goo blog サービス終了のお知らせ 

愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

からだの初期化を試みよう 21 アローン操体法 余話-1 背伸び(3)

2015-12-05 18:09:16 | 健康
目が覚めた直後のヒトのからだの“超リラックス”状態を想像する。

まず、頭はボヤッとしており、いわゆる、寝ボケ の状態にあると言える。旅に出て、ベッドから降りようとして踏み出すと、時に壁に足をぶつけることがある。ベッドの配置がいつもと違うのに気が付かないのである。

心臓の拍動は遅くなり、明らかに心臓はノンビリと仕事をしている。多くの場合、血圧は低く、血管は開いた状態にあるであろう。呼吸数も少ない。

筋骨格系はどうか。就寝中、動く必要がなく、ほとんどの筋肉は弛んだ状態にあると考えてよい。

動物が動く際に、筋肉とともに重要な働きをしている“関節”、骨と骨のつながる部分はどうか。ここでは関節内―関節腔―について考えてみる。

ちょっと関節の構造を想像して頂こう。関節腔は、潤滑油の働きをする関節液で満たされている。相対する骨の末端には軟骨部がある。ここには血管の分布がなく、酸素や栄養は関節液から供給されることになる。一方、関節液は、よその場所で、毛細血管から酸素や栄養を供給されるのである。

数時間以上にわたる睡眠中、関節の動きは少ないため、関節液をかきまわすことは少ないと考えてよい。それでも関節腔周辺の細胞は栄養分を消費することから、淀んでいる関節液中では、特に、軟骨細胞の周辺では、栄養分の濃度は低くなっていると考えてよい。すなわち、骨軟骨などは栄養分の少ない栄養液中に浸されていると想像されるのである。

脳は、その活動のエネルギー源として専ら血糖―ブドウ糖―に依っている。筋肉など諸組織の細胞にとっても血糖はやはり重要である。通常、血液検査では、就眠中の絶食が続いた後に測定される早朝の血糖値が健康状態の重要な指標として参考にされる。早朝には血糖は低い状態にあることは周知のとおりである。

腹部内臓では、就寝中、一日の間に摂った食事の吸収・消化に余念がない。摂取した食物を消化して、からだの構成に必要な成分や日中の活動に必要なエネルギーを産生し、蓄えているのである。血液の分布は、運動に関わるからだの部分から腹部内臓に偏っているであろう。

これらの状態を生理学的に表現すると、交感神経系はお休み状態、副交感神経系の活動が活発化している と言い表される。この状態は、一見、“リラックス”した好ましい状態にあるように思える。しかし、である。むしろ、ダラリ と 緊張のなくなった状態にあると想像でき、“精気”に満ちたリラックスした状態とは言えないであろう。

さらに、忘れてはならない点が幾つかある。“肩こり”や久しぶりの運動後に起こる”筋肉痛”である。それらは2,3夜の就眠では解消されない場合が多い。回を改めて、これらの点も含めて考えていきます。

<<付記>>
先に触れたように、朝、起き掛けには下肢関節の内腔及びその周辺組織の状態は、直ちに立ち上がり、活動を始めるのに適切な状況にはない。

立ち上がるだけで体重数十kgの負荷が掛かることになる。加えて階段の上り下り、または活動を開始した場合は、負荷はさらに増すことにつながる。不適切な状況下、関節に対する負担は計り知れない。起き掛けには、まず、アイドリングを行うようお勧めしたい。

中年過ぎの人、特に、日常膝関節に違和感を覚えるような場合は、猶更である。以下、膝関節及び足首関節についての簡単なアイドリング法を紹介します。所要時間は、ほんの2、3分です。試しに実施してみて頂きたい。実施後に歩きだした場合、足、関節が軽くなった感覚を覚える筈です。

§ 関節のアイドリング法
起き上がったら、椅子(またはベッドの縁)に腰かけます。

下腿の内・外転
右脚(または左脚)を挙げて、太ももの高さを保ったまま、足先を下方に向けた状態にします(写真1)、膝を支点にして足の部分を内側(写真2)→上(写真3)→外側→下へと、8回回転させる(外転)。そのとき、足指先で導いて円を描くようにします。

写真1 写真2 写真3

反対の脚についても、同じ要領で行う。

似た要領だが、膝を支点にした足の部分の回転方向を逆に行う。すなわち、片脚ずつ、それぞれ、下→外側→上→内側→下と8回回転させる(内転)。

膝の屈曲・伸展
右脚を挙げて、太ももの高さを保ったまま、足先を下方に向けた状態にします(写真4)。足部分を反らし(背屈)、踵で蹴りだすようにして膝を伸ばし(写真5)、直ちに膝を曲げ写真4に戻す。ついで 足つま先を前方にしつつ(底屈)、膝を伸ばし(写真6)、直ちに膝を曲げ写真4に戻す。

写真4 写真5 写真6

足部分の背屈、底屈を1セットとして、4セット行う。
<<付記>> 了
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

からだの初期化を試みよう20 アローン操体法 余話-1 背伸び(2)

2015-11-27 15:31:03 | 健康
まず、ぐっすりとやすんだ後、眠りから覚めた時点での‘からだ’がどういう状態にあるのか想像してみたい。一日の活動の始まる瞬間ですが、全身、超リラックスした状態にあるであろうことは想像に難くない。ただ、この超リラックスした状態が、運動であれ、仕事であれ、直ちに活動を開始してよい状態にあるか と問うことから論を始めたい。

この問いへの答えは、からだの‘初期化’とは? について考える上でのヒントを提供してくれると考えている。なお、“超リラックス”と“超”を付けたわけは、追々記していきたい。

PC周辺の諸機器、例えば、記録メデイアのDVDデイスクについて言えば、“物体”であるデイスクに、PCにつないで働かせるためのソフト、“ドライバー”(?)を組み込み入れて初めて働かせることができる。

クルマで言えば、“物体”である車体(エンジンを含めて)で、エンジンを起動して“アイドリング”の状態にして初めて、クラッチ、アクセル等々の操作で動かすことができる。かつて、特に、冬場では、クルマの運転は、アイドリングを充分に行い、エンジンを温めたのちに開始していたものである。

眠りから覚めて間もないヒトの‘からだ’の状態は、“ドライバー”の組み込まれていないPC周辺機器、あるいはアイドリング状態にない”クルマ“に譬えられるのではないか と考えられる。つまり、超リラックスした状態にあり、直ちに活動を行える状態にはない と言えるのではないか。

早朝に目覚めた際、大抵、寝床の中で横になったまゝで、両腕を頭上に伸ばして、“ウーン”と、身体を右に左に捻りながら、全身で“背伸び”をするのが筆者の一日の始まりである。これは無意識の行動である。

つらつら考えるに、この行動は、例えば、“ドライバー”を組み込む、あるいは“アイドリング”の状態にするなどのように、ヒトが一日の活動を開始するにあたって“からだを超リラックス状態から抜け出させる”ための必要最小限の本能的な行動であるように思われる。

イヌやネコでも、眠りから覚めて、行動を開始するとき、“背伸び”を思わせる行動をとることは、先に述べた通りである [からだの初期化を試みよう 2 イヌ・ネコに学ぶ(1)、2015.03.31 投稿]。鳥でも片足を伸ばして、同時に、同じ側の片翼を広げて伸ばす、また両脚を直にしながら、今にも飛び立つように両翼をバタバタと2,3回羽ばたくなどの所作をすることがあり、やはり“背伸び”を思わせる。“背伸び”は、生物(動物)に備わった本能的な行動の一つであろう。

以後、ヒトでの超リラックスした状態とは、具体的にどういう状態と考えられるのか、無意識的に行われる“背伸び”の際、身体に何が起こっているのか、また意識的に“背伸び”を行う意義など、順次想像を巡らしていきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

からだの初期化を試みよう19 アローン操体法 余話-1 背伸び(1)

2015-11-15 16:29:24 | 健康
今年10月7日~12日の間、京都高島屋グランドホ-ルで、第62回日本伝統工芸展(京都展)が開かれ、いろいろな分野で入賞された伝統工芸品が展示された。中でも人形分野の桐塑作品の一つで、井上楊彩作の「目覚めの刻(とき)」と題した人形に魅せられ、惹かれて会場を訪ねた。

まず写真1をご覧頂きたい。可憐な乙女が、薄紫のタイツに身をつつんで、ウーンと、両手を挙げて“背伸び”をしている姿です。「目覚めの刻」と題されているところから、朝に目覚めた直後でしょう。

 写真1

しなやかな身体を、心地良さそうにのびのびと伸ばして、新鮮で、爽やかな朝の空気を胸いっぱいに吸っているようです。生の喜びが感じられます。

残念なのは、上の写真は、当日配られたポスターのコピーであるため、作品の良さが十分に伝えられているとは言えません。ただ姿・形を伝えるために、敢えて挙げたに過ぎません。

実際の像は、ほぼ二十数cm高の桐塑彩色作品ですが、肌や衣装の色使い、からだの線、顔の表情…..非常に印象に残る作品です。なおこの作品は、2015年第62回日本伝統工芸展の“会長賞”に輝いています。実物は一見の価値ありと言えます。

偶々、今10月のさる日、NHK TVニュースで該展覧会開催の件が、人形「目覚めの刻」の写真とともに報じられたのが目に入った。筆者は、常々“背伸び”の効用を考えていた矢先で、人形「目覚めの刻」の姿態が目に焼き付き、居たたまれず、実物を見るために急遽会場を訪れた次第である。

向後、“背伸び”について考えていきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

からだの初期化を試みよう 4 アローン操体法の実際-2 [B]首周りのストレッチング(1)

2015-05-08 10:12:23 | 健康
B] 首周りのストレッチング

本B]項で紹介するストレッチング体操は、他に類似の体操法がなく、やヽ難しい面があります。首周りを前後、左右、前後の斜め方向と順次ストレッチングを行いますが、この順序は単に覚えやすいということだけではなく、首周りの筋群へのストレッチ効果をより一層高めるために動作が反対側あるいは対角線側へと順次進むようにしてあります。

なお各項に注意書きしてありますが、首を折り曲げて頭部を倒す、つまり“屈曲させるのではない”という点をまずご理解頂きたいと思います。首の部分はできるだけ直に保って、顎と頭頂部で方向付けを行い、頭部の動きを“操作”して首周りの筋群をより効率的にストレッチするようにします。その補助的手段として、左・右足への体重移動、手・腕部分による力の方向付けを行い、頭部と肩部に跨る筋群に対して引っ張る力を集中させるようにします。

解剖学的特徴として首と頭の繋がりは、頭部が頸椎柱の頂上にある環堆の上に乗っかった状態にあります(図1)。つまりやや底が窪んだ小皿の上に底の丸いお鍋が乗っかった状態をイメージするともっともよく理解できるでしょう(図2)。このイメージ図を基に考えます。自然に立った状態が真中の図です。一方、首は直のままで、小皿(環堆)の上で鍋(頭部)右側を上方に滑らしていった状態が右の図<c>です。すなわち右側の胴体部と頭部に跨っている筋肉群(バネで表示してあります)が効率よくストレッチされることになります。左図は首を曲げた状態、すなわち、左に“屈曲”した状態を示しており、右側筋肉に必ずしも効率的なストレッチ効果が期待できるとは言えないでしょう。

図 1
図 2

実際は、この図を想像しながら、“考えるよりまずやってみる”ことが早道で、次回からストレッチング法の実際に進みます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閑話休題 6 杜牧(3)

2015-04-28 13:52:06 | 健康
杜牧の詩に戻って、作者杜牧が全山色づいた紅葉を愛でている情景・状況を想像してみたいと思います。

まず杜牧(1)で挙げた詩の第1句、『新漢詩紀行ガイド』で、“晩秋の山歩き。山道をのぼる作者の行く手に、別世界が開けます”との解説があることから、石川忠久師は、明らかに作者が山道を登って行っている様子を想像されております。しかし同詩の転句で、“車をとどめて……”とある。もしも作者が山道を登っていっているとすれば、作者は、“どこか他所に車をとどめて歩いて登って”いるか、または“車に乗ったまま登っていて、途中で車をとどめている”かのいずれかでしょうか。

この状況を、宇野直人・江原正士師は、『漢詩を読む』の中で、“彼(杜牧)は官僚ですので、歩いているのではなく、人が押す手押し車に乗っているようです”と解説しております。確かに地方役人とはいえ、官僚としてかなりの権力を持っているであろうから、屈強な下っ端役人に手押し車を押させていることは考えられないことではないでしょう。

ところで、作者が登っていると想像している場所は、第1句にあるように“山の斜面にある細くて狭い、曲がりくねった、石ころだらけの道”です。先に杜牧(2)で示した箕面の山中の小道と大同小異な状況ではないでしょうか。また作者は官僚であることから、それなりに正装していると考えられます。晩唐ともなると、官僚は体を鍛錬することもないでしょうから、正装した状態で山道を‘遠く白雲生ずるところ’まで登る程に体力が十分にあるとは思えません。さらに当時手押し車があったかどうかの論は別にして、このような山の石ころ小道を手押し車で登って行くのはかなり難儀なことではないでしょうか。

筆者がこれまでに目にした漢詩に関する書物ではすべて、とは言っても数種の書物に過ぎませんが、作者の杜牧が、山中の小道を登って行きながら車をとどめて紅葉を愛でている、とする内容になっています。しかしその情景は、上述のように、筆者にとって不自然に思えてなりません。詩意を損なわずに、美しい自然な絵として“山行”を想像することはできないものでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする