goo blog サービス終了のお知らせ 

その場しのぎの気晴らし

孤独・僻み嫉み卑屈・対人恐怖の
人と繋がっておきたい自分慰めブログ

中学1年

2008年02月28日 23時24分53秒 | 生い立ち
小学校卒業後、卒業した生徒殆どが通う公立の中学へ僕も進学した。

通学、帰宅後TVゲーム、週3回の塾の毎日、帰宅後級友と遊ぶことは偶にしかなくなっていた。

A君と再び同じクラスになる。
小5でクラスが別になり、小6以降交友が途絶えたブランクからか
気恥ずかしさで会話できない状態になっていた。
A君も僕の様子に気づいてか僕に対して同じように振舞っていた。
初めての中間試験の結果がA君と全くの同点であった。
A君は大人しい方だし運動も苦手、勉学は僕と同じ程度、
リーダー的存在でないのに
A君は慕われ何時も自然と輪の中心にいるように見えた。
僕はA君と自分を意識せずには入られなくなっていき
A君を意識するあまりどんどん距離を置くようになっていった。

塾に太りと中肉の二人組みがいて
その二人組みにチョッカイを受けるようになる。
とても嫌だったが反抗できずどんどんエスカレーションしていった。




小学6年

2008年02月16日 21時09分04秒 | 生い立ち
振り返ると6年間で1番良かった(まし)かも







2学期所見の日記を書かなくなった理由は
下校後友達と遊んでなくてネタが無かったから書けなかった。

ファミコン・ディスクシステム買った。
この頃からゲームにはまり出しゲーム誌も買うようになった。

小学5年

2008年02月15日 23時13分07秒 | 生い立ち
通知表をみて見ると5・6年時の担任の女性の先生は今までの先生より
所見を親身に書いてくれていてうれしい。

思い出・・・
A君と同じクラスになって欲しかったけど別のクラスになってしまった。
クラブは同じクラブに入ろうということで写真クラブに入った。
徐々にA君と遊ばなくなっていく

5年になった頃から母から学習塾に入るように薦められる。でも躊躇する。

5年になったばかりのまだ寒い時期?、
先生から「寒くても休み時間は校庭や屋上で遊びなさい」と言われるが
遊び仲間がいなかったから外に出られず結局叱られた

新任の音楽の先生が何か変な先生だった。
女性の先生でヒステリックだった記憶が・・・


A君と遊ばなくなった代わりに歩いて直ぐの
祖父母の自転車屋に行っていてよくカタログをみていた。
そのカタログに載っていたマウンテンバイクが欲しくなりネダって
塾に通う事で買って貰う。
当時マウンテンバイクは珍しくて塾の子や友達に羨ましがられた。
噂が広がって後に不良になる級友にも知れ渡ってしまって
プレッシャーから塾の級友に上げてしまった。

塾に通い始めてから友達と遊ぶことがめっきり減る

兄貴がパソコンを買って貰う。
テグザー・ハイドライドⅡ・ザナドゥ・・・兄貴のプレイを横で見入っていた。








小学4年

2008年02月12日 22時47分08秒 | 生い立ち
小4になる頃になると徐々にからかいの対象になってくる。
授業の一環で社会の映画をみていた時に不意に発した言葉がきっかけで
嫌なあだ名を付けられてしまう。

全校生徒が集まるダンス集会であるダンスの時に曲に合わせて
自分の名前を連呼されてそれが嫌で泣いていた。
泣くと「ごめんね~」というが
ダンス集会がある度に連呼されてその度に泣いていました。
この頃はちょっとの事ですぐ泣いていた。
反発することが出来ず、泣くことしか出来なかった。
小2年時の担任だった先生にもすぐ泣く事を嗜められてしまった。


在学時毎年、読書感想文の文集を作っていて4年時にクラスの何名かの一人に選ばれた。
他の子達は何回かの手直し程度で済んでいたのですが、
幾ら書いても何度も書いても先生は納得せず
締切日の放課後教室に先生と二人きりになってから、
先生の言われるままに感想文を書いた。
結局僕の原文は1行程度で実質先生の感想文だったような・・・
当時はただ開放されてホッとしてたけど
よっぽど駄目な感想文だったのでしょうね。


相変わらずA君と毎日の様に遊んでいたのですが
徐々にA君と距離を感じてしまうようになる。

交友関係が広がっていく中で遊んでいると皆A君目当てで
取り残されていった。
A君がじゃれ合ったりしている姿は僕には見せない姿で
いつしか遊ぶのが辛くなっていった。

そんなある日、自転車で二人乗りしている後を僕が走って追い回している様を
たまたま居合わせたクラスメイトの女の子に笑われ
僕の中で糸が切れてしまった。

これ以来自分からA君と距離を置き始めた。






小学3年

2008年02月11日 16時00分57秒 | 生い立ち
小学3年生、やさしそうな先生。ちょっと変わってました。



あいかわらず、
自ら進んで物事ができない
明るく学校生活を遅れてない。






妄想癖が出てきたのもこの頃なのかな?

クラスの組変えがあり、またA君と同じクラスになれる。
通っていたおけいこ塾もサボる様になり結局止めてしまう。
だんだんと交友関係も広がってきた。

3年まではあまり記憶が鮮明でないです。

今思うと小4年以降
からかい(いじめ)・友達関係に悩みだしてくる

そんな感じです





小学2年

2008年02月11日 09時32分32秒 | 生い立ち
若い女性の先生だった、何年かしたあとに結婚して苗字が変わった。
先生には大人しく友達の少ない生徒に見えていた
今思うとあんまり良くは思われていなっかた感覚



“いつも明るくはきはき生活する”が3学期とも「努力しよう」
 いまも変わってませんw



学芸会でも出来るだけ目立たない役・場面の少ない役を狙ってしてました。




A君の家に遊びに行った時にあるおけいこ塾に入ると聞きつけ
自分も急いで家に行き、母に行きたいとせがんで一緒に行く事になった。

卒後・1

2008年02月11日 07時13分17秒 | 生い立ち
兄が学校卒業して公務員になる間で免許取っていて
僕自身も車好きだったのもあり

就職・受験・将来からの逃避から
高校卒業前の2月、自動車教習所に通いだす。

最初は順調だったのですが途中でつまずいてサボる様になると、
父親が部屋に乗り込んできて、喧嘩になってしまった
僕が手を出したけど父はやり返さなかった。

それまでは1度もそんなことなかったのですが
この時期、親に対して暴力的になっていました。


母親に聞いていた音楽を馬鹿にされ、切れて打ってしまったり
夕食中切れてご飯を投げたり…
ちょっとの事で直ぐに切れて精神が不安定になっていました。


そんな事があってか親に就職・受験・将来について咎められる事が
無くなりました。


6月に何とか免許を取り
「何かしなくては」と思い、
短期のバイトを探す。それも一人で出来るのを物色していて、
新聞チラシで見つけた配達の短期バイトをした。

何とかやり終えた後は…ゲームしたり…バイト雑誌を買ってみるものの電話を掛けられず…

12月、配達のバイト先から短期バイトの誘いの電話があり再びすることに。


それ以来この配達の短期バイト以外は引きこもりの生活を送ることに

小学1年

2008年02月10日 21時15分06秒 | 生い立ち
小学1年、先生が怖かった。←「峰」を吸っていた。
祖母の告別式に先生が来た。
授業中、嘘をついてトイレに行って帰ってきたら、
クラスメイトが「休み時間にトイレに行っていない」と告げ口してたみたいで、
ぶたれて授業中皆の前に立たされて泣いてました。
今思えば「先生が怖いから言えなかったんだ!」って言いたい感じです。



ものごころついた頃から、自分を主張することが苦手です。




この頃から簡単な係り、責任のない係りを狙ってしてたw





学校の給食・・・チーズ・バター・マーガリンが嫌いでそれが出る日はホント嫌だった。
朝寝ているふりして、学校休もうとした事があります。結局ギリギリに学校に行きました。
全部食べないといけないから、食べたふりしてハンカチの中に包みから出したそれらを挟んで
誤魔化してたけどある日、そのハンカチを見つけられて先生に怒られた。
それ以来4・5年生位まで涙浮かべて、吐き気もしながら
それらをかじって牛乳で流し込んでました。





毎日の様にAくんの家に遊びに行っていた感じで、ホントA君が大好きだったなぁ~

直接のきっかけ

2008年02月07日 22時09分24秒 | 生い立ち

表向きには大学進学することにしてましたが
将来の事を考える余裕が無かったというか、逃げていました。

高校3年になり授業の選択科目で
英語の上級クラスに先生の勧めで入ってしまった事で
そこで授業についていけない恐怖を味わってしまい、
勉強に自信を無くし、勉強に実が入らなくなり

比較的得意科目だった数学のテストでも
全然理解できずパニックで顔面蒼白になって
気付いた先生に連れられて保健室のベットに運ばれた・・・、
そういうことがあって、試験を受けることが怖くなって、
願書を貰っても提出せず受験もせず、そのまま卒業・・・
卒業と同時に宙ぶらりんな状態になってしまった。
それまで人に言われた事だけしかできなかったつけが、まわってきた。
人間関係・・・勉強・・・将来設計・・・その全てがその場凌ぎ
レールから外れた瞬間、その場凌ぎの「その場」を無くしました。

ふりかえり

2008年02月02日 07時28分28秒 | 生い立ち
33にもなって自分の生い立ちを振り返ってみるのですが、
何分幼少で曖昧な部分もあるのでうまくまとめ切れません。

また国語が苦手でして読んでも理解できる作文を書く能力があるとは思いませんが…
拙い文ですがよろしくです。

幼稚園

記憶に残っているのは、

入園式の時母の手を体いっぱいで引っ張って幼稚園へ行った。

何かの理由で遅れて遅刻っだったのか?
クラスのお部屋に入ろうとしても足がすくんで?入れなかった。

先生に眠たいと駄々をこねてはベットで寝ていた。
何度も続くので怒られた?年長になるとなくなった。

お休み時間、一人で親の仕事のごっこ遊びをしていた。

お誕生日会という毎月その月が誕生日の園児をお祝いする会があって
僕の母はいなくふて腐れてわざと変な座り方をしていた。
母は当時幼稚園の父母会の何か?をしていてよく書き物していた

同組の男の子に何かを言われ切れてその子の口に指を入れて左右に引っ張った。

同組のA君と親しくなった。
きっかけは記憶にありませんが家が裏で隣あわせになっていて、
お互いの兄貴も同級生だったり好条件が重なったからか
僕はAくんが大好きで毎日のように遊んでいた。
Aくんの家族旅行に僕も連れてってもらったり、僕の家族旅行にA君も一緒に行ったり
Aくんは僕の中で大親友になっていた。