下記は婦人公論.jpからの借用(コピー)です
『渡る世間は鬼ばかり』などを手がけた脚本家の橋田壽賀子さんが、4日、亡くなりました。享年95。何度も『婦人公論』にご登場いただいた橋田さんですが、2019年には「死」についてのテーマで対談に応じました。対談相手は介護現場の取材を通し、ひとり暮らしでも最期まで笑顔で過ごせる生き方を考える社会学者の上野千鶴子さん。考えを異にするお二人が、橋田さんのお宅で意見を交わした際の記事を再掲します。(構成=篠藤ゆり 撮影=藤澤靖子)
クルーズ船上で命拾いして
上野 今回、このテーマでぜひ橋田さんとお話ししたいと思いました。お引き受けいただき、ありがとうございます。
橋田 なかなかお目にかかれない、珍しい方ですから(笑)。ぜひ一度、という欲がありました。
上野 なんでも今年の2月に、大型客船飛鳥IIのクルーズ中に死にかけたとか。
橋田 ベトナムに停泊中、船内でバケツに半分くらい下血して、下船しフエの病院に入院させられました。
上野 ベトナムの病院で輸血をずっと続けてくれたおかげで、命拾いしたそうですね。
橋田 導尿や心電図の線にがれて、4日間身動きもとれない。輸血をしても下血が止まらないから、ざるに水を入れるようなもの。通訳を介して「輸血はやめてください」とお願いしたのに、通じないんです。
上野 輸血をやめたら、死んでしまいますよ。
橋田 このまま死ねたらいいと思いました。約30年前に夫には先立たれ、子どもも親戚もいない。人の倍くらい脚本も書いてきましたから、何も思い残すことはありません。
上野 すばらしいお覚悟だと思いました。私は橋田さんとは23歳違いますが、その年齢になった時、そういう気持ちになっているかどうか……。
90までは現役でいたけど
橋田 4日目に日本からドクターを乗せたジェット機が来て、東京に搬送されました。検査の結果、食道と胃の間から出血していたことがわかった。船のレストランで食べ過ぎたので、指を突っ込んで吐いたんです。それでもともとあったヘルニアが破れ、出血がつかえて下から出たと。
上野 命拾いされて、今、どう感じておられます?
橋田 私はもう、94歳です。痛くもかゆくもなかったので、あの時死んだら楽だったなと思います。
上野 本当にそう思われますか? 今、要介護でも要支援でもないし、こんなにお元気なのに……。
橋田 でも腰も痛いし、脚も痛い。
上野 高齢ならそのくらい、当たり前ですよ。(笑)
橋田 90を過ぎてから、ほうぼう衰えてきて……。人に迷惑をかけないうちに死にたいんです。
上野 90までは、そうは思わなかったわけですね。
橋田 それまでは連続ドラマも持っていたし、仕事が忙しかったので。
上野 つまり、90までは現役でいらした。老後ではなかったんですね。
橋田 はい。90になり、さすがに連続はやめ、今は年に1本、『渡る世間は鬼ばかり』を書いています。
「安楽死で死にたい」と発信した理由
上野 今回、お会いしたかったのは、橋田さんが雑誌や本で「安楽死で死にたい」とお書きになったから。影響力がおありだから、反響も大きかったですね。
橋田 そんなに影響力ありますか?
上野 もちろんですよ。雑誌で何十人もの方がそのテーマで質問を受け、私もその一人でした。人間の生き死には個人のものだから、自分なりの死に方を選ぼうとする方もいる。でも、何も声高におっしゃらなくても。影響力のある方による「安楽死させてほしい」という発言は、社会的メッセージになりますから。
橋田 人に勧めるつもりはありませんでした。でも個人的には、90歳を超えたら安楽死を選択できるような法律がないかと夢想します。
上野 100歳を超して生きている方は、いっぱいおられますよ。
橋田 その方たち、楽しいと感じているのかしら。
上野 今回の『婦人公論』の老後特集に関して、私は「明るい」とか「楽しい」ではなく、「機嫌よく」という言葉を使ってほしいと注文をつけました。高齢になっても日日機嫌よく、ニコニコして生きておられる方も大勢います。
橋田 でも私はそんなにニコニコして生きたくないですもの。
上野 あら、そう(笑)。どうしてですか?
橋田 じっと座ってご飯を食べているだけで満足な方もいるかもしれませんが、私はその状態を楽しいと思えない。機嫌よく生きられないから、死んだほうがいいと思うんです。
好奇心だけで生きているような人間です
上野 こんな素敵なおうちで、機嫌よく暮らしておられないんですか?
橋田 今はまだ仕事がありますし、お船が好きなので、乗せてもらえるならクルーズにまた行きたいですが。お船に乗るといろいろな方がいらっしゃる。人間観察が大好きなので。
上野 好奇心が強いんでしょうね。
橋田 好奇心だけで生きているような人間ですから。
上野 好奇心は長寿の秘訣です。
橋田 あらっ! じゃあもう、好奇心を持つのよそうかしら。(笑)
上野 まだまだ、生きる意欲や元気がおありじゃないですか。
橋田 それがだんだんねぇ……。最近はプールで泳ぐのもしんどくなってきて、行く回数が減っています。
上野 そのお歳でプールに行くなんて、驚異的です!
橋田 足腰が弱らないように、週3回、トレーナーさんについてトレーニングもしています。
上野 そういうお話を伺うと、まだまだ生きていたいという意欲があるようにお見受けしますが。
「自分が家にいる時は仕事をしないでくれ」
橋田 私は大正14年生まれですから、大正、昭和、平成、とうとう令和まで生きてしまいました。
上野 びっくりしたのは、旦那様は、「自分が家にいる時は仕事をしないでくれ」と言ったとか……。
橋田 その約束で結婚しました。でも考えてみたら、結婚している間が一番仕事をしています。「この時間内に書かなきゃ」と思うと、夢中になって、はかどるんです。それにひとりだと、仕事関係の人と喧嘩して降ろされたら食べていけない。けれど結婚相手がいれば生活の心配がないから、喧嘩してでも意志を通せる。
上野 旦那様は、早くにがんで亡くなられたんですね。
橋田 60歳でした。
上野 橋田さんご自身は、寝たきりになったら生きていたくないというご意志が強い。でも、もし旦那様がそうだったら? 生きていてほしいと思われたのではないでしょうか。
橋田 もし今いたとしたら、意思を書いておいてもらいます。「動けなくなっていても生きていたい? もしそうじゃなかったら、それなりの処置をしてあげるわ」とたずねるかもしれません。
上野 旦那様が指示書を書いておられたとしても、元気な時の意思ですよね。実際に寝たきりになったら、お気持ちが変わるかもしれない。その時になってかなければ、わかりませんよ。
橋田 そうかもしれません。そういう時は、「私もイヤだから、きっとこの人もイヤだろう」と判断しちゃったでしょうね。(笑)
テレビを見るのが楽しくなりました
上野 橋田さんが安楽死について考えるようになったきっかけは?
橋田 仕事が減ったから。仕事がなくなったら、生きていてもしょうがないですよ。
上野 仕事欲も、生きる欲ですよね。
橋田 ところが、その欲が減ってきた。「これを当ててやろう」という気持ちが、今はなくなりました。
上野 このお歳ではもうそんなにギラギラしなくてもいいのでは(笑)? 橋田さんは戦争を経験されて、『おしん』でも戦争について描かれている。戦争中の経験が深く影を落としていると感じます。
橋田 終戦の時ちょうど20歳。青春なんてありませんでした。目の前で友人が機銃掃射で死んだけど、私は死ななかったので、「もうけた命だ」という感覚があります。
上野 命があってよかったと思われました?
橋田 そう思うのは大変でした。でも今になって、「やっぱり死ぬより生きていてよかった。少しは世の中のためになったかな」と。それに何があっても、戦争中に比べればたいしたことない、とも思えます。
上野 だったら、「仕事がなくても、たいしたことない」とはなりませんか? 定年を迎えた後にも生きている方は大勢います。皆さん、別の楽しみを見つけてらっしゃる。
橋田 確かにこの頃、テレビを見るのが楽しくなりました。以前は、テレビを見る暇もなかったんです。
上野 それまでは生産者としてご自分が作りだしてきた世界を、今は消費者として味わっておられる。長生きしてよかったじゃないですか。
橋田 そうですね。それを知らないで死んだら、ちょっとつまらない。でも病気になって脚が動かなくなり、人の世話にならなくてはいけなくなったら、やっぱり生きていたくない。上野 介護保険の保険料も払っておられるんだし、これまで払った税金の額を考えれば、介護保険を上限まで使っても、もとがとれないぐらいでしょう。
橋田 体を触られること自体がイヤなの。とにかく、誰かのお世話になるなんて……。
上野 でもお手伝いさんには来てもらっているのでしょう?
橋田 そうね。(笑)
「よく生きる」とはどういうことか
上野 認知症になったら死なせてほしい、とも書かれていましたね。
橋田 認知症が一番怖い。幸い先日の人間ドックでは、脳はまだ大丈夫ということでした。耳もまだ、補聴器を使っておりません。
上野 悪口がよく聞こえる。(笑)
橋田 認知症になっても、楽しいと感じるのでしょうか。
上野 認知症の方も食事をおいしそうに召し上がるし、お風呂に入れてもらうと、「気持ちいい」とおっしゃる。海や空を見て「あぁ、美しいなぁ」と、日日機嫌よく過ごされる方もいます。
橋田 そういう方は私みたいにひとりぼっちではなく、きっと、会いに来てくれる肉親がいるんでしょう?
上野 そうとも限りません。いろいろです。私は大勢のお年寄りを見てきました。皆さん、ゆっくり下り坂を降りていくのを見て、「あぁ、人はこうやって老いて、こうやって死んでいくんだな」と思います。お話を伺っていると、橋田さんはよく死にたいというより、よく生きたいと考えていらっしゃると感じました。
橋田 その通りです。よく生きたいし、よく生きられなくなったらサヨナラしたい。人のお世話になるのは、今の私には「よく生きている」と、思えないわけです。でも、この先どうなるかはわかりません。人の気持ちは変わりますから。
上野 それを伺って、私は今日、来た甲斐がありました。安心しましたよ。ということは、私はこれから橋田さんの最期まで、じっと見ていなくてはいけませんね。
橋田 うまく死ねるかどうかはわからない。上野さん、見届けてね。
上野 はい、ぜひそうさせてください。
出典=『婦人公論』2019年6月11日号
橋田壽賀子
脚本家
1925年京城府(現在のソウル)生まれ。9歳で大阪府に戻る。日本女子大学卒業、早稲田大学を中退後、松竹に入社。その後フリーの脚本家に。『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』などのヒットドラマを手がけた。2015年、文化功労者に選ばれる。著書に『安楽死で死なせて下さい』など
上野千鶴子
東京大学名誉教授
1948年富山県生まれ。東京大学名誉教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。日本の女性学、ジェンダー研究のパイオニアとして活躍。高齢者の介護とケアもテーマとしている。著書に『おひとりさまの老後』『女ぎらい ニッポンのミソジニー』ほか多数。近著は『人生のやめどき』(樋口恵子氏と共著)、『在宅ひとり死のススメ』
下記はフライデイオンラインからの借用です
「そもそも国民を不信に思う輩が、な~にが皇族と結婚だ」
旧皇族の竹田家出身で明治天皇の玄孫にあたる、作家で政治評論家の竹田恒泰氏が6月4日、自身のユーチューブチャンネル『竹田恒泰チャンネル2』で眞子さまの婚約内定者である小室圭さんを酷評した。
竹田氏は、女性自身の≪小室圭さん「帰国せず」の理由は“日本国民への不信感”か≫という記事や、FRIDAYデジタルの≪小室圭さん”帰国&会見”ナシで眞子さまと「逃げ切り婚」計画か≫という記事を読みながら、私見を語った。
小室さんの代理人弁護士が一時帰国の予定も会見の予定もないとしていることから、発表した“28ページの小室文書”で説明が事足りていると考えているのではと推察。また、日本国民から不満が噴出していることにヘソを曲げて、国民に対して不信感を抱いているのではないかと話した。
また竹田氏は、
「天皇陛下がどれほど国民を理解しようとして努力し、幸せを祈ってらっしゃるか。国民に意識を向け理解しようとしそして共に笑い共に泣き国民に寄り添ってきた。その天皇陛下を皇族方が支えてきたわけですよ。
その結婚相手となる人が国民に対して不信とか。そんな真逆の価値観の人がそもそも皇族との結婚なんていうのは根本的にあり得ない」
と、小室さんのこれまでの態度を徹底批判した。
小室さんは、母親の佳代さんと元婚約者のAさんの間でおきた金銭トラブルに関しては“贈与であり借金ではなかった”と文書で説明したが、その4日後には“解決金を支払う”と態度を一転させたことが話題になった。しかしAさんサイドはあれから一向に連絡がないとして待っている状態だ。
いわばボールは小室さんサイドにあり、“投げますよ”と言ったものの、実際に投げ返してくれなければ話が進まないのだ。話を進めようとしていない、ということは、結婚までの正式な儀式の段取りについても進めようとしていないに等しい。
その他にも小室家には、親族の連続死や、怪しい人物に依頼して話をまとめた疑いのある遺産相続問題、また、遺族年金不正受給問題など、様々な疑惑が報じられているが、一向に説明はないままだ。
「これらすべてを小室さんサイドは説明する気は毛頭ないと思います。遺族年金の不正受給については隠ぺい工作をしようとしたメールは残っていますが、そもそも時効になっているでしょうし、立件するのは難しいでしょう。
また、小室さんは決定しているはずの就職先も公表していない。ということは眞子さまとどこで生活するかも隠しているということ。日本国民に不信感を募らせている可能性は、たしかにあるでしょう」(皇室ジャーナリスト)
竹田氏はさらに“最悪のシナリオ”として、
<ここまで来たら結婚を辞めますってことは多分ないでしょう。普通に入籍してくれたらいいんですが、“事実婚”をかました日には目も当てられないことになる。事実婚となれば内縁関係になるので、眞子内親王殿下は皇族を離脱しなくていいということになる。
すると一生分の皇族費が、総額で20億円とかになってくる。KK(小室圭さん)としては一時金1億5千万で済ますか、20億円取りに来るか取りに来るかっていう話。最悪ですよね。だから逃げ切り婚の“婚”がどういう婚なのか>
と警鐘を鳴らしている。
国民の多くが未だ喜んでいない状況の中、お二人はどのような“ゴールイン”を迎えるおつもりなのだろうか…。
下記はヨミドクターオンラインからの借用(コピー)です
日本の年間の医療費は現在、40兆円を大きく超えていますが、その半分以上が70歳以上の高齢者のために使われています。そして、その高齢者医療費の実に約80%は入院によるものです。高齢者がいかに入院医療に依存しているのかがわかります。
肺炎で入院すると3割は死亡、介護度は2段低下
高齢者はなぜこんなに入院してしまうのでしょうか。私たちのクリニックの患者さんたち(高齢者)の緊急入院の原因を改めて調べてみました。そうすると、最大の入院原因は肺炎(約30%)、その次が骨折(約10%)であることがわかりました。
それでは、肺炎や骨折で入院した高齢者はどうなるのでしょうか。入院後の経過を調べてみました。それは非常にショッキングな結果でした。
肺炎で入院した高齢者は、約30%もの方が入院中に亡くなられていました。そして、退院できた方も、平均で要介護度が1.72悪化していました。要介護度は全部で5段階。つまり、要介護から完全な寝たきりへの5段の階段を約2段下ったということになります。
骨折で入院した高齢者も約10%の方が入院中に亡くなられ、退院できた方は、平均で要介護度が1.54悪化していました。
入院よりも予防が大切
高齢者の場合、「入院できたら安心」というわけでは必ずしもないのだということがわかります。入院しても死んでしまうかもしれない、そして退院できても要介護度が悪化し、寝たきりになってしまうかもしれない、ということです。
そして、要介護度が悪化すると、肺炎や骨折をさらに起こしやすくなり、再入院のリスクが高くなります。多くの高齢者は人生の最後の10年、肺炎や骨折による入退院を繰り返し、入退院のたびに心身の機能を低下させ、だんだん要介護度が悪化し、寝たきりになり、そして最期は病院で亡くなっているのです。
肺炎で入院すると医療費120万円がかかっている
ちなみに肺炎で入院すると1回の入院で約120万円、骨折の場合(全部位平均)130万円くらいかかります。 大腿骨頸部だいたいこつけいぶ 骨折の場合には、大きな手術をして、そのあとリハビリテーションが必要です。400万円以上かかることもあります。
日本には高額療養費制度という患者さんに優しい仕組みがあります。患者さんは一定以上の費用負担を求められることはありません。では残りの費用は誰が支払っているのでしょうか。それは保険者と納税者、つまり健康保険料を支払い、税金を支払っている私たち全員で負担しているのです。
その人の命が守られ、その人が幸せを取り戻せるのであれば、もちろんお金はいくらかかったっていいと思います。しかし実際には、入院中に死んでしまうかもしれない、退院できたとしても要介護度が悪化し、寝たきりになってしまうかもしれないのです。
これだけお金をかけても、誰も幸せにできないのであれば、こんなお金の使い方でいいのだろうか、と費用負担者の一人としても正直思ってしまいます。
高齢者の場合には、「何かあったら入院」ではだめなのです。大切なのは、何かが起こらないように日頃からきちんとケアをすること。つまり「予防」です。
肺炎と骨折は、低栄養と筋力低下が共通の原因
高齢者の入院原因として大きな肺炎と骨折。これをどうすれば防ぐことができるのでしょうか。私たちは入院した高齢者の背景要因を調べてみました。すると肺炎や骨折で入院した人たちには二つの共通点がありました。
それは(1)栄養状態が良くないこと(2)筋肉が弱っていることです。肺炎で入院した高齢者の87%が「低栄養」、つまり生きていくために必要なカロリーやタンパク質が摂れていない状態でした。また、88%は「サルコペニア」(筋肉が顕著に減少している状態)、そして96%が「フレイル」(運動機能の低下により日常生活に支障が出ている状態)でした。
骨折で入院した高齢者も低栄養の人の割合が高く(74%)、サルコペニア(84%)、フレイル(93%)と筋肉量や運動機能が低下している人の割合が高いことがわかりました。
肺炎と骨折は全く異なる病気です。しかし、高齢者の場合、その背景要因は同じなのです。つまり、栄養状態が悪く、筋肉が弱っていること。
日本では、高齢者の多くは、年とともに食事の量がだんだん少なくなっていきます。日本には「年相応」という便利な言葉がありますね。お年寄りだし、身体も小さいし、あまり動かないし、これだけ食べていれば十分だろう、と、食事の量が少なくても、わたしたちはあまり気に留めません。
持病があるとカロリーの消費が大きくなる
しかし、高齢者の多くは、複数の持病をもっています。これらの病気はカロリーを消耗します。私たちより身体が小さく、あまり動かない高齢者ですが、実は必要なカロリーは私たちとあまり変わらないか、場合によっては私たちよりもたくさんのカロリーを必要とする人もいるのです。
必要な量の食事が摂れず、健康に生きていくためのカロリー(熱量)やタンパク質が足りなくなり、体重が減っていく。このような状態を「低栄養」といいます。カロリーやタンパク質が足りなくなると、私たちは、自分自身の身体を分解して、必要なエネルギーや栄養素を確保しようとします。その結果、筋肉の量が減少していきます。この筋肉量が減少した状態が「サルコペニア」です。
サルコペニアになると、筋肉量が減少するので、運動機能が低下します。立ったり、歩いたり、あるいは日常生活の動作も難しくなってくるかもしれません。このような状態が「フレイル」です。そして、フレイルになると、動くのが 億劫おっくう になります。動かなくなると、ますます食欲が低下し、さらに食事量が低下し……という悪循環に陥ります。
肺炎や骨折をふせぐには、しっかり食べること
高齢者はこの悪循環の中で、徐々に身体機能を低下させていくのです。サルコペニアやフレイルになれば、足腰の筋力が低下し、当然、転倒や骨折を起こしやすくなります。また、サルコペニアによる筋肉量の減少は、全身の筋肉で同時に進行していくことが知られています。足腰の筋力が低下すると、舌や喉の筋肉の力も落ちていくのです。
その結果、飲んだり食べたりする力、そして異物を吐き出す力も低下します。それに栄養状態による体力や免疫力の低下が加わると、主に 口腔こうくう 内の雑菌が原因で起こる「 誤嚥ごえん 性肺炎」と呼ばれる高齢者に特有の肺炎を起こしやすくなります。
肺炎や骨折を防ぐために重要なのは、食事量の低下から始まる悪循環を止めること。そのためには、まずは「しっかり食べる」ということが重要なのです。(佐々木淳 訪問診療医)
佐々木淳(ささき・じゅん)
医療法人社団悠翔会理事長・診療部長。1973年生まれ。筑波大医学専門学群卒。三井記念病院内科、消化器内科で勤務。
下記は日経ウーマンオンラインからの借用(コピー)です
快活な母に異変が起き始めたのは昨年の夏のこと。長期入院で自分の内に深く潜り込んでしまった母に、意を決して父の死を伝えた日
遠く離れた実家で、父が孤独死していた――。東京でフリーランスエディターをしている如月サラさんはある日、予想もしなかった知らせを受けます。如月さんは50代独身、ひとりっ子。葬儀、実家の片付け、相続に母の遠距離介護など、ショックに立ち尽くす間もなく突如直面することになった現実をひとりで切り抜けていく日々をリアルにつづります。
入院中の母には、父の死を告げられずにいた
冬、遠く離れた故郷で父がひとりで死んでいたのが見つかって、慌てて帰省し葬儀と納骨を済ませ、大量に残っていたゴミを片付けた。葛藤の末、取り残された4匹の老猫を東京の狭い1LDKに引き取ることを決め、飛行機で連れ帰った。
まだ、金庫の中を確認したり、請求書や郵便物を見て各所に連絡をしたりという面倒な作業は山ほど残っていたが、すぐに済ませなければならないことはひとまず終わった。そのとき、心に大きく浮上してきたのが、母のことだ。
母は父が亡くなる半年前の夏に、熱中症で倒れて病院に運ばれたことをきっかけとして、レビー小体型認知症と老人性うつを発症していることが分かり、専門病院に入院していた。コロナ禍で長引く入院で誰も面会は許されず、どんどん自分の内側にこもるようになり、ものも食べず口も開かなくなっていった。
「お父様が亡くなられたことは、知らせないほうがいいでしょう」と主治医は言った。私もそう思った。アルツハイマー型ではないからか、もの忘れはほとんどなかったが、せん妄と呼ばれる妄想と、強い自責の念によるうつ状態がひどかったからだ。
快活だった80代の母が、友人の急死を境に沈みがちに
話は遡る。母(83歳)の様子がおかしいな、とはっきり思ったのは「手がしびれて震える」という電話がかかってきたときだった。夏真っ盛りを予感させる6月末のことだった。
年齢より若く見えてバリバリと元気なのが自慢だった母は、グラウンド・ゴルフが趣味で、長年、毎日のように出掛けていた。それにあまり行かなくなったと聞いたのだ。「疲れる」「気分が乗らない」と、誘いを断るようになったという。
そもそも母の気分が沈み始めたのは、近所に住む仲の良い茶飲み友達が急に亡くなったことに端を発する。穏やかで上品で物腰の柔らかい「Yのおばちゃん」は私も大好きな人で、帰省する度に母と遊びに行っていた。ある夜の風呂上がりに急に倒れ、そのまま帰らぬ人となったと聞いた。
「Yのおばちゃん」が亡くなってから目に見えるほどに落ち込んでいった母は、不安な気持ちを紛らわせるように、4人の実の姉妹たちに朝から夜まで順繰りに電話をしては長話を繰り返すようになっていった。
朝4時半の電話に、ただならぬ事態を確信
私にも母からの電話が次第に増えていき、朝も夜も関係なくかかってくるようになった。しかし、私もリモートとはいえ仕事をする身。毎回、相手をするわけにはいかない。母からの着信があっても無視することが増えていき、そのうち着信音がするだけで反射的に吐き気を催すようになった。かなりのストレスだったのだろう。
ある日、「はいはい、用がないなら切るからね」といつものように邪険に応じて電話を切ろうとしたのだが、そのときは少し様子が違う感じがした。
「手がしびれて震えるんだけど、お父さんがそんなことはないだろうと言って怒る。でもずっとしびれてる気がする。私の脳がおかしいのかも」
母親の「ガラケー」には鈴がつけられていたが、話している間中、チリチリチリチリと音を立てていた。本当に震えているのだ。私の背中にヒヤリとしたものが走った。もしかしたら、一大事になるかもしれない。そんな予感がした。
しばらくののち、決定的な電話がかかってきた。時間は朝の4時半。
「まだ私の頭がおかしくならないうちに言っておくけれど、これまでいいお母さんじゃなかったこと、ごめんね」
これはただごとではないと思った私は、急いで翌日の飛行機を予約した。緊急事態宣言こそ終わっていたものの、「東京の人間は決して他県に行くべからず」という空気が非常に強かった時期。誰ひとり告げることなく故郷へと向かった。
「私が世界中の人に迷惑をかけているみたい…」
空港から、バスとタクシーを乗り継いで実家へ。果たしてそこにいたのは、私の記憶とは全く違う母の姿だった。痩せこけて目が落ちくぼみ、辺りをうかがうようなおびえた顔つきをしたみすぼらしい老女だったのだ。このところほとんど飲むことも食べることもしていないという。
さらに、風呂にもほとんど入っていない様子で、いつ着替えをしたのかも分からず、手足の爪は伸び放題。足は棒きれのように細くなり、ほとんど歩くこともできない。これが父親の言う「僕の目から見ると何も変化がない」という母なのか……? あまりの変わりように衝撃を受ける私に、全身をブルブルと震わせながら、母はささやくように小さな声で私に言った。
「あのね、私がコロナのクラスターの中心だから、世界中の人に迷惑をかけているみたい」
やはり。母の電話の様子から、これはレビー小体型認知症ではないかと当たりをつけていた私は、小股でわずかな距離しか歩けず、妄言をひたすら繰り返すばかりの母を見て、そう確信した。
どうにかしなければと思いながらも、その日は地域包括支援センターに相談することしかできず、すぐに東京に帰らなければならなかった。しかし2日後に母は熱中症で倒れ、それをきっかけに認知症の専門医院に緊急入院することになった。「東京の人間が接触したら一切、診察をすることも入院することもできない」と言われ、私は実家に行くこともできなかった。
父の死を知らぬまま、「家族の日々」から遠ざかっていく母
それから約半年。母が不在の実家で、父はひとり死んでいった。状況が許さず、父は一度も母を見舞いに行くこともなかった。残された父のスマートフォンには、母の携帯電話に発信した履歴がいくつか残されていたが、つながった形跡はなかった。母は電話の取り方もかけ方も分からなくなり、携帯電話は病院に預けてあったからだ。
父に、体調が悪いならちゃんと病院に行くように、緊急事態だと感じたら救急車を呼ぶようにと伝えたことがあるが、「僕が入院でもしたら誰もいなくなるこの家はどうなるの? 猫の面倒は誰が見るの?」と固辞した。母が元気でいればまだ死んでいなかったのかもしれない。
暑い夏の日、不意に別々になり、一度も会話することなく彼の世に行ってしまった父のことを、母にどう伝えればいいのか私には分からなかった。
母が元気な頃から実家の庭にやってくる野良猫
もちろん私も一度も会うことができなかった。電話をかけてもオンライン面会をしても、自分の内に深く潜り込んでしまった母との意思疎通は、だんだん難しくなっていくようだった。
こんなに長い間、自宅に帰れないとは思いもしなかっただろう。10カ月の入院生活で、いつもそれなりに染めて整えられていた母の髪は真っ白く伸び放題になり、かつて快活に笑っていた顔からは表情が消えた。
なぜだか、母は入院してから一度も父のことを聞かなかった。あんなにかわいがっていた4匹の猫たちのことも聞かなかった。まるで家族で暮らした日々を忘れたかのようだった。たまに面会に行く母の姉妹たちに、「娘の頃のように、またみんなで一緒に暮らせたらいいのにね」と言ったと聞いた。そこには父の姿も私の姿もなかった。
遺影を前にした母は、かすれる声でつぶやいた
父の死後、ひとりで暮らすのは難しいだろうと判断し、実家の近くの高齢者施設を探していたところ、希望する場所に空きが出たと連絡があった。病院からも退院の許可が出た。ウイルスを持ち込む可能性が高いからと東京の人間を忌避する田舎の雰囲気の中で、施設から、移動の日のみ母との随伴が認められ、私は久しぶりに飛行機に乗った。
大雨・洪水警報が出され、激しい雨の降る中。施設に移動する前に、一度、家を見せたかった。前日に帰り、念入りに庭の草むしりをして、部屋中に掃除機をかけておいた。病院から遠回りして実家に寄り、母が1日のほとんどの時間を過ごしていた居間に手を引いていった。懐かしそうにゆっくりと辺りを見回す母に、意を決して私は伝えた。
「ママ、お父さん、死んだよ」
母は息を止めたようだった。雨の音が強くなった。遺影に手を合わせるかと聞くとうなずいたので、奥の和室に連れていった。若い笑顔の父の写真を見ると、それまでずっと黙っていた母は、かすれる声を出した。
「ごめんねえ、お父さん」
その言葉が、何に向けられたものか私には分からない。自分の不在中に死ななければならなかったことへなのか、諍(いさか)いを続けてきた年月に対してなのか、共に歩まなければならなかった運命に向かってなのか。
母が語る日はおそらく来ないだろう。でもきっと、それでいいのだろう。
居間が、長年の母のお気に入りの場所だった
如月サラ
きさらぎさら
フリーランスエディター、文筆家
下記は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です
「#パパ活初心者」「#パパ活大阪」「#パパ活JC」「#パパ活」――。
ツイッターなどのSNSで「パパ活」と検索すると、このようなハッシュタグをつけた投稿が多数見つかる。パパ活とは、パパと呼ばれる男性と食事やデートなどを行い、金銭的授与を受けることを指す。実態は必ずしもそうではないが、基本的に“性的関係を前提としない”とされている。
「#パパ活JC」の「JC」とは女子中学生を意味しており、同様に「#パパ活JK」の「JK」は女子高生を意味する。そんな若い世代がのめり込むパパ活だが、最近は脅迫や性被害につながるなど、リスクも明らかになってきた。
「パパ活」の温床はツイッターやインスタ
「#パパ活募集」「#パパ活初心者」「#p活(パパ活の略語)」などのハッシュタグがついたツイートには、多くの男性から「DM開放してください」「DMよろしくお願いします」などのリプライが寄せられている。
「パパ活」を募集している投稿の一例(筆者撮影)
パパ活募集の投稿の特徴は、詳細な情報を載せるためと、それを取り締まる警察からの検索を予防するためか、画像を使って自らのスペックや相手に求める条件などを載せていることだ。
自らの年齢や学年、身長、会える時間、場所、1時間あたりの料金などを載せるほか、「体目的、お触り、録音、録画、密室空間(車含め)、暴力行為、ドタキャン、個人情報」などの禁止事項を載せている投稿が多い。
ある女子中学生と思しきアカウントは、前述の禁止事項に続いて「上記のことが起き不安に思った場合は返金無しに打ち切らせて頂きます」と注意書きも付けている。「過去ツイとかも確認します」とあり、パパになりたい男性の過去の投稿をもとに、信頼できるかどうか確認しているようだ。
また、女子高生と思しき別のアカウントはツイッターのパパ活募集ツイートに、「本気で会う気がある方がいましたら、インスタグラムのアカウントを教えるのでそこで顔などを確認していただけたらと思います」としていた。このように複数のSNSを活用してパパを募るケースもある。
そもそも援助交際自体も、売春を手軽な印象の言葉に言い換えたものだが、パパ活となるとさらにライトな印象になる。しかも前提として性的行為はなしとなれば、お手軽なバイト気分で投稿してしまう女子中高生が出てきてしまうのは当然と言えるかもしれない。
サイポリ(警察のサイバー犯罪対策や捜査・対策組織の略称)から逃れるためにインスタグラムを利用(筆者撮影)
そして、インスタグラムでも「#パパ活募集」は行われている。「ツイッター凍結されちゃったんで、パパ活垢作りました」というただし書き付きで、ツイッターと同様条件や禁止事項などを画像で投稿している点は同じである。ツイッターやインスタグラムは匿名で複数のアカウントが作成できる。そのため、パパ活目的で使いやすいというわけだ。
しかし援助交際と違って、パパ活なら安全というわけではない。
日本郵便契約社員である20代男性が2018年2月に、東京豊島区のホテルで当時高校2年の女生徒(17歳)に現金2万円を渡し、わいせつな行為をしたとして逮捕された。男はツイッターでパパ活を募集し、連絡してきた女生徒と会ったという。
警察も「サイバー補導」で少女たちに注意喚起
性的行為がないことを前提としていたはずが、実際には児童買春や性暴力につながるケースが目立ってきているのだ。
そういった事件が続出する背景から、愛知県警少年課が2018年10月より、ツイッター上で児童買春につながりそうな書き込みに対して注意を促している。児童買春を引き起こすようなツイートには次のような文面が送られてくる。
「こちらは愛知県警少年課です。このツイートは児童買春などの被害につながるおそれがあります。また、見ず知らずの相手と会うことは、誘拐や殺人などの重大な被害に巻き込まれるおそれのある大変危険な行為です。」
愛知県警から送られてくる注意喚起のツイート(筆者撮影)
同時に愛知県警少年課は、加害者となりうる成人のツイートに対しても、書き込みの削除を促している。
また大阪府警も今年8月から、パパ活を募集している少女たちの監視を強化しており、その待ち合わせ場所に訪れた少女らを補導する「サイバー補導」を行っている。
メディアなどでパパ活が騒がれる一方で、警察もその対策を強化しているのだ。
福岡県警筑紫野署も今年、県内の男子高生(当時17歳)を補導している。2018年9月、男子高生はツイッターに「福岡 17さい ままかつしたい#ママ活」と投稿。書き込みを見つけた同署員が男子学生に連絡すると、「2時間カフェでまったり会うので7000円」と返答。彼が待ち合わせ場所に現れたところを警察は補導した。
「パパ活」「ママ活」のリスク
このように年上の女性と会って金銭的援助を受ける「ママ活」も、SNS上にあふれている。また、ママ活をしようとする女性の投稿も少なくない。
筆者が過去に取材した、ある女子大生は親しい友人数名がパパ活をしていると言っていた。「父親から祖父くらいの年齢の相手と食事をしたりLINEをするだけで、月に数万円手にしているみたい」という。しかし、彼女自身は「パパ活に興味はない」と話す。「相手がストーカー化して大学に来てしまったという怖い話を聞いて、絶対ありえないと思っている」からだ。
「体目的、お触り、録音、録画、密室空間(車含め)、暴力行為、ドタキャン、個人情報」などが禁止事項として挙げられているのは、そのような危険と隣り合わせということ。2人きりで異性と会うのだから性的被害は受けやすい状況であるし、盗撮や録音されたら脅迫やリベンジポルノ被害につながる可能性もある。
すでに述べたとおり、パパ活やママ活はサイバー補導の対象だ。同時に、身の上にさまざまな重大な危険が降りかかる可能性が高い。もし周囲にパパ活やママ活に手を出している子どもいたら、その危うさをちゃんと伝えてあげてほしい。
高橋 暁子 : ITジャーナリスト