昨年このブログでは出演情報しか発信していなかったので反省の意も込めて今年は頻繁にとはいかなさそうですがたまにはコラムでも綴って見ようかと思います。
それでは本題に入りまして、古今東西過去現在、音楽家の楽曲や演奏スタイルが評価されるポイントに創造性の有無というものがあります。私は何が創造的なのかという事は歴史を知る事によって見えてくるんだと思っていますのでジャズという音楽の歴史を浅くですが掘り返してみました。
ジャズという音楽はおおよそ100年程の歴史があると言われています。ブラックミュージックと西洋音楽のハーモニックシステムの融合がジャズというのであれば18世紀頃にはそれはもう始まっていたと乱暴な言い方もできますがアメリカ合衆国のブラックミュージックの中でジャズという音楽スタイルが登場して来たのは19世紀終わりから20世紀初頭の辺りだそうです。
世界初のジャズの商業的なレコーディングは1917年のオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドというグループによるものだったそうなので昨年の2017年はジャズレコーディングの登場から100周年という記念すべき年だった訳ですね。
ルイアームストロングがトランペットを片手に朗々と歌い上げた時代から現在のニューヨークなどの都会で進化し続けている新世代の演奏するスタイルに至るまで楽曲や各々の楽器の演奏スタイルにその性能まで多種多様な進化を経ています。現在に至るまでおよそ100年以上の間に確立されたそれぞれのスタイルを再現昇華する事に研鑽を積む音楽家がおりまた現代に新たに創造される楽曲の流れに対応する音楽家も存在します。前者がいなければ私たちは古き良き時代の音楽はライヴで聴く事はできず録音されたものでしか楽しめないし後者がいなければ現代の作曲家が想像する真新しい音楽は真価を発揮することができない、そして100年後も新しいスタイルが登場しなければジャズの歴史は止まってしまい音楽ファンとしてはとてもつまらないものになるでしょう。
話は少し変わって、音楽スタイルを特徴付けるものとは一体なんなのでしょうか。音楽専門用語は省いてざっくりと言えば言語と使用される楽器ではないでしょうか。言語はリズムとニュアンスを生み出し唄となりその音楽に使用される楽器はサウンドを決定づけるといっても過言ではないでしょう。しかし現在情報が世界を一瞬にして駆け巡り人の往来も盛んな現代に於いてジャズは様々な国で各々の言語を持つ人達に演奏されその地域の伝統楽器を取り入れた試みもなされています。様々な文化と伝統の坩堝と化した現代の音楽スタイルはとても一言で説明ができるものでは無くなっているのかもしれません。
例えばかつてのキューバ危機の前後に合衆国の音楽家達はラテンのリズムをジャズの楽曲に取り込みました。逆にアントニオ・カルロス・ジョビンはジャズの楽器編成とハーモニーをブラジリアンミュージックに採用してボサノバという音楽スタイルを生み出しました。チック・コリアはイタリア系移民とスペイン系移民の両親の間に生まれてアメリカで育っており彼の創り出す独特な楽曲も演奏スタイルもそのバックボーンを彷彿とさせるものがあります。もちろんジョン・コルトレーンの様に独創的かつ革新的なアイデアでそれまでのジャズの演奏スタイルの発展に大きな影響をもたらす例もあるので音楽スタイルの融合だけが創造性に繋がるとは言い難いのですが所謂シーツ・オブ・サウンドと呼ばれるコルトレーンのスタイルもそれまで確立されて来たジャズの伝統と発展の延長にあるのかもしれません。
音楽だけに限らず物事の発展に於いて伝統と創造性というのもは相反するものではなく同じ時間の流れの中で共に共鳴するものだと私は信じています。創造的であろうと頭をひねったりか伝統を守り伝えていこうと使命感を携えて創作活動をするのは正しい事ですがその下地には歴史を学び現在世界でどんな事が起こりどんな音楽が発信されているのかとアンテナを張っている状態がなければ現在に生きている音楽家とは言えないのかもしれません。誰かの発信してきた音楽が一体なんだったのと云う事は彼が生きている現在が過去になったその時に評価される事なのでしょう。
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