サンタフェより

高地砂漠で体験したこと 考えたこと

『スモーク シグナルズ』 (映画) 

2006年01月31日 | アメリカ原住民
『スモーク シグナルズ』(1998年)という映画をテレビでやっていて、久しぶりに観た。この映画は、ネイティブが書いて、監督をして、共同製作した初めての劇場放映映画として知られている。

アイダホ州クエーダレーン(自分たちはシツウムシュと呼ぶ:発音に自信なし)族インディアンの青年ヴィクターは、幼い頃家族を捨てて去っていった(というより母が追い出したのだが)父親がアリゾナで亡くなったとの知らせを受ける。父には反感しかないのだが、ヴィクターはそのお骨を受け取りにアリゾナへ旅することを決意する。バス代を出すから連れて行けという、幼なじみで全く正反対のおしゃべりであか抜けないトーマスの申し出をを、しぶしぶ受け入れ二人の旅が始まる。

これはいわゆる「オン ザ ロード」(言ってみればアメリカ版弥次喜多の『東海道中膝栗毛』)モノで、ネイティブの二人が主人公という点では、私のとても好きだった『パウワウ ハイウェイ』(1989年)と似ている。(『パウワウ・・・』ではチャーミングでグレイジーなフィルバート役だったゲーリー・ファーマーが、ヴィクターの父親役で登場しているのも、偶然ではないのかも。)

何と言っても会話がいい。話のあらすじは、「ヴィクターとトーマスが、アリゾナに行って帰ってくる。」とわかっているのだから、私たちは落ち着いて、とてもリアルな二人のやりとりに耳を傾けていれば言いわけだ。やりとりは言うものの、孤児のトーマスがヴィクターの家族との思い出を語ったり、質問攻めにしたりして八分方ひとりでしゃべりまくって、ヴィクターを苛立たせるのだが・・・笑えるのは、ヴィクターが「インディアンらしく」なるためのアドヴァイスをするところ。「『ダンス ウィズ ウルブズ』を、何回も観ているようじゃだめ」「ストイックにしろ」「インディアンは髪をうまく使うんだ」「たった今、狩りから帰ったように見えなくちゃ」と、『ダンス・・・』を実際何回も観て「でも僕たちは鹿狩りなんてしないじゃんか。鮭は捕るけど。」と言うトーマスに手ほどきをする。三つ編みをほどいて、休憩所で着替え、態度を改めたふたりがバスに戻ると、図々しい人種差別のはげしいレッドネックの男たちに席をとられてしまい、トーマス「ホンモノのインディアン」改造計画は、尻つぼみに終わってしまう。彼のおしゃべりに閉口しつつ、ヴィクターはアルコール中毒で、自分を捨てて行った父親のことを、火事での命の恩人だった人、と親愛を抱いているトーマスの物語りから垣間見る。アリゾナで父と暮らしていたスージーとの出会いも、所々で出てくる過去の回想も短くて、サラッとしているが心に残るシーンばかりだ。

私がこの映画を好きなのは、へんに肩に力が入って「インディアン・インディアン」していないからだ。現代の彼らの現実が、極端に理想化したところもないし、単なる「犠牲者」としての恨みつらみでもなく、ユーモアを持って描かれている。後味がいい、やさしい映画だ。