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仏教では、「自己卑下」も、「慢心」なんですって⁉

2018年11月19日 15時09分12秒 | お友達ブログ.SNS.なかまのぶろぐ ばくちゃん他

Nara 

https://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/3c427def707982edbcfc8250df50d47d

幸福の科学高知 なかまのぶろぐ ばくちゃんより

仏教では、「自己卑下」も、「慢心」なんですって⁉

本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

毎度毎度、大した悟りもないくせに、皆さまのご愛顧と、温かいはげましのおかげをもちまして、

今日も記事をお届けでき、感謝の思いで一杯でございます。

私はこうして布教ブログの編集長をしてはおりますが、実は宗教のことには苦手意識があります。(笑)

たとえば、歴史や地理や、自動車を始めとする産業関係など、宗教や政治の周辺記事なら何本も書けるのに、

「愛について書け。」と言われたら、1本書くのに、もだえ苦しみます。(爆笑)

ここに、私の悟りの限界があります。

そう私は、特に「愛」は苦手なんです。

看護師の仕事をしているのに、職業訓練が身についていなくて申し訳ないのですが、家庭や職業を通して、

「愛とは何か」を学んでいるのだと思っております。 

で、苦手な愛は、また今度書くとして(笑)、仏教では慢心を戒めますが、この慢心について、

これまた私の偏狭な、偏りきった私見を述べさせていただきたいと思います。 

仏教には、有名な『増上慢・ぞうじょうまん』という言葉があります。

そしてお釈迦様は、同時に、自己卑下にも名前を付けていらっやるようです。
それを仏教用語で、『卑下慢・ひげまん』というそうです。

謙虚さをなくし、驕り高ぶって人を見下す慢心が『増上慢』です。
そして、一見謙虚で謙(へりくだ)ったイメージの自己卑下が、卑下慢なんですね。
悟りたるお方からは、両者は同じに見えるのでしょうね。

自己卑下も慢心???

まあ、増上慢も卑下慢も、『向上する意欲がない』そして、『学ぶ姿勢なし』という意識においては

同じなのだろうと、推測いたします。

増上慢も卑下慢も、人間関係の中での現象であることに間違いはありません。
たった一人で慢心したり、自己卑下に陥ることは、余程の妄想体質でなければ(笑)、不可能だろうと私は思います。

そして増上慢と卑下慢、そのどちらも共通するキーワードは、『私だけは特別』ということではないでしょうか。 

「自分は他の人とは違って、特別に優れているから、傲慢になってよい。」とか、逆に、
「自分は他の人とは違って、まったく無能であるから、そんな大それたことはできない。」など、
そういう思いが「増上慢」や「卑下慢」など、「慢心」の原因ではないでしょうか?
 
この二つとも、「私は別格」「私は他の人と比べて」という点では、同じだと思うのです。

卑下慢の事例で言えば、
「いやいや、私なんか、滅相もございません。」という語り口で、
 
そう、PTA役員を辞退する時の口調ですね。(笑)「私は周りの方々より、ずっと劣った人間です。」
 
「優れた方々を差し置いて、そんな大それたことはできません。」みたいな感じでしょうか。
 
 
ちなみに、私は慢心傾向があるので、今は想像で書いています。(爆笑)

J465

確かに、増上慢・卑下慢に陥るには、それなりの背景や、過去の経歴があったと思うんです。

自分が他の人より優れていたこと。そしてその逆で、自分は他の人より劣っていたことなどです。
それは事実かも知れません。

ですが、しかしそれにはある言葉を、前振りとして付け加える必要があると僕は思います。
それは、「特定のある分野においては。」という言葉が抜かっていると思うんです。

増上慢・卑下慢に陥いるだけの経験をなさっていたとしても、それは全人類を対象としたものではないはずですし、

歴史的検証をした訳でもないはずです。

もし検証済みであったなら、増上慢にも卑下慢にもなれないはずなんです。

たとえば、登板すれば全て勝利する、絶対的な野球のエースピッチャーであっても、その方は食べ物一つ作れません。
また、石油一滴、輸入できません。
怪我をしたって、自分で治せません。
かっこいい自動車に乗っていても、それはその方が作ったわけでも、その方が、外国から仕入れた訳でもないんです。

またたとえば、たとえ一時期、他人との比較で自己卑下に陥っていたとしても、
それは、「今現在のその環境下において。」という前提があると思います。
 
外の組織においてはどうなのか。
世界規模で見た時どうなのか。
後々評価されるものではないのか。
そういったことは、全く未知数であるはずです。


少なくとも、増上慢も卑下慢も、この世の特定の、狭い範囲においての人間関係の中における比較でしかないので、

その比較に追われている限り、人は決して悟れないはずです。

なぜなら、人間は一人では生きては行けないからです。
少なくとも、この世においては。

その事実すら、その方の考察には、入ってすらいないということなんです。

そこではなはだ僭越(せんえつ)ではありますが、『増上慢と卑下慢の中道』という考えが、あり得るのではないか。

そう、提案させていただきたく存じます。

つまり、増上慢と、卑下慢の否定であり、中道です。

「自分より優れた方がいたら、素直に学んで行こう。」と思うこと。
そして、「自分が人より優れているところがあったなら、その才能で、神仏や人さまのお役にたって行こう。」
と思うことですね。

増上慢と卑下慢の中道であったなら、以前なら慢心していたシーンでは、むしろ身を引き締めにかかり、
更なる努力を自らに課しているはずです。

そして、以前なら自己卑下に陥っていたシーンでは、優れた素晴らしい方々に
、囲まれて生きていく幸福を味わっているはずです。

どちらも幸福であるはずです。
そしてそれは同時に、狭い人間関係の枠組みから、ある意味での自由になり、
とても平和的な心境に、なれるんじゃないかと私は思うのです。
 
本日は、経典『仏陀再誕』(幸福の科学出版)より、釈尊が現代人に語った、中道に関する説法をご紹介いたします。
 
           (ばく)詳しくはhttps://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/3c427def707982edbcfc8250df50d47d

 
。☆:・。*☆:・。*

この記事は喰いつきました。。

>ちなみに、私は慢心傾向があるので、今は想像で書いています。(爆笑)

想像ぉ?ヽ(。´Д`)ノ一生懸命、ふむふむと読んでたらぁ~~。

でも、自己卑下的な人って、結構プライド高いんだよね。
慢心傾向の上をいくんじゃないだろうか、・・
 
それに、謙虚にみえて普段抑え目なだけに、
・・何か指摘されるとグサッて来た場合の念返しの恐ろしさ・・・

映画、「キャリー」並みのエネルギー。

この記事は機嫌よく読ませていただけました。気をつけよ~。

やっぱ謙虚なひとのブログ記事は違うねー。(´~`;)

ちなみに・

映画『キャリー』予告編
 
怒るとこうなる・・・。ご参考までに・・

キャリー恐ろしす。人気ホラー作家スティーヴン・キングの代表作

キャリーの大逆襲。昔、初めて見た時の衝撃は大きかった。共感できた自分に驚く。リメークですが、何年たっても語り継がれる・・

https://youtu.be/LJZDrKx81cQ

1976年にブライアン・デ・パルマ監督の実写版もヒットした、人気ホラー作家スティーヴン・キングの代表作を再映画化。
念動力の持ち主であるいじめられっ子の少女が、抑圧されていた怒りや苦しみを爆発させたことから起きる恐怖と悲劇を描く。
『キック・アス』のクロエ・グレース・モレッツが、悲壮な運命をたどるヒロインを熱演。
監督は、『ボーイズ・ドント・クライ』のキンバリー・ピアース。念動力がさく裂してプロムが地獄と化す
悲惨なクライマックスには、ただただ圧倒される。
http://www.cinematoday.jp/movie/T0016050

 


念力は正しい方向で・・(・ω・;)






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