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九州有明サンクチュアリ 福岡

滅びにいたる門は大きくその道は広い。そこから入る者が多い。
命にいたる門は狭くその道は細い。それを見いだす者が少ない。

黙示録11章を解く! 西村克也

2018-12-08 | 日記
            文亨進二代王と文国進総監についての預言
        黙示録11章の「二人の証人・二本のオリブの木・二つの燭台」とは?

熊本にお住いの西村克也さんから、大変興味深いお話を聞いた。
黙示録12章は、「女と龍」の記述で、サンクチュアリ教会においては極めて重要な預言が記された章である。
西村さんは、その前の11章に注目された。11章のテーマは「二人の証人」である。過去、クリスチャンは黙示録を様々に解釈し、
自分の信仰生活に役立たせた。ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』では、修道士たちが自分たちの周辺で起こる事件を黙示録の預言で解釈しようとする。
黙示録の預言で私たちのあゆみを見つめてみるのは、正しい信仰的行為である。そこに神秘的なメッセージを見つければ、自分の信仰の励みになる。
もちろん、真実かどうかの判定は神の領域になるが、11章のテーマが「二人の証人」であることをみても、看過できない符号を感じる。
西村さんの解釈をご覧いただきたい。(永田正治)


第11章 11:1それから、わたしはつえのような測りざおを与えられて、こう命じられた、「さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、
測りなさい。 11:2聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所(清平が乗っ取られる家庭連合)だから。
彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。 11:3そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布(聖和の為に喪に服している様子)を着て、
千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。
 
11:4彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台(亨進二代王様と国進監察総監)である。 11:5もし彼らに害を加えようと
する者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない。
11:6預言をしている期間、彼らは、天を閉じて雨を降らせないようにする力(家庭連合には恵みはこない。)を持っている。
さらにまた、水を血(お父様の権限圏に戻る祝福式)に変え、何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ力を持っている。
 
11:7そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣(家庭連合幹部・韓氏オモニ)が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。
11:8彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。彼らの主(お父様)も、この都(お父様が聖和された清平)
で十字架につけられたのである。
11:9いろいろな民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめるが、その死体を墓に納めることは許さない。(肉体の死ではないから
墓に納めない。つまり、社会的死である。)
11:10地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう。(家庭連合幹部は喜ぶ)このふたりの預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである。
 
11:11三日半の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は非常な恐怖に襲われた。(社会的な復活・
来年の10/14ではないか?あるいは裁判に勝利する日かも)

11:12その時、天から大きな声がして、「ここに上ってきなさい」と言うのを、彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。
11:13この時、大地震が起って、都の十分の一は倒れ、その地震で七千人が死に、生き残った人々は驚き恐れて、天の神に栄光を帰した。(家庭連合の心的動向)
 ーーーーーー

 
いかがであろうか。次に、「康お母様」と「鉄の杖」があらわれる12章が続く。11章と12章、サンクチュアリ教会のあゆみを考えると、ストーリー上、
かなり強いつながりを感じる。11章の様々な一致、12章の様々な一致、数学的確率からみても、こんな偶然は、あり得ないのではないだろうか。

改革案制定会議日程の阿南さんの間違い

2018-11-12 | 日記
阿南さんの主張に間違いがあるので、簡単に訂正させていただきます。

まず、阿南さんがブログで書かれていることを紹介します。

⑩「防御と創建」摂理勝利のため、サンクチュアリ食口は一致団結を。について
この「聖殿信徒協約」が制定されたのは2018年11月1日となっています。
11月1日の第7回改革案制定会議でそれが賛成多数で可決されました。
そして第一回評議会が開かれたのは11月3日でそれが承認され、11月5日の旧救命ボート会議(全国信徒会にあたる)
のときには、その説明でしかありませんでした。
私は11月5日のズーム会議で制定のための採決をすると思っていましたが、すでに評議会でそれは確定していて、
ただ説明するだけのものであったことに唖然としました。


このブログを読むと、阿南さんは11月5日のズーム会議で「改革案が制定されると思っていたが、すでに確定していて
唖然とした」と書かれています。まるでだまし討ちにでも遭ったかのような表現です。

しかし、これは私達の落ち度ではなく、阿南さん自身の勘違いがもたらしたもので、「唖然」とすべき相手は
ご自身なのではないでしょうか。

まず10月15日の救命ボート会議で、会長が3年過ぎた救命ボートを中心とした現体制も組織改革が必要であること
を語られました。そして救命ボートの解散を宣言され、続いてすでに組織改革の提言と研究をして、改革案のたたき台を
作成していた4名を紹介されました。(詳しくは10月28日の会長の礼拝を見てください)

そして永田正治先生を委員長とした5人のメンバーが正式に「改革案作成委員会」として会議に出席している救命ボートの
皆さんに賛成多数で承認していただきました。

続いて、改革案制定会議の委員として全国で12家庭以上を指導されている責任者のかた約22名が発表され、改革案の審議と
制定をすることが救命ボートの皆さんの賛成多数で承認されました。

阿南さんはここで認識違いをされたと思います。

制定会議は、私達が約1ヶ月ほどかけて作成してきた「改革案のたたき台」を審議し、おかしいところは指摘し、
さらに変更をして制定までする最も中心的な重要な会議でした。

実際7回開催して20時間ほど議論を交わしました。三代圏教会の平井さんはエリア世話人について多くの質問をされて、
その結果かなりの変更を勝ち取られました。

会議全体で全部で40箇所余りの変更をしました。

このように前向きに会議に参加されて、有意義な議論をした代表者もおられますが、残念ながら阿南さんは自分の考えと
違うと言われ、1回だけ会議に参加されただけで、制定案を審議し、変更を提案する権利を与えられた全国のメンバーを
代表している制定会議委員を辞退されました。

次にお会いしたのは11月5日でした。

制定会議は阿南さんの意見が反映されない状況で進むようになってしまいました。

あとは簡単にまとめますが、ある程度固まった時点で公示されて、さらに変更を加えて、、11月1日に制定会議で可決されて、
11月5日に旧救命ボートの皆さんに発表した次第です。

平井さんのように私たちと粘り強く議論をされ多くの質問をして、変更を勝ち取られた方がいらしゃる一方で、
唯一阿南さんだけが全然議論に参加されなかった方です。

11月5日、「唖然」としたのは私達の責任でしょうか。






























阿南教会長の意見にお答えします、永田正治

2018-11-12 | 日記
  阿南教会長のご意見にお答えいたします。   永田正治

     11月10日、「永田氏の〈新体制の規約、聖殿信徒協約について〉を読んで」
     (家庭聖殿拡大連絡会ブログ)への回答
                                      

①リーダーシップについて

 阿南教会長:「私たちが求めるのは三代王権のリーダーシップのみです。天一国を理想とする者たちは祝福された家庭が三代王権に完全に相対することで、そのリーダーシップを相続することができます。本部や教会という機関は、各家庭がリーダーシップをもてるように援助し、擁護する立場であると考えます。もし、本部やその体制をしてリーダーシップを求めるならば、天一国の理想とは逆な道をいくことになり、家庭連合の失敗を繰り返すこととなります」
 
 ◎日本サンクチュアリ協会の会長のリーダーシップも、二代王様に任命され、そのリーダーシップを相続するもので、会長から出発するものではありません。広義の意味の「リーダーシップ」は、家庭など、各単位で必要とされるものだと思います。本部が地方にリーダーシップを振るってはいけませんし、今のサンクチュアリ教会の現状も、そのようになっていないと思います。
 「完全に相対する」という状況は、理解がむずかしいです。「完全」や「絶対」という言葉は、お父様が食口に語る、あるいは、私たちが信仰的な言葉として、慎重に、限られた状況において使いますが、食口と食口が、このような議論をするときに使われると、極めて把握が難しい言葉です。

②江利川会長について

 教会長:「この協約が制定会議にかけられる前の10月15日のズーム会議のときに作成委員の松本氏の発言した内容に耳を疑いました。最近の日本サンクチュアリの混乱と低迷の根本原因、それは一番の問題点ということで考えるのは、会長に対しての信頼、会長に対する求心力というのが薄れていて、会長に対しての信仰が立ってないことです」。とはっきりと言っていたことです。「協約作成の動機が天一国主人を守ることではなく、会長の立場、本部の体制をはっきりさせるという動機であることがそのポイントであると理解しました」

◎松本氏の発言は、どこまでも松本氏のお考えであって、作成委員すべてを代表するものではありません。江利川会長に対し、ひとりひとり、ちがう感じ方をもっており、各自、温度差があります。信徒協約作成の動機は、現在、組織を整備しなければならない状況に至ったから、組織とルールをつくったのです。会長の立場をはっきりさせる、というより、むしろ、多くのことを会長が一人でやってきた状況があり、分担し、相談できるような状況にしたいと思ったのです。「天一国主人を守る…」ということは、むずかしい議論です。それは前提となっていることではないでしょうか。詳しい意味は、教えてください。

 教会長:「私たちは、文亨進二代王が任命した会長を補佐し、協会の運営を正しく神様と文亨進二代王様のみ旨に向かわせます」という、二代王が会長を任命したということを強調したことについて、「これでは三代王権を絶対中心として、天一国主人の家庭がその絶対対象として立って天一国理想を追求する姿ではなくなってきます」
と仰いました。

◎会長については、やはり、「二代王様が任命された」と書かなければならないと思います。それが会長の正当性の根源だからです。随所に現れているというご指摘につきましては、そのように感じられることを指摘してくださってありがたく思います。考慮させていただきます。

教会長の、「三代王権を絶対中心として、天一国主人の家庭がその絶対対象として立って天一国理想を追求する」というお言葉は、信仰的には受け入れますが、私たちの議論には、把握がむずかしい言葉に思われます。「絶対」という単語を用い、このように主張されると、議論は硬直するように思います。これは前提になる事柄で、こうならないからどうするか、がテーマとなっているのではないでしょうか・

③本部は、小さな本部を目指します。 ④王の権限 →ほぼ、異論ないです。
 
⑤王を戴くこと

私(永田)が、「日本サンクチュアリ協会の総会長は、二代王が任命しました。二代王は、その高い霊性で、会長をご覧になっております。二代王が会長を不適切と判断された場合は、直ちに、任を解かれるのです。会長の地位は不動なものではなく、二代王に委ねられ、そのチェックの下にあるのです」と書いたのは、会長は二代王のチェックのもとにあるということを強調しました。
 すなわち、頂点にはないのです。王様のチェック機能が働くのです。お父様のもとで、統一教会、家庭連合時代を通じ、特に悪辣で、無能な日本の会長がいたでしょうか。今の韓氏オモニのような反逆者はいなかったと思います。多くの会長が交代してきたということを考えると、過去において、お父様のチェック機能は働いたと思います。二代王も、チェック機能が働くと思います。会長が間違いを犯さないと強調するためこの文を書いたのではありません。
 教会長は、「二代王様が直接任命された方が絶対に、間違うことがないと単純に信じることはどうかと考えます」と、ここでも「絶対」という言葉をを使っておりますが、私は会長が、「絶対に」間違いを犯さないと信じるなどと、いっさい言っておりません。

⑤天一国憲法と法律・ルールについて

 教会長:「天一国国民のためにある天一国憲法であることがよくわかります。ところが、聖殿協約では本部の体制や評議会の権限を強調しており、意見したり、反対して行動するものを排除する項目も入っています」

◎お言葉ですが、「意見したり、反対して行動するものを排除する」項目はありません。第20条で言われていることは、「聖殿信徒が以下要件に該当する場合、第5号を除き、評議会で注意勧告決議を経て、改善の注意を促します。それでも尚、下記に該当する行為を重ね、改善がみられない場合には、やむを得ず、評議会で退会決議を経て退会とします。」とし、以下に示します。
       
1.知り得た協会機密事項を、協会外の第三者に漏洩した場合
      2.協会の品位を著しく損ね、その信頼を失墜させる言動を繰り返し行った場合
3.私たちの信仰姿勢から逸脱した言動を行い、信徒の心霊に多大な損害を与えた場合
     4.協会の公金を横領したことが明らかな場合
5.自ら退会届を提出した場合

つづいて、教会長は、「永田氏も〈悪を裁くには法が必要です〉と書いていますがサンクチュアリ食口を悪と呼び、裁くための協約はいかがなものかと思います。」と述べておられます。

私は、「天一国憲法には、法律、コモンロー(英米法)、最高裁判所、大陪審、司法権、刑事訴追など、法律関係の用語が多数あらわれます。また、二代王は天一国が建国されても悪は存在すると仰っています。悪を裁くには「法」が必要です。すなわち、将来建国される天一国でも「刑法」が制定されると予想されます。天一国独自の民法、商法もつくられると思います」と書きました。

この文は、天一国でも刑法があるだろうという文脈で語ったもので、一般論を述べております。どうして、それが、「永田氏も〈悪を裁くには法が必要です〉と書いていますがサンクチュアリ食口を悪と呼び、裁くための協約はいかがなものかと思います」、となるのでしょうか? 理解に苦しみます。

教会長:「そして、制定会議で私は会長以外のスタッフは天一国憲法では上院、下院は選挙で選ぶようになっているので選挙で選ぶべきと主張しましたが、立候補するものがいない、時間がかかるなどとその意見に対して、まったく応ずることはありませんでした」。
◎これは、委員の者たちが、本当に難しいと感じたので、応じられなかったのです。しかし、ご意見は、貴重なものとして承ります。

⑦教会長は、「本部が企画や方向性のリーダーの役割とするやり方は、明らかに本部を主体とする体制なので、家庭連合と同じ運命になると危惧します」、と指摘されますが、
 ◎私が言っているのは、「しかし、本部は全国をつなげられます。伝道、祝福、教育、救国活動、聖和、メディア、家庭連合対策など全国的な活動の連絡をはかり、計画を立て、有機的に連結させられます。それが本部の使命で、しっかり果たさなければなりません。やることが多いので、中央集権と見えるかもしれませんが、それらを地方に命令するのではなく、サポートするという立場で行わなければなりません」ということで、全国をつなげる役割をしなければならないと強調しました。反対に、これらをしない本部はいかがなものでしょうか。もちろん、地方でも、よい企画や方向性を示していただければ、いいと思います。

⑧将来、二代王様がつくられるルールと、聖殿信徒協約について
教会長は、「すでに、二代王様と国進様による天一国憲法が2015年10月11日に発布されています。それがルールであり、それ以上はないと考えます」とされました。
 王様は、食口が増えても、将来にわたり、サンクチュアリ教会のルールはつくらず、天一国憲法だけだ、というお考えであるようです。役職に、何らかのルールは必要だと思います。私は、将来、お父様が「み旨の道」で仰ったように、摂理発展のためには、緻密な組織が必要になり、役職は増え、それを正しく機能させるルールも必要になると思います。正しいルールは、人間集団に必要であり、上の命令で決まるのではなく、本質的に民主的なものだと思います。

⑨サンクチュアリ・スピリッツ
 争いや議論を「延々と」続けることは、無駄な労力であると思います。「融和」や「統一」と言う必要はないと言われますが、言っても悪くはないものだと思います。

⑩「防御と創建」摂理勝利のため、サンクチュアリ食口は一致団結を、について
 改革案制定会議は、代表が集まり、7回、ズーム会議を行い、約20時間ほど議論を交わしました。阿南教会長も、意見を発表されました。他の方も意見を述べ、ずいぶん熱の入った議論もいたしました。初めは違和感を感じていた方もおられ、社会の規約などに詳しい方もおられ、かなり指摘を受け、40箇所以上修正いたしました。細部にわたる議論もし、説明もして、全体の理解を得られたと思います。そのような状況になり、採決し、一名の反対があり、その他の代表からは賛成していただきました。改革案作成委員、制定会議代表にとってかなりきつい時間でした。初めてのことでもあり、プロセスの不手際もあったと思いますが、今後、改正という道がありますので、ご意見をくださいまして、聖殿信徒協約をより良いものとしてゆきたいと思います。

地方分権を実現した「聖殿信徒協約」

2018-11-11 | 日記
「聖殿信徒協約」を批判する方々は、決まり文句のように「中央集権体制である」とか「天一国合衆国憲法違反」と言います。


ところが「聖殿信徒協約」のもっとも重要な項目の一つである「第六章 教会」をよく読んでいただくと、会長および本部事務局は

教会に対して人事権は持たないし、その他の何の権限も持っていないことが分かります。

教会は基本的に本部との係わりで、10分の1献金の義務があるだけで、後は設立から運営まで教会長(代表)と信徒の自由と責任に

完全に任せられています。ただ教会長、代表の責務というところが厳しく感じるところですが、天は全体摂理への参加を願われると

前向きにとらえていただきたいところですが、今まで通り出来ないときに無理矢理することはありません。

これを中央集権とまでは言えないと思います。


今までは、教会長は会長が任命してきました。

しかし、「聖殿信徒協約」では公認教会の教会長や開拓教会の代表や家庭協会代表は立候補するか、あるいは推薦でなるか、

そこの信徒の皆さんの自由です。

そして信徒の皆さんの決定を本部事務局に申請すれば、自動的に評議会で承認されます。審査などは無く自動的に承認されます。

つまり信徒の皆さんが決めたことに一切口を出さずに、追認して登録する作業をするだけです。

このようにして信徒の皆さん自身が教会長や代表を選び運営するようになっています。


これは天一国合衆国憲法の地方分権を完全ではありませんがほぼ実現したと言えると思います。


しかし、何か問題が起きたときも、本部事務局は関与できません。信徒の皆さんが自分たちで解決しなければなりません。

そこで信徒の皆さんの自由を保障するようにしました。

教会長や代表に問題があっても聞き入れてくれないとき、新たな教会長や代表を立てて何人かで独立することが出来ます。

あるいは自分一人が孤立するような時は、他の教会に移動したり、家庭教会として独立も出来ます。

まさに分散も出来るようになっています。


そうしながらも日本サンクチュアリ協会の一員であるので、本部のサポートは受けられます。

祝福の紹介や聖和式の実施、修練会の利用などなど、本部機能の恩恵は受けられます。


このように、私達は「聖殿信徒協約」は地方分権をほぼ実現し、天一国合衆国憲法や王様や国進様が願われる分散化にも対応して、

それでも緩やかな共同体として本部のサポートも受けられる体制が出来たと思います。

そして全体摂理への参加もあくまで自由意志であり、本部はお知らせはしますが強制することは出来ません。


今回は「聖殿信徒協約」を地方分権および天一国合衆国憲法違反という批判に答える観点から説明しました。

今後も「聖殿信徒協約」を解説していきたいと思います。

今後よりよきもの、その時の勝利した段階に対応したもの、に絶えず改正しながらいけるようになっています。

新体制の規約「聖殿信徒協約」について、永田正治

2018-11-07 | 日記

これは永田の個人的見解で、改革案作成委員会を代表するものではありません。

 「防御と創建」と聖殿信徒協約

  真のお父様が、文亨進二代王が指導される天福宮に下さった揮毫は「世界平和統一聖殿」です。韓国では私たちのことを「聖殿食口」と呼び、二代王様も親しく「聖殿食口」と呼んでくださいます。信徒協約は、この「聖殿」の文字を戴きました。なお、「協」は、キリストを表す「十」の下で、信徒が「力」を合わせるという意味です。

 聖殿信徒協約の核心的意義については、10月21日、江利川会長が、礼拝の説教で説明しておられるので、動画をご覧ください。信徒協約は、会長の説教のテーマが、「防御と創建摂理に対処する発展組織の編成」というごとく、二代王を支え、「防御と創建」の摂理を成し遂げ得る、新組織のあり方とルールを文書化したものです。

 リーダーシップ

  まず、「リーダーシップ」についてお話ししなければなりません。歴史をみれば、リーダーシップなしに集団や国家が発展した例はありません。とくに、小集団が拡大する初期においては強いリーダーシップが不可欠です。また、集団が危機に直面したとき、リーダーシップなくして克服は不可能です。現在のトランプ大統領や安倍首相、また、冷戦を終わらせたレーガン大統領や中曽根首相も同様です。

 お父様は強力なリーダーシップを発揮されました。また、ご自身が任命した責任者に対してもリーダーシップを発揮し教会が発展することを願われました。文亨進二代王も強力なリーダーシップを発揮され、お父様と同じように、ご自身が任命した責任者がリーダーシップを発揮して教会を発展させるように願われているに違いありません。今、日本のサンクチュアリ食口は2000人を越えました。急成長したと言えますが、いまだ小さき群れにすぎません。今後も、江利川会長はじめ、各地の教会長、代表がリーダーシップを発揮し、更なる発展を目指さなければなりません。

  江利川会長

  私は二代王が「沈黙を破って」で発言を始められたとき、アメリカの片田舎の小さな教会で必死に叫ぶ姿に悲愴感と同情を禁じ得ませんでした。その後、江利川会長が立ち、サンクチュアリ教会は本格的なものになると予感しました。私の中では、江利川会長登場後のサンクチュアリ認識は大きく変化しました。それは会長の実力を知る家庭連合幹部が強く感じたことでしょう。間違いなく、江利川会長は統一運動・サンクチュアリ教会史上の重要人物なのです。

 サンクチュアリ教会に来て、江利川会長に接し、感じることは、お父様に直接指導され、その伝統を継承して人並外れた精誠を尽くすとともに、二代王様を限りなく愛されている方だということです。もちろん、会長も人間ですから、間違いもし認識違いもあります。私は、自己主張が強く、自分のペースを崩さない人間ですから、意見の違いも少なくありません。しかし、それらを越えて、サンクチュアリ教会の発展のために、会長を支えることに強い意義を感じます。

  組織創建

  聖殿信徒協約作成など、一連の試みを「改革」と称していますが、実際は、作りあげる作業、すなわち「組織の創建」と言ったほうがいいのです。サンクチュアリ教会には、組織を運用する部署や役職がなかったのです。地域の活動を支援する世話役などもいません。事務局、事務所もありません。教育や広報の部署もありません。これは奇異なことです。地方の人々は本部(らしきもの)はどうなっているのか分かりません。一方で、地方も協力体制がしっかりせず、活性化も図れない状態でした。本部も地方も、極めて漠然としていました。今のサンクチュアリ教会には、漠然としたものでない、誰の目にも明確な「人の輪」のあり方としての組織が必要なのです。 

 お父様は「み旨の道」で、「モーセを中心として12支派、70長老がいて、60万大衆を動かしたごとく、復帰は、組織の緻密性を無視することはできない」と述べられました。現実の地上天国を創建するには緻密な組織が必要なのです。今日までサンクチュアリ教会は組織なく急成長しましたが、今や、しっかり機能する適切な組織が必要になったのです。

  王の権限

  私が改革案委員長になって、現在の混乱を収拾するため、会長を批判している人々が少数であることを明らかにするために、民主的に、会長に対する信認を問う「決」を取るべきだと提案しました。松本委員は即座に「それはできません」と応じました。私はじっくり考えましたが、やはり、それはできないと分かりました。江利川会長は二代王の信認を受けて会長になっています。それを私たちが勝手に信認を問うことはできないのです。天一国憲法の原則3の一条「王の権限」(3頁)をご覧ください。天一国憲法の核心は「王の権限」なのです。会長の正当性もまさにここにあります。ですから、「私たちは、文亨進二代王が任命した会長を補佐し、協会の運営を正しく神様と文亨進二代王様のみ旨に向かわせます」(信徒協約21条)という文面ができました。

 ある方は、二代王が2015年2月8日「食口達は自分達の地方、国家レベルの代表者を選ぶことが出来るし、また選ばれた代表者は、天宙平和統一聖殿の本部に直接出席して、正統な後継者である文亨進会長に直接報告することを命じる」、という宣布を根拠に、会長を選挙によって選出すべきと主張しました。しかしこれは、そもそも、家庭連合を対象に語ったことであり、江利川会長は、宣布の後の2015年3月1日に二代王により任命されていますから、根拠にはなりません。また、天一国憲法の「王の権限」と照り合わせてみても、会長を選挙によって決めることは正しくありません。私たちが勝手に選挙で決めたら、二代王のお立場と、王の権限を踏みにじることになります。

  王を戴くこと

  旧約聖書のサムエル記上8章に、神は、王を戴くことを願うイスラエルの民に対し、預言者サムエルに、王が存在する意味を告げよと命じます。「王は、汝らの息子を徴用し兵士とし、娘を下働きにし、汝らの土地を家臣に分け与え、税を取り、汝らは王の奴隷となり、自分が選んだ王のゆえに泣き叫ぶ」と伝えます。それでも民は王を求めました。その後、イスラエルは、サウル、ダビデ、ソロモンという有能な王が立ち空前の全盛期を迎えました。イスラエルは優れた王のリーダーシップにより輝かしい成功を収めることが出来ました。王がいなかったら、イスラエルは近隣の異民族の脅威に怯える弱小民族にとどまったのです。

 これは、指導者の存在とリーダーシップの良し悪しについて、たいへん示唆に富む内容です。聖殿信徒協約に反対する意見は、自由と責任を強調し、協約が天一国憲法に違反すると批判します。それらはたいへん理想主義的で、組織運営でのリーダーシップやルールが定められた信徒協約に対し、おそらく、先の、王を戴くマイナスイメージと似た状況を想定し、中央集権、独裁、自分たちが奴隷になると不安を感じたのでしょう。

 しかし、原理の復帰歴史から考えても、優れた王を立て、イスラエル王国を栄えさせることは神の摂理であったと思います。集団の発展に優れたリーダーシップは不可欠なのです。一方、反対に、暴君や無能な王が立った場合は民は苦しむことになります。すなわち、「どのような王」であるかが問題だということです。世俗の政治も同じです。隣の韓国のようにとんでもない指導者が立てば、中国の餌食になるしかなく、国民は悲劇に直面します。日本やアメリカは、賢明な指導者が立ち、中国に対抗し、国民の安全を守ることができます。

 日本サンクチュアリ協会の総会長は、二代王が任命しました。二代王は、その高い霊性で、会長をご覧になっております。二代王が会長を不適切と判断された場合は、直ちに、任を解かれるのです。会長の地位は不動なものではなく、二代王に委ねられ、そのチェックの下にあるのです。

  天一国憲法と法律・ルール

  信徒協約の制定をめぐる議論で分かったことは、私たちが天一国憲法をよく知らないということです。信徒協約を天一国憲法に反していると主張する人は説得力ある説明ができませんでした。また、制定側も、協約が天一国憲法に反しない理由を説明できませんでした。あれほど王様が強調した天一国憲法を私たちはしっかり学ばなかったのです。私たちは深く反省すべきで、今からでも真剣に天一国憲法を学ばなければなりません。

 天一国憲法には、法律、コモンロー(英米法)、最高裁判所、大陪審、司法権、刑事訴追など、法律関係の用語が多数あらわれます。また、二代王は天一国が建国されても悪は存在すると仰っています。悪を裁くには「法」が必要です。すなわち、将来建国される天一国でも「刑法」が制定されると予想されます。天一国独自の民法、商法もつくられると思います。

 私たちは、サンクチュアリ教会の原則について「自由と責任」を強調しますが、天一国憲法は、主に「責任」の部分を規定します。人間集団、社会にはルールが必要です。商業、交通、スポーツにもルールがあります。どんな団体にも規約がある理由は、役職、部署には必ずルールが必要だからです。これがなければ組織は正常に運営されず、まともに機能できません。例えば、鉄の杖も、王様はルールを厳守することを強調されます。ルールを守らない者に鉄の杖を所有する権利はないのです。

  二代王の組織論

  二代王は、2012年12月2日、ベルべディアでの説教で、組織についてこう語られました。要約してみます。

  いったいどうして地方教会と地区が、主体の位置に置かれているのでしょうか。なぜなら、ここでメンバーが生まれ、再び生き、救いを得るからです。…… 一方、国の本部は対象の位置にあります。このことは本部が粗末な扱いを受けていいという意味ではありません。…… つまり、主体、対象の関係は平等です。役割は異なりますが、価値は等しいのです。尊敬、尊敬、尊敬して、そのなかで、地方教会と本部が授受作用するのです。中央本部にいるわれわれは、支援にまわるのです。現場(地方教会)で新しいシステムを発案し、新規の計画、新しい伝道スタイル、こういうものが出てくるように本部は現場を助けるのです。……それが互いの尊敬のなかで効率良く行えるように、本物の授受作用を行うとき、神様と真の父母様を中心にしてそうするなら、統一運動は飛躍的に拡大します。

 この二代王の組織論は、まさに聖殿信徒協約が目指すものです。本部と地方は等しい立場です。伝道は地方の方が活発に行い、本部は地方の活動をサポートします。本部と地方は互いに尊敬し合い、協力すべきで、そうしなければ発展しません。

 しかし、本部は全国をつなげられます。伝道、祝福、教育、救国活動、聖和、メディア、家庭連合対策など全国的な活動の連絡をはかり、計画を立て、有機的に連結させられます。それが本部の使命で、しっかり果たさなければなりません。やることが多いので、中央集権と見えるかもしれませんが、それらを地方に命令するのではなく、サポートするという立場で行わなければなりません。「本部と地方が互いの尊敬のなかで仕事を効率良く行えるように、本物の授受作用をする」という二代王の思想こそ、サンクチュアリ教会の組織論の基本原則です。

 将来、二代王がつくられるルールと、聖殿信徒協約

 世界のサンクチュアリ教会のあゆみと現状を考えると、「聖殿信徒協約」をめぐる問題は極めて単純かもしれません。1959年に設立された日本統一教会の組織は、それより5年前にお父様が設立された、韓国統一教会の組織とルールをモデルに造ればよかったのです。また、直接お父様が指導されました。しかしサンクチュアリ教会は、アメリカと日本が、おなじ2015年に出発しました。しかも、日本の方が食口が集まり、アメリカより会員数が多くなってしまいました。ですから、アメリカより日本が先に、組織整備の必要に直面したのです。

 アメリカは、文亨進二代王御夫妻と文国進御夫妻という、天宙を主管する器をそなえた方々が食口を導いています。現時点で組織整備の必要はないでしょう。しかし、数千人の食口が集ったら、やはりお父様のみ言のように、緻密な組織が必要になるのではないでしょうか。今より多くの部署が必要になり、役職を担う人も必要になります。その組織を支えるルールも必要になります。そこには勿論、二代王のリーダーシップが重んじられるでしょう。

 一方、最近、アメリカ教会では、ジャマール氏とローデス氏という実力者が激しく対立し王様を悩ませました。そしてついにジャマール氏は教会に来なくなりました。食口が増えれば、王様がいつまでも、仲裁や裁定はできません。そのため問題解決のためのルールや部署が必要になるのではないでしょうか。将来、二代王がサンクチュアリ教会の組織とルールをつくられれば、日本はそれをモデルに、日本の組織とルールをつくればいいのです。その時、「聖殿信徒協約」の役割は終わります。すなわち、日本サンクチュアリ協会の組織改革は、誰もが納得する正統モデルがなかったので、暗中模索のなかでつくりあげたのです。悩みながら、恐る恐るつくったというのが作成委員たちの正直な思いです。

 サンクチュアリ・スピリッツ

  サンクチュアリ食口には、「サンクチュアリ・スピリッツ」と言えるものがあると思います。私たちは異端家庭連合から、指導者の言葉を聞かず、あえて分派と言われるサンクチュアリ教会の人の話を聞き、またネットを見て、主体的に判断してここへ来ました。カトリック信者のように従順な食口は、見るなと言われれば見ないのです。私たちは宗教改革を成し遂げたプロテスタントと似ています。サンクチュアリ食口には、明らかに、プロテスタント=(反抗者:protestant)と呼べるような、反抗的で自己主張の強い人々がおおく含まれています。私もそうです。

 あの独生女の魔界から果敢に脱出してきたことはいいことで、悪いことではありません。自分で考え行動する、それはサンクチュアリ・スピリッツとも言えます。だからこそ、一人でも、少数でも行動することが出来て、それがサンクチュアリ教会の力になっています。二代王は個人が確立したプロテスタントこそ、正しく神の前に立つ素晴らしい信仰だと賞賛します。

 しかし、自己主張と自己主張がぶつかれば、激しい衝撃があります。ですからプロテスタントは多くの宗派に分裂しました。反対に、カトリックも家庭連合もひとつになっています。私たちサンクチュアリ食口は、自分たちがそのような傾向をもつということを認識すべきです。あまりにも自己主張し、自分の道を行けば一つになれず、分裂し、教会の力は弱体化します。指導者批判はできますが、度が過ぎればマイナスは甚大です。ですから、サンクチュアリ教会の食口こそ、常に、融和、統一という観念を念頭に置き、行動を見直すべきです。そうしなければ、み旨は達成できないのです。

  「防御と創建」摂理勝利のため、サンクチュアリ食口は一致団結を!

  日本サンクチュアリ協会のありのままの姿とはどんなものでしょうか。「中央集権と独裁」でしょうか、「自由と責任」でしょうか。会長は、地方の教会長や代表の人事権を持っていません。人事権がない独裁者はいるでしょうか。家庭連合のように「公文」を送って命令もできません。会長の言うことを聞かずに行動する食口も少なからずいます。そもそも、会長が何度も頭を下げて反対者にお願いすることなど家庭連合ではあり得ない事なのです。そんな中央集権、独裁はどこにありますか?家庭連合とは全く違います。

 この聖殿信徒協約の制定過程は、20人余りの代表が集まり議論をしました。なかには激烈に批判する方もおりました。やじや乱闘こそありませんでしたが、国会の質疑応答より激しい議論が交わされ、結局、40箇所以上修正しました。統一教会、家庭連合で、何かを決めるとき、こんな自由な議論の会議で決めた歴史などありません。

 「評議会」も、このくらいなければ、人の集まりの体を成さないというくらいの、当たり前のものです。これがなければ、重要なことを代表が決められず、会長一人で決めるしかありません。誰かがとんでもないことをしても、皆の意思として、注意勧告もできません。極端な逸脱があれば、その人を退会させることが出来ますが、それは、嫌なことですが、どんな組織にもあり、しっかりしたルールがあればこそ、注意勧告でとどめるように努める選択肢も生まれます。評議会がなければ逸脱行為になす術がないのです。それが今のサンクチュアリ教会の現実です。

 評議会の存在を悪いものと考える方もいらっしゃいますが、家庭連合時代を思い起こして下さい。何かの決定が代表の会議で決められたことがあったでしょうか。今のサンクチュアリ教会でしているような指導者批判をしたら、会長の一声で、とっくに、出入り禁止、除名処分になっています。家庭連合の人がみたら、「評議会」は新鮮なイメージがあると思います。

 私たちは、サンクチュアリ教会が出発し、忙しく走り抜けてきました。気が付いたら、当たり前の組織すら持たないことを知りました。そして、急遽、組織づくりに着手しました。正統組織のモデルがないなかで、足りない者が、必死にあえぎながら造りあげたものが聖殿信徒協約です。

 内容は理想的なものに達しないことは充分に分かっております。この協約は、年に一度行われる信徒代表者会で改正できます。2月に開催する予定ですから、3か月後には改正できるのです。どなたかが、別の組織案を示して下さって、それがこの信徒協約より優れたものならば、そちらに替えることもできます。それ以上に、アメリカにおいて組織編制がなされ、日本の組織の不備な部分を改正し、より良いものにできることを願います。究極的には、二代王の組織とルールを頂けることが理想です。聖殿信徒協約とはそのようなものと理解していただきたいと思います。

 摂理が急がれるなか、短期間で造りあげた新組織ですが、摂理の時は待ってくれません。日本にはすでに独立系のサンクチュアリ教会があり、また、信徒協約に反対し退会なさった方もおられます。しかし、全ては二代王の下でひとつです。今後はコミュニケーションをはかり、協力してゆく道を探ってまいります。私たちの現下の使命は、文亨進二代王が懸命に推進されている「防御と創建」の摂理を成し遂げることです。来年、10月14日に開かれる大祝福式を勝利するために、全てのサンクチュアリ食口は大同団結しなければなりません。


会長(教会長)はアベルです。(国進様)

2018-10-23 | 日記
今の混乱を収拾する道はただ一つ、会長をアベルとする信仰の立て直しだと思っています。
堕落性の一番目、神と同じ立場に立てない堕落性を脱いでいくのです。

2015年8月1日、日本サンクチュアリ協会が江利川安栄総会長の指導の下で正式に出発しました。
会長は全国を回りながら、その地、その地で集まってきた私達と、初めて会うにもかかわらず、
懐かしい人と再開するかのような喜びと涙の出会いをして下さいました。
お父様から離れた家庭連合に居場所を持たない流浪の民と化した私達を訪ねながら、
しっかりとお父様と二代王亨進様につないで下さいました。
そしてその地における責任者を任命して、兄弟姉妹の面倒を見て下さいと頼みながら、
また他の地で待つ兄弟姉妹を訪ねて行かれました。

私は2015年8月に日本サンクチュアリ協会に入りました。
10月5日に初めて会長にお会いした時、そのような出会いをしました。

しかし、あれほど喜びながら会長と共に歩んでいた私達が、いつからか公然と会長不信を叫ぶ混乱の渦に翻弄されてきました。
二代王様から任命された会長に対しての不信は二代王様に対する不信に繋がるということを知らない、
無知ゆえの恐れを知らない会長攻撃が始まりました。

その原因として「会長(教会長)はアベルでない。天使長だ。メンバーに仕えなければならない。」という理論が、会長を軽視、無視し
攻撃までする、今の混乱を招いたと見ています。

私達は会長がどのような立場におられるかを、はっきりと知らねばなりません。

「亨進世界会長は、2015年3月1日、日本総会長兼協会長に江利川安栄さんを任命しました。これは既存の組織を
 引き受けようとする事を意味するものではありません。お父様から離れた現存組織が崩壊していく一方で、
 残った信仰者をまとめて、お父様に戻る信仰運動を起こしていくことを意味します。その意味で、世界会長の
 代身として、日本の全ての天一国市民に対する霊的権限を持ちます。」

また、会長(教会長)はアベルであるという答えを、この度の大陸長会議(10.18)で国進様から頂きました。

「会長(教会長)はアベルでないという者がいるのですが」(会長)
「会長(教会長)は尽くして尽くして行くんだね。そうすればみんなついてくるんだね」(国進様)
「それはアベルの正道を行けと言うことですね」(会長)
「そうだ」(国進様)

会長(教会長)はアベルだから、アベルの正道を行きなさい。と言う意味です。

弟の亨進様をアベルとして立てて、自らはカインとして侍り勝利された国進様が言われた言葉です。

会長は亨進様の代身であり、アベルです。そしてアベルの正道「父母の心情、僕のからだ」を実践しておられるのです。

その会長に「会計が大雑把で公表が透明でない。遅れている。責任者会議の出席者を会長が独善で決めた。
本体論絶対性教育講師養成講座の参加者の決定も独善的だ。」など会長を名指しで追求するものがでました。

「会計報告が大雑把だから会長が不正をされている」という短絡的思考と攻撃的姿勢で、
会長への不信をあらわにして公表を迫ることは信仰者として正しい対処の仕方なのでしょうか。
何故なら会計報告が大雑把であろうが、遅れようが、不正をしない人はしないのです。
反対にどんなに報告体制を整えようが不正をする人はするのです。体制が問題ではなく、心が問題なのです。

私達の心にアベルにたいして不信感が芽生える原因は、二つあります。

一つ目は、アベルが本当に不正をしそうな、信じるに足りない人物である場合。つまりアベルに原因がある場合です。
二つ目は、不信感を抱く自分に、原因がある場合です。

一般社会でも過去において、人に騙され苦しんだ経験があると、人が信じられなくなります。
信仰生活で言うならば、アベルカインでアベルに苦しめられた経験を持つ人は、それが原因となって
、アベルという存在そのものが信じられなくなります。
この場合は不信感の対象になっているアベルが問題ではありません。
不信を抱くその人自身の心がアベルという存在を受け付けなくなっているのです。

これはその人自身が乗り越えなければならない信仰的課題なのです。

その事に取り組まずに、「会長(教会長)はアベルでない」と言って避けるならばいつまでも克服は出来ません。

また日本の中心者だからサタンの讒訴を受けないように会計は透明にするべきだと言う人もいます。
それはもちろんしなければなりませんし、今回の改革の重要項目です。それをすることにより、良心が弱い人が、
つい不正をしようとする心を止める事は出来ます。

では江利川会長はどんな方でしょうか。心が弱い方でしょうか?
50年の信仰生活の大部分をお父様から直接指令を受けて、お父様の手足となって歩み続けて、
なおかつ最高の信頼を勝ち取ってこられ、今なお二代王様も全幅の信頼を寄せられる方です。

それなのになぜ信頼できないのでしょうか?

信じられない心になった自分自身が問題なのです。

解決する方法はただ一つしかありません。それは信頼できるアベルに出会い、アベルを信じる心を取り戻すことしかないのです。

私達はメシヤであるお父様は信じられます。ではそのお父様が訓練し、信じられた会長は信じられる人のはずなのです。

私は会長と触れ合えばふれあうほど、長い信仰生活で初めて信じるに足る本物のアベルに出会ったと思いました。
会長は率直な方が好きです。小細工をしても見破られてしまいます。
たとえ何か失敗をしても、動機が善意であるならば許して責任を持たれます。
感情が豊かで、善悪に敏感です。動機が悪ければ怒ることもあるでしょう。当然です。でも我慢しておられます。

いままでアベルから心情蹂躙されて苦しんできた私達にお父様がくださった贈り物だと感じています。
私達の心からアベルに対する不信感や心の痛みを取り去って下さる最高のアベルを頂いたと感じています。

お父様と共に歩み訓練された会長と本当の心の触れ合いをしながらみ旨を成すことにより、私達は家庭連合時代に陥った、
どうせ人は信じられないものとあきらめていた心の傷を癒やし、神様を中心として、信じ合う家族の絆を取り戻す事が出来ます。
だからこそ、形だけでなく心からの天一国を築けるサンクチュアリであると思うのです。

どうか過去において、アベルに心情蹂躙されて苦しんできた方は、アベル拒否症を克服する時です。
会長と真摯に率直に向き合って行かれるならば、神様に出会うでしょう。

アベルカインの原理は、カインが神様に出会う原理なのです。
責任者がアベルカインの原理を勝利して、神様に出会わなければ、その責任者のお世話する人々は神様の所有となりません。
大変な事です。責任重大です。
みんなのために、自分のために勝利して下さい。二重目的です。

澤田氏独立問題と家庭連合の捏造工作について

2018-08-01 | 日記
澤田氏独立問題と家庭連合の捏造工作についてのサンクチュアリ協会の公式発表を転載します。


New! 【澤田地平氏独立問題と家庭連合の捏造工作ついて】

先般の澤田地平氏独立問題は、サンクチュアリ教会食口の注目を集め、ズーム会議、ブログ、ライングループなどで、
盛んに様々な意見が発信されました。
教会長という指導的立場にある方の進退問題について、聖殿食口は自由に各自の意見を表明したのです。
これは統一教会、家庭連合の歴史になかったことです。
今日まで、教会の重要問題について食口が自由に意見を述べることなど許されませんでした。
まさに、文亨進二代王が常に語られる、自由と責任に基づく聖殿食口の意思表明でした。

これらの意見は、みな真摯かつ信仰的なものでした。これはサンクチュアリ教会食口が優れた主体性と率直な発信力を
持つことを示します。
私たちは、真のお父様、三代王権のもとで、率直に自由に意見交換できる一つの家族であり、永遠の絆で結ばれた者たちです。
今度のような経験を経ることによって、サンクチュアリ家族の融和、団結がより一層強いものとなったと信じます。

そもそも今回の澤田氏独立問題は、家庭連合が、澤田氏の松濤本部前やその他の活動に関して、
江利川会長宛てに指導を求める通知書を送りつけてきたことに端を発します。
その通知書には、7月1日のさいたまスーパーアリーナ大会でS氏が暴力事件を起こしたなどと書かれていましたが、
会長は、取り急ぎ、通知書の内容に関する回答ではなく、礼儀正しく真心をもって、「受け取りました。」という趣旨の
暑中見舞いを送ったにすぎません。


「暑中お見舞い申し上げます。

近藤総務局長が送って下さったレターパック入りの文章や資料を13日受領しております。

私個人の立場としては、澤田地平氏等が行っている松涛本部前の示威活動に対しては、どちらかというと賛意を示すよりは
反対で、大多数のサンクチュアリの方々も同様です。再三、「やめて欲しい」と思い、澤田氏に中止の勧告をして参りました。
いずれに致しましても、そういう状況ですので、そちらから言われるまでもなく、何らかの方向をとりたいと考えております。

もともと私は、2015年7月。最早家庭連合に神様も真のお父様もいらしゃらない、天運からはずれたと確信してそちらを
退会して出た者です。神様と真のお父様、そして人類の悲願であった神の国と神の義を求めて行く道が忙しいのです。
願わくば、お互いに干渉することなく、み旨を進めて行きたいものでございます。

取り急ぎ。そちらの文章及び資料を受領したことを、お知らせしておきたいと存じます。
猛暑の折、皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

2018年7月17日    江利川安栄                 」


ところが、家庭連合は、家庭連合の分派対策公的サイトともいうべき「True Parents」というサイトにおいて、
「サンクチュアリ信奉者の異常行動と澤田地平氏らの日本サンク脱退」という記事を掲げ、上記会長の受領書を「回答」として
勝手に解釈するとともに、S氏の暴力事件を「あった」ものとして、根拠とする写真まで示しました。
しかし、この記事は、以下の理由から、悪質な印象操作を目的とする捏造記事と言わざるを得ません。

まず、家庭連合が示した写真には、S氏と家庭連合の警備員と、近くでそれを見ている警察官が写っており、
これを「暴力事件の決定的証拠」のごとく提示しています。
しかし、もしこれがS氏の暴力ならば、目の前で見ている警察官は、当然、現行犯逮捕していたはずです。
こんな至近距離ならば暴力を見過ごすはずはありません。
しかし、警察官は何もしませんでした。それは警察官が現場で、「S氏の暴力があった」とは認識しなかった事実を示します。

また、ここは抗議活動が許可されている公道です。S氏は公道の中央付近で遊説していました。
一方、警備員は本来、スーパーアリーナの敷地内において、抗議者に対し、活動が許されない敷地内に立ち入ることを注意する任務を負うものです。
しかしこの警備員は、むしろ公道にかなり進出し、しかも、S氏に異常に接近し、許可されている抗議活動の妨害とすら思われるような
過剰警備をしていたのです。
二人が立っているのは公道の中心部です。S氏のこの姿勢は警備員の異常接近をやめさせるために取った行動なのです。

他方、もし警備員が本当にS氏から暴力を振るわれたなら、その被害者本人である警備員は、即刻、この警察官に暴力行為を訴えるはずです。
ところがこの警備員もなにもしていません。ということは、この警備員自身も暴力を受けたとは認識していなかったのです。
改めてその後、この警備員が被害届を出し、警察が届けを受理したとすれば、S氏に対する事情聴取、現場検証などが行われるはずですが、
未だに何もなされていません。

この現場には、他に数人の警察官がおり、職務としてS氏の遊説を見ていました。そこで暴力事件が発生したのであれば、
その目撃者は数人の警察官であるという、これ以上ないしっかりした「証人」がいる状況であるはずなのに、なぜ届けを出さないのでしょうか。
それらの警察官もみな、暴力事件があったとは認識していないことが明らかだからにほかなりません。

以上は、現場にいた永田正治氏の目撃証言に基づきますが、当時のより詳細な状況につきましては、同氏ご本人が書かれたこちらの記事をご覧ください。https://www.kateirengou.jp/entry/2018/07/27/082904


家庭連合は、当日、澤田氏らの抗議活動の様子の動画を撮っていました。結局、上記写真は、動画の中から、一見、S氏が暴行したかのように見える
一瞬の写真を切り取り、会長宛ての通知書に添付するだけでなく、誰もが見られるサイトにも掲載したものであり、本当に悪質な印象操作というほかありません。

なお、同サイトには、徳島教会における乱入者の写真も掲載されておりましたが、この乱入者は、日本サンクチュアリの所属メンバーではないことが確認できました。
家庭連合が、事実確認もしないままに、一方的に乱入者の写真を掲載したことも悪質な印象操作ということになります。

サンクチュアリ食口におかれましては、誠に遺憾ながら、家庭連合が遂にここまでのことをするようになった、という事実をよくよく認識するとともに、
どんな場面においても血気怒気に走ることなく、決してサタンの罠にはまることなく、冷静に穏やかに愛を持って、活動してまいりましょう。
まさに、恩讐を愛することを実践できるかが問われているこの時です。

江利川会長が常に強調されるように、私たちは行く道が忙しいのです。韓氏オモニの背信により、大きく後退してしまった真のお父様の摂理を、
一刻も早く正軌道に復帰させ、人類を救済しなければなりません。そのために文亨進二代王様は先頭に立たれ開拓されています。
私たちはしっかりお支えしなければなりません。私たちは、たとえ、住む地域、また所属は違っても、大きくサンクチュアリ食口として、それぞれの立場で努力し、
歴史的使命を完遂するため前進してまいりましょう。

総務 (2018/7/30)




澤田氏問題投稿記事、永田正治

2018-07-26 | 日記
永田正治先生より、今回の澤田氏の独立問題で、私達の議論の内容や様子、そして周りの反応をみて、
家庭連合時代と全然違うところをまとめられた投稿意見の、掲載依頼がありました。
サンクチュアリのメンバーはもとより、家庭連合の食口の皆さんには是非考えていただきたい貴重なご意見です。


         融和と発展のために
     澤田さん所属議論とサンクチュアリの自由言論   永田正治

最近、サンクチュアリ教会では、澤田地平さんの所属問題をめぐり論議が交わされています。

7月26日現在、サンクチュアリブログ村で、澤田さん所属問題は、注目記事の1、2、3位を占め、10位まで合わせて
6記事がランクされています。まさに炎上中です。

 澤田さんと言えば、早くサンクチュアリ教会に来られ、優れた退会届を書き、ブログも活発に展開する影響力をもつ方です。
世俗的表現では「幹部」です。そのような方の活動が問題になり、ズーム会議で、日本サンクチュアリ協会退会を表明されました。
そこで様々な議論が成されました。現在は、ブログで、また、LINEグループで、活発な意見が発信されています。

しかし、こんな自由な議論が交わせるサンクチュアリ教会は、なんと素晴らしいところでしょうか!
統一教会、家庭連合の歴史になかったことです。そして、聖殿食口の主張は真摯で、感動を覚えるものも多いのです。
これこそ、文亨進二代王の、奴隷になるなという思想、自由と責任の原則がしっかり機能していることの証しです。
私たちが当たり前のように行っている自由意志の表明は、画期的なことであり、サンクチュアリ教会の大きなアドバンテージなのです。

私たちが家庭連合にいたとき、教会の大問題について、こんな自由な議論があったでしょうか。
特に、重要人物の人事問題について、自分の意見を表明することなど想像もできませんでした。常に上が一方的に決めるものです。
そのため、上層部にチェック機能が働かず、幹部の腐敗が蔓延し、食口は上から言われたままに思考し行動する、まさに奴隷になっていたのです。

澤田さんの所属問題は、よく考えてみれば、私たちが今まで経験したことのない、新たなサンクチュアリ教会の運営方法と、
コミュニケーション能力を訓練していることではないでしょうか。
とかく日本人は議論(ディベート)が苦手です。自分と真逆の意見には過剰に反応してしまいます。
よきコミュニケーションの方法は、相手の言っていることを良く聞き、それを踏まえたうえで、自分の意見を言う。相手の立場も尊重し、
一方的な押し付けをせず、冷静に、怒らず議論をすすめる。相互平等で、融和の精神を失わないことが必要です。
私たちは、この澤田さん所属問題を通して、コミュニケーション能力を磨いており、すでに聖殿食口は、優れたコミュニケーション能力を備えて
いると思います。ですから、
「合意形成を可能にする知性」をさらに発展させ、信仰者らしく、神を中心とした「真理探究的議論」ができる、サンクチュアリ教会における
意思疎通の伝統をつくるべきです。

もちろん、言い過ぎや、相手の立場に考えが及ばないこと、事実誤認など、感情対立になりかねない難問はあります。
しかし、それを乗り越え、感情のしこりを残さず、出された結論に対し、サンクチュアリ教会全体の後退にならず、発展につなげられるような、
智慧が求められます。
歴史をみると、民主主義国家が独裁国家に勝利するには、民意の統一が必要でした。できないときは、南ベトナムのように独裁国家に敗北し、
悲惨な運命を辿りました。
民主主義的なサンクチュアリ教会が、中央管理的な家庭連合や中国などの独裁国家に勝利するためには、洗練された議論を通じ、融和、統合されて
いなければなりません。
澤田さん帰属問題は、そのためのよき訓練なのです。

そしてなによりも、私たちは、所属に関係なく、大きく、アボニムと三代王権のもとでひとつであるということを確認し合うべきです。


7.22礼拝で語られた会長の本心

2018-07-25 | 日記
7月22日の礼拝で会長が、澤田氏問題の経緯と事情そして本心を語られました。

是非、下のURLをコピーして会長の本心をきいてください。

https://youtu.be/XipoqMBOb-s


澤田氏に対する会長の思いは、大きく、暖かいのを、私は改めて知りました。

会長は大きく、広く、遠くを見つめて、今何をすべきか判断しておられます。

やはりお父様の訓練を受けられた日本の指導者、中心者です。

いつも冷静に判断しておられます。サタンと戦って来た方です。

我々は澤田さんをはじめ誰も、会長がサタンと戦って来られた経験の足下にも及びません。

会長の方針を信じて行くのが近道です。

家庭連合の食口達をはじめ、一般の人々が話を聞きたい、入りたいと思うような教会を

作ろうではありませんか。

その為に時間を使いましょう。心を砕きましょう。

会長の口癖「行く道が忙しいのです」

滅び行く家庭連合です。それに関わるより、彼らが避難する、心の拠り所をつくりましょう。

彼等を挑発し、怒らせ、報復を誘発させると、我々の建設作業が遅れます。

二世を中心としたみ言教育の本体論修練会を、妨害する報復攻撃がなされました。

結果的に挑発することになる行為は止めましょう。

素晴らしい教会作りに邁進しましょう。


アメリカでは「鉄の杖神学」がクリスチャンの信仰に衝撃を与えています。

血を流して信仰の自由が保障された国家を建設した「建国の父」が残した「銃保持の権利」。

信仰を弾圧するような政府が現れたときは、国民は銃を取って、信仰の自由を守るために政府と闘う。
これがアメリカの「銃保持の権利」の基本精神です。しかし、そういう政府は現れず、いつの間にか
基本精神は薄れて、銃による犯罪の弊害が叫ばれるようになりました。

信仰を弾圧する政府が現れた事が一度もない状況下で、保守的クリスチャンは銃による犯罪の弊害に
押されて有効な「銃所有の権利」の根拠を示すことが出来ずにいたのです。

そこに現れたのが「鉄の杖神学」。
それは天国を作る為に、身を守り、家族を守る為に、神様が「銃所有の権利」を認めておられる。
黙示録の「鉄の杖」は「銃」であるという聖書解釈。

今まで誰もそういう解釈をしたことがなかったし「銃所有の権利」の有効な根拠を示せなかった福音派
クリスチャンに驚きと自信を与える「神学」として熱狂的に受け入れられ始めたのです。

「あなたの言うとおりである」「あなたの教会の信者になりたい」「近くにあなたの教会はないのか」
アメリカで僅か200人程しか信者のいない小さな小さなサンクチュアリ協会がスポットライトを浴びたのです。

すべては、亨進様が語られた「鉄の杖神学」がもたらした奇跡なのです。、
平和警察、平和軍隊の創設を遺言のごとく語って行かれたお父様がもたらした奇跡なのです。

アメリカの福音派クリスチャンに衝撃と自信を与える「鉄の杖神学」が福音派クリスチャンを飲み込んで
行くのです。

日本はその勢いについて行かねばなりません。「行く道が忙しくなるのです」
会長と共に前を向いて行きましょう。

「真のお父様と共にあられる二代王様の基台になろう」

澤田地平氏の独立の真相

2018-07-23 | 日記
澤田地平氏の独立について、澤田氏本人の言い分のみが皆さんの判断基準になっていて、公平さを欠く
状況となっているので、もう一つの真相を公表します。

それは、澤田地平氏に日本サンクチュアリ協会からの独立をお願いした私の言い分です。

澤田氏の松涛本部前の活動については、当初から救命ボート会議の出席者の意見は、賛否両論ではなく
大部分が「やめて欲しい」というものでした。

その理由として代表的なものを紹介すると

①今までさまざな社会問題を起こしてきた家庭連合をつぶそうと思っている当局や勢力に、内部分裂から
内部闘争に発展しているという印象を与えてしまう事になり、家庭連合のみならず日本サンクチュアリ協会も
危険団体として監視対象団体になってしまうと、今後の活動の大きな妨げになる。

②現場で家庭連合の食口と話すと、家庭連合はおかしいと思っている食口であっても、澤田氏の活動は悪い印象で
受け止められている。左翼の活動家のような礼儀のなさ。服装。地獄に行くぞと叫ぶ人に知性はないのか。
亨進様は好きだが、日本サンクチュアリのメンバーは嫌いだ。

このような社会的観点と、感情的観点からの理由で、澤田氏に改善と中止を申し入れる意見が大部分だったのが真相です。

しかし、私達は亨進様の指示で、各自が「自由と責任」で行動する組織であり、家庭連合のように上の指示には絶対服従
ということはしないで良いという許可をいただいていますので、澤田氏があくまで活動を続けると言う限り、会長も私達も
強制的に止めさせることはしないし、出来ませんでした。

あくまで活動を続けるという澤田氏に「続けるならば、せめて服装をスーツにネクタイにして印象を良くしてもらえないか。
地獄に行くぞなどを叫ぶのはやめてもらえないか」などの改善をお願いしましたが、澤田氏が耳を傾けて改善してくれることは
一切ありませんでした。
「自由」と言っても他の人が迷惑を訴えているのに、お構いなく続ける「自由」が澤田氏の「自由」でした。

日本人特有の面と向かって議論することを避ける優柔不断さを打ち破る勇気ある行動と賞賛する評価が、外部からはありましたが
実際に私達が復帰目的で接する家庭連合の食口達は日本人特有の争いを嫌う感覚で生きている人達ですから、澤田氏の活動は
外部評論家の評価とは裏腹に、現場では何の成果ももたらすことはありませんでした。
この事は断言できます。

それどころか、かえって家庭連合の反発を招き、ガードを堅くし、報復に出てきました。
3月に行った6日間の本体論修練会を崩壊させようとして、貸してくれた施設に使用を中止させる申し入れを連日するという報復を
招くようになりました。
幸いにも施設側は私達参加者の礼儀正しさを見て、施設使用を続行してくれました。

澤田氏の活動は家庭連合の崩壊を推進するどころか、かえって頑なにし、修練会の妨害という報復を招き、サンクチュアリ協会の
発展を妨げる結果を招いています。

それでも澤田氏が規制される事なく活動を続けて来ることが出来たのは、「自由」を尊重するサンクチュアリ協会だったからです。
家庭連合は、澤田氏を放っておく会長やサンクチュアリ協会は指導力がない組織とみているそうですが、家庭連合の食口達には
想像出来ないほど、亨進様とサンクチュアリ協会は個人の「自由」を尊重する、愛の深い教会なのです。


それでは何故、そんなに愛のあるサンクチュアリの組織から澤田氏が独立したのかという問題です。

それは、ただ一点「責任」問題です。

「自由と責任」と言うように、いくら「自由」を尊重する、愛あるサンクチュアリ協会だといっても、「自由」には「責任」が
伴うという当たり前のことが、独立の真相です。


活動の善し悪しは別として、大部分のメンバーが反対しても「自由」のもとで保証された澤田氏の活動は、彼が「責任」を
自分でとれる範囲なら、たとえ私達が迷惑を被っていても我慢してきました。

今回家庭連合は澤田氏の活動に対して「指揮監督責任」というものを会長に直接送ってきました。

これは、澤田氏の活動に迷惑している家庭連合が澤田氏と法廷闘争するだけでなく、会長を法廷闘争に巻き込むと脅して、
会長に澤田氏の活動を止めさせようという作戦に出てきたのです。

こういう作戦に出るほど家庭連合は澤田氏の活動を相当に嫌がっているということは分かります。
だからといって澤田氏の活動を見ている家庭連合の食口達がサンクチュアリに来たいと思うのでしょうか。
澤田氏に対する裁判所の仮処分は、礼拝を邪魔するような大音量を鳴らしてはならない。しつこくつきまとってはならない。
と聞いています
実際に家庭連合の食口と会ったメンバーの話によると「嫌がらせを続けるヤクザのようだ」というのが実際の反応なのです。

澤田氏は松濤本部前活動はしていますが、彼がブログで「私のように人脈もなく、個別交渉の可能性もなく」と書いておられるように
家庭連合の食口の生の声を聞いた事はないと思います。
逆効果なので止めてほしいという、私たちの声を今まで澤田氏は受け取る事はなくきた結果、会長への「指揮監督責任」を問う
事態となりました。

会長が澤田氏に指示した活動なら、会長が最終的に責任を取られるでしょう。
むしろ止めてほしいと言い続けてきた澤田氏の活動の責任問題です。道理から言っても澤田氏が自分で責任をとることを考えるべきです。

信仰的に捉えるなら、自分の罪で中心者を十字架につけることを防ぐべきです。

そして、防ぐ方法はあるのです。

澤田氏が活動を止めるか。会長の「指揮監督下」から外れるか。どちらかすればいいのです。

にもかかわらず澤田氏はブログで、このことは今まで裁判で家庭連合は何度も使ってきた言葉で「私は何度も読んでいるので陳腐な
響きにしか聞こえないのですが、江利川先生には新鮮な脅かし文句に聞こえたのかも知れません」と書いて、「ただの脅かし文句」と
捉えています。
それどころか「会長が家庭連合の脅かしで弱気になって自分に話しに来た」と捉えています。

まさにこの態度が澤田氏の姿勢なのです。誰が何を言おうと真剣に受け止めない。横柄な姿勢です。

私は澤田氏の松濤本部前活動に対する具体的な報復攻撃に出てきた家庭連合が、このままだと本気で会長を訴えると思いました。

さらに澤田氏の甘いところは、「申し訳ないので救命ボートと教会長を辞退します」で事が済むと思っているところです。
澤田氏が日本サンクチュアリ協会と関わりがないという証明がないといけないのです。

会議の場であくまでも活動を続けるといって決して譲らない澤田氏でした。

そして更に問題がありました。松濤本部前活動においてすでに裁判所から仮処分決定をうけて、今も裁判中の澤田氏の活動に対する
会長への責任追及は全国どこにおいての澤田氏の活動についても問えると言うことです、
すでに過ぎましたが、22日の家庭連合岡山大会での抗議活動を行うことを澤田氏は表明していました。

その前に独立表明をしていただかなければなりません。
あくまでも活動を続ける澤田氏であるので、会長を煩わしい法廷闘争にまっ込まれないようにする唯一の方法として、苦渋の選択ですが
会議の翌日、私は決断して。澤田氏に自分の活動の責任は自分でとってくださいと説明して、日本サンクチュアリ協会からの独立を
お願いしました。
澤田氏は教会長という肩書きの方です。同じ肩書きを持つ者が言うべきとも思いました。

あるメンバーがこの選択は、家庭連合の脅かしに屈することであり、サタンの罠にはまってしまうことではないかと言いました。
こういう手段に家庭連合が出て来るのは、彼らも苦しくて必死になっている証拠だから言うのです。
そういう状況で確かに家庭連合に一歩譲るのは彼らを助け、崩壊を遅らせる事になるから悔しいというのです。

しかし、私はそう思いません。澤田氏の活動は逆効果をもたらしていることは分かっています。
このまま家庭連合が崩壊したとして、澤田氏の活動の様子を見ていた人たちはサンクチュアリに来たいと思うでしょうか。


そして会長を法廷闘争に巻き込むと、われわれはもっと大きなものを失うのです。
それは日本の摂理に責任を持たれる会長から、摂理に集中するための霊力、体力、そして最も今重要な時間を奪う事になり、摂理の
大きな障害になるのです。

会長を法廷闘争に巻き込むのは、摂理の妨害であり、サタンはこれを狙っているのではと思うほどです。

そういう観点から決断して澤田氏に独立をお願いしました。

澤田氏は了承して下さいました。

私は澤田氏の岡山大会での抗議活動で、もし家庭連合が会長を訴えたときの為に、独立表明を書いて欲しいとお願いしましたら、
それはブログで発表すると主張されてゆずられません。それでも証拠になると言うことなので待っていました。

ブログを見て正直落胆しました。失礼とは思いますがこの場に及んで自己正当化から、サンクチュアリ協会の内部対立があり、
分裂が避けられないようなことを書かれて、組織のイメージダウンをして下さいました。
私は独立します。早稲田聖殿で一緒にやりましょう。
どこまでも全体を考えない方だと思いました。

その証拠に自己矛盾に陥っていることを全く気がつかないことが驚きです。

家庭連合を崩壊させる為の活動だと言いながら、最後にサンクチュアリ協会の分裂が避けられないということを言う。
これは家庭連合の間違いに気がついた人も、サンクチュアリ協会に入ることを躊躇させて、家庭連合の崩壊を遅らせる事になりませんか。
明らかに自己矛盾です。

澤田氏の言動には信仰的発想が見られません。
亨進様は行き過ぎた「自由」に対しての対立論争に対して「お父様は不完全なものを用いて摂理をされている」と言って、「我々が
不完全であり、不完全な組織であるのは当然であり、互いに欠点を指摘して争って何になる。敵に向かって闘いなさい」と言われました。

そういう不完全な人間であり、組織ですが前進しているのです。

欠点だらけの我々ですが、それ以上に問題の多い家庭連合です。
どちらの組織が、天国を作ることが出来るのか、そういう話は澤田氏の活動からは聞かれません。常に相手を攻撃する批判が中心です。

サンクチュアリ協会は神様とお父様がいらっしゃるところ。お父様の後継者、相続者は亨進様である。祝福の権能は亨進様ご夫妻が
唯一相続された。私達が主張するべき内容はこういうことです。

あまりにも残念なブログの内容です。

会長とメンバーのことをあれこれと書かれていますが、自由を最大限利用してきた澤田氏が、さらに自由に活動するならば、
自分だけでその責任を取れない事態に直面しました。
そこで活動を一時休止するか。独立して自分で責任をとれる立場で活動するのかの選択をします。
私は活動を続けたいので、自分で責任をとれる立場、すなわち独立して活動します。
その表明をするだけで十分だったのではないでしょうか。、

阿南教会長のコメントにお応えします。

2018-05-24 | 日記
阿南教会長、コメントありがとうございます。いつも立派なブログを拝見して勉強しています。
お父様のみ言をきちんと引用されながら、テーマについて話を展開されていく阿南教会長の誠実な姿勢は、
とても安心してブログを拝見出来ます。
今回の先祖解怨式についてのブログもきちんとみ言を引用されて、とてもわかりやすくとても勉強になります。
いつも自然に心に入る内容でした。だからこそ阿南教会長のブログは沢山の人に読まれていて、ランキングでは
常に上位にランクされていると思います。
したがってとても影響力のあるブログになっていると思います。

さてコメントの中で「議論が進みません」と書かれていますが、大丈夫です。
実は今回のコメントには、阿南教会長は気づいておられないでしょうが、私が議論してきたテーマと同じ問題があります。

まず最初に、国進様が「政府は天使長である」と言われたことは知っています。

さらに阿南教会長はコメントに「教会(教会長)の体制も天使長である」と直接聞いたと書いておられますが、
この(教会長)の部分は阿南教会長が付け加えて書いておられるのではないかと思っています。どうでしょうか?

実際は「教会の体制は天使長である」と言われたのではないでしょうか。

なぜなら国進様が「政府は天使長」と言われた「政府」の意味は「組織、体制」であり、それを「天使長」と言われていると
思うのです。
そうすると「教会」も「組織、体制」ですから「政府」と同じように「教会の体制も天使長である」と言われても違和感はありません。

しかし論理的な国進様が「教会長」は「体制」ではなく「人」であるのに「(教会長)の体制も天使長である」と言われるのかなと
違和感を持ちます。

それでこの(教会長)の部分は阿南教会長が付け加えられたのではないかと思った次第です。

このような操作をすることによって、元の言葉が持つ意味と違ってくる場合もあると知って意図的にされたのでしょうか。

コメントで教会長は「お父様と国進様のみ言から」考えて「教会長はアベルでは、天使長です」と言われていますが、少なくとも
国進様は「教会長という人間ではなくて、教会や政府という組織体制は天使長である」と言われているということをです。

では阿南教会長の「教会長は天使長です」という主張は何を根拠にしておられるのですか?と振り出しに戻るのです、

私は「個人の考え」を全否定するつもりはありません。何故ならば生活のすべてをみ言を探して語ることは不可能だと思います。

原理の基本から論理展開して「これはこうであろう」答えを探す事は間違いではないと思っていますし、そうしてきました。

間違いでない答えを出すために私たちは原理を正確に理解する必要があると思っています。

では阿南教会長が「教会長は天使長です」という結論にいたる原理的前提は「本然の世界はアダムとエバと天使長しかいなかった」
ということです。したがって「アダムとエバは神の息子である各家庭の夫婦であり、天使長は教会長を含む全ての聖職者」という
結論になられました。

私の原理的前提は「アダムとエバはやがて子女を産み増やして一大家族を造るはずでした。故にアダムとエバは真の父母様であり、
私達は子女であり兄弟です。従って教会長は天使長の役割をしている兄弟です。」という結論です。

私はずっと「教会長は天使長である」というのと「教会長は天使長的立場、あるいは天使長の役割」というのとでは大きな違いを
もたらす指摘してきました。
そして特に教会長や会長を批判する「道具」に使われる危険を感じました。
そして関西で実際に「王と王妃に、教会長は仕える僕だ。逆主管は堕落と同じ犯罪だ」と批判している人がいます。

特に「教会長は天使長である」というと、教会長は天使長以外の何者でもないと限定するわけですから、「天使長に主管されてはいけない」という警戒心を常に持ちながら教会長に接する緊張感から逃れられなくなるし、最悪の場合は「教会長は間違っている。堕落した天使長であり、絶対に主管されてはならない」という対立関係になる。「対立の思想」になる。と言ったのです。この場合神の子女の立場の誰かが教会長を交代した場合、神の子女から天使長になるという不思議なことが起こることになります。
阿南教会長は「教会長は天使長である」論を主張されています。

私は「教会長は天使長の立場に立つ、あるいは天使長の役割をする子女であり、兄弟である」と主張してきました。そうすると最悪でも「兄は教会長の役割を間違って理解している、原理講義も出来ないのでは教会長の役割を果たせない。では弟である私が兄に代わって教会長の役割を果たそう」という言い争いは起こりますが、天使長が子女を主管する、主管されるという堕落論的な争いではなく、教会長の役割は兄弟の誰が適任かという兄弟喧嘩だというのです。

「教会長は天使長である」と言われる時に、その結果がどうなるか考えて慎重に使われているでしょうか。
「教会長の立場、役割と」言われたほうがいいのではないでしょうかというのが私の考えです。

新しくお父様と国進様のみ言を示すことなく、阿南教会長が提示されたコメントで十分議論が出来ました。

私と阿南教会長の目指すのは同じ天一国です。これはその為に必要な建設的な議論だと思っています。
家庭連合ではあり得なかったことです。
自由なサンクチュアリ教会だからこそ出来るのです。しかし、責任も伴います。
皆さんも考えてください。原理を学ぶ必要性がひしひしとわかるでしょう。

ありがとうございました。

松本昌昭

緊急提言、対立の思想「教会長は天使長」を考える

2018-05-20 | 日記
今、関西で教会長を批判する動きがあることを知りました。
それ自体に部外者の私がどちらかの肩を持つつもりはありません。

亨進二代王様も、家庭連合の「アベルに絶対服従」の悪弊を捨てて、とことん話し合いなさい。
ただし、殺し合わない程度にといわれています。


一つだけ私が提言したいのは、教会長と教会員の関係です。

今、関西では「教会長は天使長(僕)である。従って教会員(神様の子女)に侍らなければならない」と言って、
論争において、教会長と教会員が優位を主張する対立の関係になっています。


実はこの対立は「教会長は天使長である」論が必然的にもたらす結果であるということを知っていただきたいのです。


この「教会長は天使長である」論は本当に正しいのでしょうか。


私自身が教会長という立場に立たされていますので、我が身を振り返りながら真剣に考えてきました。

私はこの論を提案された方と1月8日ごろメールで意見交換しました。この方の動機は家庭連合の間違ったアベルカイン思想の
「アベルに絶対服従」を批判するために書かれたのです。
しかし、私はこの論は私たちにも適応される「両刃の剣」であると思いました。
そしてまだ私の考えが十分練られていない段階で意見を申し上げたため、未熟な考えに対して、1月9日のブログで一蹴されてしまいました。
しかし、重要な問題であるという認識を持っていましたので、その後もずっと考えを整理していました。

今回関西での出来事を知りまして、無用な対立を避けるために提案することにしました。


私の結論は「教会長も教会員も、どちらも同じ神様の子女であり、兄弟である。役割として教会長は天使長的役割をする」というものです。


まず「教会長は天使長である」論を提唱された方が1月7日か8日のブログで、この考えの原理的根拠を説明
されていますので要約して紹介します。

「本然の世界はアダムとエバ、天使長しかいなかった。私達に当てはめるとアダムとエバは神様の子女であり主人となる立場なので
私達教会員である。
天使長はアダムとエバを育て神様につなげる立場であるので教会長である。
したがって天使長がアダムとエバを主管することは堕落である。と同じように、教会長が教会員を主管することは堕落でありしてはならない。
僕として侍る立場だ」「そうであるのに家庭連合は、教会長はアベルだとか、神様に近いとか、真の父母様の代身とか言いながら、
堕落した天使が主管するのと同じように教会員を主管してきた」
「教会長は天使長である」から「教会長は指示命令をするのでなく、教会員のサポートに徹するべきである」
「協会組織は中央集権のピラミッド型でなく逆ピラミッド型である。一番下で会長、教会長が僕として組織を支えるのである」

という考えです。


私は違和感を感じて考えました。そして

「会長、教会長も教会員と同じ神様の子女であり、天使長ではない」と考えました。

なぜならばアダムとエバはやがて子女を産み増やして一家族世界をつくるはずでした。
つまり本然の世界にいたアダムとエバは、人間の先祖である真の父母様です。
まずアダムとエバは教会員ではありません。

そして私達は会長、教会長、教会員であれ、皆その真の父母様から生まれた子女なのです。
教会長は天使長ではなく子女なのです。教会員も同じ子女なのです。


提案された方は、最初の設定が間違っているのです。

これが違和感の正体でした。


では教会長の役割は何か。また教会員との関係はどうなるのか。

教会長の役割は「天からの情報や事情の伝達者」「地の事情、情報を天に伝える仲保者」「教育係」「協助者」などであり、
まさに天使長的役割です。なぜなら人間しかいない協会組織ですから、子女の誰かが天使長的役割をしなければならないのです。

では誰がするのでしょう、

まずは長男長女が弟や妹の世話を父母から言いつけられるでしょう。
その能力がなければ、優秀な弟や妹が兄、姉に代わって皆のお世話を言いつけられるでしょう。
それは天使長がいないので、兄、姉が天使長の役割をしているのです。

「教会長は天使長そのものではなく、天使長の役割をしている兄弟です」
したがって「教会長と教会員は同じ親を持つ兄弟です」「主人と僕の関係ではなく、兄と弟。姉と妹。の関係です」


「教会長は天使長ではなく同じ兄弟である。役割としては天使長的である」という考えと「教会長は天使長である」という考えでは、
驚くことに両者の関係に天地の差をもたらします。


まず「教会長は天使長である」と考えると両者の関係が「神様の子女対天使長」というどちらかと言えば対立関係になります。
なぜならば子女は天使長を主管する立場であると意識するところから、主観されないように警戒心をもって教会長に対するので、
アドバイスも心を開いて素直に聞けなくなるでしょう。
また会長との関係も同じです。会長がアドバイスをしても、それに従うことは天使長に主管されることになるので素直にきけないでしょう。
会長を避けるようになります。また会長を天使長とみるところからは、メンバーに会長を証してつなげることをしなくなると思います。
閉鎖的なグループになると思います。

しかし、現実はそこまで徹底せずに、そのグループはそこの教会長に従い、外部のアドバイスや干渉は拒否するという閉鎖的なグループになる
可能性が大きいと思います。

ここに発展が起こるでしょうか。


あまりにマイナス面ばかりの考えで大袈裟とも思いますが、しかし「教会長は天使長である」論は思想的にはそういう危険性を内包していると思います。


では両者が、即ち教会長と教会員の関係が「兄弟」だったらどうでしょう。

アドバイスに素直に従ったとしても天使長ではなく、兄、姉、あるいは信頼できる優秀な弟、妹ですから主管されて堕落したということにはなりません。

両者の関係に警戒心はなく、兄弟として信頼する心で発展するためにどうしたらいいのか。この課題はどう解決したらいいのかと、
積極的にアドバイスをもとめる関係になると思います。

活発な授受作用が展開して発展するでしょう。


確かに会長、教会長は天使長的役割をします。しかし、天使長ではありません。同じ兄弟です。

天使長とみるのか、兄弟とみるのか、些細なことのようですが、天地の差を結果にもたらします。

私がこの「教会長は天使長である」論を見過ごせないのは、このことに気がついたからです。

そして「教会長は天使長である」論に影響を受けている人が多いのに気がついたからです。

「子女対天使長」の対立関係で「私が主人だ。あなたは僕なので侍れ」と言い争うのでなく、兄である教会長を助ける弟や妹になるように。
また兄である教会長は弟や妹の声によく耳を傾け、実力が足りないときは、謙虚に優秀な弟や妹にお世話係を譲ることも考えないといけないと思います。

どうしたら天の願いを果たす事の出来る私達になれるのか。どうしたら発展するのか。
兄弟で知恵を絞って考えましょう。





新しい天地、新しい世界、新しい生活が必ず開かれる。

2017-12-31 | 日記
絶対「性」についてのお父様のみ言を探していく中で、この言に出会い釘付けになりました。

このみ言を心に抱きながら新年(天基9年1月1日は2月16日)を迎えていきたいと思います。


1976年9月20日、ベルべディアで語られたワシントン大会勝利のみ言の一部です。

「先生はどんなに苦労が絶えなくても、もっと苦労しようと思う。もっと誤解され、もっと非難されようとも、
それに一言も文句を言わずすべて受け、たずさえて霊界へ行こう。そしてひき続いて伝統を立ててゆこう。
そうすればいずれは、我々のやっていること、我々の真理は勝利を治めるようになる。
先生はわかっている。だから先生は霊界にいても、地上にいても働き続ける。
先生が生きている間に、統一を成し遂げるかどうかというのは、小さな問題である。仕事は続くのである。
そして、先生は霊界にいようが、地上にいようが、その中心となっている。
先生の思想、先生の戦略、先生の伝統、先生の心情は、問題なく、統一の世界を目指しておる。
先生が死んで霊界に行ったとしても、いつでもあんた達に現れてあげる。
この地上に、同じように伝統を持って、完全な神の国を造るまで、これが先生のやっている一番重要な作戦だ。
先生のやっているのは、十年先のためではない、永遠を基準として作戦を立てているのだ。
先生が地上にいようが、霊界にいようが、そんなことは問題ではない。
先生は、霊界の組織、霊界のシステム、霊界の様子を熟知している。
あんた達には見えないけれど、あんた達の目の前にはもう新しい天地が開かれようとしている。
先生はその時間表をはっきりと知っている。必ず来る。
新しい世界、新しい生活が必ず開かれる。」


2月28日(天基9年1月13日)の「天宙天地人真の父母様天一国生命の書入籍祝福式」は
新しい天地、新しい世界、新しい生活が開かれる日となります。

私たちは、常にお父様が導いておられる群れであります。

お父様のみ言、心情、伝統は統一の世界を目指しています。

私たちは、統一の世界を目指す群れであることをもう一度確認して、新年を迎えようと思います。。


劉正玉講師の原理本体論修練会に参加して8

2017-12-29 | 日記
原理本体論でお父様が、私達人間に伝えていかなければならなかった神様の
み言が絶対「性」のみ言です。

絶対「性」とは、結婚以前は男女共に純潔を守ること、結婚して夫婦となってからは
貞節を守ることを意味する言葉として、お父様がつくられた言葉です。

四大心情において、夫婦の愛(男女の愛)だけに、絶対「性」が必要と言われたのです。

何のために必要なのか。

夫婦の愛は特殊だからです。

天聖経p363には
「人間は本性的に、自分に対する相対の愛が分散することを願いません。夫婦間の横的な
 愛の関係は、親子間の縦的な愛の関係と違い、分散すれば既にその完全性が破壊されます。
 夫婦間に絶対的な愛の一体を成すようになっている創造原理のゆえです。」

「相対の愛が分散することを願いません。」
「分散すれば既にその完全性が破壊されます。」
 
これはどいうことなのか、私なりの考えですが。

お父様は「神様の愛を占領することが最高の幸せ」というように、「占領」という言葉を
愛において使われます。

「最高に為に生きたものが、占領すること出来る」という原則はありますが、
愛する行為の極地は相手を占領することだというのです。

相手を占領することのなかに、喜びと満足を得るように思います。
即ち、相対の愛が分散することを願いません。わたしだけが占領しておきたいのです。

しかし、占領することは相手の自由を奪うことになります。
相手の自由な活動や創造性を奪います。

そこで神様はこの占領する行為をひっくり返したのです。
相手に要求するのでなくて、自分が自主的に相手に占領されることをするのです。

即ち、自分が自主的に相手の為に生きて、わたしはあなたに占領されましょうと行動するのです。

あなたの為にわたしは純潔を守って来ました。あなたに占領される為に。あなたの喜びの為に。

お互いにあなたに占領される為て喜びを与える為に純潔を守るのです。

占領して自由を奪うのでなく、わたしの自由で相手に拘束されるのです。

それが相手にとっての喜びだからです。

愛する行為の極地は、利己主義です。

しかし、お父様のみ言に驚くべき内容があります。神様は利己主義だったというのです。

紹介します。「人間に対する神の希望   1973,10.20 ワシントン」

「我々人間のすべての特質は、神から来ているのであります。我々は人間には利己的な傾向がある
 ということを知っています。これはある一時期、神ご自身が自己中心的であられたので自然な
 ことなのです。この事実はあなたを驚かすかもしれませんが、しかし、神は宇宙と人間の創造前は、
 たった一人で、ご自身以外の何ものをも意識することなく存在しておられたということを理解しな
 ければなりません。しかしながら、神が創造に着手されたその瞬間に、神の中の生命という概念が
 完全に形として現れてきたのです。神は、今や、ご自身の為ではなく、その対象物の為に生きるよ
 うになったのです。・・・・・・・・・・・
 私は、西洋文明は個人主義でもって特徴づけられることを知っています。しかしながら、利己的な
 個人主義は滅びるのです。そして犠牲的個人主義が花開くのです。個人主義それ自体は善であります。
 神は我々一人一人に独特な使える道を与えてくださいました。しかし、神のいない個人主義は、
 崩れ去る砂の上に家を建てるようなものであります」


愛し愛される喜びを求めて創造が始まったのです。しかし神様の愛に創造以前の利己主義的な要素が
残っているのです。

愛の喜びの極地は相手を占領することのなかにあるのです。
占領することをひっくり返すと、占領してもらう為に生きるのです。
純潔を守ることはそういうことだと思うのです。

つづく









劉正玉講師の原理本体論修練会に参加して7

2017-12-26 | 日記
今回の修練会の正式名称は「原理本体論絶対性教育 講師養成セミナー」でした。

劉正玉講師と江利川会長の計画は、第1回目は講師養成のために修練会をおこなう
というものです。

30名程の人に声がかかり、仕事が休めないない人などを除いて16名が参加しました。
そして青年を除くと12名でした。

冗談のように会長は「12弟子だなあ」と言っていました。

そしてその中の3人が、劉正玉講師にたいして質問をしたり、講義中にも関わらず
抗議をしたりしました。

鮮文大の柳在坤教授、永田正治先生、そして私です。
私は劉正玉講師の部屋を訪ねてまで質問をしました。

決して自慢でなく、自然に湧き上がる義憤と使命感が私達を動かしていました。

修練会が終わった今、「分別」の闘いのために集められたと感じています。

劉正玉講師はこの修練会が終わった後で、山梨の食口のところを訪ねられました。
伝え聞くところによると、「一人の兄弟に悩まされた」と話されたようです。

多分、柳在坤教授の事だろうと思います。

次回の修練会は3月16日から21日までの6日間です。

永田正治先生は再び参加されます。

劉正玉講師の原理本体論講義がどの程度変わるのかを確認するために。


さて、お父様が劉正玉講師を使って私たちに伝えようとされた、絶対「性」。

この問題を考えていかなくてはなりません。


つづく