イエスキリストの生涯はにもかかわらずの生涯だったともいえます。神であるのにもかかわらず人の子となった。王様のような暮らしができたにもかかわらず貧しい大工の子として過ごされた。人々のことを深く愛されたにもかかわらず十字架刑により殺された。
「にもかかわらず」の行為は、子育てにも必要です。そこに子どもはどれだけ自分のことを思ってくれてるのかを感じるからです。疲れているにもかかわらず助けてくれた。仕事で忙しいにもかかわらず毎日お弁当を作ってくれた。貧しいにもかかわらず一生懸命育ててくれた。この、親のにもかかわらずの行為により子どもは、どれほど大切にされるかを感じ、自分は愛されるに値するものなのだという自己肯定感を高めてくれるのです。この自己肯定感が精神的な成長や自立の基礎となります。
子どもは正論で諭すことだけでは成長しません。時として犠牲を払ってでも受け止めてあげるにもかかわらずの行為が必要なのです。
子どもは親のにもかかわらずの行為を本能的に理解します。
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