下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です
世の中にはひどい親がいる。とりわけ「毒親」と称される親たちは、子どもを暴力で支配したり、巧妙にコントロールしたりする。
長く家族問題をテーマにしてきた私は、歪んだ親子関係に苦しむ人を取材する機会が多かった。つらい子ども時代を過ごしておとなになった人たちは、過去の呪縛から逃れようとする。親との接触を避けたり、実家と断絶したりして、仕事や家庭、心の安定を保ってきた。
そうして自分の人生を守り、逃げ切れたと思ったはずが、再び親と向き合わざるを得ない現実に直面する。この国の高齢者数は約3500万人、90歳以上は200万人を超えた。内閣府の『平成29年版高齢社会白書』によると、要介護(要支援含む)認定を受けた高齢者数は592万人、6割以上が同居の親族に世話されている。親族のうち「配偶者」は26.6%だが、「子」(21.8%)と「子の配偶者」(11.2%)は計33%と上回る。介護認定を受けていない人や、別居しながら老親を世話する子どもを加えれば、さらに大きな数字になるだろう。
もはや子世代は、「高齢化する毒親から逃げられない」時代を迎えた。そこに何が起きているのか、あらたな実態を探っていこう。
◆◆◆
周囲をキャベツ畑に囲まれた群馬県北部の実家は、玄関からの長い廊下に続き間の和室、典型的な農家の造りだ。北向きの薄暗い台所に入りかけた沢田雅也さん(仮名・50歳)は、足の踏み場もないほどの散らかりように言葉を失った。
汚れた食器、空き缶、焦げた鍋……
古い食品に汚れた食器、空き缶と空き瓶が山と積まれる中に、黒く焦げた鍋やフライパンが見える。どこからか漂う嫌な臭いの元をたどると、隣の茶の間から変色した男物のズボンが何本も出てきた。尿なのか便なのか、いずれにせよ「これはマズイな」と胸がざわつく。
自宅と勤務先がある神奈川県から高速道路を使って4時間。決して遠くはない距離なのに、20年近くほとんど訪ねてこなかった。78歳の父と74歳の母、老夫婦の二人暮らしを忘れたわけではないが、父への嫌悪感がどうにも拭えなかった。だが今となっては、そうも言ってはいられない。
「昨年12月に母が亡くなったんです。がんで闘病していたことは知ってたけど、本人からの電話で回復したと聞き安心してました。それがいきなり、葬儀社からの連絡で駆けつけることになって。こういう大事な報せさえ他人任せにするんですから、父の人間性がわかるでしょ?」
怒りと諦めが混ざったような口調で言うと、雅也さんは少しおどけた。「これからのことを考えると、ハゲも進みそうだなぁ…」、薄くなった頭頂部を手のひらで撫でまわす。
仕事はキツイし、妻とは家庭内別居状態
自動車販売会社に勤め、2歳年下の妻と独立した社会人の息子がいる。仕事も時節柄キツイのだが、もっとキツイのは妻との関係。いわゆる「家庭内別居」状態で、もう何年もろくに口をきいていない。母の葬儀や法要には参列してくれたが、ひとり残った父をどうするか、妻には相談できる雰囲気ではないという。
「僕は育ちが悪くて夫婦仲も悪い。ついでに性格だって悪いんですよ」、そう自嘲気味につぶやいた。
雅也さんは兼業農家の長男として育った。両親に祖母、2歳下の妹の5人家族、農業は主に母と祖母が担い、父は近くの工場で働いていた。「酒乱だった」という父は、飲むほどに人が変わる。メシがまずい、風呂がぬるい、些細なことに激高しては母や雅也さんを殴りつけた。
身長160センチと男としては小柄な父だが、筋肉質のガッシリした体格で力があった。5発、6発と殴られるとたちまち顔が腫れ上がり、そんな姿で学校に行くと「お岩さん」とからかわれた。四谷怪談に出てくる女主人公に似て不気味、そして哀れだったのだろう。
「気持ち悪い顔だな、誰に似たんだ?」
「一度タガがはずれると、暴言もひどかったですね。誰彼かまわずこき下ろし、延々と悪口を聞かされる。僕らが黙って聞いてると『なんとか言え』と怒られ、何か言えば『生意気言うんじゃねえ』と殴られて、もうメチャクチャですよ」
気弱な少年だったという雅也さんは、格好のターゲットになった。「おまえみたいなバカは死んだほうがいい」「気持ち悪い顔だな、誰に似たんだ?」、容赦なく罵られては縮み上がる。そんな残忍さの一方で、父には別の顔があった。
「釣りに連れていってくれたり、パチンコの景品で子ども用のお菓子を持ち帰ったりするんです。普段がひどいから、たまに見せる優しさがとにかくうれしくてね。やっぱり父はいい人なんだ、子ども心にそう思い込もうとしてました」
だが、「いい父」は所詮錯覚に過ぎない。気まぐれのような優しさは、すぐに何倍もの嵐になって襲いかかってくる。厳寒の夜、散々殴られた末にパンツ一丁で締め出され、真っ暗な物置小屋で震えたことがあった。父を恐れてか母は助けてくれず、「もうすぐ殺されるかな」と絶望した。
前歯のない口で怒鳴る父
地元の高校を卒業後、寮付きの会社に就職して家を出た。自分の生活に追われるうち母や妹との交流も減り、特に妹とは疎遠になった。
「実を言うと昔は、僕自身が妹をぶったりしてたんです。弱い者がより弱い者をいじめる構図というか……。妹は実家から車で一時間のところに嫁ぎましたが、自分の生活で目一杯らしいし、今さら父のことを頼める空気でもない。そもそも田舎では、親の面倒は長男の責任という意識が根強いですしね」
母の葬儀後、雅也さんは何度か実家へ行き、父との話し合いを試みた。「体の具合はどう?」「これからひとりで大丈夫か?」、さりげなく話しかけても、父は顔を真横に向けたまま目も合わせない。母に関連する各種の手続きを進めるため、預金通帳や年金手帳の在りかを尋ねると、ムスッと黙り込んでビールを飲みはじめてしまう。
大音量でテレビをつけ、寝転がりながら缶を空けていく父を横にして、仕方なく汚れた部屋の片付けをはじめれば「さわるな! 帰れ!」。入れ歯をなくしたのか、前歯のない口で怒鳴る父に老いの惨めさを覚えつつも、変わらないその姿勢が情けなくてたまらない。
「正直早く死んでくれ」と思う一方で
「年寄りなんてそういうもんだと割り切れればいいんでしょうが、むずかしい。むしろ、ここまできて何やってんだ、ちょっとくらい反省しろよ、と爆発しそうになる。こいつはもう救いようがない、正直早く死んでくれとも思うんです」
それでも荒んだ暮らしを目の当たりにした帰り道、妙な罪悪感が湧いてくる。母への孝行もできず、幼かった妹を傷つけ、老いた父まで捨てていいのかと。数十年前、一家で汗した農作業や、父と釣りをしたひとときをふと思い出し、自分が薄情者のように感じるのだ。
2ヵ月前、雅也さんは実家近くの親戚を訪ねた。ときどき食事を届けるなど何かと父を気遣ってくれるが、そのぶん雅也さんには手厳しい。「息子だったら面倒見なさいよ」「ウチに甘えるのもいい加減にしてくれ」……シビアな説教をされた上、思わぬ話を聞かされた。
父みたいな年寄りを引き受ける介護施設はないと言われて
「父みたいな年寄りを引き受ける介護施設は地元にないと。本当かどうかはともかく、酒乱となると確かに条件は厳しいでしょう。介護保険や相談窓口があるのは知ってますが、本人の意思や家族の協力はどうしたって必要ですよね。いろいろ考えるんだけど、考えるほど憂鬱になって逃げたくなるんです」
ふぅーっと長い息を吐く。憂鬱を払うように頭頂部をゴシゴシッと掻きむしると、ぎこちない笑顔を作ってみせた。
「親との関係がうまくいかず、介護に悩む子どもはたくさんいます。むずかしいのは、自分の親が本当に毒親なのかという『見極め』です」
こう話すのは、遠距離介護の家族を支援する『NPO法人パオッコ』の太田差惠子理事長だ。死んでも関わりたくないほどの毒親なのか、少しくらいは助けてやろうと思えるのか、自分の気持ちを整理することが大事だという。
親との「縁の切り方」
「各地域には、高齢者の生活や介護の相談窓口である地域包括支援センターがあります。自分だけでいいので、まずはここを訪ねてどんな支援をしてもらえるのか確認してください。過去に虐待されていた、親が暴力的、家族関係が悪い、そういう事情があるなら隠さず伝えましょう。その上で親との縁を切るのか、それとも何かできるのか、相談員と話し合うことが大切です」
「縁を切る」としたら、必ず行政につないでおく。日常的に介護していたのに、突然放棄すると、保護責任者遺棄罪などに問われる可能性があるからだ。また、自分が親と絶縁すると別の身内に面倒が及ぶこともある。兄弟や親戚には事前に状況説明をするといい。
罪悪感が拭えないときには
「何かできる」とすれば、自分が関われる範囲を決める。たとえば親が施設入所となったとき、「面会には行かないが、身元保証人にはなる」などと具体的に一線を引いておく。雅也さんのように罪悪感を拭えず、気持ちが揺らぐ場合にはこんな考え方もあるという。
「世の中には子どものいない高齢者がいる。でも、みなさんふつうに生きてますよね。つまり、自分が背負わなくてもどうにかなると割り切ってもいいんです」
毒親に関わることで破滅するくらいなら、自分の人生を優先していい。「逃げてもいいんだ」、そう考えれば楽になり、あらたな視界が開けるかもしれない。
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