最高気温は高いものの、随分と涼しさを感じるようになりました。
そうこうしているうちにお盆も終わり、こうやって月日は流れていくんですね。
人の一生は3万日とも言われまして、数十年と言われれば長いように見えても、自分目線で言えば、一日一日の積み重ねである一生は、あっという間に過ぎゆくものと、かつて人生の先輩たちから教えられた言葉が、数々の大人の階段を上り、身をもって理解できる年齢(53歳)にいつのまにかなっていました。
「自分より若い人たち、遅れて世に出てくる未来の人たちに、さあ、どれだけのことを伝えられるのか、また、残すことができるのか。」
こういうことも、チョビッとだけ考えられるようにもなった昨今で、「ああ、こういう面持ちで、父や母、祖父や祖母、そして先輩たちが、私に接してくださったのだなぁ。」と、秋風めいた涼しい風と、少しだけ低くなったお日さまは、いつもはチャランポランな土佐のおっさんを、ほんの少しだけ、詩人にする力があるようです。
きっと神さまは、私を育て導いてくださった、父母や祖父母や学校の先生や先輩たちよりも、もっともっと大きな境地と見識、そして大いなる愛のまなざしで、私のみならず、人類の始まりから今までをご覧になりつつ、我が子である人類に幸福な未来を与えようと、なさっているように思えます。
そう、一日も休むことなく、地に光を投げかける太陽の如く、一日も枯れることなき大気の如く、人知を超えた大きな愛の力を、ただただ与え続けて下さっています。
その神様の箱庭の中で、私たちは生まれ、幸福を望んで生きているわけです。
それは一生をかけた、手探りの旅ではありますが、旅に必要な旅費は、働いて稼がなければなりませんが、地図やコンパスなどは、与えて下さっているように思うのですね。
それが「宗教」や元来は宗教が始めた「教育」だと思うのです。
ところが日本の近代教育においては、まるで、宗教は人間の都合で作られたように教えているような感じで、これでは神が人間を創ったのではなく、まるで人が、神なるものを作ったように認識してしまいますよね。
まったく、完全に価値が逆転しているわけで、お釈迦様が言った「末法」とはこのことですよ。
そういう価値観、つまり常識の中で、私たちは生きているわけです。
でもね、もしも人間の都合で宗教ができたのならば、どうして古今東西、世界中に宗教は存在するのか、どうか教えていただきたいものだと思うのです。
だってそうでしょう、近代になって知られるようになった、アフリカの南端の黒人たちにも、オーストラリアのアボリジニの人たちにも、南アメリカ大陸南端のインディアンたちにも、古来より宗教がありますけれども、人間の都合で宗教ができたのならば、世界のどこが発信源で、どういう経緯で宗教が全世界を席捲したかを、科学的根拠に基づいて子供たちに語っていただきたいものです。
そんな話は、学校で教えていただいたことはなく、テレビで見たこともないし、書籍でも読んだことはないので、「宗教は人間の都合で作られた」という、一見現代的、パッと見科学的な価値観は、単なる仮説、都合の良い思い付きでしかないはずです。
「どうして古今東西、世界中に宗教は存在するのか?」という問いに答えられるのには、「それは神さまが、ずっと昔から、人々に愛を与え続けていたからですよ。」としか、きちんと説明はできないように、私の幼い頭脳では思えて仕方がないのですが、皆さんどうでしょうか?
さあ、世界の中の日本の高知から、今と未来の日本と世界の人々に向けて、少しでも神さまの愛の思いを届け、神様の願いに沿うような社会を構築できるよう、残された日々を許された日々として、生きていけたら幸せです。
さて、私のつぶやきだけお聴きいただいても、1㎝だって、皆さまが悟ることはなかろうですから、本日は大川隆法幸福の科学グループ総裁経典『永遠の生命の世界』(幸福の科学出版)より、一部抜粋をお届けいたします。
そして動画天使のモーニングコールは、2018年御生誕祭御法話特集です。
(ばく)続きはhttps://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/baf9bd78c92fb2b261f6a260362ea077
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