God is good all the time

ハワイ在住12年、キリスト教会の牧師 パスター・ショーンが綴る、妻のこと、家族のこと、いろいろ。

愛おしい傷跡

2018-05-21 21:46:12 | 日記




 日本では、たっぷり温泉に浸かりました。今回の熊本の温泉はアルカリ性で、術後や病後の回復に効能のあるものでした。れいは、一人きりの大風呂で、鏡に映る背中の手術の跡を見たそうです。 左肩甲骨の下に約20センチの手術跡と、脇腹にも、太い2本のパイプを入れた後の二つの傷跡があります。
 その時に、れいは、その傷跡を見て「愛おしく」思ったというのです。その傷跡を見るたびに、自分がガンという病であること以上に、あの苦しみと痛みの中で、神さまが一時も離れずに共にいてくださったこと。そして多くの方々に祈り、励ましていただいことを思い出すからです。
 れいは、その与えられた恵みを想って、温泉の中で大泣きしたそうです。その涙の中で、ガンにかかったことを『神さま、本当にありがとう。』と感謝したそうです。
 自分の身体に刻まれた傷跡が、イエスさまの身体の傷跡と重なる時、ガンという苦難が、感謝と賛美に変えられました。自分は癒されるために手術を受けて傷跡を得ました。しかしイエスさまの傷跡は、私たちを赦し生かすために十字架にかかって命を捨てた証です。この十字架の愛に触れるときに、自らの傷跡は、神への感謝と賛美の源となります。
そして、復活されたイエスさまは、やはり、その手と脇腹に傷跡を持っているのです。復活の栄光の体は、「しみも傷もない」はずです。しかし、復活されたイエスさまの体には、傷跡があったのです。その傷跡のある体が、イエスさまの栄光の体なのです。イエスさまの体にある傷跡は、神の愛の確かさを証しするのです。
れいは、傷跡を見るたびに「愛おしく」思っています。その傷跡を見るたびに、神の愛、そして多くの人々の愛が思い起こされるからです。
目に見える身体の傷も、目に見えない心の傷も、その傷はイエスさまが癒してくださいます。しかし、傷跡は残るのです。その傷跡は、自分が愛されていることの印、証となるのです。

キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。(聖書 1ペテロ2章24節)


 

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本当のゴール目指して

2018-05-17 15:15:24 | 日記


 昨日は、パンチボールで、納骨式がありました。召された山内雅子さんは、某仏教系の新興宗教のトップクラスの霊能者でした。その頃、雅子んは体調を壊し、寝たきりになった時がありました。その時に、何人かがボランティアでお世話に来られたのですが、明らかに他の人とは何かが違う人が一人いる、その方を一年間ずーーと見ていたそうです。そして、最後にあなたはどんな方?という話になった時に、私はクリスチャンで...という話になりました。その時、「あなたの信じている神を信じたい」と言ってホノルル教会に来られたのです。そして初めて来たその日に、イエスを信じてクリスチャンになる決心をしました。
 3人の子供たち、孫たち、友人たちに囲まれて、緑と風の心地よい中、納骨の式が行われました。

 「死は終わりではない」これが、イエス・キリストのことばです。私たちの人生のゴールは、死ではありません。その向こうに本当のゴールがあります。もし、人生のゴールがお墓であるなら、私たちは出来るだけゴールに着きたくないという変わったレースをしていることになります。そこを解決しないと、本当の意味での前向きな人生を歩むのは無理でしょう。前に向かうことは、死と絶望と敗北に近づくことだからです。
 しかし、死はゴールではないのです。それは通過点に過ぎません。本当のゴールは、天国の喜びです。私たちは、喜びに向かって進んでいるのです。
 どのような死生観を持つかは、とても大切なことです。私たちは、普通、将来のことをから今の生き方を考えます。1年後に旅行に行くために今から貯金します。将来ドクターになるために今から医学部に入ります。将来のことが、今をどう生きるかに影響を与えます。天国の喜びに影響された今を生きる。これも永遠の命を生きるということです。
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出会いに感謝

2018-05-15 22:59:38 | 日記


昨日、日本から無事に戻りました。そして今日は、日本から吉田文人&直実牧師夫妻の新婚旅行のお出迎えをしました。本当に素敵なカップルです。
 さらに、夜は、日本からの豊田信行先生と下沢賢司先生と夕食を共にしました。お二人とは初めて会いましたが、豊田先生とは、月刊誌『舟の右側』の連載でご一緒させていただいたり、先生の著書『父となる旅路』に感銘を受けていたりと、初対面のような気がしませんでした。たくさんお話しましたが、今の自分にとって、宝物のような言葉をたくさん聴かせていただきました。
 主が、備えてくださった、この出会いに心から感謝しました。次回の著作『夫婦となる旅路』の出版も楽しみです。
 
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苦しみは比べるものではない

2018-05-13 20:05:31 | 日記


 今日は、熊本植木キリスト教会で礼拝メッセ―ジのご奉仕をしました。れいが、病を得たときに、いち早く経済的なサポートを呼び掛けてくださり、寄せ書きを送ってくださった教会です。今回、直接皆様にお会いしてお礼を言うことが出来ました。本当に愛に溢れた教会です。吉田文人先生に直実先生が与えられ、ますます教会は力強く前進していくことでしょう。
 
 今日は、母の日でもありました。宿には、子供たちからのお花が届いていました。れいは、感激です。子供たちから、本当に心のこもった手紙をもらって、れいは幸せです。
 
 吉田文人先生が、ハワイにいた時ですから、おそらく10年くらい前のことだと思いますが、文人先生が「自分の苦しみは、他の人の苦しみと比べたら大したことはない」と言った時に、れいが「苦しみは比べるものではないよ、文人君も十分に苦しんで来たんだよ。」と言ったそうです。その言葉が文人先生の中に留まり、文人先生が東北大震災を経験した直実先生に出会ったとき、同じことばを伝えたそうです。そして、そのことばが、またれいに帰ってきました。

 私たちは、人の苦しみと比較して、自分なんかが苦しんではいけない、あの人はもっと苦しんでいるのだから、と自分が苦しんでいることを否定してしまうことがあります。しかし、苦しみは人と比較するものではありません。自分の苦しみを受け入れてあげることは、とても大切なことです。
 れいの周りにも、ガンを患っている方は大勢います。もっと厳しい治療を受けている方もおられます。時には、周囲が比較して、あの人はもっと苦しんでいるのだから、それに比べたらあなたは大したことはないとか、だからもっと頑張ってとかと言われることもあります。
 しかし、苦しみは比較するものではありません。苦しみは、その人にとって苦しみなのです。 自分が苦しんでいるという事実を、自分で認めてあげることは大切なことです。そして周りの人も、その人の苦しみを比較しないで、ただ寄り添ってあげることができたらいいと思います。

 聖書には「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」とあります。

 比較ではなく、共に生きるのです。それぞれの喜びに寄り添い、涙に寄り添い、心に寄り添うのです。
 イエス・キリストは、そのようなお方でした。あなたが喜んでいるなら共に喜び、悲しんでいるなら共に悲しんでくださるお方です。
 だから私たちも、イエスが喜んでいるなら共に喜び、悲しんでいるなら共に悲しんでいきたいです。

 比較ではなく、共に生きるのです。
 
 
 

 
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お祝い 3連発

2018-05-12 20:17:06 | 日記


 今日は、熊本植木キリスト教会において、吉田文人&直実さんの結婚式を執り行いました。恵みと喜びにあふれた素晴らしい式と披露宴でした。私も無事に司式の務めを果たしました。

 

 昨日は、東京フリーメソジスト小金井教会において、高木牧人&金子千恵さんの婚約式が執り行われました。式は9月頃を予定しているそうです。



 さらに今日は、長女 喜歌のカピオラニ・コミュニティカレッジの卒業式でした。パティシエを目指して調理部門を卒業し、アラモアナセンターにあるケーキ屋さんでの仕事が始まります。

 みんな、おめでとう! 

 れいと私は、熊本の植木温泉に宿を取っています。ここの泉質は、弱アルカリ性で、トロトロな感じです。今までの温泉歴の中で、ベストスリーに入ります。とても幸せです。
 れいは、元気です。温泉を満喫しています。
 明日は、熊本植木キリスト教会で礼拝を守り、月曜日にハワイに戻る予定です。


 
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