これは永田の個人的見解で、改革案作成委員会を代表するものではありません。
「防御と創建」と聖殿信徒協約
真のお父様が、文亨進二代王が指導される天福宮に下さった揮毫は「世界平和統一聖殿」です。韓国では私たちのことを「聖殿食口」と呼び、二代王様も親しく「聖殿食口」と呼んでくださいます。信徒協約は、この「聖殿」の文字を戴きました。なお、「協」は、キリストを表す「十」の下で、信徒が「力」を合わせるという意味です。
聖殿信徒協約の核心的意義については、10月21日、江利川会長が、礼拝の説教で説明しておられるので、動画をご覧ください。信徒協約は、会長の説教のテーマが、「防御と創建摂理に対処する発展組織の編成」というごとく、二代王を支え、「防御と創建」の摂理を成し遂げ得る、新組織のあり方とルールを文書化したものです。
リーダーシップ
まず、「リーダーシップ」についてお話ししなければなりません。歴史をみれば、リーダーシップなしに集団や国家が発展した例はありません。とくに、小集団が拡大する初期においては強いリーダーシップが不可欠です。また、集団が危機に直面したとき、リーダーシップなくして克服は不可能です。現在のトランプ大統領や安倍首相、また、冷戦を終わらせたレーガン大統領や中曽根首相も同様です。
お父様は強力なリーダーシップを発揮されました。また、ご自身が任命した責任者に対してもリーダーシップを発揮し教会が発展することを願われました。文亨進二代王も強力なリーダーシップを発揮され、お父様と同じように、ご自身が任命した責任者がリーダーシップを発揮して教会を発展させるように願われているに違いありません。今、日本のサンクチュアリ食口は2000人を越えました。急成長したと言えますが、いまだ小さき群れにすぎません。今後も、江利川会長はじめ、各地の教会長、代表がリーダーシップを発揮し、更なる発展を目指さなければなりません。
江利川会長
私は二代王が「沈黙を破って」で発言を始められたとき、アメリカの片田舎の小さな教会で必死に叫ぶ姿に悲愴感と同情を禁じ得ませんでした。その後、江利川会長が立ち、サンクチュアリ教会は本格的なものになると予感しました。私の中では、江利川会長登場後のサンクチュアリ認識は大きく変化しました。それは会長の実力を知る家庭連合幹部が強く感じたことでしょう。間違いなく、江利川会長は統一運動・サンクチュアリ教会史上の重要人物なのです。
サンクチュアリ教会に来て、江利川会長に接し、感じることは、お父様に直接指導され、その伝統を継承して人並外れた精誠を尽くすとともに、二代王様を限りなく愛されている方だということです。もちろん、会長も人間ですから、間違いもし認識違いもあります。私は、自己主張が強く、自分のペースを崩さない人間ですから、意見の違いも少なくありません。しかし、それらを越えて、サンクチュアリ教会の発展のために、会長を支えることに強い意義を感じます。
組織創建
聖殿信徒協約作成など、一連の試みを「改革」と称していますが、実際は、作りあげる作業、すなわち「組織の創建」と言ったほうがいいのです。サンクチュアリ教会には、組織を運用する部署や役職がなかったのです。地域の活動を支援する世話役などもいません。事務局、事務所もありません。教育や広報の部署もありません。これは奇異なことです。地方の人々は本部(らしきもの)はどうなっているのか分かりません。一方で、地方も協力体制がしっかりせず、活性化も図れない状態でした。本部も地方も、極めて漠然としていました。今のサンクチュアリ教会には、漠然としたものでない、誰の目にも明確な「人の輪」のあり方としての組織が必要なのです。
お父様は「み旨の道」で、「モーセを中心として12支派、70長老がいて、60万大衆を動かしたごとく、復帰は、組織の緻密性を無視することはできない」と述べられました。現実の地上天国を創建するには緻密な組織が必要なのです。今日までサンクチュアリ教会は組織なく急成長しましたが、今や、しっかり機能する適切な組織が必要になったのです。
王の権限
私が改革案委員長になって、現在の混乱を収拾するため、会長を批判している人々が少数であることを明らかにするために、民主的に、会長に対する信認を問う「決」を取るべきだと提案しました。松本委員は即座に「それはできません」と応じました。私はじっくり考えましたが、やはり、それはできないと分かりました。江利川会長は二代王の信認を受けて会長になっています。それを私たちが勝手に信認を問うことはできないのです。天一国憲法の原則3の一条「王の権限」(3頁)をご覧ください。天一国憲法の核心は「王の権限」なのです。会長の正当性もまさにここにあります。ですから、「私たちは、文亨進二代王が任命した会長を補佐し、協会の運営を正しく神様と文亨進二代王様のみ旨に向かわせます」(信徒協約21条)という文面ができました。
ある方は、二代王が2015年2月8日「食口達は自分達の地方、国家レベルの代表者を選ぶことが出来るし、また選ばれた代表者は、天宙平和統一聖殿の本部に直接出席して、正統な後継者である文亨進会長に直接報告することを命じる」、という宣布を根拠に、会長を選挙によって選出すべきと主張しました。しかしこれは、そもそも、家庭連合を対象に語ったことであり、江利川会長は、宣布の後の2015年3月1日に二代王により任命されていますから、根拠にはなりません。また、天一国憲法の「王の権限」と照り合わせてみても、会長を選挙によって決めることは正しくありません。私たちが勝手に選挙で決めたら、二代王のお立場と、王の権限を踏みにじることになります。
王を戴くこと
旧約聖書のサムエル記上8章に、神は、王を戴くことを願うイスラエルの民に対し、預言者サムエルに、王が存在する意味を告げよと命じます。「王は、汝らの息子を徴用し兵士とし、娘を下働きにし、汝らの土地を家臣に分け与え、税を取り、汝らは王の奴隷となり、自分が選んだ王のゆえに泣き叫ぶ」と伝えます。それでも民は王を求めました。その後、イスラエルは、サウル、ダビデ、ソロモンという有能な王が立ち空前の全盛期を迎えました。イスラエルは優れた王のリーダーシップにより輝かしい成功を収めることが出来ました。王がいなかったら、イスラエルは近隣の異民族の脅威に怯える弱小民族にとどまったのです。
これは、指導者の存在とリーダーシップの良し悪しについて、たいへん示唆に富む内容です。聖殿信徒協約に反対する意見は、自由と責任を強調し、協約が天一国憲法に違反すると批判します。それらはたいへん理想主義的で、組織運営でのリーダーシップやルールが定められた信徒協約に対し、おそらく、先の、王を戴くマイナスイメージと似た状況を想定し、中央集権、独裁、自分たちが奴隷になると不安を感じたのでしょう。
しかし、原理の復帰歴史から考えても、優れた王を立て、イスラエル王国を栄えさせることは神の摂理であったと思います。集団の発展に優れたリーダーシップは不可欠なのです。一方、反対に、暴君や無能な王が立った場合は民は苦しむことになります。すなわち、「どのような王」であるかが問題だということです。世俗の政治も同じです。隣の韓国のようにとんでもない指導者が立てば、中国の餌食になるしかなく、国民は悲劇に直面します。日本やアメリカは、賢明な指導者が立ち、中国に対抗し、国民の安全を守ることができます。
日本サンクチュアリ協会の総会長は、二代王が任命しました。二代王は、その高い霊性で、会長をご覧になっております。二代王が会長を不適切と判断された場合は、直ちに、任を解かれるのです。会長の地位は不動なものではなく、二代王に委ねられ、そのチェックの下にあるのです。
天一国憲法と法律・ルール
信徒協約の制定をめぐる議論で分かったことは、私たちが天一国憲法をよく知らないということです。信徒協約を天一国憲法に反していると主張する人は説得力ある説明ができませんでした。また、制定側も、協約が天一国憲法に反しない理由を説明できませんでした。あれほど王様が強調した天一国憲法を私たちはしっかり学ばなかったのです。私たちは深く反省すべきで、今からでも真剣に天一国憲法を学ばなければなりません。
天一国憲法には、法律、コモンロー(英米法)、最高裁判所、大陪審、司法権、刑事訴追など、法律関係の用語が多数あらわれます。また、二代王は天一国が建国されても悪は存在すると仰っています。悪を裁くには「法」が必要です。すなわち、将来建国される天一国でも「刑法」が制定されると予想されます。天一国独自の民法、商法もつくられると思います。
私たちは、サンクチュアリ教会の原則について「自由と責任」を強調しますが、天一国憲法は、主に「責任」の部分を規定します。人間集団、社会にはルールが必要です。商業、交通、スポーツにもルールがあります。どんな団体にも規約がある理由は、役職、部署には必ずルールが必要だからです。これがなければ組織は正常に運営されず、まともに機能できません。例えば、鉄の杖も、王様はルールを厳守することを強調されます。ルールを守らない者に鉄の杖を所有する権利はないのです。
二代王の組織論
二代王は、2012年12月2日、ベルべディアでの説教で、組織についてこう語られました。要約してみます。
いったいどうして地方教会と地区が、主体の位置に置かれているのでしょうか。なぜなら、ここでメンバーが生まれ、再び生き、救いを得るからです。…… 一方、国の本部は対象の位置にあります。このことは本部が粗末な扱いを受けていいという意味ではありません。…… つまり、主体、対象の関係は平等です。役割は異なりますが、価値は等しいのです。尊敬、尊敬、尊敬して、そのなかで、地方教会と本部が授受作用するのです。中央本部にいるわれわれは、支援にまわるのです。現場(地方教会)で新しいシステムを発案し、新規の計画、新しい伝道スタイル、こういうものが出てくるように本部は現場を助けるのです。……それが互いの尊敬のなかで効率良く行えるように、本物の授受作用を行うとき、神様と真の父母様を中心にしてそうするなら、統一運動は飛躍的に拡大します。
この二代王の組織論は、まさに聖殿信徒協約が目指すものです。本部と地方は等しい立場です。伝道は地方の方が活発に行い、本部は地方の活動をサポートします。本部と地方は互いに尊敬し合い、協力すべきで、そうしなければ発展しません。
しかし、本部は全国をつなげられます。伝道、祝福、教育、救国活動、聖和、メディア、家庭連合対策など全国的な活動の連絡をはかり、計画を立て、有機的に連結させられます。それが本部の使命で、しっかり果たさなければなりません。やることが多いので、中央集権と見えるかもしれませんが、それらを地方に命令するのではなく、サポートするという立場で行わなければなりません。「本部と地方が互いの尊敬のなかで仕事を効率良く行えるように、本物の授受作用をする」という二代王の思想こそ、サンクチュアリ教会の組織論の基本原則です。
将来、二代王がつくられるルールと、聖殿信徒協約
世界のサンクチュアリ教会のあゆみと現状を考えると、「聖殿信徒協約」をめぐる問題は極めて単純かもしれません。1959年に設立された日本統一教会の組織は、それより5年前にお父様が設立された、韓国統一教会の組織とルールをモデルに造ればよかったのです。また、直接お父様が指導されました。しかしサンクチュアリ教会は、アメリカと日本が、おなじ2015年に出発しました。しかも、日本の方が食口が集まり、アメリカより会員数が多くなってしまいました。ですから、アメリカより日本が先に、組織整備の必要に直面したのです。
アメリカは、文亨進二代王御夫妻と文国進御夫妻という、天宙を主管する器をそなえた方々が食口を導いています。現時点で組織整備の必要はないでしょう。しかし、数千人の食口が集ったら、やはりお父様のみ言のように、緻密な組織が必要になるのではないでしょうか。今より多くの部署が必要になり、役職を担う人も必要になります。その組織を支えるルールも必要になります。そこには勿論、二代王のリーダーシップが重んじられるでしょう。
一方、最近、アメリカ教会では、ジャマール氏とローデス氏という実力者が激しく対立し王様を悩ませました。そしてついにジャマール氏は教会に来なくなりました。食口が増えれば、王様がいつまでも、仲裁や裁定はできません。そのため問題解決のためのルールや部署が必要になるのではないでしょうか。将来、二代王がサンクチュアリ教会の組織とルールをつくられれば、日本はそれをモデルに、日本の組織とルールをつくればいいのです。その時、「聖殿信徒協約」の役割は終わります。すなわち、日本サンクチュアリ協会の組織改革は、誰もが納得する正統モデルがなかったので、暗中模索のなかでつくりあげたのです。悩みながら、恐る恐るつくったというのが作成委員たちの正直な思いです。
サンクチュアリ・スピリッツ
サンクチュアリ食口には、「サンクチュアリ・スピリッツ」と言えるものがあると思います。私たちは異端家庭連合から、指導者の言葉を聞かず、あえて分派と言われるサンクチュアリ教会の人の話を聞き、またネットを見て、主体的に判断してここへ来ました。カトリック信者のように従順な食口は、見るなと言われれば見ないのです。私たちは宗教改革を成し遂げたプロテスタントと似ています。サンクチュアリ食口には、明らかに、プロテスタント=(反抗者:protestant)と呼べるような、反抗的で自己主張の強い人々がおおく含まれています。私もそうです。
あの独生女の魔界から果敢に脱出してきたことはいいことで、悪いことではありません。自分で考え行動する、それはサンクチュアリ・スピリッツとも言えます。だからこそ、一人でも、少数でも行動することが出来て、それがサンクチュアリ教会の力になっています。二代王は個人が確立したプロテスタントこそ、正しく神の前に立つ素晴らしい信仰だと賞賛します。
しかし、自己主張と自己主張がぶつかれば、激しい衝撃があります。ですからプロテスタントは多くの宗派に分裂しました。反対に、カトリックも家庭連合もひとつになっています。私たちサンクチュアリ食口は、自分たちがそのような傾向をもつということを認識すべきです。あまりにも自己主張し、自分の道を行けば一つになれず、分裂し、教会の力は弱体化します。指導者批判はできますが、度が過ぎればマイナスは甚大です。ですから、サンクチュアリ教会の食口こそ、常に、融和、統一という観念を念頭に置き、行動を見直すべきです。そうしなければ、み旨は達成できないのです。
「防御と創建」摂理勝利のため、サンクチュアリ食口は一致団結を!
日本サンクチュアリ協会のありのままの姿とはどんなものでしょうか。「中央集権と独裁」でしょうか、「自由と責任」でしょうか。会長は、地方の教会長や代表の人事権を持っていません。人事権がない独裁者はいるでしょうか。家庭連合のように「公文」を送って命令もできません。会長の言うことを聞かずに行動する食口も少なからずいます。そもそも、会長が何度も頭を下げて反対者にお願いすることなど家庭連合ではあり得ない事なのです。そんな中央集権、独裁はどこにありますか?家庭連合とは全く違います。
この聖殿信徒協約の制定過程は、20人余りの代表が集まり議論をしました。なかには激烈に批判する方もおりました。やじや乱闘こそありませんでしたが、国会の質疑応答より激しい議論が交わされ、結局、40箇所以上修正しました。統一教会、家庭連合で、何かを決めるとき、こんな自由な議論の会議で決めた歴史などありません。
「評議会」も、このくらいなければ、人の集まりの体を成さないというくらいの、当たり前のものです。これがなければ、重要なことを代表が決められず、会長一人で決めるしかありません。誰かがとんでもないことをしても、皆の意思として、注意勧告もできません。極端な逸脱があれば、その人を退会させることが出来ますが、それは、嫌なことですが、どんな組織にもあり、しっかりしたルールがあればこそ、注意勧告でとどめるように努める選択肢も生まれます。評議会がなければ逸脱行為になす術がないのです。それが今のサンクチュアリ教会の現実です。
評議会の存在を悪いものと考える方もいらっしゃいますが、家庭連合時代を思い起こして下さい。何かの決定が代表の会議で決められたことがあったでしょうか。今のサンクチュアリ教会でしているような指導者批判をしたら、会長の一声で、とっくに、出入り禁止、除名処分になっています。家庭連合の人がみたら、「評議会」は新鮮なイメージがあると思います。
私たちは、サンクチュアリ教会が出発し、忙しく走り抜けてきました。気が付いたら、当たり前の組織すら持たないことを知りました。そして、急遽、組織づくりに着手しました。正統組織のモデルがないなかで、足りない者が、必死にあえぎながら造りあげたものが聖殿信徒協約です。
内容は理想的なものに達しないことは充分に分かっております。この協約は、年に一度行われる信徒代表者会で改正できます。2月に開催する予定ですから、3か月後には改正できるのです。どなたかが、別の組織案を示して下さって、それがこの信徒協約より優れたものならば、そちらに替えることもできます。それ以上に、アメリカにおいて組織編制がなされ、日本の組織の不備な部分を改正し、より良いものにできることを願います。究極的には、二代王の組織とルールを頂けることが理想です。聖殿信徒協約とはそのようなものと理解していただきたいと思います。
摂理が急がれるなか、短期間で造りあげた新組織ですが、摂理の時は待ってくれません。日本にはすでに独立系のサンクチュアリ教会があり、また、信徒協約に反対し退会なさった方もおられます。しかし、全ては二代王の下でひとつです。今後はコミュニケーションをはかり、協力してゆく道を探ってまいります。私たちの現下の使命は、文亨進二代王が懸命に推進されている「防御と創建」の摂理を成し遂げることです。来年、10月14日に開かれる大祝福式を勝利するために、全てのサンクチュアリ食口は大同団結しなければなりません。