愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 164 飛蓬-71 小倉百人一首:(右大将道綱母) 嘆きつつ

2020-09-04 09:58:21 | 漢詩を読む
(53番)歎きつつ ひとり寝(ぬ)る夜の 明くる間は
     いかに久しき ものとかは知る
          右大将道綱母 『拾遺集』恋四・912
<訳>嘆きながら、一人で孤独に寝ている夜が明けるまでの時間がどれだけ長いかご存じでしょうか?ご存じないでしょうね。(小倉山荘氏)

oooooooooooo
待ち人来らず。寝付かれぬまゝ独りぽっちで一夜を過ごそうとしている頃、彼は、なんと夜明け前に久しぶりに訪ねてきました。待つ身にとって、夜が明けるまでの時間の長いこと、解ってくれようとしない人!門を閉ざして追い返した次第。

待ち人は、稀代の浮気男、否、後の関白・藤原兼家(929~990)でした。関白職を自分の筋の人が独占できる体制を築いた策謀に長けた人です。作者は、その奥方の一人で、道綱(ミチツナ)の母親です。兼家との結婚生活を綴った『蜻蛉日記』の作者である。

女房ならぬ、また言葉遊びではない、上流夫人の真剣な思いを吐露した歌で、真意を捉えることがやゝ難しい歌です。理解を助ける為に、漢詩化に当たっては、『蜻蛉日記』に述べられているという詠われた時の情景を“序”として添えた。

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<漢詩原文および読み下し文>  [入声四質韻]
 孤孤独独的女人  孤孤独独な女人
  序 有一夜黎明情人好久才来訪我,可我杜門遮攔他的進屋了。
    次晨,和一朵剛要衰朽的菊花,给他贈了這首詩。
漫夜聞蟋蟀, 漫たる夜 蟋蟀(シッシュツ)を聞く,
戚戚煢暗室。 戚戚(セキセキ) 煢(ケイ)として暗室にあり。
明発真是久, 明発(メイハツ) 真に是れ久しきも,
君無従獲悉。 君 獲悉(カクシツ)の従(スベ)無からん。
 註]
  漫:長い。         蟋蟀:コオロギ。
  戚戚:憂い歎くさま。    煢:独りぼっち。
  明発:夜明け。       無従:…する手がかりがない。
  獲悉:知る、耳に入る。

<現代語訳>
 孤独な女性
  序 ある晩の夜明け前に、想い人が久しぶりに私を訪ねてきたが、門を
    閉め切って家に入れないようにした。
    朝になって、盛りを過ぎた菊花一輪を添えて、この詩を彼に贈った。
秋の夜長、コオロギの鳴き声を聞きつつ、
暗い部屋で 独りぼっちで寂しく休んでいる。
夜明けまでなんと久しいことか、
あなたは知る由もないでしょう。

<簡体字およびピンイン>
孤孤独独的女人 Gūgū dúdú de nǚrén
  序 有一夜黎明情人好久才来访我,可我杜门遮拦他的进屋了。
   次晨,和一朵刚要衰朽的菊花,给他赠了这首诗。
漫夜闻蟋蟀,Màn yè wén xīshuài,
戚戚茕暗室。qī qī qióng ànshì.
明发真是久,Míng fā zhēnshi jiǔ,
君无从获悉。jūn wúcóng huò.
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右大将道綱母(ミチツナノハハ、936?~995)は、陸奥守・藤原倫寧(トモヤス)の娘で、“本朝三美人の一人”と言われたほどの美貌であった由。歌人として早くからよく知られていて、『拾遺集』以下の勅撰集に38首入首し、家集に『伝大納言母上集』がある。

父は大学寮で詩文や歴史を学ぶ文章生(モンジョウショウ)出身である。弟の長能(ナガヨシ)も歌人、また姪に『更級日記』の作者がいる。道綱母、一子・道綱および弟・長能の三人ともに中古三十六歌仙に選ばれている。文学の才に恵まれた血筋と言える。

954年、藤原兼家の第2夫人となり、翌年一子・道綱を儲ける。しかし兼家にはすでに正室・時姫がいて嫡男・道隆が誕生していた。道綱母は時姫に対して非常なライバル意識を持ち正妻の地位を争ったが、多くの子宝に恵まれた時姫を超えることはできなかったようだ。

上掲の歌は、兼家との結婚2年目に、兼家が他の妻に夢中になって来訪が途絶えがちになった頃に詠んだ歌である。夫の浮気に嫉妬して怒っている道綱母が、自分の苦しい心中を察してほしいと詠んだ歌なのである。

なお『拾遺集』での詞書によれば、訪れてきた夫を、わざと門外に長く待たせておき、門を開いたら、「待たされて立ち疲れたよ」と言って、入ってきた。そこでこの歌を贈ったとされている と。漢詩の序は、『蜻蛉日記』の記載に拠った。

兼家との結婚生活は、当初は幸福な夫婦生活を送っていたが、やがて夫の足は遠のきがちとなり、不本意な結婚生活となっていったようです。兼家との満たされない生活の思い出を中心にまとめられたのが『蜻蛉日記』である。

『蜻蛉日記』は自らの身の上を主題に書かれた初めての女流日記文学と言えるようだ。晩年に回想して書かれたもので、仮名散文で書かれ、和歌(261首)を交えた展開で、その文学史的な意義も大きく、後の『源氏物語』に繫がる大きな意味を持った作品とされている。

兼家は、忠平(貞信公、百人一首-26番)の孫にあたり、師輔の3男、長兄に伊尹(謙徳公、同-45番)がいる。次兄・兼通との確執を経ながら勝ち抜き、摂政・関白まで昇ります。子宝に恵まれ、嫡男・道隆、5男道長と続き、地歩を固めていきます。

その上、長女・超子に冷泉上皇との間に生まれた居貞親王、次女・詮子に円融天皇との間に生まれた懐仁親王が、それぞれ、後三条天皇および一条天皇に即位するに及び、外戚としてその権力基盤が盤石となり、藤原氏の全盛時代を迎えることになります。

当時の他の女流作家が、宮中などに仕えた女房であったのに対して、道綱母は、権勢家の夫人で家庭にあった人である。上掲の歌は、言葉遊びの歌ではなく、当時の一上流夫人の生の声ということである。

『蜻蛉日記』は、兼家との結婚時から書き始め、亡くなる約20年前、39歳の大晦日を最後に筆を止めているという。晩年は摂政になった夫に顧みられることも少なく、寂しい生活を送ったと言われているが、詳細は不明である。

名称『蜻蛉日記』の由来は、日記中次のように記載されている:「なほものはかなきを思い、あるかなきかの心ちする かげろふの日記 といふべし」と。
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