世界一周記~小さな世界の小さな二人

お互い世界一周一人旅中に知り合った二人が結婚。新たなスタート地点に立ち、今度は二人で世界二週目、新婚旅行へ。の旅記。

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ノルウェーのスタヴァンゲル、ベルゲン。港町のカラフルな家々

2014年10月07日 13時42分45秒 | ノルウェー

 

ドイツのベルリンから飛行機で北上し、ノルウェーのスタヴァンゲルにやって来た。

スタヴァンゲルはノルウェーの南西に位置するところ。

ここにやってきた目的は、プレーケストーレン※1という崖に位置している大きな一枚岩を見るため。

プレーケストーレンはあんまりメジャーじゃないかもしれない。

でも写真では見たことある人はいるかも。

フィヨルドから崖の上まで、台のように突き出た600メートルほどの岩。

山登りで2時間ほどかけていくという。なるほど。

ただこの時現地に着いてアクセスするための情報を仕入れるも、

この時期(3月後半)はまだ雪が溶け切っておらず、

山を登るにはきちんとした装備が必要とのこと。

なるほど。

・・・ということで、残念ながら行きませんでした。

次回に楽しみが出来てしまったなと思いつつ、スタヴァンゲルの街散策。

 


街自体はとても小さいところ。

ここを拠点にさまざまな所へハイキングする人は多そう。

(断崖絶壁の中、ほんと舌のように伸びている岩、トロルの舌※2や

シェラーグボルテン※3という一枚の小さな岩が崖(これまた断崖絶壁)の間に挟まり、その上にも立てるようになっているものもある。

プレーケストーレンよりは時間がかかるけれど、

時間があればそういったものに行くのも楽しい。)

印象は可愛らしい港町。

白とカラフルな絵の具を使って、ファッションセンスに溢れたひげを生やしたおじさんと

その娘さんが一緒に街中にアートという魔法を少しずつ振り掛けたような。

でも主張しすぎない。馴染む。空気みたい。雰囲気で遊ぶ。

郊外には数十メートルはありそうな、3本の剣が建っているところもある。

RPGゲームに出てくる伝説の剣が3本。未だ勇者に抜き取られず海辺に残っているみたい。

 


ノルウェーは宿も高いのでうちらはAirbnbというサイトを使った。

掲載されている誰かのお家の部屋を、お金払って間借りするというもの。

カウチサーフィンのお金払う版みたいな感じ。

手数料が結構かかるけど、場合によっては他のサイトより安い。

素敵なホストのおうちに2日滞在して、

プレイケストーレンに行く予定がなくなってしまったうちらは

そうそうにバスで次の街ベルゲンへ移動。


ベルゲンも可愛らしい港街。スタヴァンゲルと似ているところもある。

ただここにはブリッゲンという世界遺産の家々がある。

それはいろんな国からやってきた妖精たちが

古い木造の家に住みついて遊んで行ったような。

またブリッゲンの面白いところは家がとんでもなく傾いていること。

コメディー番組のコントで使った後のように傾いている。

その家々は全部横並びになっているんだけど、

本当にこれで壊れないのかと思うくらい。

ふむ。そんなすぐには壊れないらしい。


あとベルゲンでは山登りをした。

といっても週末に家族がベビーカーを引いていっても登れるくらいのもの。

簡単なハイキング。というかウォーキングのような感じ。

その上から見る街並みもなんか良かった。

ノルウェーは自然が良い。空気と空が他と少し違う気がする。ナチュラル。

配合成分が違うのかもしれない。

その中から見る雰囲気がなんか好きだった。


それからフィッシュマーケットを代表とする海産物。

うちらには正直魚は高かったのでほとんど食べなかったけれど、

ノルウェーで海産物を堪能するのも良いと思う。

フィッシュマーケットはもちろんスーパーでその種類を見てるだけでも楽しい。

色と空、自然、海産物。そんなイメージ。


ベルゲンにも2日滞在。バジェットバックパッカーなので、すぐ別の街へ。

この後は楽しみにしていたまたまた自然大国、アイスランドへ飛び立ちます。

 

※1 プレーケストーレンの詳細はここから(Wikiより)

※2 トロルの舌の詳細はここから(H.I.Sより)

※3 シェラーグボルテンの詳細はここから(Retripより)

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ドイツのベルリン。壁という歴史。芸術という晴れた帰り道

2014年10月02日 15時15分02秒 | ドイツ

 

ドイツ。ベルリン。思い浮かぶのはやっぱりベルリンの壁。

東ドイツと西ドイツを隔てていた壁。

世の中に壁は実質的に目に見える壁もあれば、精神的な壁もある。

ベルリンの壁はその二つをとても上手く兼ね備えたような壁だったような気がする。

東ドイツから西ドイツに、より良い生活を夢見て逃亡しないように作られた壁。

それから冷戦の象徴でもあった。

ここドイツ、ベルリンではその壁が街中にいろんな形で今も残されている。

うちらはポーランドのクラクフからベルリンにバスで着いた。


ヨーロッパは歴史がほんと多い。

今回ヨーロッパには歴史を学びに行っているような気もするくらい。

ドイツの歴史が置いていったこのベルリンの壁も面白かった。

例えば1989年、あれだけ騒がれたベルリンの壁はある人の大きな勘違いで、ある日突然崩壊したということ。

歴史は時に誰かが仕掛けたからくり人形みたいに、面白い事実を作るものだと思う。

(一般常識なのかもしれないけれど、わたくし知りません(習ったけど覚えてなかった?)でした)。


ほとんどの壁は今現在壊されて、その一部はアートが描かれて残されている。

ベルリンはヨーロッパでも有数のアートの街らしい。

描かれているのはその時代を反映したようなものであるものが多い。

一番良かったのはイーストサイドギャラリー。

ほんと長い道路に描かれた壁画。歴史というキャンパスのアート。

日本人が書いたのもあったな。


他にベルリンの壁ではないけど、チェックポイントチャーリーも良かった。

東ドイツと西ドイツの国境検問所。

その当時の様子を実際の道路に再現したところなんだけど、なんか雰囲気が良かった。

歴史の匂いがアスファルトやビルから、どことなく辺りを包んでいるような。

ベルリンはそういった壁に関わるものを通して、歴史を知ることがとても楽しいところだった。

自由のない西ドイツから自由を夢見て東ドイツに渡ろうとした人々の方法であったり、

どうやって壁が作られて、どういった変移をたどっていったのか。

街中にそうった事実がスタンプレースの判子みたいに散りばめられていて、

それを集めていくほどになるほど、とパズルが繋がるような。

そういう楽しみ方が出来る街だった。


あとはドイツに来たのでビールも飲んだり(最安でペットボトル500mlが50円くらい!)。

カレーワースト(ヴルスト?)っていうベルリン発祥。

ソーセージにカレー粉とケチャップのかかったやつを食べたりと、食を堪能するのも良かった。

あとはヨーロッパ圏なので、ハムやチーズなどを買ってパンに挟むだけでも美味しかったな。

ベルリンは3、4日滞在。ドイツは過ごしやすそうだな、と思った。そんな街。


さて、うちらは一路またまた泣く泣く、物価の高いノルウェーに戻ります。

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ポーランドにあるクラクフ。アウシュビッツという負の遺産。

2014年08月17日 23時49分04秒 | ポーランド

 

ワルシャワからバスでクラクフへ。

クラクフはワルシャワと同じく街並みが世界遺産に登録されていて、

とてもきれいな街。ワルシャワに比べると観光地化している印象。

その近郊には世界遺産に登録されている塩の炭鉱所もあったりする。

炭鉱の様子はこんな感じ。

 

ちなみに市内の様子


そんなクラクフ市内でゆっくりするのも良いけれど、ここに来る人の多くは

バスに乗って、数時間ほどかけてとある場所に行く人が多い。

その場所はアウシュビッツという強制収容所。

世界最大級にユダヤ人の殺戮が行われた場所。

うちらもアウシュビッツまで足を伸ばした。

働けば自由になると書かれた入り口の門。


今現在アウシュビッツは博物館となっていて、

その当時の様子を伝える建物や写真が残っている。

ここには起こった出来事の一部を知るには、十分なほどの資料が置いてある。

殺されたユダヤ人のプール一杯分ほど詰まれた髪の毛、メガネ、カバンなどの遺品。

ただ人を殺すためだけに作られたガス室、そこで使用された毒ガスの空ケース。

死の壁と呼ばれた銃殺場。

優秀な人種を作るために行われた人体実験の様子。

当時の暮らしを伝える収容人の骨と皮のように痩せ細った身体の写真。

収容人の遺影写真も。


ユダヤ人はドイツナチスにとって下等な人種とみなされ、

淘汰するためアウシュビッツを代表とする強制収容所に送り込まれた。

そして送り込まれた人々の9割以上は病気や過労、または毒ガスで殺された。

実際はナチスはユダヤ人のことを怖いと思っていたのかもしれない。

そこで全員が一致団結する前にどうにかしようと考え、やった行為かもしれない。

その被害は甚大じゃない。

数は二転三転してはっきりとしてはいないけれど、

亡くなった人は今日ではアウシュビッツだけで150万人以上と言われている。

 

アウシュビッツのもう一つの収容所。ビルケナウの様子。

この線路を走った列車に乗って、ユダヤの人は収容所に送り込まれた。

ビルケナウにある慰霊花。

 

世界でも過去にさまざまな戦争があり、今この瞬間も争いがある。

戦後に生まれた日本人にとってはそういった出来事の現実を、

本当に自分のものとして知るきっかけとしては良いところだと思う。

ポーランド自体も良い国なので、ぜひ機会を作って行ってもらいたい。

きっと良い意味で普段考えなかったことについて考える良い機会になると思います。

 

この後はポーランドを抜けて、

ナチスの歴史があるドイツ。そのベルリンへと向かっていきます。

今日も読んでいただきありがとうございました:)

 

はし

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ポーランドのワルシャワでユダヤ人の歴史に触れる

2014年08月07日 09時18分15秒 | ポーランド

 

昔、世界一周をしていたとき、

ヨーロッパではメジャーなイタリア、フランス、イギリスなどの西欧は

行ったことはあったけど、今回初の中欧。ポーランドのワルシャワに降り立った。

世界一周14カ国目。


ヨーロッパはカナダやオーストラリアなどに比べて歴史が長いため、

その土地土地にさまざまな歴史の痕跡が残されている。

このワルシャワも例外じゃない。

その中で一番記憶に残っているのは、ユダヤ人の歴史との出会い。ゲットー。


1940年ごろ、ユダヤの人たちはドイツによりゲットーと名づけられた地区に、強制的に閉じ込められた。

そしてドイツナチスが作ったそのゲットーの中で一番大きかったのが、ワルシャワに作られたもの。

ユダヤ人の隔離地域。

その衛生状態はとても悪く、チフスなどの伝染上が流行っていた。

またその隔離地域に住むことを余儀なくされたユダヤ人の数は多く、

ワルシャワのものにいたっては、当時ワルシャワ市に住む人口の30%がユダヤ人であったにもかかわらず、

ゲットーの大きさは市内の2.4%ほどしかなかったという。


ゲットー内では食料もきちんと配給されず、

一日平均180キロカロリーほどしか配給されなかった。

その中で貧富の差も大きく、社会的地位のある者は足りない分を闇市で補い、

他の者は自活して生きていくか、衣食に事を欠くかとはっきり分かれた。

そしてゲットー設置後、しばらくしてからの

アウシュビッツを代表とするような、ユダヤ人強制収容所への移送の開始。

そうした迫害の中、我慢ができなくなったユダヤ人が蜂起し、ドイツに立ち向かうワルシャワ蜂起。

そういった一連の流れが歴史の走馬灯として、ここワルシャワに刻まれている。


正直、この街に来るまではユダヤ人のことについて、あまり関心がなかった。

ただワルシャワでは現在でもそういったゲットーが置かれていた場所に対して、

跡地としての線が引いてあり、歴史の痕跡を垣間見ることができる。

 

ゲットーの跡地一例

 

ユダヤ人がゲットーから外の世界に逃げ出すために使った、隠し通路跡

 

当時、ワルシャワのゲットーは北部と南部で二つに分かれていたが、

そこを橋渡しするためのポールもまだ残されている。

 

電線のように見えるのが昔、橋だったところ。

 

そしてもちろん、歴史の資料が見られる博物館もある。

ワルシャワで見られるユダヤ人の歴史というのは、

人の興味をそそるための要素が十分なくらい揃っていたと思う。


そういった時代の事件や出来事を、実際起こった場所で知っていくのは、

普段教科書の文章や映像だけで知るのと違って、

心の中の石碑に字のごとく、確かなものとして刻まれる気がする。

たぶん現場で物事を知ることで、5感をフルに使っているのかもしれない。

頭のてっぺんからつま先までがセンサーになったような。

 

それからワルシャワといえば、ショパンの心臓が埋められている教会や博物館がある。

(ショパンはワルシャワ郊外で生まれ、すぐにワルシャワ市内に移り住んでいるらしい)

 

ショパン博物館にあるショパンのデスマスク

 

ショパンの使っていたというピアノ

 

ショパンの左手

 

それから旧市街が世界遺産に登録されている。 

この旧市街も体のどこかに馴染むのか、

夕暮れを見ながら、たそがれているような気持ちを起こさせる。

ずっと見ていたくなるような。

 

旧市街の様子

 

あとポーランドの物価は他のヨーロッパに比べて安く、治安は良好。

(とある調査では日本の次。世界で2番目に治安が良いとか)

良いね。あと歴史とは関係なくワルシャワはとても過ごしやすかった。

なんだろう。日本人の気質に合うのか何なのか。

くっつき過ぎない距離でVIP待遇を受けているような

そんな歓迎されているような印象を受けた。

この国は住むにも居心地が良さそう。

わずか数日しか滞在しなかったけれど、この国はまた来ても良いかもと思わせてくれた。

そんな所。

 

次の都市もポーランド。ユダヤ人の歴史にさらに食い込んでいきます。

 

今日も読んでいただきありがとうございました:)

はし

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アメリカ大陸を抜け、ヨーロッパ圏に突入。トランジットで北欧オスロへ

2014年07月28日 09時39分56秒 | ノルウェー

 

ニューヨークに戻り、また1泊。

そしてアメリカ大陸と、一緒にカナダから旅をしていたうめちゃんに別れを告げて、

久々のヨーロッパ圏へと降り立った。

その場所ノルウェー、オスロ。


ヨーロッパに渡る便を調べていたら、ニューヨーク~オスロ便がとても安く

たしか1人全込みで17000円くらい。

トランジットのつもりでオスロに1泊して観光。

といっても、ここオスロ市内は見所も多くなく、

うちらにとってはただ物価高い!!という感じ。

ここノルウェーは世界の中でも有数の物価の高いところです。

普通のコンビニで買うホットドッグが29NOK(500円くらい)。

あとワシントンDCとニューヨークが思ったよりも良すぎて、

その反動が大きかったというのもあるかも。

 

ホットドッグ。500円!

 


昔オスロに来た7,8年前。

その日はちょうどキリストの聖誕祭をやっていて、みんなが正装をしていた。

学生は自分たちの卒業を祝うため赤色のつなぎを着て、街中を遊び回る。

大人の男性は黒いスーツにカラーシャツを着て、女性は民族衣装を着て。

それぞれ36色の色の違うパズルがぴったりひとつに重なったように、すごい格好良かった。


ただ今回は市内にある国会議事堂もワシントンDCに比べてうーん、って感じになってしまい、

ハードロックカフェでピンは買うものの(嫁はハードロックカフェのピンコレクターである)、

唯一の期待だったムンク美術館は、滞在中臨時休業していて他何しようってなってしまった。

 

国会議事堂

 

ムンク博物館

 


ただ、でもその中でも面白かったのは、ヴィーゲラン彫刻公園。

ちょっと街外れにある、芸術家が作った彫刻がたくさん飾られているところ。

その彫刻やモニュメントが面白かった。

人の感情や生き様を表現しているらしく、さまざまな形のものがあり

ただの公園に突然、リアルな人間の複雑な表情や動きをした彫刻が現れる。

それは歯の奥に何かが挟まっているような違和感を覚えつつも、

概観は一緒に炒められたコリアンダーみたいに癖になるような味を出している。


その公園内で有名なのはおこりん坊という像。

しわくちゃになりながらわめき散らす、全身裸の坊。

有名なので手はみんなに触られ塗装がはがれて、金色になってしまっている。

他には人の肉体が重なり合って塔になっているモノリッテンも印象的だったな。

個人的なオスロハイライトはここでした。

 

おこりん坊。左手が金色に

 

モノリッテン

 

他にはこんなのも

 

中はこんな感じ

 


そんなオスロの次はポーランド。

空港でノルウェーのトロルに挨拶して、二人とも初の中欧へと飛びます。

 

トロル

 

今日も読んでいただきありがとうございました:)

はし

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