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斯く斯く鹿々

鹿島アントラーズが好きな男のサッカーに限らない普通の日記

亀田選手の世界タイトル奪取に思う

2006-08-04 00:48:34 | Weblog
昨日の試合は飲み会だったので見ていません。ただ、結果は予想通りでし
た。だって、日本レコード大賞の放送日を12/30に変更すると「前々日」
に発表しているんですからね。明言は避けているとはいえ、初防衛戦を大
晦日にやることが「内定している」のでしょう。そのために、周到にこれ
まで準備してきたのでしょうから、今更「バンザーイなしよ!(古っ)」
って事はあり得ません。

ちょうど僕が学生の頃、同じ年代で鬼塚勝也さんと言うボクサーが居まし
た。放映権も同じTBSで、あの時は、片岡鶴太郎がセコンドについて注目
を集めました。Wikipediaで調べてみたら、亀田選手と同じジムでした。
世界タイトル戦も非常に微妙(対タノムサク・シスボーベ 懐かし)だっ
た点も似ています。

同じ頃活躍したやんちゃで陽な辰吉丈一郎さんが、世間に広く愛されたの
に対し、ストイックで陰な印象のあった鬼塚さんは、タイトル戦の悪い印
象がたたって、常に風当たりが強くヒールなチャンピオンという印象を持
たれ続けました。時としてそれは、鬼塚さんの戦績そのものさえも否定す
るかのようで非常に寂しいものでした。

亀田選手のキャラはどちらかと言えば辰吉さん的ですが、今回の非常に微
妙な判定(というか殆ど・・・な判定)は、後々尾を引くでしょう。
本人も相当努力しているようですし、素晴らしい選手になる素地は持ち合
わせていると多くの人が指摘していますが、以前の鬼塚さんと比較して大
幅に「子供」、加えてプロの選手が(プロの選手云々以前の部分も)身に
つけるべき最低限の心得が欠如しています。TBSが煽れば煽る程、他のマ
スコミは彼を徹底的に攻撃し、必殺の「持ち上げて持ち上げて(これまで)
あげくどかーんと落とす」法則が盛大に発動しそうです。
もはや、彼は今までのスタイル(これが本当の彼の姿かどうかは分かりま
せんが)を貫き続けるほかないでしょう。その結果がどうなるのかは全く
見当もつきません。

それ以上に、ボクシングが大切な何かを失ってしまったのではないかとい
う点が心配です。「何だ、結局ボクシングもシナリオがあるただの興行じ
ゃないか!」という風潮が、かなり広まると思います。毎日新聞「闘論」
欄にて苦言を呈した具志堅用高さんや「立ってりゃチャンピオンなの?」
とのコメントを寄せたガッツ石松さんあたりは、その辺りを危惧している
ように思えます。

#同じようにTBSも大事な何かを失ったと思うのですが、もうあの局はか
#つての大事な遺産を殆ど自ら放り投げていますから、どうって事ないの
#でしょう。

宮澤賢治の故郷を歩く(2日目)

2006-07-31 01:52:58 | Weblog
#本来ならば土曜日のエントリーです。

2日目。普段じゃ絶対起きられない時間に自然と目が覚める。旅行の時は
いつもそんなもの。そんなに会社が嫌なのかねぇ(笑)
誰もいない温泉へと向かう。ひろい風呂場を独り占め。本当に落ち着く。
元々湯治場で、今回泊まった旅館部の他に、自炊部という湯治場そのまま
の建物も残っていて、そちらの方がずっと廉価。次回は、自炊部の食事付
きプランを利用してもう少し長い滞在も良いかなと思った。

しっかりした朝食を食べてから街へと向かう。今日の初めの目的地は「高
村山荘」。あの高村光太郎が晩年を過ごした場所である。一旦送迎バスで
花巻駅へ出てから一日数本しかない路線バスに乗る。僕ともう一人おばあ
ちゃんを乗っけた懐かしい感じのバスは、のどかな雰囲気の中を目的地へ
向かう。学生時代、松電で乗っていたいすゞBU程古いバスではなかったが、
今年で24年目のいすゞCLMという引退が近いバスだった。おばあちゃんも
途中で降りてしまい、僕だけたった一人乗っけたバスは、30分程走って終
点の高村山荘へ到着。「帰りは40分ですから、十分見れますよ」という運
転手さんの言葉に見送られて博物館へ向かう。

まずは、高村光太郎が過ごしていたという山荘を見学。極めて質素な建物
(というよりは小屋)で、なおかつ、
[鉄骨作り建物〔木造の地元の人たちが造った建物(光太郎の小屋)〕]
という3重構造。冬の厳しい気候から古い建物を守るにはこうするしかな
いのだろうなと実感。続いて、博物館を見学。博物館と言っても、5m×1
0m位のコンクリ作りの建物で、保存状態はちょっと良くない印象。有名
な十和田湖岸裸婦像の原型や、智恵子さんの切り絵があったりして、結構
貴重な展示物があるように思えたので、もう少し自治体がきちっとサポー
ト出来ないものかなと思った。ただ、ここの受付にいたおばさんが非常に
良い感じの方だったのが印象的だった。こういった人たちにこの記念館が
支えられているのだろう。光太郎に対する地元の人たちの敬意が感じられ
た。(この後、同じ感情を全く予想外の所で実感する事となる)

バス停に戻ると、発車まではにはちょっと時間があった。バスの中で運転
手さんとちょっとお話。
 ・このバスが浦和辺りの国際興業から来た車
 ・もうすぐ廃車だけど、新しく国際興業から来た車は非力で扱いづらい
といったお話を伺う。ただ、この手の話は大した話ではなくて、もっと印
象深かったのは、
 ・自分はこのすぐの所に住んでいて、子供の頃高村先生の所によく遊び
 にいった。
 ・当時このあたりバス等走っていなくて、最寄りの路面電車の駅(数キ
 ロ先)まで歩いていったり、冬は馬そりで移動していたりした。
 ・高村先生は、良く街へ買い物に行ったので、路面電車の駅から一杯の
 荷物をもって歩いていた。自分も含めた子供達は、そんな先生を見かけ
 ると、荷物運びを手伝った。お礼にくれる「ハイカラな」(原文まま)
 お菓子が本当に嬉しかった。
 ・学校でも殆ど先生のような存在で、様々な行事の度にいろいろなお話
 をしてくださったし、いろいろと寄付もしてくださった。
 ・高村先生がこの地を去られ東京へ行かれる時には、学校の子供達が皆
 涙を流して見送ったものだ。
という地元の方ならではの高村光太郎に関するお話を伺えた事。これは、
どこのガイドブックにも出ていない。先ほどのおばさん同様、高村光太郎
への非常に大きな敬意を感じた。(うっかりお名前を聞くのを忘れました
が、岩手県交通花巻営業所?の運転手さん、貴重なお話ありがとうござい
ました)

バス旅が終わると、お昼の時間。高村山荘への行き方を先ほど教わった駅
の観光案内所で、「『おいしい』蕎麦屋さんは何処ですか?」と聞いてみ
た。勧められたのが宮澤賢治生家の近くの「大畠家」さん。駅から歩いて
20分くらいだろうか、行ってみると地元の方で非常に賑わっている。
1枚350円と格安のもりそば。2枚頼むが旨い!。1枚追加。薬味にわさび
ではなくおろし大根(それも紅葉おろし)がついていたのが凄く良かった。
このお店、蕎麦がなくなった時点で終了、昼間のみの営業らしい。きのう
のなめとこ山庵と良い、今日の大畠家さんと良い、わんこそば発祥の地に
はおいしいそば屋さんがたくさんあるようだ。(ということは、昔は米が
とれなかった事の裏返しでもある。宮澤賢治が農家の生活向上に尽力した
背景がこんな所でも分かる。)

そばを食べ終わって、さてイギリス海岸まで散歩と思ったら、あいにくの
雨。宮澤賢治生家脇の倉でお土産を買って、とぼとぼと北上川岸へ向かう。
商店街は電線を埋めて奇麗に整備してあるのに、地方都市にありがちな寂
しい風景。どこに行っても同じような光景なのだから、郊外型SCの出店規
制も仕方ないわなと思う。国道4号を超えて、北上川岸へ。堤防を1kmち
ょっと歩くと、イギリス海岸である。「渇水期には賢治が学生達と見た浸
食された・・・」あぁ、どおりで見える訳ないよ・・・。まだ梅雨時期だ
もの。水面が並だっているのが川底のボコボコしている影響なのかな等と
思う。
ちょうどこのイギリス海岸のそばの堤防近く高台の上で、空き家をお休み
所として開放していた。「イギリス海岸くるみの森」というボランティア
の方々の運営。雨もひどくなったので、ちょっとお邪魔し、お茶とせんべ
いを頂く。イギリス海岸の話、花巻の昔と今や四季(特に冬)の話、賢治
の話、ボランティアを続ける苦労等々いろいろな話を花が咲く。普段の年
ならば梅雨も明けて川底少しは見えるんですけどねぇと非常に残念そうな
様子。大変親切な方々だった。お礼に、会の皆さんで作られているという
アクセサリーを買う(といっても、ほんのちょっとでごめんなさい・・)

くるみの森からは、再び徒歩で花巻駅へ。維新の際に壊してしまったとい
う花巻城址の脇を通って駅前へ。宮澤家経営の林風舎さんでコーヒーを飲
んだところでタイムアップ!である。
農業高校にも行ってないし、光太郎が刻んだという雨にも負けずの歌碑も
見ていない。新渡戸稲造さんの博物館も行けませんでした。もう一度、ゆ
っくりとこの街を散策してみる必要があるなと思いつつ、帰りの新幹線に
乗って、今回の短い旅は終わり。ドイツに行った時もそうだったけど、こ
ういう時は、いつも時間が流れるのが早いんだよね・・・。

今回始めて花巻だったが、観光協会の人も、高村記念館の人も、お蕎麦屋
さんの人も、バスの運転手さんも、ボランティアのおばさんも、何故か皆
さん非常に親切な方ばかり。旅人を大事にもてなすという心、優しさみた
いなものが、この街にはあふれているように思えた。これはもしかすると、
宮澤賢治の作風とも通底するのかな・・・。

宮澤賢治の故郷を歩く(1日目)

2006-07-29 00:51:48 | Weblog
会社が休みの平日、せっかくなので遠出をしてみた。向かったのは花巻。
表題にはかっこ良く「宮澤賢治の故郷」なんて書いてあるけど、これは後
でつけた理由で、ちょっと面白そうな温泉を見つけたからというのがそも
そもの理由だった。

一日一本だけ止まる「はやて」(それも盛岡行で停車駅が多いタイプ)を
降りると、新幹線駅にもかかわらず、寂しい風景が広がっていた。山陽新
幹線の新岩国よりも建物がない。上越新幹線の浦佐は凄いと聞くが、この
新花巻もかなりな状況な感じがする。うーん前途多難か。

100円バスが接続しているのでバス停に行くと、僕だけを乗せてバスは出
発。数分程で目的地の「宮澤賢治記念館」に到着。良い時間だったのでバ
ス停近くの「なめとこ山庵」で昼食。ちょっと時間がかかったんけど、実
においしい蕎麦だった。ご夫婦で経営されているお店のようだが、お二人
の人柄が蕎麦にまで現れ出ていた。
このちょっと変わった店の名前、蕎麦の名前も「小十郎」であることから、
宮澤賢治の「なめとこ山の熊」から取ったものだと分かったのは、この後
記念館を訪れてからである。

食事後、坂を上って宮澤賢治記念館へ。宮澤賢治と言えば「雨にも負けず」
とか「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」位しか予備知識なし。今にして思え
ば失礼な話だけど、「まっさら」な状態で記念館へ。そこで始めて、
 ・彼の宗教的バックボーン
 ・科学者としての宮澤賢治
 ・芸術家としての宮澤賢治
 ・彼の作品の特徴
等々を知る。うーん、ここに来られただけで、今回の旅行の意味はあった
と思った。それ程、インパクトが強かった。何を言っても薄っぺらくなっ
てしまうので、とにかく興味のある人は行ってみてくださいとだけ言うに
とどめる。

その後、復元された花壇の脇を通って、イーハトーブセンターへ。時間も
あまりなかったので、温泉と賢治の関わりを示す展示にのみ目を通す。
花壇や庭園の設計までこなしているとは、本当に驚きだった。このセンタ
ー、どうも2階に様々な資料があった模様。もう少し勉強してから、再度
足を運びたいと思った。
その後訪れた童話村は、正直な所期待はずれ。お子様向けの施設だった。
機会があれば、記念館と、イーハトーブセンターをもう一度ゆっくり見た
いと思った。

路線バスで新花巻駅へ戻り、そこから送迎バスで今宵の宿へ。そもそも今
回花巻を目的地に選んだ理由である鉛温泉へと向かった。約40分程で到着。
湯治場の雰囲気を色濃く残した藤三旅館は、まるで時間が止まったかのよ
うだった。深さ140cmあるという白猿の湯ほか、全部で5つの温泉。
ごちゃごちゃして、いつも何かに追われているような日常を忘れるにはぴ
ったりの場所。川の流れを聞きながらの読書も格別で、まさに「時の流れ
を忘れる」とはこの事だなと実感した。
(2日目へ続く)

久しぶりの松本

2006-07-24 23:37:09 | Weblog
一日遅れですが松本の印象等。
松本は、学生時代の夏休みにアルバイトに明け暮れた街だったので、非
常に懐かしさを覚える街の一つです。(その後も何度か訪れてますが)
行きは新宿の西口から高速バス、帰りは上り急行アルプスって感じでし
たね。今じゃ体持たないか。

まず驚いたのは、松本駅が変わってた事。まだ工事中でしたが、自由通
路が出来てました。
伊勢町の所に大きな道路が出来て、街もきれいになってました。縄手通
りもスッカリ見違えててましたし、中町通も素晴らしく整備されていま
した。
きれいになりすぎて、おもむきが失われた感じかな。僕のイメージにあ
る松本は、そうですね「白線流し」の松本です。

とはいえ、まるもも翁堂も、カレーのデリーも、信州ゴールデンキャッ
スル(って看板のビル)も、開運堂も、ちきり屋も残ってました。浅間
温泉は、なんだかずいぶんと寂しくなった印象。蕎麦も相変わらずうま
かったし、今回お世話になった「新三よし」は旨かった!。
あと、松電の運転手さんが愛想良くなってた(笑)なんて言ったら怒ら
れるか。その節はいろいろとお世話になりました。<松電の皆様

またサッカーを見に松本に行けるのなら、わたしゃ大歓迎。次は、天気
の良い上高地を訪れたいと思う自分でした。

#変わったの松本だけじゃないんですね。
#笹子トンネル抜けてすぐは、向かいに高速が見えて、崖沿いを走るは
#ずと思ったら、線路切り替わってました。

デパ地下ならぬデパ上 めちゃくちゃ楽しい!

2006-06-30 04:54:47 | Weblog
歩き疲れたあげく、夕食を何処でとろうか迷ったのですが、父親から聞いていたKaDeWeの立ち食いスタンドを試してみる事にしました。
日本のデパートでは、食料品売り場は地下と決まっていますが、ここベルリンでは6階が食料品売り場です。

いやぁ、マジで驚きました。品揃えが凄い。ワイン一つとっても、ドイツワイン、フランスワイン、イタリアワイン、スペインワイン、カリフォルニアワイン、チリワイン・・・となんでこんなに揃っているの?って感じです。
生鮮食料品も、鮮魚売り場、精肉売り場、パン売り場、野菜果物売り場、ソーセージ売り場と見ているだけでも本当に楽しい空間です。

また、立ち食いスタンド(ちゃんと椅子はあるんですけど)も、電子レンジでちんするレベルのものから、オイスターバー、寿司バー、タイ料理、中華料理、魚料理、イタリア料理、フランス料理(ポールボギューズまでありました)とありとあらゆるものが揃ってます。
何を食べようかと迷って彷徨ったのですが、英語のメニューがない・・・。こりゃ困ったなと思っていたところ、フランス料理のシェフが「May I help you?」。マジで神様のように見えました(笑)
すぐにステーキと赤ワインをオーダー。いやぁまた量が多いんだわ。でも旨かった・・・。いくら取られるかとびくびくしていると、赤ワイン2杯とステーキ、フランスパンで日本円で4000円。もう大満足です。

日本で言えば、三越とか高島屋ってところですから、決して安い訳ではないと思います。とはいえ、日本の物価考えたら、十分満足出来るレベルです。KaDeWeのスタンド、マジでお勧めです。