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世界一周記~小さな世界の小さな二人

お互い世界一周一人旅中に知り合った二人が結婚。新たなスタート地点に立ち、今度は二人で世界二週目、新婚旅行へ。の旅記。

ポーランドにあるクラクフ。アウシュビッツという負の遺産。

2014年08月17日 23時49分04秒 | ポーランド

 

ワルシャワからバスでクラクフへ。

クラクフはワルシャワと同じく街並みが世界遺産に登録されていて、

とてもきれいな街。ワルシャワに比べると観光地化している印象。

その近郊には世界遺産に登録されている塩の炭鉱所もあったりする。

炭鉱の様子はこんな感じ。

 

ちなみに市内の様子


そんなクラクフ市内でゆっくりするのも良いけれど、ここに来る人の多くは

バスに乗って、数時間ほどかけてとある場所に行く人が多い。

その場所はアウシュビッツという強制収容所。

世界最大級にユダヤ人の殺戮が行われた場所。

うちらもアウシュビッツまで足を伸ばした。

働けば自由になると書かれた入り口の門。


今現在アウシュビッツは博物館となっていて、

その当時の様子を伝える建物や写真が残っている。

ここには起こった出来事の一部を知るには、十分なほどの資料が置いてある。

殺されたユダヤ人のプール一杯分ほど詰まれた髪の毛、メガネ、カバンなどの遺品。

ただ人を殺すためだけに作られたガス室、そこで使用された毒ガスの空ケース。

死の壁と呼ばれた銃殺場。

優秀な人種を作るために行われた人体実験の様子。

当時の暮らしを伝える収容人の骨と皮のように痩せ細った身体の写真。

収容人の遺影写真も。


ユダヤ人はドイツナチスにとって下等な人種とみなされ、

淘汰するためアウシュビッツを代表とする強制収容所に送り込まれた。

そして送り込まれた人々の9割以上は病気や過労、または毒ガスで殺された。

実際はナチスはユダヤ人のことを怖いと思っていたのかもしれない。

そこで全員が一致団結する前にどうにかしようと考え、やった行為かもしれない。

その被害は甚大じゃない。

数は二転三転してはっきりとしてはいないけれど、

亡くなった人は今日ではアウシュビッツだけで150万人以上と言われている。

 

アウシュビッツのもう一つの収容所。ビルケナウの様子。

この線路を走った列車に乗って、ユダヤの人は収容所に送り込まれた。

ビルケナウにある慰霊花。

 

世界でも過去にさまざまな戦争があり、今この瞬間も争いがある。

戦後に生まれた日本人にとってはそういった出来事の現実を、

本当に自分のものとして知るきっかけとしては良いところだと思う。

ポーランド自体も良い国なので、ぜひ機会を作って行ってもらいたい。

きっと良い意味で普段考えなかったことについて考える良い機会になると思います。

 

この後はポーランドを抜けて、

ナチスの歴史があるドイツ。そのベルリンへと向かっていきます。

今日も読んでいただきありがとうございました:)

 

はし


ポーランドのワルシャワでユダヤ人の歴史に触れる

2014年08月07日 09時18分15秒 | ポーランド

 

昔、世界一周をしていたとき、

ヨーロッパではメジャーなイタリア、フランス、イギリスなどの西欧は

行ったことはあったけど、今回初の中欧。ポーランドのワルシャワに降り立った。

世界一周14カ国目。


ヨーロッパはカナダやオーストラリアなどに比べて歴史が長いため、

その土地土地にさまざまな歴史の痕跡が残されている。

このワルシャワも例外じゃない。

その中で一番記憶に残っているのは、ユダヤ人の歴史との出会い。ゲットー。


1940年ごろ、ユダヤの人たちはドイツによりゲットーと名づけられた地区に、強制的に閉じ込められた。

そしてドイツナチスが作ったそのゲットーの中で一番大きかったのが、ワルシャワに作られたもの。

ユダヤ人の隔離地域。

その衛生状態はとても悪く、チフスなどの伝染上が流行っていた。

またその隔離地域に住むことを余儀なくされたユダヤ人の数は多く、

ワルシャワのものにいたっては、当時ワルシャワ市に住む人口の30%がユダヤ人であったにもかかわらず、

ゲットーの大きさは市内の2.4%ほどしかなかったという。


ゲットー内では食料もきちんと配給されず、

一日平均180キロカロリーほどしか配給されなかった。

その中で貧富の差も大きく、社会的地位のある者は足りない分を闇市で補い、

他の者は自活して生きていくか、衣食に事を欠くかとはっきり分かれた。

そしてゲットー設置後、しばらくしてからの

アウシュビッツを代表とするような、ユダヤ人強制収容所への移送の開始。

そうした迫害の中、我慢ができなくなったユダヤ人が蜂起し、ドイツに立ち向かうワルシャワ蜂起。

そういった一連の流れが歴史の走馬灯として、ここワルシャワに刻まれている。


正直、この街に来るまではユダヤ人のことについて、あまり関心がなかった。

ただワルシャワでは現在でもそういったゲットーが置かれていた場所に対して、

跡地としての線が引いてあり、歴史の痕跡を垣間見ることができる。

 

ゲットーの跡地一例

 

ユダヤ人がゲットーから外の世界に逃げ出すために使った、隠し通路跡

 

当時、ワルシャワのゲットーは北部と南部で二つに分かれていたが、

そこを橋渡しするためのポールもまだ残されている。

 

電線のように見えるのが昔、橋だったところ。

 

そしてもちろん、歴史の資料が見られる博物館もある。

ワルシャワで見られるユダヤ人の歴史というのは、

人の興味をそそるための要素が十分なくらい揃っていたと思う。


そういった時代の事件や出来事を、実際起こった場所で知っていくのは、

普段教科書の文章や映像だけで知るのと違って、

心の中の石碑に字のごとく、確かなものとして刻まれる気がする。

たぶん現場で物事を知ることで、5感をフルに使っているのかもしれない。

頭のてっぺんからつま先までがセンサーになったような。

 

それからワルシャワといえば、ショパンの心臓が埋められている教会や博物館がある。

(ショパンはワルシャワ郊外で生まれ、すぐにワルシャワ市内に移り住んでいるらしい)

 

ショパン博物館にあるショパンのデスマスク

 

ショパンの使っていたというピアノ

 

ショパンの左手

 

それから旧市街が世界遺産に登録されている。 

この旧市街も体のどこかに馴染むのか、

夕暮れを見ながら、たそがれているような気持ちを起こさせる。

ずっと見ていたくなるような。

 

旧市街の様子

 

あとポーランドの物価は他のヨーロッパに比べて安く、治安は良好。

(とある調査では日本の次。世界で2番目に治安が良いとか)

良いね。あと歴史とは関係なくワルシャワはとても過ごしやすかった。

なんだろう。日本人の気質に合うのか何なのか。

くっつき過ぎない距離でVIP待遇を受けているような

そんな歓迎されているような印象を受けた。

この国は住むにも居心地が良さそう。

わずか数日しか滞在しなかったけれど、この国はまた来ても良いかもと思わせてくれた。

そんな所。

 

次の都市もポーランド。ユダヤ人の歴史にさらに食い込んでいきます。

 

今日も読んでいただきありがとうございました:)

はし