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随想記&写真

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鉄砲鍛冶屋敷 製造の歴史語る大量資料

2020年08月14日 | 今日の出来事
l日本に鉄砲が伝来した直後、堺の商人は種子島で製造技術を学んで持ち帰り、戦国時代に堺は日本一の生産地になりました。

江戸時代に入っても鉄砲製造は続き、全国の諸大名に販売していました。

その生産現場の一つだった「鉄砲鍛冶屋敷」が今も堺市堺区北旅籠町に残っています。

江戸前期に建造された町屋は、井上関右衛門を代々襲名した鉄砲鍛冶
作業場や居宅、店舗として使い、めいじ時代の末まで鉄砲を作り続けていました。

太平洋戦争末期の空襲で旧市街地の多くが焼失しましたが、屋敷は戦火を逃れました。

2014年、おくなから2万点以上の古文書が見つかったため、市とかんさ大学が合同で調査を開始。

井上家が60を超す大名家に鉄砲を売っていた事や、多くの下請け職人と分業制をとっていたことなどが分かりました。

市文化財課の中村晶子学芸員(54)は「鉄砲生産の歴史を書き換える資料タイムカプセルのように残っていた」と話します。

屋敷は23年の一般公開に向け準備中ですが、新発見された資料などを紹介する企画展が19日から「さかい利昌の杜」開かれる。
(さかい利昌の杜 072 260 4386
 8月19日〜9月19日) 
  (朝日新聞14日朝刊より)

鉄砲鍛冶屋敷は現在非公開ですが、公開されたら足を運びたいところです。









コメント (2)
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