さて古我邸を後にして昼ご飯食べます。
鎌倉駅近くで。シラスネギトロ丼。
生まれて初めて食べました。シラスたっぷりでおいしい。
この後、江ノ電で長谷まで。そこから高徳院の大仏へと行きます。
参道の道。地名は長谷。古い看板。
こんな感じで。
長谷寺前の古い旅館。
営業しているようでした。
門前まで行って引き返す。とりあえず大仏へ。
途中の、横浜が本店の中華料理の店だったかな。記憶消滅。
着きました。49年前にも来たはず。たぶん江ノ電で。
夫24歳、私も24歳。
広島の学校へ来て、美術部に入ったら背の高い無口な人がいた。その時からだと55年。
大仏は変わらず、私たちは変わり果てた。それもまたよし。
窓。
歩いて15分くらい、今度は鎌倉文学館へ行きます。
山のふもとにあります。
緩やかなアプローチ。
期待が高まります。
隧道。
振り返る。
玄関。
1890年、旧前田侯爵家の鎌倉別邸として建設される。
戦後はデンマーク公使や佐藤栄作首相が借りていた時期を経て、1983年鎌倉市に寄贈される。
1985年、鎌倉文学館開館。
三島由紀夫の「春の雪」では松枝侯爵の別邸として書かれているそうです。大昔に読んで詳細失念。
ああ何もかも忘れていく私であることよ。でも記憶もありすぎると心の重荷、いいことも悪いことも忘れて、これからは身軽に行きたいもの。
内部の展示は充実。撮影不可。玄関から庭へ出る。
前庭は海に向かって緩やかに傾斜している。
遠くに鎌倉の海。
バラと洋館。
洋館にはバラがよく似合う。
くすんだ赤、シックなバラ。
バラの名前。
来た通路を上がってもう帰ります。
和洋折衷。変化に富む屋根や窓。
長谷こども会館。
1908年、株式仲買人福島浪蔵別邸として建設される。
現在、内部見学は不可。ちょっと荒れた印象でした。
そこからまた延々歩いて・・・15分くらい?今夜の宿に着きました。
時に午後四時。歩き疲れました。
宿の由来
ホームページより。
当館のシンボルである洋館部分は大正13(1924年)富士製紙社長の村田一郎邸として建てられ、戦後に増改築して旅館の姿を整え今にいたっています。
特徴としては2室からなる大きな洋館部が独立した洋館のような印象を与えています。また、出窓(ベイ・ウインドウ)の多さと急勾配の切妻屋根と円弧形の出窓の上の丸い屋根が道行く人々のアイスポットとして親しまれています。
平成4年(1992年)8月には鎌倉市の景観重要建築物第7号の指定を受けております。旧ソビエトの世界的ピアニスト、スビャトフラフ・リヒテル氏が日本公演の折、当館にヤマハピアノを運んで長期にわたり滞在した事もありました。
こじんまり、すっきりした建物です。こちらは玄関の反対側。
夫は荷物置いて買い物に、私も海の方へと歩いて行きました。長い一日がようやく終わろうとしています。
洋館は全部で4つ拝見、中でも古我邸がよかったです。食事はしなかったけど、庭をゆっくり見られてよかったです。
鎌倉は思っていたよりも静かで、緑が多く、とてもいいところでした。
日帰りできるなら何度でも行きたいけど、ちょっと遠い。遠いからまたいいのかもしれませんが。
宿の洋館部分は次の記事で紹介します。今日はこのあたりで。
大好きな場所です。
でも、私、何年か前に、金沢の友人と鎌倉に泊まりました。
昼間見れない夜の鎌倉も、乙なものでした。
勿論、前田候の別宅も行きましたよ。
大仏様は、晶子女史ではありませんが、ハンサムですね~♪ ほれぼれとします。
鎌倉は、野菜も美味しいですよ♪
いろいろと情報ありがとうございました。
お友達との鎌倉、楽しまれたようですね。
夜もきっと風情があることでしょうね。
私にとっては49年ぶりの鎌倉、年取って一層楽しかったので、ぜひもう一度と思っています。
山、木、お寺と私の好きなものばかり。東京からだと余裕で日帰りなんですね。うらやましいです。