僕たち、私たち、僕等、うちら、みんな、などという言葉を多用する群れの意識が大嫌いだ。本来、一人では何もできないアホの集まりは「仲間」とは呼ばない。ただの「群れ」だ。勝手に「僕たち」や「うちら」の中に他人を入れないでほしい。そこに共通の認識はない。偽りの「僕たち」だ。 こんな話を聞いたことがある。学校などのテストで、教師が平均点を計算して出す。それが60点だとする。しかし、実際に60点を取った生徒は一人もいない。80以上の生徒や、40以下の生徒しかいない。わかるだろうか?そこに虚像の人物が生まれる。「僕たち」という言葉も同じような虚像を生む。一人称が希薄になる。アホがアホを巻き込むなら仕方ないが、僕は巻き込まないでくれ。
木村カエラが好きだ。可愛い。歌もいい。とても魅力的だ。女性シンガーが好きだ。女性にしか歌えない歌がある。女性にしか書けない気持ちがある。女性にしか表現できない儚さがある。よく考えると、女性シンガーが、というより、僕はただ女性が好きなだけだな。
そいつは、僕が出会ってきた中でも、かなりのレベルの変わり者だ。僕とは磁石の同じ極同士なのだろうか。本音で付き合えば、ぶつかり合うことも多いだろう。だけど、大人になれば、本気で言い合える仲の人間など、そういるものでもない。貴重な僕の友達だ。そして、いつもなんだかんだ文句を言いながら、僕の歌を1番評価してくれるのはそいつじゃないだろうか。いつか、そいつが何も言えないような、カッコイイ曲を作りたい。僕のモチベーションのカケラだ。
そいつは、やたらドラムがうまかった。なんか知らんが、いつもバンダナを巻いていた。一緒にバンドを組むことになるなんて思ってもいなかったが、気付けば結局、解散までずっと一緒にバンドをやっていた。何年間か一緒に過ごして、教わったことは山ほどある。今の僕にあるものは、そいつに与えられた影響が大きいだろうと思う。昔、バンドをやっていた友達の中で、今でも辞めずに続けているのはどれくらいだろう。僕は最後の生き残りになろうと思う。恐らくそいつとの勝負になるだろうと思う。お互い、みっともない30代を迎えても、バンドを続けたまま、思い出話をしたい。
そいつとは、中学校の頃に仲良くなった。きっかけは、好きなバンドの話なんかで盛り上がって意気投合したような記憶があるが、細かいことは忘れた。毎日、一緒にいた気がする。そしていつの間にか、一緒にバンドを組んでいた。バンドというものの、楽しさも、辛さも、共に味わった。良い面も嫌な面も、未だにお互い1番知っているんじゃないかと思う。大人になるにつれて、口に出すのはだんだん恥ずかしくなるが、そいつは、僕の友達だ。