九州有明サンクチュアリ 福岡

滅びにいたる門は大きくその道は広い。そこから入る者が多い。
命にいたる門は狭くその道は細い。それを見いだす者が少ない。

会長(教会長)はアベルです。(国進様)

2018-10-23 | 日記
今の混乱を収拾する道はただ一つ、会長をアベルとする信仰の立て直しだと思っています。
堕落性の一番目、神と同じ立場に立てない堕落性を脱いでいくのです。

2015年8月1日、日本サンクチュアリ協会が江利川安栄総会長の指導の下で正式に出発しました。
会長は全国を回りながら、その地、その地で集まってきた私達と、初めて会うにもかかわらず、
懐かしい人と再開するかのような喜びと涙の出会いをして下さいました。
お父様から離れた家庭連合に居場所を持たない流浪の民と化した私達を訪ねながら、
しっかりとお父様と二代王亨進様につないで下さいました。
そしてその地における責任者を任命して、兄弟姉妹の面倒を見て下さいと頼みながら、
また他の地で待つ兄弟姉妹を訪ねて行かれました。

私は2015年8月に日本サンクチュアリ協会に入りました。
10月5日に初めて会長にお会いした時、そのような出会いをしました。

しかし、あれほど喜びながら会長と共に歩んでいた私達が、いつからか公然と会長不信を叫ぶ混乱の渦に翻弄されてきました。
二代王様から任命された会長に対しての不信は二代王様に対する不信に繋がるということを知らない、
無知ゆえの恐れを知らない会長攻撃が始まりました。

その原因として「会長(教会長)はアベルでない。天使長だ。メンバーに仕えなければならない。」という理論が、会長を軽視、無視し
攻撃までする、今の混乱を招いたと見ています。

私達は会長がどのような立場におられるかを、はっきりと知らねばなりません。

「亨進世界会長は、2015年3月1日、日本総会長兼協会長に江利川安栄さんを任命しました。これは既存の組織を
 引き受けようとする事を意味するものではありません。お父様から離れた現存組織が崩壊していく一方で、
 残った信仰者をまとめて、お父様に戻る信仰運動を起こしていくことを意味します。その意味で、世界会長の
 代身として、日本の全ての天一国市民に対する霊的権限を持ちます。」

また、会長(教会長)はアベルであるという答えを、この度の大陸長会議(10.18)で国進様から頂きました。

「会長(教会長)はアベルでないという者がいるのですが」(会長)
「会長(教会長)は尽くして尽くして行くんだね。そうすればみんなついてくるんだね」(国進様)
「それはアベルの正道を行けと言うことですね」(会長)
「そうだ」(国進様)

会長(教会長)はアベルだから、アベルの正道を行きなさい。と言う意味です。

弟の亨進様をアベルとして立てて、自らはカインとして侍り勝利された国進様が言われた言葉です。

会長は亨進様の代身であり、アベルです。そしてアベルの正道「父母の心情、僕のからだ」を実践しておられるのです。

その会長に「会計が大雑把で公表が透明でない。遅れている。責任者会議の出席者を会長が独善で決めた。
本体論絶対性教育講師養成講座の参加者の決定も独善的だ。」など会長を名指しで追求するものがでました。

「会計報告が大雑把だから会長が不正をされている」という短絡的思考と攻撃的姿勢で、
会長への不信をあらわにして公表を迫ることは信仰者として正しい対処の仕方なのでしょうか。
何故なら会計報告が大雑把であろうが、遅れようが、不正をしない人はしないのです。
反対にどんなに報告体制を整えようが不正をする人はするのです。体制が問題ではなく、心が問題なのです。

私達の心にアベルにたいして不信感が芽生える原因は、二つあります。

一つ目は、アベルが本当に不正をしそうな、信じるに足りない人物である場合。つまりアベルに原因がある場合です。
二つ目は、不信感を抱く自分に、原因がある場合です。

一般社会でも過去において、人に騙され苦しんだ経験があると、人が信じられなくなります。
信仰生活で言うならば、アベルカインでアベルに苦しめられた経験を持つ人は、それが原因となって
、アベルという存在そのものが信じられなくなります。
この場合は不信感の対象になっているアベルが問題ではありません。
不信を抱くその人自身の心がアベルという存在を受け付けなくなっているのです。

これはその人自身が乗り越えなければならない信仰的課題なのです。

その事に取り組まずに、「会長(教会長)はアベルでない」と言って避けるならばいつまでも克服は出来ません。

また日本の中心者だからサタンの讒訴を受けないように会計は透明にするべきだと言う人もいます。
それはもちろんしなければなりませんし、今回の改革の重要項目です。それをすることにより、良心が弱い人が、
つい不正をしようとする心を止める事は出来ます。

では江利川会長はどんな方でしょうか。心が弱い方でしょうか?
50年の信仰生活の大部分をお父様から直接指令を受けて、お父様の手足となって歩み続けて、
なおかつ最高の信頼を勝ち取ってこられ、今なお二代王様も全幅の信頼を寄せられる方です。

それなのになぜ信頼できないのでしょうか?

信じられない心になった自分自身が問題なのです。

解決する方法はただ一つしかありません。それは信頼できるアベルに出会い、アベルを信じる心を取り戻すことしかないのです。

私達はメシヤであるお父様は信じられます。ではそのお父様が訓練し、信じられた会長は信じられる人のはずなのです。

私は会長と触れ合えばふれあうほど、長い信仰生活で初めて信じるに足る本物のアベルに出会ったと思いました。
会長は率直な方が好きです。小細工をしても見破られてしまいます。
たとえ何か失敗をしても、動機が善意であるならば許して責任を持たれます。
感情が豊かで、善悪に敏感です。動機が悪ければ怒ることもあるでしょう。当然です。でも我慢しておられます。

いままでアベルから心情蹂躙されて苦しんできた私達にお父様がくださった贈り物だと感じています。
私達の心からアベルに対する不信感や心の痛みを取り去って下さる最高のアベルを頂いたと感じています。

お父様と共に歩み訓練された会長と本当の心の触れ合いをしながらみ旨を成すことにより、私達は家庭連合時代に陥った、
どうせ人は信じられないものとあきらめていた心の傷を癒やし、神様を中心として、信じ合う家族の絆を取り戻す事が出来ます。
だからこそ、形だけでなく心からの天一国を築けるサンクチュアリであると思うのです。

どうか過去において、アベルに心情蹂躙されて苦しんできた方は、アベル拒否症を克服する時です。
会長と真摯に率直に向き合って行かれるならば、神様に出会うでしょう。

アベルカインの原理は、カインが神様に出会う原理なのです。
責任者がアベルカインの原理を勝利して、神様に出会わなければ、その責任者のお世話する人々は神様の所有となりません。
大変な事です。責任重大です。
みんなのために、自分のために勝利して下さい。二重目的です。