玄海原発が再稼働に向けて一歩踏み出した。
福島事故の後、30キロ圏内の自治体に避難計画が義務付けられ、佐賀県も福岡県も作成済みと言う。
実地訓練をしてみて、机上の空論に過ぎない事が明らかになっているが、県はそれ以上はやる気が無い。
というより、過酷事故の「想定」は不可能なので形だけで終らざるを得ないのだ。
糸島市から15,000人が福岡県に逃げて来る。近所の避難者の受け入れ校に聞いたら「うちの生徒を逃がすのが先です!」
せっかく義務づけられてもその計画が実際に有効であるか、誰も判定出来ない。それでも再稼働させるのは事故は起きないだろうとみんな無理に納得しているからだ。
生活に追われている庶民は長いものに巻かれざるを得ない。
長い物とは、経営者(九電)の利益、原子力産業の固い結束、政界の対米追随〜〜この結果生まれた国策である。
国策を変えられないのか?
民主主義の主役は民であり、総理大臣ではない。
国策を変える力をもつのはデモや訴訟もさることながら、伝家の宝刀=投票である。