劉正玉講師は最近家庭連合から生活費の支給を止められました。
自ら家庭連合に訣別して出てきのでなく、追い出されて来られたと言った方が適切だと
思います。
しかし、たとえそうだとしても、もう家庭連合にはもどれないという状況で
サンクチュアリ教会に骨を埋める決意をされて来られたと思います。
我々の分別を迫る目に耐えて、講義を続けられたことが証明していると思います。
講義では、韓氏オモニの独生女論は最初から痛烈に批判されていました。
亨進様の話は、最初の3日程は出てきませんでしたが、徐々に証しされるようになり
亨進様の荒野での勝利、お父様との一体化の勝利がなければ、我々の救われる道は
無かったと証されるようになりました。
ただ摂理観については、亨進様のみ言の勉強不足か、随分ずれた摂理観から話される
ものですから、たまりかねた柳教授が劉正玉講師に対して韓国語で抗議する場面も
度々ありました。
例えば「韓国はお父様が神の祖国と定められました。皆さんが頑張ってくだされば
まだなんとかなります。よろしくお願いします。」といったことを何回か言われました。
柳教授は「もうそんな段階ではありません。韓氏オモニと幹部たちの裏切りによって
韓国はめちゃくちゃになりました。文在寅大統領の登場など、我々の手に負えない
段階に入ってしまいました。亨進様は血統を守るために韓国を出なさいと言われました。
私は日本に避難してきました。そんな段階は過ぎました。」と劉正玉講師にむかって
堂々と言われました。
こういうやりとりを通しながら、劉正玉講師は徐々に分別されていかれたと思います。
講義の最後の内容は、「真の父母と成約時代」という摂理観の講義でしたが、これも
家庭連合の主張に沿ったものでした。
私達はとうてい受け入れられるものでなく、柳教授がまた抗議されました。
しかし、劉正玉講師は逃げることなく最後まで講師の責任を果たされました。
その姿を見て、サンクチュアリで生きることを決意されていると感じました。
私は閉校式で劉正玉講師の顔を見ながら、「サンクチュアリ教会の劉正玉講師になって
下さい」と言いました。
劉正玉講師は「大丈夫です。私はお父様がおられるところにいます」と答えられました。
修練会が始まったころの劉正玉講師ではない劉正玉講師がそこにいたと思います。
つづく
原理本体論修練会
自ら家庭連合に訣別して出てきのでなく、追い出されて来られたと言った方が適切だと
思います。
しかし、たとえそうだとしても、もう家庭連合にはもどれないという状況で
サンクチュアリ教会に骨を埋める決意をされて来られたと思います。
我々の分別を迫る目に耐えて、講義を続けられたことが証明していると思います。
講義では、韓氏オモニの独生女論は最初から痛烈に批判されていました。
亨進様の話は、最初の3日程は出てきませんでしたが、徐々に証しされるようになり
亨進様の荒野での勝利、お父様との一体化の勝利がなければ、我々の救われる道は
無かったと証されるようになりました。
ただ摂理観については、亨進様のみ言の勉強不足か、随分ずれた摂理観から話される
ものですから、たまりかねた柳教授が劉正玉講師に対して韓国語で抗議する場面も
度々ありました。
例えば「韓国はお父様が神の祖国と定められました。皆さんが頑張ってくだされば
まだなんとかなります。よろしくお願いします。」といったことを何回か言われました。
柳教授は「もうそんな段階ではありません。韓氏オモニと幹部たちの裏切りによって
韓国はめちゃくちゃになりました。文在寅大統領の登場など、我々の手に負えない
段階に入ってしまいました。亨進様は血統を守るために韓国を出なさいと言われました。
私は日本に避難してきました。そんな段階は過ぎました。」と劉正玉講師にむかって
堂々と言われました。
こういうやりとりを通しながら、劉正玉講師は徐々に分別されていかれたと思います。
講義の最後の内容は、「真の父母と成約時代」という摂理観の講義でしたが、これも
家庭連合の主張に沿ったものでした。
私達はとうてい受け入れられるものでなく、柳教授がまた抗議されました。
しかし、劉正玉講師は逃げることなく最後まで講師の責任を果たされました。
その姿を見て、サンクチュアリで生きることを決意されていると感じました。
私は閉校式で劉正玉講師の顔を見ながら、「サンクチュアリ教会の劉正玉講師になって
下さい」と言いました。
劉正玉講師は「大丈夫です。私はお父様がおられるところにいます」と答えられました。
修練会が始まったころの劉正玉講師ではない劉正玉講師がそこにいたと思います。
つづく
原理本体論修練会