もう還暦も近いというのに、怪獣が大好きである。
10年も前になるが、ガメラについて書いた
昨年、映画『シン・ゴジラ』が公開され、つい最近もTV地上波放送されて評判が高い。しかし、賞賛される政治家や自衛隊のリアルな描写については、すでに20年前、平成ガメラ3部作で描かれている。その踏襲である。
『シン・ゴジラ』に特筆すべき点があるとすれば、それは「ゴジラ」をモチーフとしてそれを超えるものを表現したことであろう。ラストシーンで一瞬登場する「人型ゴジラ(それともゴジラ人間? これが最終形態か?)」がそれを雄弁に語っている。公開当時、本作の監督がタイトルの「シン」について、新であり真であり、神だと発言しているのを何かで読んだ。真かどうかは大いに異論のあるところだが、神のニュアンスは確かに感じられた。映画『2001年宇宙の旅』に通じる何かを(まあ、エヴァンゲリオンの監督だし)。
そう、この映画において「ゴジラ」は『2001年宇宙の旅』の謎の石板「モノリス」なのである。そういう意味で、『シン・ゴジラ』は「真」のゴジラ映画ではない。「モノリス」が人類の進化を促す重要な存在であっても、主人公ではないのと同じである。それはモチーフのひとつにすぎない。だから私はこの映画が(というかゴジラの描き方が)あまり好きではない。波長が合わないし、何よりゴジラに対する畏敬の念が感じられない。一番怖いのはゴジラではなく米軍の核兵器であり(これは近年のゴジラ映画では当たり前の事になってきているが)、ゴジラの造形は醜悪ですらある。ゴジラ映画ならゴジラの怖さやかっこよさを追求してほしい。大人になってからの、四十年来の叶わぬ願いである。
理想のゴジラ映画とは、もちろん個人的見解だが、ゴジラが姿をほとんど現さないゴジラ映画だと思う。足音の地響きとあの声、破壊の跡。それだけでゴジラ映画が作れたら最高ではないか。「ゴルゴ13」のエピソードで、ゴルゴはまったく姿を現さず、一発の弾丸と銃声で完結させるというものがいくつかあるが、あれをゴジラでやるのである。姿を無視するにはでかすぎて無理があるのは承知の上で。たしか『クローバーフィールド』というのがそんな雰囲気の映画ではなかったか。これを可能にするには、主人公が巨大な存在感と深遠な精神性をまとっていなくてはならない。ゴジラはゴルゴ13に劣りはしないと思うのだが。
写真は、酒井ゆうじ作「ゴジラ1999」である。先ほどの話とはまた違う意味で、造形としての理想のゴジラである。この模型を眺め、まだ見ぬ理想のゴジラ映画を夢想し、恍惚となるのだ。まぎれもなく、オタクである。
核兵器とゴジラの関係についても書きたいが、それはまた別の機会に。
10年も前になるが、ガメラについて書いた
昨年、映画『シン・ゴジラ』が公開され、つい最近もTV地上波放送されて評判が高い。しかし、賞賛される政治家や自衛隊のリアルな描写については、すでに20年前、平成ガメラ3部作で描かれている。その踏襲である。
『シン・ゴジラ』に特筆すべき点があるとすれば、それは「ゴジラ」をモチーフとしてそれを超えるものを表現したことであろう。ラストシーンで一瞬登場する「人型ゴジラ(それともゴジラ人間? これが最終形態か?)」がそれを雄弁に語っている。公開当時、本作の監督がタイトルの「シン」について、新であり真であり、神だと発言しているのを何かで読んだ。真かどうかは大いに異論のあるところだが、神のニュアンスは確かに感じられた。映画『2001年宇宙の旅』に通じる何かを(まあ、エヴァンゲリオンの監督だし)。
そう、この映画において「ゴジラ」は『2001年宇宙の旅』の謎の石板「モノリス」なのである。そういう意味で、『シン・ゴジラ』は「真」のゴジラ映画ではない。「モノリス」が人類の進化を促す重要な存在であっても、主人公ではないのと同じである。それはモチーフのひとつにすぎない。だから私はこの映画が(というかゴジラの描き方が)あまり好きではない。波長が合わないし、何よりゴジラに対する畏敬の念が感じられない。一番怖いのはゴジラではなく米軍の核兵器であり(これは近年のゴジラ映画では当たり前の事になってきているが)、ゴジラの造形は醜悪ですらある。ゴジラ映画ならゴジラの怖さやかっこよさを追求してほしい。大人になってからの、四十年来の叶わぬ願いである。
理想のゴジラ映画とは、もちろん個人的見解だが、ゴジラが姿をほとんど現さないゴジラ映画だと思う。足音の地響きとあの声、破壊の跡。それだけでゴジラ映画が作れたら最高ではないか。「ゴルゴ13」のエピソードで、ゴルゴはまったく姿を現さず、一発の弾丸と銃声で完結させるというものがいくつかあるが、あれをゴジラでやるのである。姿を無視するにはでかすぎて無理があるのは承知の上で。たしか『クローバーフィールド』というのがそんな雰囲気の映画ではなかったか。これを可能にするには、主人公が巨大な存在感と深遠な精神性をまとっていなくてはならない。ゴジラはゴルゴ13に劣りはしないと思うのだが。
写真は、酒井ゆうじ作「ゴジラ1999」である。先ほどの話とはまた違う意味で、造形としての理想のゴジラである。この模型を眺め、まだ見ぬ理想のゴジラ映画を夢想し、恍惚となるのだ。まぎれもなく、オタクである。
核兵器とゴジラの関係についても書きたいが、それはまた別の機会に。