しっぽロール生活

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日本史パズルにて…

2011年07月08日 16時08分50秒 | 歴史
またまた「名前だけ知ってる…」っていう人名がでてきました。

西園寺公望
(さいおんじ きんもち)
1849~1940
公家出身の政治家。
枢密院議長、文・外相などを歴任。
1903年伊藤博文の後を受けて立憲政友会総裁となり、
明治末期に2度組閣した。
パリ講和会議の全権委員。
大正後期以降は、ただ一人の元老として立憲政治の保持に尽力した。


西園寺内閣(第1次)
1906.1~08.7 立憲政友会を与党として組閣。
日露戦後経営に努め、鉄道国有法を制定、満鉄設立などを行うが、
帝国国防方針に基づく軍備拡張財政や恐慌に当面して難航。
日本社会党結成や赤旗事件などの社会主義運動対応への元老たちの批判や
財政逼迫などで総辞職した。

西園寺内閣(第2次)
1911.8~12.12 明治末期の不況の中で、
軍備拡張と財政安定の調和をはかり、緊縮財政をとる。
陸軍予算額を増加させる2個師団増設問題で陸軍と衝突、
上原陸相の単独辞任により内閣は瓦解した。

1900年代についてこんな言葉もでてきました。

桂園時代
(けいえんじだい)
1900年代初期の10年間(明治30~40年代)、
桂太郎と立憲政友会の西園寺公望が交互に内閣を組閣。
この間藩閥官僚勢力と政党勢力の提携と抗争が続く。
"政権のたらい廻し"と、非立憲性を非難された。

手の届きそうで届かない…そんな近現代の出来事ですね。

出典 日本史用語集(山川出版社)



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