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愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題400 漢詩で読む『源氏物語』の歌 (十六帖 関屋)

2024-04-22 09:27:44 | 漢詩を読む

[十六帖 関屋 要旨] (29歳秋) 

源氏は、明石から帰京した翌年の秋、願ほどきに石山寺に詣でます。一方、夫・伊予介の転任に伴い常陸の国へ下っていた空蝉は、夫の任期が終わって東国から都へ向かっていた。その途中、逢坂の関で偶然に源氏の行列と空蝉は行き合わせます。帰京した源氏は、早速、空蝉の弟・小君(現衛門佐)を介して、空蝉に歌を贈ります:

 

  わくらはに 行き逢うみちを 頼みしも 

     なほかいなしや 塩ならぬ海    (光源氏)  

 

その後、夫と死別した空蝉は、義理の息子から言い寄られ、困惑の末、誰にも相談することなく出家して尼になります。

 

本帖の歌と漢詩

ooooooooooooo  

わくらはに 行き逢うみちを 頼みしも  

  なほかいなしや 塩ならぬ海  (源氏 十六帖 関屋)  

 [註] 〇わくらは(わくらば):偶然に、まれに; ○逢うみち:近江路の掛             詞; 〇かいなし:貝(甲斐)がない、掛詞; 〇塩ならぬ:塩(縁)のな           い、掛詞。 

 (大意) たまたま貴女と行きあったのが近江路とは、その「あふ」という言           葉を頼みにしておりましたのに、やはり甲斐のないことでしたね。塩の           ない海・琵琶湖には貝は住んでいないから。 

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<漢詩> 

   錯過去      錯過去(スレチガ)いぬ   [上声十賄韻]

偶逢機会路近江, 偶(タマタマ)逢う機会あり近江(オウミ)の路, 

唯憑字逢青眼待。 唯(タ)だ逢の字を憑(タノミ)として 青眼に待つ。

何若無效空度時, 何若(イカン) 效(カイ)無く空しく時を度(ワタ)り,

却懷琵琶無塩海。 却(カエ)って懷(オモ)う琵琶(ビワコ)は無塩の海と。

 [註] 〇錯過:すれ違う; ○近江路:“逢う路”の掛詞; 〇憑:頼みとする;     〇青眼:好意的に、魏の文人・七賢の一人・阮籍(ゲンセキ)は、自分の気に入       らない人物は白眼で睨み、好ましい人物は青眼(黒目)で迎えたという故事         から; 〇無塩海:塩気(縁)のない海で貝(甲斐)がない。   

<現代語訳> 

 擦れ違いで逢えず 

偶然にも逢える機会があったあうみ(近江)の路、

唯 あう(逢)の字を頼みにして、期待の心をもって待っていた。

どうしたことか 効はなく、空しく時を過ごすことになった、

却って思う、琵琶湖は塩(縁)のない海で、貝(甲斐)がないのだと。

<簡体字およびピンイン> 

 错过去           

偶逢机会路近江,    Ǒu féng jīhuì lù jìnjiāng,

唯凭字逢青眼待。 wéi píng zì féng qīngyǎn dài.

何若无效空度時, Hé ruò wú xiào kōng dù shí,

却怀琵琶无盐海。 què huái pípá wú yán hǎi.

ooooooooooooo   

今なお、矜持を崩さない空蝉ではあったが、久しぶりに得た源氏から贈られた文字に思わず本当の心が引き出されたようで、つぎの返歌を送った。“夢のような気がいたしました”と添え書きして:

 

    逢坂の 関やいかなる 関なれば 

        しげき嘆きの 仲を分くらむ     (空蝉)

  (大意) 逢坂の関とは一体どんな関だと言うのでしょう、こうも深い嘆きを味        わわせて、私たちの仲を割いている。 

 

【井中蛙の雑録】 

○ 十六帖 「関屋」での光源氏 29歳の秋。

○ 令和の今日、琵琶湖には在来の貝類66種が知られていて、約半数が琵琶湖固有種であるという。当時は、海水のない所では“貝”はいないと考えられていたのでしょうか? 

○ “行き逢うみち”:近江路、逢う; “かいなし”:貝、海、甲斐、効; “塩ならぬ”:塩、縁 等々、掛詞がふんだん。

 

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