あかさたなにくそ

がんばるべぇ~

久しぶりに投稿

2006-01-28 23:28:28 | Weblog

久しぶりの更新になってしまった。

仕事が忙しくなるとこんなところに書いている暇がなくなる。というか、暇があるようでも書くまでの心の準備が整っていかない。書きたい書きたいと思っていながら、暫くこういう場所から離れて本も読まないという生活をしていると、なんだか騙されたほど単純な気持ちになってくる。
自分が東京のビル郡を眺めたときの印象や考えなどちらっと読み返してみると、我ながら素朴な人間と自分のことを思いなおすのだが、このごろはもっと素朴で単純、恐るべきというぐらい単純な心情で日々を生きていて、なんだかどのようにも深まっていかないし新しい道を探るようなことは自然に起こらない。
こういう生活のサイクルを繰り返していると自分の枠みたいなものがどんどん固まってきて、同じような道順でしかものを考えられなくなり、なおそれを不自由とも感じなくなる。周りの人も生活に追われているうちきっとこんな風にどんどん凝り固まった人間になっていくのだろう。
しかし、こういうのは愚かとか怠慢とかそんな風に簡単に言い切れないと思う。追われている中で自然にそうなってしまうのだから。書くこと考えることを生業としているような人たちが決め付けるように人々は愚かなのではない、とあらためて思う。
座って考えている人たちばかりで世の中が回るならともかく、立ち働く人たちをそうした位置から仔細に眺めてあれこれ批判してもはじまらない。単純には単純の必然性みたいなのがあるのだ。
ただ自分の場合、こうした生活を続けているとだんだん力が抜けてくる。なにか中心の拠り所を失っていくようで、続けていくと必ず精神の不安定が訪れることが分かっている。
今のちょっと生活に追われているような状態、これはなかなか大事だ。こういう状態でこそまともかなと思えるところが自分にはある。合点がいくというのでもないが、肝心と思うのだ。ただ、ある程度になったらじっくりという時期がほしい。それでちょうどバランスがいいと思う。多分どっちに偏ってもいけない。
以前は頭でっかちになりすぎたり、逆に空っぽになりすぎたりでバランスをとれず破綻するかという精神の不安定を良く感じた。非常に苦しい時期もあった。今でも名残があって、ときどき冷や汗がでるし、夜も恐怖で眠れないということもないことはない。
ただ、最近は自分をいじめるな、いや、自分の感覚で遊ぶな、つまらないことだ、というような戒めがぐっと心に響くような感じが強くなった。少しは強くなったのだろうか。
こういう病気は以前の記憶が強く関係しているので、一度はまって症状としてしまうと、何度も繰り返す。他人が見たらバカみたいに、退屈なほど繰り返す。しかしそんな退屈なことから抜け出すのがなかなか容易じゃない。
この苦しみは体験したものでなければ分からない。しかしこうした苦しみを通してしか分からない、感じられないことがあるとも思うのだ。