花冷え

2010-03-30 20:49:53 | 日記
入院3日目の昨日はとても寒かった。
午後から腹部エコー検査のため、昼食はそのあとだったので、
母は「お腹が空いた。ひもじい」と訴える。
午後2時半やっと検査、3時に昼食。
思ったほど食べない。
妹とうちの息子、叔母が来た。
夕ご飯は6時、昼ごはんから間がないせいか、あまり食べない。

入院4日目。
「どうした?」と聞くと、
「どうしようもない、入院しちゃって、病気なの? 仕方ない」と
帰りたそう。
あまり話をせず元気がないが、昼食は9割くらい食べた。
便は入院してから少ししか出ていないようだ。
不整脈のため常に心電図送信機を取り付けている。

午後は心臓のエコー検査。「頻脈」ということで薬が処方された。
私は市役所へ行き「後期高齢者医療限度額適用、標準負担額減額認定証」を申請して、
交付してもらい、病院の会計に提示、
これで医療、食事代が減額される。
市役所はバスを利用しなくてはならず、思ったより遠かった。

今日は頭痛がするので、夕飯の介助を妹に任せて、
早めに帰宅した。

病院はやっぱりやだな~というのが、4日目の正直な感想。
妹も同様のようだ。母もいやで仕方がない様子。
なんだか心休まらない。
早くもなんとか帰ることはできないか、
問題点をクリアできないか・・・
なんて考え込んでしまう。

同じ病室の入り口近くのMさんのお嫁さん、
真ん中のベッドの方の息子さん、
そして、母のベッド脇の妹と私、
みな言うことは同じ「おかあさん!話してよ!声だして!」。
同じような事情を抱えて、気持ちが察せられるが、
お互い励まされるというより、身につまされるという感じ・・・。
なんともやりきれないなー。

夜、夫と1時間ほど電話、その後、息子からも電話。
夫も息子も私の体のことが一番大切で心配。
私が倒れれば、母にとっても良くないこと。
環境が変わって今が大変なときだけど、
焦らないでやっていこう
という話になった。

今日はよく寝て、明日は元気になるぞー。
明日は暖かになるかしら。


入院2日目

2010-03-28 23:25:43 | 日記
小さなピンク色のアレンジ・フラワーを買って、
昼食の介助をするため、11時半に病院に行った。
母はベッドの柵を両手で掴んで、壁の方に横向きになって寝ていた。
なんだか物悲しい格好だな~。
腰が痛いようで、元気がない。

朝食は好きなパンだったからか全部食べたようで、
昼食・夕食とも、白米は残すが、おかずは食べてくれた。

医師の言うように、医療の見守りがあるので安心は得られたが、
割り切ろうと思っても、心の重しはとれない。
私を支えてくれているのは、夫と息子である。
昨日も今日も病院に来てくれている。
二人とも、経済的な面では、ない袖は振れない状態だが、
心はぴかぴかの金貨一杯で、私を明るく照らしてくれる。

またもや難題が持ち上がった。
このタイミングでそれかよ~みたいなことだが、
もう今回はここでお披露目するのは控えよう・・・。
現実は厳しい、
そしてその現実を受け入れていくことはなんと大変なことだろう。
でも、負けないぞ~。きっと光は見えてくるはず。

今日笑ったこと。
三人部屋の一番奥に母はいるのだが、入り口のベッドのMさんに
見舞い客があった。
Mさんは食事も口から摂れない、ほぼ寝たきりの方だが、
看護師の問いかけには、たまに大きな声で答えるときがある。
60代の娘夫婦と孫とおぼしきお嬢さんの三人。
「おばあちゃん、2時間もかけて来たわよー、
せっかく来たんだからしゃべりなさいよ」
ととっても明るい大きな声。
それにうちの母が反応しだした。
Mさんは手に障りがあるのか、手袋をしているらしい。
「なんで手袋してるの?」との問いかけに
母は「手袋はしていません」と答える。
「あなたはだ~れ?」には「○○○○です」と自分の名をフルネームで、
「どこが痛いの?」には「腰」といった具合に返事をする。
母のか細い声は、Mさんのベッドまでは幸い届かず、
夫と息子と私の三人は、見舞い客を上回る声で制止するわけにもいかず、
ただただ笑いを堪えるのが精一杯。
小一時間で帰ったあと、息子と私は「あのパワーはすごいな~」と感心するも、
夫はちょっと閉口気味であった。
そういえば、一緒に来ていた娘婿らしい男性はただの一言も発声しなかったな~。
女性パワー恐るべしである。

入院

2010-03-27 23:01:45 | 日記
昨夜、便通がうまくいかないためか、寝苦しいらしく、
一緒に寝てくれとせがまれたが、一緒に寝るスペースがない。
あきらめたが、明け方目が覚めて、母のことが気になり、
寝室をのぞくと左足が痛いというので、
介護ベッドに無理やりもぐりこみ、足をさすってあげたりしたながら、
朝までふたり寄り添って寝た。
午前中2回目のオムツ交換時に、やっとすっきり排便。

お昼ごはんは、妹の手作りのお料理をおいしいと喜んで食べた。
焼き魚は鰆、それにぜんまいとジャガイモ・にんじん・油揚げの煮物、
蕗のしょうが炒め、根三つ葉のお浸し、小松菜の味噌汁。

「大学病院から紹介された病院に行くよ」とだけ母に言って、
昼ごろから来ていた夫に見送られ、介護タクシーで病院へ。
車中「入院するかもしれないよ」と告げた。
枝垂桜がきれいに咲いていた。

私が受付で入院手続きをする間、妹に付き添われて病室へ。
三人部屋の一番奥のベッドで、病院のパジャマに着替え、
横になっていた。
「どこにでも預ければいい」と母はしばらく怒っていた。

本日の検査は血液・レントゲン・心電図。
看護師からの聞き取りや説明、主治医からの話があった。
医師からは、
体の全体状況を見るため、検査をして治療計画を立てること、
ここを退院後は、自宅に帰るか、
長期施設に転院するかを家族で決めれば、それに沿って動くこと、
承知しておいてほしいことは、
入院すると環境が変わるので、ボケるとかの変化が起きる場合があること、
また急に様態が悪化して亡くなるケースがあり、
その場合は電気ショックや呼吸器などの延命処置は行わないので、
ご連絡してご家族が駆けつけても間に合わないことがあるということ
を告げられた。
1~2週間は心配なので毎日来て、昼食と夕食の介助をすることにした。

おばが様子を見に来てくれて、
ケアマネージャーさんもいらしてくださった。
うちの息子も夕食前に顔を見せた。
夕食は、白米・鶏肉のトマト煮・スパゲッティのサラダ。
お箸を持って、8割がた食べてくれた。
息子は母の手を握りながら涙を流している。
優しい子に育ってくれた。
母もこの孫には心を許し、娘たちには言いにくい愚痴をこぼす。
やっぱり、入院はいやなんだな~。

かけることばもみつからなくままの私に比べ、
妹も息子も「早く良くなって帰ろうね」と明るく話しかける。
みんなえらいな~。
そうだね、医師の見解は厳しくたって、家族が希望を持たなきゃ、
本人にも伝わらないよね。
良くなるように!と願って、がんばらないと!

午後7時半、面会時間終了。
母は「仕方ないね」「早く帰りなさい。また来てね」と。
「おやすみ」と母を置いて、病院を出る。
息子と外食をして帰宅、今日は一人きりの夜である。

入院前日

2010-03-26 20:53:21 | 日記
明日の入院が決まった。
雨が上がったが、午前中はどんよりした曇り。
私も、心も体も重く、なんだか動きが悪い。

前日にお風呂に入るのもいいかなと思い立って、
急遽入浴サービスをお願いした。
11時に来て1時間ほどで終わる頃には
お日様が顔を出し、外は明るくなった。
お母さんも温まったし、私もなんだか温かくなってきたよ。
さあ、しっかりしなくちゃね~。

昨夜下剤を飲ませたので、お風呂までに出るといいなと思っていたけど、
そううまくはいかない。
ほんとにお通じもなかなか大変である。
高齢で寝たきりだと腸の動きが悪くなり、出したくてもきばる力がない。
お腹を「の」の字マッサージしたり、
プルーンやヨーグルト、自家製ぬか付けも食べさせたりしているのだけれど・・・。
今日は特に出にくい感じがした。
朝から少しずつ2回ほど出て、1時頃昼食を作ったタイミングで母がとても苦しそうになり、
ご飯は後でということにして、
声をかけつつ介助しながら、なんとか排便、出切った感じはしないが、
ひとまずここまでと、きれいに清拭して、後片付けして、換気して、
寝かせるまで30分~1時間くらいかかり、
母はくたびれて昼も食べず寝入ってしまう。
こんな風に3回、午後は二人で格闘していて、お昼を食べ損なった。
母は「いやになった・・・」とすっかりしょげてしまっている。
元気になってくれるような、気の利いた言葉も思い浮かばない。
今日は母とゆっくり過ごそうと思っていたのだが・・・。
もう浣腸とかでないと無理なのかしら?
病院の医師にお通じのこともよく伝えることにしよう。

明日は午後1時に介護タクシーが来て、病院まで行ってくれる。

「通院が無理になってきたし、大学病院の先生方が、
お母さんの体の状態を考えて一番良いように、
別の病院を紹介してくださることになっていて、
連絡があったら、その病院に行こうね」
と、今のところ、母には言っている。
午前中に妹が来るので、二人でまた話すことにした。

明日はお腹すっきりになってくれますように!

入院に向けて2

2010-03-24 18:13:32 | 日記
土日月と頭痛がして、ちょっとしんどい3日間だった。
妹が来てくれているときに、少し横になって体を休めたので、
だいぶ楽になった。

月曜日は理髪の出張サービス。
11月の初めに美容院に行ったきりなので、髪は伸びていた。
女性の理髪師の方がいらして、母をベッドに座らせて、手早くカット。
あまり短か過ぎず、女性らしいショートカットにして、
鼻の下あたりもきれいに剃ってもらった。
その後、1週間ぶりの入浴サービス。
さっぱりと美人になったが、ちょっとお疲れの様子。

昨日火曜日は、私の細胞診の結果を聞きに乳腺外科へ。
ClassⅠ~ClassⅤまでのうち、ClassⅡの判定、
良性由来の細胞像で、軽度核腫大細胞を認めるということで、
半年後にまた超音波の検査をすることになった。
一安心。

その帰り、母が入院予定の病院に立ち寄り、
ソーシャルワーカーと面会。
2度ほど電話のやり取りをしていて、お目にかかるのは初めて。
きれいでしっかりした感じの方で、丁寧に応対してくれた。
まだ、大学病院からの紹介状が届いていないので、
母の病状や経過をお話しし、入院に関する説明を受けて、
病室を案内していただいた。
古くはないが新しいという建物ではなく、
41床の小さい病院なので、ワンフロアーが狭く、
当たり前かもしれないけど、臭いや明るさ、物の置かれ方など、
やはり病院という感じだなー。
いまどきの新しい明るい病院とはちょっと違うが仕方ない。

長期医療型療養施設への入所は、自宅待機からよりも、
一般病院からの転院の方が待ち時間も少なくてスムーズだそうだ。
入院してから経過を見て、その都度治療方針等を選択していくことなるが、
転院についても、今の時点で決め付けず、
本人の病状や家族の状況の変化によって、家に帰る選択肢もないとは言えないので、
またご相談していきましょうと言われて、なんだか少し気持ちが楽になった。
転院のケースになる可能性が大きいことに変わりはないが、
二度と家に帰れないと思って送り出すより、
「いっていらっしゃい!」と、
家族も一呼吸おいてみるというような心持ちでいることにしよう。
本人の主訴が腰の痛みなので、整形外科の医師にも診ていただき、
全科の先生方で連携してくださるとのこと。

今のところ、土曜日入院予定だが、
母にどのタイミングで話をするか・・・を考えている。
時間の感覚がなく、状況をどこまで理解できて、
記憶がどのくらい持続するかわからないので、
難しいところだ・・・。

今日は午前中、介護区分の見直し審査のため、市役所の人が来た。
最初に母に質問したが、生年月日や年齢、今日の日付など、
前回12月の審査時より、正しく答えられないことが多かった。
その後私への聞き取りを行い、1時間ほどで帰っていった。
午後は、先日レンタルした車椅子の確認等のため、
ケマネージャーが来訪。
私と同じ年の頃の方で、入院も近いせいか、
今日は珍しく少し世間話をした。

明日は大学病院の神経内科の受診の日だが、
もう通院は本人に負担なので、キャンセルし、
同じく明日の生活援助のヘルパーも断った。
夜のヘルパーについても、私がオムツ交換ができるようになったので、
お断りしようかとも思ったが、
他人に慣れるためにも、来てもらったほうがいいのではという夫の意見もあって、
引き続きお願いすることにした。

冷たい雨が一日降っている。
桜もつぼみを硬くしているだろう。
花粉症にとっては過ごしやすい日だ。
庭の金木犀の木に3羽、尾長かな?が来て、きれいな声で鳴いていた。

ひんやりとした気候なのに、母は暑いと布団をはがしている。
腰痛のためか、居心地がなんだか悪そうで、にこりともしない。
紅茶のマグカップを持つ手に力がなくなってきて、
箸使いも心もとなく、自分で口に運ぶのがだんだんできなくなってきた。
でも、朝・昼食ともまあまあ食べてくれている。
母はパンがとても好きだ。
ちょっと甘いパイのようなペストリーが特にお気に入り。
こんなにパンが好物だったとは、一緒に暮らしてのちょっとした発見だった。