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97歳の女流作家、佐藤愛子が語る「苦しまずに死を迎える」よりも大切な生き方とは

2021-02-05 15:30:00 | 日記

下記に記事は文春オンラインからの借用(コピー)です


「死に際」よりも「死後」が大事
 人は死ぬと無になると、今の日本人の半数以上の人が考えているようだ。その人たちから見ると、死後の世界があると信じている人は単純素朴もいいところ、無智無教養のように見えるらしい。そういう私もかつては漠然とだが死後は無になると思っていた。そう思うのが一番簡単だったからである。ひたすら生きることに忙しく、そんな先のことについては考えていられない―そういう気持だったのだ。佐藤愛子さん  コピーライトマーク文藝春秋
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 19年前、私は北海道の浦河町の丘の上に避暑のための家を建てた。そうしてその時から私は人の死後について考えないわけにはいかない体験をするようになった。気のせいだ、錯覚だと思い決めようとしても、これでもかこれでもか、といわんばかりの超常現象に見舞われると、無視しているわけにはいかなくなる。
 人間は霊媒体質(霊的エネルギーを持っている)の人とそうでない人に分かれるという。例えば幽霊が出るといわれている家へ5人の人が探検に出かけたとする。
 その時5人が5人ともに霊媒体質でない人たちであれば、怪しい現象は何も起らない(一説には霊は霊媒体質の人のエネルギーを取って現象を起すのだという)。そこで幽霊屋敷だなどというのはだ、あそこで幽霊を見たなどといい出した人は、臆病のせいで枯薄が幽霊に見えるたぐいだ―と決めつけられる。5人が5人とも霊媒体質であれば、異議なく、
「出ましたねえ」
 と頷き合って問題はないのだが。
 世の中には霊媒体質を認める人は少ないから多勢に無勢。簡単に「変ってる」あるいは「うさん臭い奴」ということにされる。もっとひどいと「アタマがおかしい」と心配されることもある。
「見える人」は常に孤独なのである。
目に見えて起こる超常現象
 浦河の丘の上の家が建ち上り、家財道具を納めて間もないある夜、水道の口もない場所で水が流れ出る音がしたり、砂利道などないのに家の外で砂利の上を歩き廻る音が聞えたことからそれは始まった。しかしその時は、誰もがそうであるように、私たちは「空耳」「気のせい」でことをすませていた。ほかにも異常が起っていたのだろうが多分、気がつかなかったのだろう。コピーライトマークiStock.com
 次の年から目に見えて超常現象が起るようになった。
 東京から送った書籍の段ボール8個を玄関に積んでおいたのが、そのうち1個だけ忽然と消えていたり(私の家へ来るには700メートルの坂道を上らなければならないので、よほど暇な人でない限り車を使う。もし泥棒ならばどうせ車で来た以上は2、3個は持って行くだろう)夜になると屋根の上をゆっくり人が歩く音がしたり、つけておいた電燈が消えていたり、かと思うとつけた覚えもないのについていたり、これでもか、これでもわからんか、というようにつづけざまに異常が起きるともう錯覚だなどとはいっていられなくなった。
死後を考えることは無智蒙昧?
 秋になって東京へ帰り、講演旅行に出ると、旅先のホテルで夜通し怪奇音に悩まされた。部屋を出る時に消したことを確認したルームライトが戻ってみると点っている。ついには東京の自宅でも絶えずラップ音が鳴っているという有さまである。50歳にして突然、私に潜在していた霊媒体質が出てきたのである。庭で犬とたわむれる佐藤愛子さん  コピーライトマーク文藝春秋
 5年ばかり前、私はその体験記を1冊の本にしたことがあるが、その時、所謂知識人と目されている人たちから笑を受けたばかりか、あるお医者さんのごときは怒り心頭に発したという様子で私の無智蒙昧を罵倒された。
 なにもそう憤激するほどのことではない。革命を起して国を転覆させようという話ではないのだ。ただ人間は死んだら無になると思うことは間違いで、死ねば肉体はただのヌケ殻、焼けば灰になるだけだが、魂だけは残るらしい。
 だから死後、無になると思って気楽にしていると、死んでから厄介なことになりますよ、といっただけなのに。こういう問題になると俄然、エキサイトする人がいるのが私には不思議である。
亡くなった親友からのサイン
 親友だった川上宗薫さんが亡くなった時のことだ。報らせを受けて川上邸に駆けつけ、まだ誰も来ていない病室の、ベッドに仰臥しているパジャマ姿の川上さんの遺体の前に立ったその時、私は川上さんの魂が(実感としては視線が)部屋の天井の右の方から私を見下ろしているのを感じた。
 ―川上さんが、あそこから見ている……。一瞬私はそう感じた。私と川上さんは会えばふざけて冗談ばかりいい合っている間柄だった。その私が神妙な面持で自分の(川上さんの)ムクロに手を合わせているのを見れば、川上さんはさぞおかしかろう……一瞬そんな思いが閃き、そのため私のお悔みはヘンにギクシャクしてしまった。涙など出てくるわけがない。川上さんは死んだという実感から遠くに私はいた。川上さんの視線が私には照れくさくてたまらない。犬の散歩をする川上宗薫さん
 私は頭を垂れて、
「川上さん、ご苦労さんでした。これで楽になったわね」
 といった。川上さんは淋巴腺癌で亡くなったのだった。
 その夜、私たち川上さんと親しかった数人は、葬儀の打ち合わせで深夜まで川上邸に残っていたが、その時突然、私たちの頭上の電燈が消えた、あっ、停電……? といっているうちにパッとつき、あっ、ついた、という間に又消え、そしてついた。丁度、川上邸の電気工事を手がけた電気屋さんが居合わせて、すぐに天井裏に入ったが、どこを探しても故障はない。
「ふしぎなんですよ、おかしいなァ……」
 と頻りに首をひねっているのを見ながら私は、
―川上さんのサインだ……。
 そう思った。
―と、書きつつ、私は、「……と思った」「……と感じた」と書いただけでは人は納得しないだろうなあ、と思って無力感を覚える。なにいってるのさ、と人はいうだけだろう。だが私には「思った」「感じた」としか書けないのだ。それ以上に何の実証も私にはできないのだ。
 霊媒体質の者がそうでない人から「うさん臭い奴」と思われるのはそういう点である。だがこれが同じ体質の者同士であれば、
「ああ、それは川上さんですね。パワーがあったのねえ、川上さんは」
 スムーズに話が通る。
「そう思った」「そう感じた」ということが、単なる主観ではなく、事実として認められる。病室の天井の右の方に川上さんがいるのを感じたといえば、
「ああ、そうでしょう」
 何のためらいもなく頷いてくれるのである。
墓参での“ある”出来事
 川上さんの死後、三年目の命日に私は川上さんの墓参をした。丁度秋雨の降る日だったが、
「川上さん、来たわよう……」
 といって雑草を抜き、傘を肩にひっかけて墓前にしゃがんで手を合わせた途端、何が何やらわからぬままに私は泣いていたのである。何が悲しいのか、自分でもわからずに泣いている。シクシク泣く、なんてものじゃない。肩を震わせて泣いているのだが、泣くことが何だかとても気持がいいのだ。
 ひとしきりそうして泣いていて、突然、ピタリと止った。同行の人は呆気にとられて、そんな私を見守るばかり。
 川上さんが私に憑依したのだ―。私はそう思った。川上さんはあの世で寂しいのか。もともと寂しがりやだったから、寂しくてたまらなかったところへ私が現れたのを見て、嬉しくてあるいは寂しさを伝えようとして、憑依したのにちがいない。さる霊能者はその通りでしょう、といい、私は今もそう思いつづけている。
「私は感じたのだ」
 しかしこのことも、私がそう思うだけで、人を説得する何の証拠もないのである。何も悲しいことがないのに泣く筈がない。佐藤さんの理性に抑えられて潜在していた悲しみが、その時れ出てきたのだと心理学者はいうだろう。それに対して私はあえて反論しない。反論するための論拠が私にはない。「私はそう感じたのだ」という以外にどんな言葉も見つからないのである。直木賞受賞時の佐藤愛子さん コピーライトマーク文藝春秋
 霊能者宜保愛子さんが物理学者の大槻教授の批判攻撃を浴びながら沈黙していることで、宜保さんはなぜ大槻教授と論争の場を持たないのか、と批判する人たちがいる。しかし物理学者と霊能者が対決したところで、所は平行線であること(そもそもスタート地点が違うこと)が宜保さんにはわかっているのだろう。
科学がすべてだと思い決めることこそ無智傲慢
「何といわれても私には見えるもの」
 というほか、宜保さんに言葉はないだろう。宜保さんには見える(聞える)事実があり大槻教授には見えない(聞えない)という現実があるだけだ。なぜ見えるのか、それは何なんだ、説明しろ、といわれても答えようがない。見えるものは見える、というしかないのである。
 例えば縄文時代などではすべての人間が霊や妖怪を見ていたのにちがいない。文明の進歩と共に人間のその能力が磨滅した。医学が進歩するにつれて本来人間に備わっていた自然治癒力が磨滅したように。それが今も残っている人と消えた人がいるだけのことなのである。コピーライトマークiStock.com
 残っている方は消えた方を批判しない。なのに消えた方は残っている方を批判する。科学がすべてだと思い決めるのはそれこそ無智傲慢というものではないか。
「死」についての考えの変化
 以上のような次第で、私は死を50歳前とは違う視点で考えるようになった。私が経験したもろもろの現象は苦しむ死者のメッセージである。肉体は滅んでも魂は存在する。昔から芝居の幽霊は「うらめしやー」といって出て来るが、これは生前の怨みの意識が死んでもまだ残っているということだ。
 怨み・憎しみ・執着・口惜しさ・心残り・後悔・恋慕などの強い情念を持ったまま死ぬと、行くところへ行けない―つまり霊界の上層に行けずに苦しみつづけなければならないらしいことが私にはわかったのである。
 死後は無になると考えていた人が交通事故で即死した。彼の肉体は死ぬ。それと同時に魂は肉体から離れて存在しつづける。
 人が歩いたり車が走ったりするのが魂には見えているから、自分が死んだとは思わない(何しろ彼は死んだら無になると思っているのだから)。しかし現界の人には彼の魂は見えないから、誰も相手にしてくれない。わけがわからぬままに彼はさまよい苦しみ、自分の死んだ場所に居つづける。寂しさ苦しさのあまり仲間を求め、誰かを引き寄せて事故死させる。
「この前もここで死んだ人がいるんだよ。あそこはカーブの見通しが悪いからねえ」
 と人々はいい合って、「危険、注意」という札を立てるのである。だが立札よりもその地縛霊に向って、あなたはもう死んだんですよ、死後は無ではないんだよ、だから行くべき所へ早く行きなさい、と教えることの方が必要なのである。
 自殺をする人がいる。生きることの辛さ苦しさに疲れ、何もかもなくなってしまう無の世界へ行きたいと思って死を選ぶ。しかし死んでも何もかもなくなるというわけにはいかないのである。彼が引きずっている情念が浄化されない限り苦しみはつづく。苦しくてたまらないので、もう一度死に直そうとする。そこへ霊媒体質の人がやって来ると、その人に憑依して電車に飛び込ませる。一緒にもう一度死ぬつもりなのである。
自殺者の霊は二人になって次の犠牲者を引っぱる。それが増えて地縛霊団となり、「魔の踏切」「魔の淵」などといわれるようになっていくということである。
 テレビの心霊番組はおどろおどろしい音楽や、若いタレントの仰々しい悲鳴などで人を白けさせるが、霊を単なる好奇心で見せ物にするものではない、と心霊研究の泰斗は憤慨しておられた。
 キャア、コワイ、と叫んでいるあの若い人たちも、うかうか生きていると、やがていつか自分が死んだ時、人からキャア、コワイ、といわれる霊になるかもしれない。ひとごとではない、我々はみな、その可能性を持って生きているのである。
 そこで大切になってくることはこの世に生きている間の、日頃の心構えだ。科学万能の現代に生きているうちに、我々は死後は無だと手軽に考え、神の存在を無視するようになった。佐藤愛子さん  コピーライトマーク文藝春秋
 現代人が信じるのは科学、それを産み出す人間の頭脳と力だけになりつつある。人の死後という大切な問題はエンターテインメント化されるか黙殺されるかのどちらかで、神を思い出す時は入学や出産を心配する時だけになった。神社仏閣への参拝は必ずしも信仰心からではなく観光を兼ねるようになった。
「死後」を見据えて日々を送る
 霊の存在を認めずにはいられなくなった時から、私は自分が実に傲慢に、恐れを知らずに生きていることに気がついた。
 たった一枚の着物への執着から成仏出来なかったという女性の霊の話などを聞くと、これはうかうかと生きてはいられない、と思う。執着や欲望や心残りや憎しみを死後まで引きずらないようにしなければと思う。
 昔の老人は「いつまでも元気に楽しく美しい老後」などとは考えなかった。老いるとすべての人が自然に衰え枯れた。髪染めも皺取りクリームも入歯も白内障の手術も栄養剤もなかったから、年をとると自然に歯ヌケのシワクチャ婆さん爺さんになった。肉体が衰えると情念も枯れ易い。因業婆ァといわれた婆さんでも、死が近づいてくると「よいお婆さん」になった。情念が枯れて、自然に死を受け容れる心境になるのだろう。コピーライトマークiStock.com
 煩悩があるから若々しくいられるのだ、欲望を失ってはダメです、とこの頃はいう。いつまでも若々しくいようとすれば、それを可能にする手だてはいくらもある。現代人が考えるのは「死後」の平安ではなく、「死ぬ時」の平安だ。人に迷惑をかけずに、苦しまずに死にたいということをみな考えている。
 しかし大事なことは「死に際」ではなく、「死後」なのだ。肉体がある限りこの世の不如意や不満・不幸は自分の努力で克服することが出来る。人の教えに頼ったり、助けを得たり出来る。しかし肉体がなくなったあの世では考えることも意志をふるうことも出来ない。自分の引きずっているものをどうすることも出来ず、永久に引きずりつづけていかなければならないとしたら……。
 この世にいる間にせめて、怨みつらみや執着や欲望を浄化しておかなければ、と私は思っている。