インターネット上での情報交換の場に掲示板というものがある。例えばヤフーの掲示板など非常にメジャーで、どんな分野でもその気になればかなりの情報が得られる。
しかし、分野によっては最近「アラシ」なるものが横行していて、ほとんどその場を占領するがごとくやりたい放題である。
それは組織的というほどではないと思うが、意外に計画的ではあろう。なにがしかのいきさつあって、目をつけた分野のトピを張り込み、盛り上がっているところに突如現れて、トピの内容に沿ったごく健全と思われる発言の間に割って入るようにして、水を差す。そしてからかったり、いちゃもんをつけ、反応してくると徐々に態度を変え、突如として牙をむく。牙をむくとは大げさかもしれないが、そんなたとえをしたくなるぐらいの豹変ぶりでぐさりとくる場合がある。
冷静にまた興味深々で意見を交わしているところにいきなり水を差されると、誰でもムカッと来るもので、そういうぶしつけに対して文句の一言をいいたくなるのは成り行き上しかたがない。しかし、アラシにこれをやってしまうと、待ってましたというようなもので、言葉尻をとられるところから始まり、どのような態度をとろうがネチネチとまとわりついて離れない。
本来は意見を交わす場所なので、ある程度覚悟してまっこうから強くものを言って見ると、ひるむものではない、ますます食らいついてくる。それも微妙に戦法を変え、巧妙に論点をずらして反論してくるものだからきりがない。何度かやりあうと正当な話し合いでないことがすぐに察せられるし、相手の態度が不気味になって引きたくなるのだが、なんとかぎゃふんといわせないと収まりがつかない(大人気ないが)。また大事だと思っている場所の雰囲気が、アラシに仕切られてしまうのを放って置けなくて、ついついのめり込む。この辺をこらえるには経験も要るのである。
アラシの手口には、過去ログを根気良く掘り出して失言や言葉尻を拾い出してきてそこを弱みと見て突いてくることや、また掘り出すといえば、自分らの口上に都合のいい与太記事をよくぞ収拾してそれをリンク付で次々と並べ、果てはどこかで聞いたような講釈をひとしきり披露し、しょせんキミ達とは頭の出来が違うというような体裁を思い切り誇って、さげすみのジェスチャーのひとつもいれて、いかにも自分らの圧勝をまわりに印象付けるようにして終わる。
またそこに至るまでにおそらく一人か二人で何人もなりすまして獲物とみた対象を寄ってたかってなぶり、さんざん尻をめくっていいさらし者にするのを楽しむようにして追い込んでいく。まるでハイエナのごとく群れ(一人芝居だとしても)で、しつこく周到に立ち回る。
そして絶対に敗北宣言したり黙ったりしない、獲物の方で黙ってしまい、勝ち名乗りの体裁ができあがるまで、この狩りを続ける。まっとうな勝負でないこと明白である。
こんな風だから、はじめてアラシに遭遇したときはそれと知らずまっすぐな気持ちで向かっていくため、かなりのショックを受ける。自分もそうだった。ふと気がつくと相手の手にはまっている。人間の暗部に巣食う暗くどろどろと底なしのような執着をじかに見せ付けられその汚い息を吹きかけられるように感じるからだ。本当にぞっとする。
たかが掲示板の上のことばのやりあいといえばその通りだが、このやりあいには相手の人間性がもろに透けて見えるものなのだ。顔も姿も見えず匿名の向こうにじっと待ち構え、なんのわけあってか悪意に悪意をつなぎ、汚いうえにも汚いやり方で粘りづよく対応してくる奴ら。病的なぐらいの余程の鬱屈があってかこんなところに入り浸って獲物を探しては餌食にする。
そんなことに執念を燃やし、ここでの勝利?をおそらくは鬱憤晴らしのはけ口としてるのだろう、しかもこういうところにしか住処がないのではないかという、そういう人間の姿を想像する。それはなかなか恐ろしい眺めであり、初めて直に対峙した人は穏やかではいられない。いくら熾烈なののしりあいも、ここに展開されるような惨状というのは普通の昼ひなたの表立った社会では見かけることがない。
表に出ろ、とはやくざの台詞だが、表に出る勇気もないくせに最後までやりこめないと気がすまないのがこの人種の性格なのだ。人間としてこれほどいやらしくて情けない姿があるだろうかと思う。ここは表社会で行き場を失ったような惨憺たる人間達のふきだまりかという印象さえ持つことがある。
もちろんアラシといえども、通りすがりに気晴らしをやっている軽いノリもある。妙に凝り固まった連中のいきみを笑い飛ばそうという愉快犯も混じるだろう。また勘違いやちょっとしたきっかけで、マジメな人がアラシ同然の切れ方をする場合もある。そして、マジメでまっすぐ向いているつもりの本人の態度自体がひどく偏っていることに気が付かない場合なども、案外始末が悪い。しかしアラシと呼べるものの最たる特徴は情熱さえ感じさせるほどのその執念深さだろう。
年期の入ったアラシにはは反○○主義とか本人にとっていちおう論拠とし、気持ちの上でもそうだという信条めいたものがあり、(与太記事ばかりのストックでなく)それについて一通り説明するだけの準備も頭もあるのかなと思う。しかし、念の入リ過ぎた彼らを突き動かしているのはそんなものではない、もっと屈折した内部の問題と自分は思う。
第三者からみればたかがアラシだ。こんなのは他愛もない問題と見えるだろうが、ここに透けて見えるのはネット世界が育て、そこを住処とする歪んだ人格の姿だと思う。モニターの前に陣取ってこちらの隙をじっと伺っている不気味な人間達の姿が目に見えるようではないか。
しかし、分野によっては最近「アラシ」なるものが横行していて、ほとんどその場を占領するがごとくやりたい放題である。
それは組織的というほどではないと思うが、意外に計画的ではあろう。なにがしかのいきさつあって、目をつけた分野のトピを張り込み、盛り上がっているところに突如現れて、トピの内容に沿ったごく健全と思われる発言の間に割って入るようにして、水を差す。そしてからかったり、いちゃもんをつけ、反応してくると徐々に態度を変え、突如として牙をむく。牙をむくとは大げさかもしれないが、そんなたとえをしたくなるぐらいの豹変ぶりでぐさりとくる場合がある。
冷静にまた興味深々で意見を交わしているところにいきなり水を差されると、誰でもムカッと来るもので、そういうぶしつけに対して文句の一言をいいたくなるのは成り行き上しかたがない。しかし、アラシにこれをやってしまうと、待ってましたというようなもので、言葉尻をとられるところから始まり、どのような態度をとろうがネチネチとまとわりついて離れない。
本来は意見を交わす場所なので、ある程度覚悟してまっこうから強くものを言って見ると、ひるむものではない、ますます食らいついてくる。それも微妙に戦法を変え、巧妙に論点をずらして反論してくるものだからきりがない。何度かやりあうと正当な話し合いでないことがすぐに察せられるし、相手の態度が不気味になって引きたくなるのだが、なんとかぎゃふんといわせないと収まりがつかない(大人気ないが)。また大事だと思っている場所の雰囲気が、アラシに仕切られてしまうのを放って置けなくて、ついついのめり込む。この辺をこらえるには経験も要るのである。
アラシの手口には、過去ログを根気良く掘り出して失言や言葉尻を拾い出してきてそこを弱みと見て突いてくることや、また掘り出すといえば、自分らの口上に都合のいい与太記事をよくぞ収拾してそれをリンク付で次々と並べ、果てはどこかで聞いたような講釈をひとしきり披露し、しょせんキミ達とは頭の出来が違うというような体裁を思い切り誇って、さげすみのジェスチャーのひとつもいれて、いかにも自分らの圧勝をまわりに印象付けるようにして終わる。
またそこに至るまでにおそらく一人か二人で何人もなりすまして獲物とみた対象を寄ってたかってなぶり、さんざん尻をめくっていいさらし者にするのを楽しむようにして追い込んでいく。まるでハイエナのごとく群れ(一人芝居だとしても)で、しつこく周到に立ち回る。
そして絶対に敗北宣言したり黙ったりしない、獲物の方で黙ってしまい、勝ち名乗りの体裁ができあがるまで、この狩りを続ける。まっとうな勝負でないこと明白である。
こんな風だから、はじめてアラシに遭遇したときはそれと知らずまっすぐな気持ちで向かっていくため、かなりのショックを受ける。自分もそうだった。ふと気がつくと相手の手にはまっている。人間の暗部に巣食う暗くどろどろと底なしのような執着をじかに見せ付けられその汚い息を吹きかけられるように感じるからだ。本当にぞっとする。
たかが掲示板の上のことばのやりあいといえばその通りだが、このやりあいには相手の人間性がもろに透けて見えるものなのだ。顔も姿も見えず匿名の向こうにじっと待ち構え、なんのわけあってか悪意に悪意をつなぎ、汚いうえにも汚いやり方で粘りづよく対応してくる奴ら。病的なぐらいの余程の鬱屈があってかこんなところに入り浸って獲物を探しては餌食にする。
そんなことに執念を燃やし、ここでの勝利?をおそらくは鬱憤晴らしのはけ口としてるのだろう、しかもこういうところにしか住処がないのではないかという、そういう人間の姿を想像する。それはなかなか恐ろしい眺めであり、初めて直に対峙した人は穏やかではいられない。いくら熾烈なののしりあいも、ここに展開されるような惨状というのは普通の昼ひなたの表立った社会では見かけることがない。
表に出ろ、とはやくざの台詞だが、表に出る勇気もないくせに最後までやりこめないと気がすまないのがこの人種の性格なのだ。人間としてこれほどいやらしくて情けない姿があるだろうかと思う。ここは表社会で行き場を失ったような惨憺たる人間達のふきだまりかという印象さえ持つことがある。
もちろんアラシといえども、通りすがりに気晴らしをやっている軽いノリもある。妙に凝り固まった連中のいきみを笑い飛ばそうという愉快犯も混じるだろう。また勘違いやちょっとしたきっかけで、マジメな人がアラシ同然の切れ方をする場合もある。そして、マジメでまっすぐ向いているつもりの本人の態度自体がひどく偏っていることに気が付かない場合なども、案外始末が悪い。しかしアラシと呼べるものの最たる特徴は情熱さえ感じさせるほどのその執念深さだろう。
年期の入ったアラシにはは反○○主義とか本人にとっていちおう論拠とし、気持ちの上でもそうだという信条めいたものがあり、(与太記事ばかりのストックでなく)それについて一通り説明するだけの準備も頭もあるのかなと思う。しかし、念の入リ過ぎた彼らを突き動かしているのはそんなものではない、もっと屈折した内部の問題と自分は思う。
第三者からみればたかがアラシだ。こんなのは他愛もない問題と見えるだろうが、ここに透けて見えるのはネット世界が育て、そこを住処とする歪んだ人格の姿だと思う。モニターの前に陣取ってこちらの隙をじっと伺っている不気味な人間達の姿が目に見えるようではないか。
「アラシ」の恐怖は、ネットの世界では避けて通れないものなのでしょうか?
ブログを初めてまもなくて、やっとこの頃面白くなってきています。しかしながら、いつそういう事をやられるかと思うと、相互リンクなど不安のきわみです。
考えさせられる文章が多々有りますので、また寄らせていただきます。(^^ゞ
アラシはとにかく相手にしないに限ります。
ブログならいつでも削除できますし、それにアラシに遭いやすい分野というのがあるので、ゆりさんの場合、特に心配ないのではないでしょうか。
こちらも読ませていただきますね。