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混迷する現代社会の中で、「永遠なるもの」だけが、淘汰されずに残るはずですー なかまのぶろぐ ばくちゃん

2020年09月26日 03時55分21秒 | お友達ブログ.SNS.なかまのぶろぐ ばくちゃん他

エル・カンターレ信仰 | 幸福の科学 HAPPY SCIENCE 公式サイト

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2020-09-26 00:05:40 | ばくちゃんの独り言

混迷する現代社会の中で、「永遠なるもの」だけが、淘汰されずに残るはずです 

なかまのぶろぐ ばくちゃん

本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

さて、幸福の科学の映画『夜明けを信じて』の全国上映が、3週間後に迫りました。

高知では、いつもお世話になっている老舗『あたご劇場』で上映されます。

この作品は、現代に降臨した仏陀であり救世主の、若き日の物語から、救世主宣言までの実話再現映画です。

仏陀や救世主と言えば、信仰が必須ですけれども、「科学万能の現代社会において、何を今さら宗教なんぞに」と仰るかも知れません。

しかしこれは、現代日本の社会という、井戸の中の世界にだけ通用する話題でしかありません。

「世界ではどうなのか。」とか「どういう人生の心構えで生きていくのが、人として正しい選択なのか。」で言うならば、無宗教と信仰の立場の相克は、全く違った様相を呈するものとなります。

たとえば、西洋では、人間と動物を分けるのは、信仰を持っているか否かです。

ですので、食って寝て、それだけで人生を終えていいというわけにはいかず、必ずどこかで、神の子として正しいかという人生選択が始まるわけですね。

またたとえば、歴史上「人としてのあるべき生き方」は、宗教が教えて来たわけです。

今それは、日本国内では、学校教育の現場でも、会社勤務などの社会教育でも、価値観としては教わってはいなくて、事実上、体系的には駆逐されているのですが、「それで良いのか」というのは、ここ数年で、必ず社会で議論されることになると、私は考えています。

それは近い将来必ず起こる、世界最大の無神論国家中華人民共和国の、地滑り的な衰退から、必ずそうなると思います。

何が言いたいかというと、現代的日本の風潮には、共産主義国、つまり無神論・唯物論国家らによる、世論誘導工作も、強く背景に働いているということです。

http://the-liberty.com/article.php?item_id=12762

さて現代日本では、「科学万能の世の中に、宗教が口を出すな」的な風土ができているのですが、そういう価値観を続けてきて、今日本は、中国の恫喝外交や北朝鮮問題で苦慮しているわけです。

偉そうに言うかも知れませんが、幸福の科学は20年以上前から、映画「ノストラダムス戦慄の啓示」で警告し、11年前には、「もう待てない」と幸福実現党を立党し、全国全選挙区で訴えました。

まぁ皆、人間ですから、「今日は昨日の延長で、明日は今日の延長線上にある」と思いたい気持ちは理解しますが、夏が終わり秋が来るように、ヒマワリの時期が終わって、コスモスが咲く時期になるように、日々刻々と世の中は変化いたします。

これを、仏教では「諸行無常」と言います。

この諸行無常は、2500年前に釈尊が語った教えですが、この諸行無常が現実ならば、その現実を直視して、心構えや社会制度をイノベーションして行くことこそ、神仏の子である人としての道ではないでしょうか。

それに、宗教は古臭くはありません。

なぜならば、神仏は永遠だからです。

永遠が対象ならば、神仏も、それを尊ぶ宗教も、古くも新しくもないはずです。

ですから永遠の神仏が治める世界の中で生きる人間は、刻々と変わる時代の中で、未来への指針を見つけ出す努力をし、未来への生きすじを見つけるための、決断する勇気が必要なのです。

その決断をするには、正しい選択が必要です。

ただ、何かを得るためには、何かを捨てなければなりません。

中国発新型コロナウィルス禍や、長期不況や、外交的な諸問題など、結局今の日本の苦難の現れは、古い時代の終わりの始まりを見ているのだと思うのです。

そして、時代の価値観の淘汰の結果、「永遠なるもの」が残ると私は思います。

必ずそうなります。

ともすれば、日本は、打つ手は遅く、決断に時間がかかるところがあるのですが、歴史上、必ず最後は、正しい判断をしてきたと思います。

私は、そのような日本人の、奥深い英知を信じています。

事実、般若心経の中に、「色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)」とありますが、これは物理学者のA・アインシュタイン博士の唱えた、有名な相対性理論の、E=ms²と同じなことですから、「相対性理論の第1発見者はお釈迦様」というのが、現実を直視した結論となりますよね。

それを、「2500年前なんて、日本で言えば弥生時代だぜ。そんな話、今どき聞けるか。」とか、「宗教は人間の創造物」とか言うならば、それは不遜を通り越して、もはや何か、そういう人の心のどこかには、”未開の部分”があるのではないかと思うんですよね。

宗教が古いというなら、それは建物としては古いかも知れませんけれども、内容が真に神仏であるならば、現代的な建物、つまりテーマを現代的な対象としていくだけで、現代的価値観にとどまらず、世界的価値観に、そしてひいては、未来的価値観になりうるのが、実は宗教であると思います。

そしてそれを、実際にやり続けているのが幸福の科学です。

新型コロナウィルスによる中国分裂の兆しと『フランクリースピーキング』 - 幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

本日お届けしたいのは、経典「フランクリースピーキング」の一節です。

この経典、若き大川隆法総裁と、故渡部昇一上智大学名誉教授の対談が掲載されていて、ご両人とも、この時すでに知の大家でしたから、その対談は、知性と知性がぶつかって、きらめくような華やぎがありました。

また「水魚の交わりとは、こういう感じなのかな」って感じで、そこには、「本物の知とはこうも純朴で、飾りがなくて、楽しいものなんだ。」という、もう一つの側面があるということを教えているようにも思います。

最後に、知の大家のご両人の対談から、「現代文明というのは、実は、大切なものを体系的に削り取られてきたんだ」ということも、垣間見ることができるとも思います。

          (ばく)

 

 

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