サンタフェより

高地砂漠で体験したこと 考えたこと

伊那の谷

2006年04月04日 | 旅人希望
下諏訪から諏訪湖半を、北西に回ると岡谷市になる。かつてお蚕(かいこ)さんを育て、絹の製糸がさかんだった町だ。第二次大戦後急激に没落し、今は他の町と同様精密機械系の会社が連立する。(諏訪は農業のほか、その季候ときれいな空気や水を必要とする精密機械で栄えた町で、SEIKOの「諏訪精工舎」や「チノンカメラ」「ヤシカカメラ」などで知られている。)ここから天竜川が流れ出し、伊那谷へと中央、南の両アルプスの間を下り、田畑をうるおしている。

この天竜川沿いに西側の山あいを走り、辰野を抜け、箕輪町の梅苑(信州伊那梅苑:上伊那郡箕輪町一宮 0265-79-4086)を訪ねた。例に漏れず、このあたりでも梅と桜が一緒に咲くらしく、もう二週間待たねばならないそうだ。残念。でも、蕾をつけた何千という梅の木を見て、満開時には「むせるほど」という梅花の香りを容易に想像できた。お土産屋のおばさんたちに、外人への梅肉エキス販売英語口述のミニ講座をしてくれと頼まれ、二三手ほどきたら、去年の収穫で作ったお土産をいろいろ頂戴した。

うららかな一日を期待して、こちらへ来る前に阿久遺跡(原村:縄文前期のすばらしい祭祀場跡が出た)へ行きたいと思っていたのだが、なんと!もう埋められてしまったと知り、愕然。自分の思い込みの激しさと調査不足を恨めしく思い、また事情はわからなくもないが、日本にとってとても重要(と私は思う)な遺産を、「いつか誰かが掘り返したいとおもったら、可能な状態で」(?!)埋めてしまう価値観に、憤りを覚えた。まあ怒って貴重な時間を無駄にしてもいられないので、気を取り直して、伊那にある伊那市考古資料館を訪ねることにした。(伊那市大字西箕輪3054-4:0265-78-6166:みはらしファームから仲仙寺をめざすとよい)



「営利目的ではないので」というわけで、入場料は破格の百円。おじさん一人が管理をしている。お寺のすぐ真下にあり、なにも道しるべがなかったので、探すのに苦労した。農家と段々畑の間を抜け、農作業中家に寄ったらしいおばさんを見つけて聞くと、「あのお寺(仲仙寺)のすぐ下だで、寺の門をくぐって左側だよ。」と教えてくれた。二本の古木に橋をかけて作った門をくぐると、小さな小さな白い建物が、ひっそりと佇んでいる。管理をしているおじさんは、「週末は遊歩道に野草を見に来る人が、ここに駐車して通り過ぎていくだけで、中に人がきてくれることなんて、まずないだよ。」と嬉しそうに迎えてくれた。ところが、ここの収集の数にわたしは、腰を抜かしそうになってしまった。中央高速道の建設(昭和46年より実施)にあたり、わんさか出た土器や鉄器のうち、状態のすばらしいものは美術館などに持っていって、残りはここへ集めたらしい(所蔵数は2500点あまり)。顔つきの土器をはじめ縄文前期から、弥生、古墳時代から中世、明治まで、ガラスのケースからあふれんばかりに並んでいる。聞くと、まだまだ倉庫にたくさん眠っていて、半年に一度ぐらいの頻度で入れ換えるのだそう。土器、鉄器などの他にも、大きな絵馬の奉納物などもあって、面白かった。江戸時代木曾で洪水があり、馬を売れず困った勘兵衛さんは権兵衛峠を越えて、伊那にやって来た。ここでも馬はなかなか売れず困って、仲仙寺の神様へお願いに行った。「馬が売れたらお礼に千馬の絵馬を奉納いたします」しばらくして馬は売れ、木曾へ帰っていった彼は、一財産築いてから約束通り、千馬の描かれた絵馬を納めた。第二展示室はそんなお話であふれていた。

しだれ梅と土器、伊那へまた来る理由が増えてしまった・・・

下社秋宮へ

2006年04月04日 | 旅人希望
先日サンタフェで知り合った、諏訪大社の権禰宜(ごんねぎ)の方を訪ね、下諏訪町にある下社秋宮へお参りに行った。

諏訪大社は、実はひとつのお宮ではない。上社(神体は山)と下社(神体は木)に分かれ、上社には前宮と本宮、下社には秋宮(山宮)と春宮(里宮)がある。諏訪っ子たちは、周りの山や城址に加え、すべてのお宮に小学校の遠足で行ったことがあるはずだ。下社秋宮へは、初詣に加え御柱祭り、七五三、もろもろで私も過去に多分10回ぐらいは行ったことがある。

鳥居をくぐり、神木でもある大きな木を見ながら神楽殿を回って、拝殿へ。「二礼 二拍手 一礼」とは知っていてもなかなか慣れないので、まずは恥をかえりみずお参りの仕方を教えていただいた。神様の通り道である真ん中は避け、脇から。深くゆっくり二回礼をし、手を合わせる。右手をほんの少し下へずらし、二度打つ。手を元にもどして合わせ、祈願をし、礼をしてすみやかにその場を離れる。

インディアンの信仰と神道の信仰の類似点や違いを話し合い、諏訪大社の由緒や歴史について、いろいろお話をお聞きした。私はお話が好きなので、今の川岸という地区で土着の神(モレヤノカミ)と出雲からきた諏訪明神(クニツノカミ)が、鉄の環と藤の蔓を手に戦った話はおもしろかった。

四月十五日は、上社で一番大きな大切な神事「御頭祭」があるそうだ。残念ながら私はその頃、サンタフェへもどるが、機会のある方は見に行かれたらいい。