち着いて、冷静に、感情をあからさまにせず
相手側両親共に、納得出来る結論に至らなくては!



被害者側の両親が
ジョディ・フォスターとジョン・C・ライリー

リベラルなライターである妻と
小売業を営む夫



加害者側の両親が
ケイト・ウィンスレットとクリストフ・ヴァルツ

投資ブローカーの妻弁護士の夫





















ネタバレ感想



「これはきっと舞台で観た方が面白いだろうな」
と、思いました
スタートしたら一気に最後まで

冷静だった大人達が
ひょんなことから
覆い隠していた本音をチラチラと漏らし始め
それが相手の神経を、少しずつ逆撫でし
段々エスカレート



いつの間にか論点がすり替わって
妻が夫に対する不満を叫び始め
「おいおい、今、そんな話する時間じゃ...」

そうこうするうちに「夫に対する不満」で共感し
女同士、タッグを組んで男を攻撃したり
「おいおい、あんた達
今ののしり合ってませんでした?」



最後は酔っ払って
「それを言っちゃお終いよ」みたいな本音を
ぶちまけ始めます

「あんた達、何しに来たの?」



その課程を舞台で、ライブで観たら
きっと映画では伝わらない、すごい緊張感が
空気を通して伝わってきたと思うのです。

映画版はね、やっぱり
別々に撮ったものをつなぎ合わせている印象がありました。



それから、舞台版は見たことないけど
おそらく、バスルームとリビングが
同時に見える舞台装置になっていると思うのです。
リビングではこんなやりとり
一方、バスルームではこんなやりとり...が
同時進行しているのがよく分かる...みたいな。

そういう、4人の駆け引き
一気に畳みかけていく緊迫感
舞台の方がもっと際だって伝わってくると思うのです。



作品中、ケイト・ウィンスレットが
気分が悪くなって吐くシーンがあるんだけど

これが非常に象徴的



「吐く」というのは文字通り
お腹の中に隠していたものを
外に出すこと

綺麗に着飾った、裕福な妻だって
腹の中にはこんな醜く悪臭を放つものを持っているのです。

そしてそれをぶちまけると
辺りは悪臭に包まれ
絶版になった骨董品的価値の高い本も台無しになり
もう、元には戻りません。



ケイトが吐いた所から
物語はどんどん修羅場と化していきます。

ケイト以外の3人も
どんどんお腹の中に溜まっていたものを
吐き出し始めます。



携帯が鳴り止まず
そのたびに電話に出て
仕事の話をする弁護士の夫。

こういう、携帯に対する不快感
誰もが経験したことがあると思います。

わざわざ相手のために時間を捻出して
コーヒーを出して接待している相手よりも
時間も場所もわきまえず電話してきた人との会話を
優先するなんて、とても失礼。

そして
携帯電話で話していると
周りにいる人たちが見えなくなるんだな

今まで自分と話していた時の立ち居振る舞いとは
「別人ですか?」と思うくらい声のトーンが変わったり

その人の「人となり」まで疑ってしまうような意地汚い会話を
傍若無人に展開してしまう。

「自分は忙しいんです。」
「一分一秒を争う仕事をしているんです。」
というアピール。
仕事に追われている忙しい自分に酔っている自分。



しばらくの間、サイレント・モードにしていれば
親同士の話し合いも中断したり
横道に逸れたり
イライラしたりせずに集中できるのに。

「自分が一番大切
その場にいる人たちのことなんてどうでもいい」
と、態度で言っているようなものだな。

人の振り見て我が振り直そう...



でも、度々の携帯に一番苛立っていたのは
他でもない、妻でした。
「家族のために、夫の仕事は最優先させるべき」と
納得していると思ったら!

怒って携帯を花瓶の中に水没させてしまいました。

夫は叫ぶ
「(この携帯は)私の全てだったのに!」



携帯は、夫の仕事、肩書き、社会との接点。
それを失い、生身の、身体一つとなった夫の
なんとたよりなく、弱々しいことか!



映画の冒頭と最後に
恐らくお芝居には入らない、当の子ども達の様子が
ほんの少し入っています。

最初は、言い合いをしていて
棒を振り回したら
相手の顔に当たってしまったシーン
今回の修羅場の原因。

最後は
恐らく、大人達が修羅場になっているとは知らず
子ども同士、自然に仲直りして
いつも通り楽しく遊んでいるシーン。

「子どものけんか」ってこんなものよ。



うーん、これは
見終わった後より
後になっていろいろ考えているうちに
じわじわくる映画だなあ。

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