¶タイタン号の宇宙探検¶

ご訪問いただきありがとうございます。

あ!ない!!~「愚者の旅」より

2006年07月16日 00時33分03秒 | 倉本聰さん関連

倉本聰──今では大好きな脚本家だけれど、何事にも好きになる“時間点(偶然)”というものがありまして、私の場合、実は「北の国から」が終ったころでした。
「前略おふくろ様」「昨日悲別で」「ライスカレー」etc.いろいろ好きだったけれど、どうも舞台が北海道ってだけで、地元ながら引いていたのです。
(なので本格的に見たのは”連ドラが一段落ついてから”脚本形式の本を読み、ドラマをレンタルしたのが最初・・・^_^;)


そんな私のド田舎に、倉本聰氏ご本人が講演でいらっしゃいました。小さな会館での講演で、私は家が近いこともあって友だちと出向き、一発でファンになってしまった!
話がとっても面白かったのです。私の頭の中の固定観念が吹っ飛んだ出来事でした。

で、そうなると脚本、ドラマだけでは飽き足らず、エッセイを買って読んだらこれまた面白い。金太郎飴みたいに、満遍なく面白いのです。
なのでこれからご紹介する「愚者の旅」(理論社刊)
まだ途中ですが、もう紹介しちゃう!
(なにしろ平行して数冊の本をだらだら読んでいるので、どの本もゴールが見えない…)

中でもこの「あ!ない!!」のエピソードは大好き。(本人にとっては“悪夢”でしかないと思いますが)他のエッセイでも書かれていたのですが、そちらはもっと自虐的でした。たぶん十年くらい前に書かれたものだから、ちょっと「愚者の旅」のほうが悟っている、というか、落ち着きがあるような・・・。

とにかく、はしょりまくって説明しますと(また長くなってきたぞ)──、
倉本さんは早くに父親を亡くし、ずっと演劇、映画に憧れ脚本家を目指そうにも、母、妹弟を養うため、ニッポン放送へ勤めざるをえなくなってしまったのです。
(でもこっそり「倉本聰」という偽名で執筆を同時進行)
以下の物語はそんな倉本さんのサラリーマン時代(まだTVよりラジオが主流だった頃)の、とあるエピソード・・・。

『ある日の夕方、放送を送り出す連行デスクという部署から電話がかかり、明日放送のテープがまだ届いてないよ、と云われた。オンエアテープは通常一週間前には運行デスクに届けることになっているのに、出したつもりが出ていないという。明日のテープどころではない。明日以降のテープが全然届いていないというのである。
瞬間イヤアな気がしたが、あわててロッカーから机の周囲を懸命になって探して廻った。ところが何処を探してもないのである。録音は確かに採ったのだが、採ったはずのテープが消滅したのである。口の中で思わず「ガ──ン」とつぶやいた。

一人で担当している番組がそのころたしか五つ六つあった。それらのテープが、未編集のもの編集済みのもの、ダビング済みのもの、CMをつけた完成品と一つの番組でも二~三十本もある。そういう番組を一人で五つ六つ持たされているのだから訳の判らなくならないほうがおかしい。不要なテープは磁気盤にかけて片っぱしから消去して行くのだが、どうも気づかぬ間に消してしまったらしい。蒼白になった。

番組のタイトルは「天下晴れて」。月曜から金曜まで毎朝六時四十五分オンエアの五分コント。出演者は今売り出し中の渥美清と水谷良重の二人。二人の事務所にあわてて電話した。まず渥美清。かくかくしかじかでテープを紛失した、一生の頼みだから採り直しに応じてくれ。それも今夜!明朝放送のテープからもうないのです!
渥美ちゃんはOKしてくれた。但し午前三時になるという。それでいいからお願い!頼みます!冷や汗を流しながら電話を置いて水谷良重の事務所に電話した。ところが。
良重は今ヨーロッパに旅行に出てて来週にならなきゃ帰らないというのである!
ガ──ン!
明日の朝からの番組である。しかも、採り直そうにも一方のタレント水谷良重がヨーロッパに行って、採りようがないのである。ガ──ン!である。』

『(中略)ここから記憶が途絶える。いや、少しだけ記憶がある。エイ、もうダメだ。クビだい。仕様がねえや。後のことなど考える余裕もなくコートをつかんで黙って退社してしまうのである。それが大体七時半頃。
我に返るのは十時過ぎである。
「蛍の光」の鳴る有楽町の「メッカ」の片隅で灰皿に吸い殻を山積みにして僕は自失から蘇る。蘇ると共に事態の重大さも蘇った。
その時である。僕に天啓がひらめいたのである。天啓というより云いようがなかった。
メッカをとび出し局に走りながら天啓の中身を必死に反芻した。
できる!と思った。
「天下晴れて」は渥美清と水谷良重の、短い対話の応酬による五分間のコント番組である。これまで放送された台本とテープは一応保存されている。それらの対話の中には、相づち、というか、つまりどうでもいいセリフ、たとえば「フーン」「バカねぇ」「それでどうしたの」「アラいやだ」「あなた変よ」「元気出して」と云った断片的セリフが混じっているはずである。それらを良重のセリフから摘出し、それに対応する渥美さんのセリフを新しく創作し噛み合わせてなんとか一週間の番組をつくってしまおう!
局にとって返すともう人はパラパラしか残っていなかった。
血走った目で古い台本をデスクに積み上げ赤鉛筆片手にセリフを探した。あった!
「何云ってンのよ!」
「一寸あなた、それ取って!」
「あゝあゝ、又こぼして」

それらのセリフに赤鉛筆で印をつけ、ノートに次々と写しとって行った。(中略)
水谷良重のそれらのセリフを、血走った目で何度も点検しながら、そのセリフを誘い出す渥美清の側のセリフを猛烈なスピードで書き上げて行った。

余談になるが、僕は筆が速い。締め切りに遅れることは殆どと云っていいぐらい、ない。たぶんこの時の切羽詰まった猛然たる創作が、僕に速筆を習慣化させてしまったのだと思う。井上ひさしさん三谷幸喜さん。是非一度テープを紛失されることをおすすめしたい。』

それから倉本さんは一週間分月~金五本の台本を仕上げて(一時すぎ)、宿直のミキサーに手伝わせて倉庫から放送済みのテープを持ち出して、水谷良重さんのセリフをダビングしまくったのでした。
そしてそのセリフを新台本にあわせて順番に並べ、その作業が終った頃に渥美清がスタジオに到着!
狂ったように事の顛末を説明し、渥美清は腹を抱えて大笑い。
「よう考えた!あんたはえらい!」とほめてくれたそうです。
そして深夜の録音開始。

渥美清がしゃべる。倉本さんがテープの声を出す。それを渥美清が受ける──。
四時五十分録音終了。

『ブリッジの音楽をダビングし、CMを入れ、Qシートを書いて、完パケ(完全パケージ)テープを運行デスクに放り込んだのが午前六時。六時四十五分の放送に間に合った!

後日の話だが北海道のある局で同じように事件を起こしたテレビ局員の話を聞いた。
その人どうしました!と思わず訊ねたら、「自殺しました」と哀しげに言われた。』

恐ろしいけれど、笑える。(その逆か?)
誰にも“とんでもない大失敗”の経験はあると思うのですが、業界の話で、しかも寅さんまで登場して、おかしいったらありゃしない!
こんな、あぶない、そして生々しいエピソード満載のこのエッセイ。(もちろん、あの「NHK事件」も登場します)
実はまだご紹介したいエピソードが多々ありまして・・・。
また後日改めて書かせてくださいね(*^-^*)☆


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前の記事へ | トップ | FNS26時間テレビ真夏のクイ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

倉本聰さん関連」カテゴリの最新記事