クラッシュアイスをぎっしり詰めたカクテルグラスのように美しい海。
その海に囲まれた島は「チャプカンバ島」といった。
銀の粉を撒き散らしたような砂浜はこの世のものとは思えない煌めきだったし、
海面は陽光をミラーボールのように七色に交錯させた。
全ての素材が美しいこの島は、別名『キラキラ島』と言われた。
けれど、この島のこの美しい景観は、全て人工的に造り出されたものだ。
西暦2321年―――人々を取り囲むものは全て、人の手による物だった。
循環を阻まれた地球上の自然という自然は既に壊滅していた。
大地、海―――そして空気。
もともと地球に存在していた“自然”と呼ばれる物は全て、高濃度の危険物質に汚染されていた。
何の対策も無しに屋外に出れば、10分足らずで皮膚が溶け始めるくらいに。
地球は既に生物が存在できる環境に無かった。
だが幸いな事に、あるいは皮肉な事に。
生物が住めなくなるほど地球を汚染した科学は、そんな“死の星”でも活動を可能とする薬を生み出した。
エクスポリュシン。
死の星にあってさえ生物を活かす為の薬。
しかし人々の命を救うためのこの薬には、その強烈な効果故に、逆に人々の命を削る危険な副作用があった。
死の星の下、無理やりにでも生命を存続させる程の効能は、血液に必要以上の老廃物を貯める。
老廃物によって崩れた体内バランスのしわ寄せは、腎機能を直撃し、合併症で命を落とす人が絶えなかった。
それでも人類は、エクスポリュシンに頼るしかなかった。
ダイアライザーを取り扱う医療機器工場をフル稼働にしてでも。
◇
話は『キラキラ島』に戻る。
エクスポリュシンは、その劇的な効能と希少性から、世界政府が販売を独占していた。
販売する以上、当然のことながら何処かで生産を行う必要があるが、
早い話、その生産現場はこの『キラキラ島』だった。
島の灯台から西に332m行った岩場の影に、世界政府の下位組織、
国際緊急保健機構(IEHO―――International Emergency Health Organization)
が極秘で運営するエクスポリュシンの生産工場があった。
エクスポリュシンの生産において、最も重要なことは、その機密性だった。
生産方法や生産量、生産スケジュールはもとより、生産に関わるメンバーも関係者外秘とされていた。
当然、工場への出入りは厳しく管理されており、全てのゲートには生態認証システムが採用されていた。
そのいささか行き過ぎたセキュリティシステムは、何人もの産業スパイや、無関係の者を処刑台送りにした。
その工場内に、ソウという男がいた。
彼は人々の命を救うこの仕事に誇りを持っており、その誇りは彼を生産統括マネージャーにまで押し上げた。
彼の堅実かつ効率的な仕事ぶりは確かで、工場が予定納品数をしっかり生産できるのは彼のおかげだった。
だが、いつだって運命的で致命的な決定は、巻き込まれる者とは別のところで行われる。
ある日、まるっきり突然、工場―――世界に一つしかないエクスポリション工場の閉鎖が決まった。
その決定はつまり、人類―――世界政府が、地球に見切りを付けた事を意味していた。
地球脱出計画。
以前からその存在を囁かれていた計画がついに実行され始めた。
実行の段にあたり、世界政府の動きは早かったし、確実だった。
実際のところ、その計画に心から賛成していたのは、一部の富裕層だけだった。
地球を脱出し、いまだ開拓が進んでいない星に移住する―――
被支配層が、開拓の為の労働力として計算に入っているのは確実だったからだ。
だから世界政府―――富裕層は、反対派の生命線を切ることにした。
文字通りの生命線、つまりエクスポリションの生産停止だ。
エクスポリションが無ければ、地球に残っても命を繋ぐ事が出来ない。
人々は世界政府に従うしかなかった。
彼らの計画は徹底していた。
ソウ達工場に関わるもの達は、記憶の一部を無理やりに政府に買い取られた。
つまりエクスポリションの生産に関わる記憶を。二度と生産できない様にする為に。
記憶を買い取られた者達は、特殊な処理を受け、工場に携わった期間の記憶を喪失させられる事が義務付けられた。
ソウを含めた一部の人々は、この世界政府のやり方に反感を覚えたが、記憶を買い戻すには莫大な資金が必要だったし、記憶を売却した者達は、新天地での豊かな生活を約束されていた為、結局工場の人間は皆、義務に従う事にした。
◇
くどいようだが―――いつだって運命的で致命的な決定は、巻き込まれる者とは別のところで行われる。
記憶喪失処置を2日後に控えたある日、ソウはIEHOの応接室に呼び出された。
応接室に通されると、年のころ12歳くらいの少女が、ソファにふんぞり返っていた。
腰まで伸びた黒い髪/強い意思の光を秘めた瞳/やや黒い肌。
ソウが向かいのソファに座ると、少女が口を開いた。少女らしからぬ口調で。
「あなたがエクスポリション工場の生産統括マネージャーね。
ああ、別に答えなくていいわ。知っているから。挨拶もいらない。
結論から言うわ。あなたの記憶は私がIEHOから買い取りました。
それが何を意味しているか……わかる?」
ソウはそれなりに聡明な人間だった。
だから直ぐに理解した。けれど直ぐには信じられなかった。
ソウの―――工場に勤めていた人間の記憶を買い取るという事は―――
「エクスポリションの……製造権を……買い取った……?」
気の抜けたようなソウの答えに、少女は満足げに微笑む。
「そんな事は出来ない…そう思っているんでしょう?
でもそれが出来たから、あなたと私はここにいる。
世の中―――価値を決められない物は少なくないけど、お金で買えない価値は一つもないの。
そして私は買えない物が無いくらいのお金持ちなの」
そう言った彼女は、居丈高…というよりも無邪気だった。
そんな少女に圧倒されながらも、ソウは尋ねた。
「エクスポリションを作って……どうするつもりだい?」
「今のこの状況で、あなたに質問権があるとは思えないけど…まあいいわ。
教えてあげる。私はね、子供の国。いえ子供の星を創りたいの。捨てられるこの星を使ってね。
この星に残りたい子供、この星を出て行きたいのに見捨てられた子供を集めて。子供だけの楽園を作るの。
その為にもエクスポリションが必要なの」
そうやって大それた…しかし子供じみた夢を語る少女は、年相応に見えた。
「けど……それは無理じゃないのかな…?
子供はいずれ……大人になる」
「無理じゃないわ。厳格なルールを作るの。そのためのエクスポリションでもあるわ。
そうね例えば、20歳をこえた“大人”には、エクスポリションをあげないの。
エクスポリションの効能は約一年間は持続するでしょう?だからその人達は、その一年の間に星を出て行ってもらうの。
ああ、でも、それじゃ誰もいなくなっちゃうから、そうね、子供を産んだ人達にはもう何年かエクスポリションをあげる事にするわ。そうすれば人口も減らないし、大人も増えない。完璧な仕組みね」
無邪気―――故に、無慈悲。
ソウの、目の前で夢を語る少女に対する印象だった。
―――結局ソウは、この話を受ける事にした。
工場の生産統括マネージャーとしての誇りが、地球人としての誇りがそうさせた。
少女との会話から数年間、ソウは工場勤務の子供達を指導した。
無駄を省き、効率的な生産を可能とする工程を作り上げた。
マニュアルを作って、引継ぎが容易な仕組みを作り上げた。
子供達のために。この星のために。
引継ぎを含めて、生産ラインが完璧に回るようになった頃、ソウは地球を去った。
こうして子供達と、大人になりかけの子供が住む、子供の星が生まれた。
ソウの名前―――それは、この星の歴史書に載った最初で最後の大人の名前になった。
おわり。
その海に囲まれた島は「チャプカンバ島」といった。
銀の粉を撒き散らしたような砂浜はこの世のものとは思えない煌めきだったし、
海面は陽光をミラーボールのように七色に交錯させた。
全ての素材が美しいこの島は、別名『キラキラ島』と言われた。
けれど、この島のこの美しい景観は、全て人工的に造り出されたものだ。
西暦2321年―――人々を取り囲むものは全て、人の手による物だった。
循環を阻まれた地球上の自然という自然は既に壊滅していた。
大地、海―――そして空気。
もともと地球に存在していた“自然”と呼ばれる物は全て、高濃度の危険物質に汚染されていた。
何の対策も無しに屋外に出れば、10分足らずで皮膚が溶け始めるくらいに。
地球は既に生物が存在できる環境に無かった。
だが幸いな事に、あるいは皮肉な事に。
生物が住めなくなるほど地球を汚染した科学は、そんな“死の星”でも活動を可能とする薬を生み出した。
エクスポリュシン。
死の星にあってさえ生物を活かす為の薬。
しかし人々の命を救うためのこの薬には、その強烈な効果故に、逆に人々の命を削る危険な副作用があった。
死の星の下、無理やりにでも生命を存続させる程の効能は、血液に必要以上の老廃物を貯める。
老廃物によって崩れた体内バランスのしわ寄せは、腎機能を直撃し、合併症で命を落とす人が絶えなかった。
それでも人類は、エクスポリュシンに頼るしかなかった。
ダイアライザーを取り扱う医療機器工場をフル稼働にしてでも。
◇
話は『キラキラ島』に戻る。
エクスポリュシンは、その劇的な効能と希少性から、世界政府が販売を独占していた。
販売する以上、当然のことながら何処かで生産を行う必要があるが、
早い話、その生産現場はこの『キラキラ島』だった。
島の灯台から西に332m行った岩場の影に、世界政府の下位組織、
国際緊急保健機構(IEHO―――International Emergency Health Organization)
が極秘で運営するエクスポリュシンの生産工場があった。
エクスポリュシンの生産において、最も重要なことは、その機密性だった。
生産方法や生産量、生産スケジュールはもとより、生産に関わるメンバーも関係者外秘とされていた。
当然、工場への出入りは厳しく管理されており、全てのゲートには生態認証システムが採用されていた。
そのいささか行き過ぎたセキュリティシステムは、何人もの産業スパイや、無関係の者を処刑台送りにした。
その工場内に、ソウという男がいた。
彼は人々の命を救うこの仕事に誇りを持っており、その誇りは彼を生産統括マネージャーにまで押し上げた。
彼の堅実かつ効率的な仕事ぶりは確かで、工場が予定納品数をしっかり生産できるのは彼のおかげだった。
だが、いつだって運命的で致命的な決定は、巻き込まれる者とは別のところで行われる。
ある日、まるっきり突然、工場―――世界に一つしかないエクスポリション工場の閉鎖が決まった。
その決定はつまり、人類―――世界政府が、地球に見切りを付けた事を意味していた。
地球脱出計画。
以前からその存在を囁かれていた計画がついに実行され始めた。
実行の段にあたり、世界政府の動きは早かったし、確実だった。
実際のところ、その計画に心から賛成していたのは、一部の富裕層だけだった。
地球を脱出し、いまだ開拓が進んでいない星に移住する―――
被支配層が、開拓の為の労働力として計算に入っているのは確実だったからだ。
だから世界政府―――富裕層は、反対派の生命線を切ることにした。
文字通りの生命線、つまりエクスポリションの生産停止だ。
エクスポリションが無ければ、地球に残っても命を繋ぐ事が出来ない。
人々は世界政府に従うしかなかった。
彼らの計画は徹底していた。
ソウ達工場に関わるもの達は、記憶の一部を無理やりに政府に買い取られた。
つまりエクスポリションの生産に関わる記憶を。二度と生産できない様にする為に。
記憶を買い取られた者達は、特殊な処理を受け、工場に携わった期間の記憶を喪失させられる事が義務付けられた。
ソウを含めた一部の人々は、この世界政府のやり方に反感を覚えたが、記憶を買い戻すには莫大な資金が必要だったし、記憶を売却した者達は、新天地での豊かな生活を約束されていた為、結局工場の人間は皆、義務に従う事にした。
◇
くどいようだが―――いつだって運命的で致命的な決定は、巻き込まれる者とは別のところで行われる。
記憶喪失処置を2日後に控えたある日、ソウはIEHOの応接室に呼び出された。
応接室に通されると、年のころ12歳くらいの少女が、ソファにふんぞり返っていた。
腰まで伸びた黒い髪/強い意思の光を秘めた瞳/やや黒い肌。
ソウが向かいのソファに座ると、少女が口を開いた。少女らしからぬ口調で。
「あなたがエクスポリション工場の生産統括マネージャーね。
ああ、別に答えなくていいわ。知っているから。挨拶もいらない。
結論から言うわ。あなたの記憶は私がIEHOから買い取りました。
それが何を意味しているか……わかる?」
ソウはそれなりに聡明な人間だった。
だから直ぐに理解した。けれど直ぐには信じられなかった。
ソウの―――工場に勤めていた人間の記憶を買い取るという事は―――
「エクスポリションの……製造権を……買い取った……?」
気の抜けたようなソウの答えに、少女は満足げに微笑む。
「そんな事は出来ない…そう思っているんでしょう?
でもそれが出来たから、あなたと私はここにいる。
世の中―――価値を決められない物は少なくないけど、お金で買えない価値は一つもないの。
そして私は買えない物が無いくらいのお金持ちなの」
そう言った彼女は、居丈高…というよりも無邪気だった。
そんな少女に圧倒されながらも、ソウは尋ねた。
「エクスポリションを作って……どうするつもりだい?」
「今のこの状況で、あなたに質問権があるとは思えないけど…まあいいわ。
教えてあげる。私はね、子供の国。いえ子供の星を創りたいの。捨てられるこの星を使ってね。
この星に残りたい子供、この星を出て行きたいのに見捨てられた子供を集めて。子供だけの楽園を作るの。
その為にもエクスポリションが必要なの」
そうやって大それた…しかし子供じみた夢を語る少女は、年相応に見えた。
「けど……それは無理じゃないのかな…?
子供はいずれ……大人になる」
「無理じゃないわ。厳格なルールを作るの。そのためのエクスポリションでもあるわ。
そうね例えば、20歳をこえた“大人”には、エクスポリションをあげないの。
エクスポリションの効能は約一年間は持続するでしょう?だからその人達は、その一年の間に星を出て行ってもらうの。
ああ、でも、それじゃ誰もいなくなっちゃうから、そうね、子供を産んだ人達にはもう何年かエクスポリションをあげる事にするわ。そうすれば人口も減らないし、大人も増えない。完璧な仕組みね」
無邪気―――故に、無慈悲。
ソウの、目の前で夢を語る少女に対する印象だった。
―――結局ソウは、この話を受ける事にした。
工場の生産統括マネージャーとしての誇りが、地球人としての誇りがそうさせた。
少女との会話から数年間、ソウは工場勤務の子供達を指導した。
無駄を省き、効率的な生産を可能とする工程を作り上げた。
マニュアルを作って、引継ぎが容易な仕組みを作り上げた。
子供達のために。この星のために。
引継ぎを含めて、生産ラインが完璧に回るようになった頃、ソウは地球を去った。
こうして子供達と、大人になりかけの子供が住む、子供の星が生まれた。
ソウの名前―――それは、この星の歴史書に載った最初で最後の大人の名前になった。
おわり。
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