今日は、祈祷会の皆さんとダウンタウンに飲茶を食べに行きました。自分としては、ここの飲茶が一番 美味しく、綺麗で、値段もリーズナブルだと思います。みんなでお腹いっぱい食べました。
実は、昨年の11月30日、れいが救急に入った日のランチは、ここで同じように飲茶をいただいたのでした。その時は元気いっぱいで、まさかその日の夜に、あんなことが起こるとは夢にも思いませんでした。
私の隣に座ったれいは、私と同じくらい食べました。食欲全開です! この祈祷会の皆さんを始め、本当に多くの方々に祈っていただきました。改めて感謝いたします。
最近、教会の方がお二人、相次いで天に召されました。81歳の方と86歳の方で、お二人とも突然の召天でした。教会は神の家族です。家族には、誕生から召天までのすべてがあります。新しい命が産まれた喜びがあり、愛する者を送った悲しみがあります。それが家族です。
教会は、大所帯の家族です。ですから常に人生の喜びと悲しみがあります。その一つ一つの出来事の中で、共に生き、共に主を見上げるのが、神の家族の兄弟姉妹です。
ある者は召され、ある者は生かされます。そのどちらにも神の愛は注がれ、神の栄光があります
パウロの言葉が聖書に記されています。
「私の願いは、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。私にとって生きることはキリスト。死ぬことは益です。」(聖書 ピリピ書1章20、21節)
れいは、今日も生かされました。今日の命は、今日で終わりです。明日の命が与えられるならば。それは新しい命です。
生かされているのは、この地上にまだ使命があるからです。私もれいも、その日、その日に与えられた使命を全うして生きたいと心から思います。