トヨタセリカの「逆転の発想」と、「戦略と戦術」
幸福の科学高知 なかまのぶろぐ ばくちゃんより 2019-07-30
幸福の科学の高知信者による布教ブログサイトですが、代表編集長の車好きが高じて、時折自動車関連記事をお届けしております。
この企画、結構読まれていて、嬉しい限りでございますが、ここで取り扱っているのは、自動車という窓から見える日本や世界や、社会に与えた影響、そして成功法則や教訓など、自動車という作品から推測する社会性の部分を記事にしています。
そういう企画は、どうやら自動車雑誌にもないし、他の自動車関連ブログでもなさそうですので、そういうオリジナリティがあるのかも知れません。
本日のテーマは、トヨタの初代セリカです。
このセリカ、これまで記事にしていませんでした。
というのも、日本随一の人気者ですから。
以前記事にさせていただいたトヨタのカローラレビン・スプリンタートレノ(AE86)もそうですけれども、超がつく人気車種だと、ちょっと腰が引けるところがあります。
さあ今日の主役のセリカですが、登場は1970年12月。
最高車種のGTには、当時はまだ珍しかったDOHCエンジン(2T-G型)を積んだ高性能車です。
セリカは、日本発のスペシャリティーカーと言われています。
スペシャリティーカーというのは、通常のセダンタイプの乗用車に、おしゃれなデザインを施した自動車作品の総称です。
この方法だと、専用部品を少なくできるので、製造コストを大幅に下げることができるのですね。
セリカにも兄弟車として、カリーナというファミリーセダンがありました。
しかしセリカが通常のスペシャリティーカーと違うのは、「まず、セリカの企画があったこと。」なんですね。
つまり、セリカの製造コストを下げるために、量販が期待できるファミリーセダン(カリーナ)が作られるようになったとこなんです。
自動車製品のデザインは、車体骨格に強く影響されますので、ファミリーセダンベースでスポーツカーを作ると、どうしても、元の骨格の影響がでてしまいますが、セリカは、まずセリカを作ってから、それより大きなボディで居住性を上げたファミリーセダンを作っているので、セリカは「日本自動車史上、随一の傑作デザイン」と呼ばれる車体となりました。
まさに、「逆転の発想」です。
このような商品企画は、セリカ以外、世界中どこにも存在しません。
セリカの兄弟車カリーナは、スポーティカーの部品を使ってできたファミリーセダンで、CMのキャッチフレーズ「足のいいヤツ」と相まって、カローラと上級車コロナの間を埋める人気車種となりました。
ただセリカは、しゃきしゃきのスポーツカーではなくて、トヨタ的には、あくまで実用性の高い、おしゃれなスポーティーカーだったようですが、トヨタの予想に反して、高性能エンジンを積んだ1600GTがバカ売れしました。
それは卓越した車両デザインや、ファミリーセダンカリーナによる、大量生産効果に伴う車両価格の安さの影響もありました。
当時、自動車雑誌等でも、セリカ1600GTが度々登場し、当時のライバル車たちのと対決が企画されていました。
これが、自動車メーカーがスポーツカーを作る理由でもあるのですが、スポーツカーは雑誌の企画などで取り上げられやすいので、たとえ売れなくても、広告塔がわりになるのですね。
私は自動車少年でしたので、親や親せきが買った自動車雑誌などをよく読んでいたのですが、当時のセリカが他のライバルを蹴散らせたかというと、決してそうではなくて、随分と苦労していたのを記憶しています。
というのも、当時のライバルたちが、とても優秀だったからです。
たとえば、三菱のギャランGTO MR。
これは以前書いた記事があるので、お暇なら見ていただきたいのですが、ギャランGTOの元になったコルト・ギャランというファミリーセダンがとても優秀な作品でして、「その後の、世界のFR車のお手本となった。」とまで言われる、フロントミッドシップの歴史的市販車でした。
他にも、マツダサバンナもいました。
サバンナは、通称RX-3とも言われまして、国内のレースで連戦連勝していた日産スカイラインGT-Rの連勝記録を止め、当時国内レスの横綱となっていたツワモノです。
セリカは、ギャランGTOやサバンナに、性能面ではかなわなかったのです。
トヨタがすごかったのはここから。
なんとデビューからたった2年半後に、事実上のフルモデルチェンジをするのです。
このときに、今も人気のリフトバック(LB)を追加するのですが、車体を大きくするのですね。
これは2T-Gより大きなブロックを持つ、2000㏄の18R-Gエンジンを積むためです。
これはトヨタも一般的にも、商品の改良モデル、つまり「マイナーチェンジ」と呼ばれていますが、伸びたのがエンジンルームだけでなく、ホイールベース(前輪と後輪の距離)もトレッド(左右の前輪の距離)も変えていますので、これはボディ全体の変更であって、「ほとんどデザインを変えなかったフルモデルチェンジ」です。
これは、強力なライバルたちに勝つ!という、日本自動車のリーダートヨタとしての意地だったと思います。
その試みは、なかなか実りませんでしたが、その後トヨタ車のボディは強くなり、様々な名車を産むに至ります。
さて、「逆転の発想」や「戦略と戦術」ということで、皆さまにお伝えしたいのが幸福実現党。
幸福実現党の訴えは、他の政治組織とは違っているところがあります。
それは通常の政治組織が、「今できること」を訴えるのに対し、幸福実現党の訴えは「今、そしてこれから必要なこと」なんです。
これはなかなか伝わりにくい話ですが、とても重要なことです。
しかし、「世の中が、幸福実現党を必要とする時代は、必ず来る。」と思います。
否、「幸福実現党でなければダメだ!」という時代になるはずです。
そしてそれは、それほど遠くない未来に。
それが、幸福実現党の、戦略と戦術なんですね。
本日は、Liberty webより、パキスタンの国営放送特派員による、幸福実現党報道関連記事をご紹介いたします。
(ばく)続き
https://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/8a17d3aef925a9cfab46b85be66e13df
初代セリカ1600GT(後編)
トヨタ セリカ リフトバック(後編)-試乗インプレッション
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ばくちゃんのトヨタの記事に
ニッサンのおまけ(^▽^)/
昭和の車といえば,こちらも,当時の若者のあこがれだったり・・
動画で彼自らが運転する格好いいスポーツカーは、日本が誇る往年の名車フェアレディZ
ロングノーズにショートデッキ、そしてフェンダーミラーというクラシカルなスタイルが特徴的です。
愛称240(ニーヨンマル)Zと呼ばれるこの車は海外でも大人気で、映像で左ハンドルなのが確認できます。
(最初、外車かと思った)
昔,父亡き後、新車の配送を仕事としていた母が言いました。
踏めば進むだけのオートマチック車にはない、マニュアル車の運転のワクワクする楽しみがあったそうで
ギアチェンジでも(車との一体感、格闘)は、飽きなかったとか。・・運転が好きだから続けられたといっていました。
こうした手動(マニュアル)でギアチェンジを行う変速機付きの構造の車では、お年寄りのうっかり事故も起きないかもしれないですね。。当時は何でもなかったことが・・・ギアチェンジ、動画で改めてみるとカッコイイじゃないのw
宮本浩次-冬の花
戦後直ぐに女子プロ野球リーグがあった ブルーバード、レッドソックス・・
(^▽^)/やんちゃだった母は、ブルーバードに入団、解散後は、三共レッドソックスに移籍し、
ポジションは、捕手(キャッチャー)で、日本各地を遠征したそうです。