さるぶつGOO

宗派や宗教団体の壁をガン無視して、自由な「信仰のある生活」を楽しみたいと思います。

イェー!南無阿弥陀仏! サルブツ通信質問コーナー

2020-05-26 18:41:39 | 仏教講座


サルブツ通信で、こんなこと↓を書いたら、

「南無阿弥陀仏!生きてるの、苦しいです!」
「南無阿弥陀仏!それでも生きてる、ありがとう!」
「南無阿弥陀仏!もう、煩悩に振り回されたりしません!」
「南無阿弥陀仏!私が愚かでした!」
さあ、もう一周り・・・・・・・。
いや、こんなこと、みんなでやってたら、絶対カルトだと思われるよね。
でも、これ、みんな、「念仏って何?」の答ですよ。

Q「お念仏の否定?」という意味に取れてしまいました。
 念仏否定ではないですよね?

という、ご質問をいただきました。
混乱させて申し訳ありません。

A もちろん、念仏否定ではありません。

どちらかと言えば、これ、思い切り皆で楽しくお念仏していると、「カルト」だと言われてしまいかねない、今の風潮を嘆いているのですよ。

私が何者かわかってる方々は、そんな心配はしていないでしょうが、というか、笑っちゃうと思いますが、ブログを見た方なんかは、
「こいつ、親〇会か?」
と、思ってらっしゃるんじゃないか、だとか、
「坊さんを悪く言うなんて、こいつ、カルトの回し者だ!」
と、言われるんだろうな、だとか、非常に心配しているんですよ、私。
小心者ですからね。
そんなこと言われたら、たぶん死にますよ、私。

20年?もっと?
色んな事を試してきました。
色んなことを提案してきました。
でもね、新しいことを始めると、足を引っ張られることの方が、圧倒的に多いのです。
「変わらなければ滅ぶ」というデータを見せながら、どんなに説明しても、
「変わりたくない、変われない、変わる必要もない」
と、拒まれるどころか、「敵認定」されてしまうのです。
私は力ずくで渡ってきましたが、時間が無駄になるので、戦線離脱させていただきました。
もう、楽しいことしかやりません。

でも、これから、そんな世界を歩まれるお坊さん方は、幻滅しないようにしてください。
難しいかもしれませんが、「まともな」先輩に食らいついて下さい。
必ず、まともな人もいますから。
簡単に判断しちゃ駄目ですよ。
たぶん、隠れてますから。

「坊さんの常識と、世間の常識は違う」
ということを、口先だけでなく理解している先輩だとか、
「こいつらおかしい」
と、思ってるのに言わない人。

言わないことを責めてはいけません。
言えないような、世界なんだから。
「こいつらおかしい」
と、思い続けていられるのは、尊敬すべき先輩です。

「わかるよ、でも、そうは言ってもね」
と、物分かり良さそうな顔してるやつが、一番の悪者です。

それはそうとして、楽しくお念仏したいですよね。
みんなで、大合唱したら、絶対楽しいって。
「そんな念仏ではだめだ!」
「念仏とは自己を省みることだ!」
とか、言ってるから、世界ごとダメになるんだよ。
踊念仏を見下すな!
「自分を省みて」歓喜踊躍できたら、頭おかしいよ。

「みんな!念仏してますか!」
「イェー!南無阿弥陀仏!」
で、良いんじゃないのかなあ?

楽しくなければ、お念仏ではない。
と、思います。


般若心経の謎【サルブツ通信41より】

2020-05-25 20:55:04 | 仏教講座
もう、40年以上前の話です。 
今は亡き親友の親父に真顔で言われました。
「夜道でおかしなものと出会ったら、いいか、般若心経を称えるんだぞ。」
と、力強く。


私が、中学三年の頃ではないかと思います。
当然、自分が僧侶になるなどとは、夢にも思ってはいない頃です。


当時、この親友親子は、夜毎、すさまじい抗争を繰り広げていました。
決まって夕食時、親友母から電話が来て、
「止めて―!」
と、叫ばれます。
慌てて駆けつけると、そこはまさに修羅場。
木刀の親父と、金属バットの親友が、互いのタマを取るべくやり合っています。
睨み合いなどではありません。
本気で振り回しています。
私とて、そんなところへ素手で向かうほど、馬鹿ではないので、赤樫のヌンチャクか、サイ(十手みたいな沖縄の武器)を装備しています。


「さて、どうやって止めようかな?」
と、しばらく様子を見ているしかない私ですが、不図、部屋の隅で、
「もう、いい、殺して!あの子、殺して!私も死ぬから」
などと叫んでいる親友母に目をやると、なんと、胸の前で包丁を構えているではありませんか。
両手で、柄をしっかりと握りしめ、刃先は前に。
「うわっ!トバッチリ食って、ここに飛ばされたら死ぬな。」
と、思いました。


今にして思えば、木刀や金属バットが当たっても死ぬかもしれませんが、当時の私は、感覚が麻痺していたのか、そんなことは思いもしませんでした。
もちろん、痛いのも嫌なので、注意は怠りませんでした。


誰かが止めなければ、どちらかが動けなくなるまで戦いは続きます。
止めなければなりません。
しかし、彼らは軍鶏のような生粋のファイターたちだったので、結局のところ、止めるには、どちらかを動けなくするしかありません。
そうは言うものの、さすがに、武器で親父を殴るわけにもいかないので、しばし観戦の後に、隙を見つけて親友の動きを止めるのが常の事でした。
その後は、まあ、「飯でも食ってけ」だとか、「茶でも飲んでけ」と、親父に付き合わされるのがお決まりとなっていました。


親子が激しく揉めていた一か月ほどの間、そんなことが、大なり小なり、週に何度かあったので、親父とは頻繁に顔を合わせていたわけですが、けっこうしつこく言われました。
「般若心経だけは覚えておけ」
「夜道でおかしなものと出会ったら、般若心経を称えろ」
と、週一ぐらいで言われていたような気がします。


その頃の私が夜道で出会う「おかしなもの」と言えば、木刀や鉄パイプや金属バットを持った「おかしな人たち」くらいだったので、「般若心経」では、止められません。
「くどい親父だなあ、お前の動きが止まるなら覚えてやるよ。」
と、思っていました。


今でいう「ポツンと一軒家」のような、山奥育ちで、
「今まで食べた肉で一番美味かったのは?」
と、聞くと、
「ムササビだな。」
と、普通に答えるような親父だったので、山で色々な「もの」と、出会っていたのかもしれません。
皆さんも、夜道でおかしなものと出会ったら、「般若心経」を称えて下さいね。

続きは、いずれ。

葬式が無い!は、コロナさんのせい?【サルブツ通信番外編0010】

2020-05-24 18:04:39 | 仏教講座


「葬式が無い!」
と、嘆く声があちこちから聞こえてきます。
葬式も通夜も、三密っちゃ三密ですからね。
このご時世、自粛も致し方ないと思います。
が、自粛では無しに、「これ幸い」と、お葬式をすっ飛ばされる方も相当数いらっしゃるようです。

もともと、
「葬式なんて、意味ないんじゃね?」
と、思っていらっしゃった方々ですね。
「なんで、坊主に金を盗られなきゃならねえんだ?」
と、思ってらっしゃった方々とかね。

世間体以外に、葬式を出さなければならない理由を見出せない方々には、まさに、幸運だったと思います。
それではいけませんよ、という話をするつもりはありません。
むしろ、「俺でもそうする」と、思います。

コロナ以前から、
「葬式が減ってきた」
「葬式出さない人が増えたんで困る」
「焼いて終わりだもんな。今の奴らは冷たいよな」
などと、世間の風潮について、ボヤいている坊さん、ゴロゴロいました。

誰のせいでしょうか?
葬儀屋さん?マスコミ?政治?インターネット?
様々な原因はありますが、それは何であってもかまいません。
少なくとも、坊さんは、
「自分にも責任がある」
と、思わなければならないんじゃないんですか?
そう思って、頭を悩ませていらっしゃるお坊さん、少数派です。

「そんなこと言われたって、時代が変わったんだから」
「世間の風潮なんだから、どうしようもないだろ」
何度聞かされたかわからないくらい、聞かされました。
「じゃあ、滅びろ、寺タタメ。」
としか思えません。

こんなことを一般の方に言うと、驚かれるかもしれませんが、
「なぜ、葬儀をしなければならないのか?」
といことが、わかっていない、お坊様、たくさんいらっしゃいます。
石を投げれば高確率で当たりますよ。

「なぜ手術をするのか?」が、わからないまま手術してるお医者さん、怖くないですか?
法を知らない裁判官に裁かれるとしたら、恐ろしくないですか?
逃げ出したくもなりますよねえ?
いや、むしろ「逃げ出すべき」なんじゃないですか?

みんな、逃げろーっ!
坊さんは、追っかけます。


映画『ブランカとギター弾き』2018

2020-05-23 15:47:25 | 仏教講座
映画『ブランカとギター弾き』本編映像1

http://www.transformer.co.jp/m/blanka/


【ブランカとギター弾き 2015】


フィリピンのストリートチルドレンが描かれた、素晴らしい作品です。
これも、アマゾンプライムで観られます。
私、主にフィリピン人に、無理矢理、観せまくってます。
泣く率100%ですよ。


数年前、クリスマスシーズンのフィリピンで用があったので、クリスマスだからと日本で駄菓子を買い込み、それを小袋に詰めて、孤児院を周ることにしました。
いくつ周ったか忘れましたが、非常に勉強になりました。


ある種の孤児院にとっては、
「孤児は商品なんだな」
と、気付かされたのです。


従順で利発な子供たちが、小綺麗に整えられて並ぶ。
選ばれた子供しか入れない孤児院。


「これは違う。」
と、作戦を変更し、ガッチャガチャな街角に車を止めて、残っていた小袋を配り始めました。
キラキラな目をした、ベロンベロンに伸び切ったTシャツを着た子供たちが、うわッと湧き出して来て、あっと言う間に完売(売ってないけど)しました。


私、自己満足のための偽善が嫌いではありません。
なので、時々こうした偽善を働きます。
でも、スラムや道端の、抜け目のない、野心的な目をした子供たちが大好きです。
まあ、「犯罪者予備軍」と言うよりは、そこそこ一人前の犯罪者だったりするわけですが、彼らが悪いわけではありません。
貧困による子供の犯罪は、誰が何と言おうと社会の、大人の責任です。
私、「上の世代には従わない、下の世代には責任を持つ」というのが信条なので、こういう子供たちが、わりと気になります。
一応、坊さんですしね。


私が、はじめて、スラムの子供たちと付き合うようになったのは、インドネシアのジャカルタでした。
もう、30年も前の話です。
付き合うと言っても、会えば飯を食わせる、それだけの関係です。
せびられても、お金は渡しません。
すぐに何十人と集まりますから、分配で揉めるんですよ。
彼らは、彼らで、私を引っ張っていく屋台のオヤジから、バックマージンをせしめていたりもしてたんだと思いますが、それは、私の関知するところではありません。


「衣食足りて礼節を知る」
という言葉を、わりと信じているのですよ。


東南アジアの国々は、その頃から比べると別世界のように発展しています。
が、それは、真ん中より上の人たちにとっての発展でしかありません。
国によって差はありますが、
「おまえ、なんで携帯持ってんだ?」
から、
「おまえ、なんでスマホ持ってんだ?」
みたいな、細かな違いはあれども、下界の人々の生活は、ほとんど変わっていません。
上下の格差が大きくなって、中間層が増え、中と下の差がまた開いた。
という感じですかね。


ストリートチルドレンを描いた映画と言えば、新しい順に、


「闇の子供たち」タイ・日本 2008
http://www.cinemarise.com/theater/archives/films/2008014.html
「枕の上の葉」インドネシア 1998
https://movies.yahoo.co.jp/movie/85128/story/
「サラーム・ボンベイ」インド 1988
https://movies.yahoo.co.jp/movie/9120/story/


と、名作があります。
「闇の子供たち」しか、観られませんかね、今。

非僧非俗? サルブツ通信番外編0009

2020-05-22 22:00:09 | 仏教講座


※「サルブツ通信」読者の皆様、今回から、番外編はブログにします。※

こんなことを言うと怒られるだろうし、
「もう、すでにそうだ」
と、仰る方もたくさんいるとは思います。
が、敢えて言います。

浄土真宗のお坊さんは、将来的にはボランティアであるべきだろうと思うのです。
兼業でやってらっしゃる方は、実質、ボランティアになっているかもしれませんね。
ご苦労に頭が下がります。

でも、それも仕方のないことだと思うのです。
私も同じですが、そもそも、浄土真宗の僧侶は、僧侶ではありません。
「居士(在家信者)」ですよね?
だって、「受戒」していないんだから。


「そんなことはない、親鸞聖人は・・・・・」
と、仰る方もおいでかとは思いますが、「僧侶」であるために、ある時期まで、本願寺御歴代が天台で受戒得度なさっていた事実を忘れてはいけません。


それに、「非僧非俗」は、親鸞聖人のたいへん厳しいお言葉ですが、今、どこかにあります?
「非俗(俗にあらず)」というところ。
「非僧にあらず」は、充分に理解できます。
自分が、そうですから。

しかし、「非俗」がどこにも見当たりません。
捜しにいかなきゃならないな、と、思っています。

「そんなこと言ったって、衣を脱げば一般人なんだから。」
という台詞を、かなり聞かされました。
「僧侶」は単なる職業なんでしょうか?
職業でしかないのであれば、ただの「俗」です。
「俗」であるなら、「僧侶」ではありません。

道徳心だとか倫理の話をしているわけではありません。
道徳心は個人の問題ですから、「僧俗」関係ありませんしね。
「俗」なんだから、「俗」を隠す必要はないんじゃないでしょうか?
別に、「僧侶」ではなく「居士」でいいんじゃないですか?
だって、「僧侶」じゃないんだもん。

そろそろ、その現実に立って、もう一度、
「浄土真宗の僧侶って何なんだろう?」
ということを、考え直していかないと、いけない時代になっていると思うのです。

私、今、そこにいます。