あかさたなにくそ

がんばるべぇ~

テレビマンガを見ていて思うこと

2005-12-17 16:32:49 | Weblog

最近のテレビマンガを見ていて思うこと(ずっと思っていたこと)。
あまりにもひどいのではないかと思う。なにがどう面白いのかよく分からないことが多いので、内容に入っていけないし、あまり興味も湧かないまま通り過ぎることが多いのが普通なのだが、子供が熱心に見ているのをはたから観ていると、こんなことでいいのかとときどき心配になる。コミック本には自分の知らない表現がいろいろあるようで、そちらの分野については全く分からない。自分がいいたいのはテレビマンガについて、お茶の間で夕方から夜にかけてどこでも見られるようなテレビマンガについてだ。特定のマンガのことをいっているが、特定といっても数は多くマンガ以外にも相通じる仲間をたくさん持っていて、商品として店先にも山積みになっている口だ。
まずは貧しい。なにもかも貧弱で退化して弱りきっているように自分には見える。だいたいこんなものを大人達が熱心に製作していることが信じられないぐらいだ。売り出しとしては商業ペースなのは当然としても、大人が相手ではなく子供が対象なのだ。子供相手のこんなものが野放しになっていくらでもだらだらと出てきて止むことがない。どこでも制御されない。いまの文化レベルをそのまま象徴しているのだろうが、節操がないにしてもひどすぎはしないか。
子供たちはまだ染まりきらぬ気持ちのまま毎日テレビ画面を前にし、こうしたぶざまなかっこうのものを繰り返し見せられることになる。教育上の問題とかそんな大層な言葉を持ち出さなくても、こんなものよくないに決まっている。子供に対する社会的な配慮という面では、些細な衛生上の問題からはじまり、年少者に対する犯罪が目立ってきた最近では、安全上の監視体制などは神経質すぎるぐらい配慮がなされ、整備対策がなされてきた。全体に子供に対してこういうやや行き過ぎたぐらいの傾向であるのに、マンガとかドラマとかそうした一番目に見えるはずのところで、信じられないほど迂闊と思うのだ。
しかし、自分はマンガの暴力的な表現とか性的な表現とかについて目くじら立てているのではない。確かに暴力的な表現も行き過ぎという場面は良く見かけるが、子供だって判断がつく、その範囲にあるものがほとんどだと思う。そうではなくて、当たり前のように見せているそもそもの全体がおかしいといいたい。
子供は考えるより習えで、繰り返し見せられるものを自然に身につけていく。やさしい、楽な、また面白いものであればどんどん吸収していく。テレビマンガはまさしくそれで、大人が思っている以上にお手本であり、子供の考えや感覚を育てているのがマンガだと思う。しかし、子供自体は自然なのであり、自然の一環として自然をなして生きている。難しいことをいいたいのではないが、とにかく子供自身はよくできた自然の生き物なのだ。そんな子供が、マンガから吸収する、習う、はては学ぶとなるとなると、あたかも自然破壊のようなものと自分は思う。
自然は基本的に自然の姿かたちに習うべきで、それ以外にまともな道があろうはずがない。もちろん社会で生きていくためにいろいろ余分なことを学ばなければならないが、根本は自然であることに変わりはない。しかし、どうだろう、テレビマンガこそ自然に対する最も典型的な人工的産物のひとつというものだろう。
いったい何か習うべき点が最近のテレビマンガにあるだろうか。そもそも、もう線や形や動き自体になんのセンスもない。いや自然をやさしくなぞらえるような方向性や印象がない。機能不全をそれこそ絵に描いたような簡単さがなさけない。ただ楽なのだ。安易でおそまつというだけなのだ。
気持ちいい親しみやすいとっつきだけに留意し、こらえ性もなく楽な方へ都合のいいほうへどんどん省略し、こじつけていくとこんなものができあがる? というふうだ。だから見るほうも楽にとっつける、簡単になぞらえることができる。つまりかたちそのものからいって子供の弱みに付け込んでいるのだ。さらに、性格の色づけや個性の出し方、ストーリーや背景、こうしたものを具体的に見てみると、陳腐で短絡的で、奇をてらうのものの創意はなく、安易でおそまつなのは驚くべきである。末端感覚にしか訴えないような、よくこれほどくだらなく劣った要素を集めて成立しているものだと感心するほどだ。
何かもう陰に大きなたくらみがあって知的に意図されているぐらいの完璧なお粗末さを感じる。普段は見る気もしないので思わないが、いざよく見てみると全くそのようだ。この人たちはまるで自然な自分の身体を人口のそれにすりかえたいと夢見ているかのようだ。それほど躊躇しない方向性を感じる。最近のマンガはこの方向性においても非常にマニアックというか、ある種のこだわりだけが異常に肥大して他の要素と恐ろしく不釣合いなバランスの異常なマンガを作り出している。それが平気で茶の間にも入ってくる。自分などはこう考えると恐ろしい。
昔からアニメはあったし、自分らもマンガを見て育ち、幼少の時代には楽しんだ記憶がある。しかし、昔のはやさしいとしてもこんなにくだらなく完璧でなかった。マンガはマンガの顔をしていてももっと下手であって、下手なりに現実の方を向こうとしていた。そういう手段といわないまでもステップとしてもマンガはあった。だから子供もマンガを見てなまいきになるんではなく、劇的にまた、わかりやすく現実を見せられるようなところがあった。ところが今は楽なくせにふんぞりかえって逆に現実を見返しているようなところさえある。
たしかに今は現実がどうのだの現実にどうしろだの簡単に言える時代ではなくなったし、どう進むべきか何を模範にしていいかもなかなか分からない。しかしだからといって、この野放しはありだろうか。もし現実がつまらないからせいぜいマンガで虚実を楽しめなら、それは大人向けにあるべきであって、子供にはきちんと線を引かれなければならないはずだ。なぜその線引きをしようという意見が聞こえないのか、自分には不思議でならない。
○○○教育放送ですら、民放と大差ない同レベルの無自覚なのだからあきれる。空しい大人がオタク的にマンガに熱中するのはかまわないとして、子供には関係のないことだ。それを世間全体に大げさに広げて見せるおかげで、子供は知らない間に抵抗もできぬまますっかりその道にはめられてしまって、感性そのものが人工的なものを自然と感じるような育ちをする。それこそ人格破壊のようなものだ。罪なことだ。そしてそういう育ちの人間が成長して社会を構成する。自然からますます離れていく。
自分の子供の絵などを見ていて本当に胸が痛む。いつの間にかマンガのような目や鼻や手足、輪郭しか描けなくなっている。できるならマンガやドラマも見せたくない。取り上げたいと思う。しかし、子供は子供の付き合いがあり子供はこの社会で生きていかなければならない。周囲が自然にそうしたものを受け入れているので、分かっていてどうしようもないのだ。周りの子供に通じない子供は取り残され自滅するのが自然なのだ。
まったくひどいことが日常的に継続して行われている。戦争や暴力について声高にいわれるのに、こうした現実には誰も目を向けようとしない。平凡な日常に何食わぬ顔で入り込んで、自然の健やかな芽を涼しい顔して踏みにじり摘み取っていく。その規模がすごい。全国津々浦々のお茶の間をすっかりなめつくす。テレビメディアというのは実にぬかりない。実に継続的で実に強大だ。仮にこれを陰謀とすればこれほど念入りなローラー作戦はどこの世界にもない。
別にマンガなどなくてもいいではないか。昔のディズニーアニメなら全く問題ない。そういうものを順繰りに流していればいいと思う。しかし、問題は経済のシステムの中に商品としてのマンガやアニメがしっかり安定して組み込まれてしまっている現状に今の社会があるということだ。ここでもまた知識人はどうせ迂遠な思想を持ち出してこの問題のつじつまを合わせてくれるぐらいが関の山なのだろうか? 
自分は日本が世界に誇るアニメとかそんな冗談みたいなことを言っている場合ではないと思う。