理想国家日本の条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也

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伊藤俊輔、井上聞多は知っていても、山尾庸三は知らない。

2012年02月05日 00時00分00秒 | リバティ 学園 幸福実現党 関連  

伊藤俊輔、井上聞多は知っていても、

山尾庸三は知らない。

こぶな将人氏、ブログ転載

 [2012年02月04日(土)]

井上聞多(下段左)、山尾庸三(下段右) (1863年、ロンドンにて)

今回、タイトルに挙げた山尾庸三氏については、おそらく
専門の方でないとご存じないと思います。

この方は、明治維新の激動期を生きた方でありますが、
ネットで確認すると確かに初代法制局長官などを歴任に
立派な人物であったことは分かります。
しかし、西郷、大久保、桂、坂本などスーパースターなどと
比較すると、現代にはほとんど残っていない方です。

実は、この方は、あの長州のご出身であります。
そして、当時の世界をリードしていた英国の留学生として
優秀な人物として1863年に長州がおくりだしています。

このとき、共に「留学生」として英国にいったのが、あの
伊藤博文と井上馨でありました。この二人と、山尾氏など
合計5名で英国に旅立っています。

私の記憶では、司馬遼太郎の小説にこの留学時のエピソード
が書かれていました。長州から留学生として出発したものの、
途中はなぜか、労働者と間違われ、船中では大変こき
つかわれた、という事でした。おそらく英語もままなら
なかったのでしょう。本当にお察しいたします、と
言いたくなります。

そして無事にロンドンに着き、勉学に励んだことになって
ますが、実際は分かりません。しかしながら、伊藤、井上
以外の三名は実直に言われた事を忠実にこなしていたと
思われます。それは彼らが明治元年前後の維新がほぼ見えた
段階で帰国したのちのそれなりに立派な経歴からも明らかで
あります。世界最高の技術を日本に伝えてくださったのは
間違いありません。

さて、ここまで名前のなかった伊藤俊輔と井上聞多は、
どうしたのかというと、実は、英国に着いてからすぐに長州が
「攘夷」を行うらしい、という噂を聞き「これは大変なことだ。

長州を止めなければならない」ということで、急きょ
引き返したのです。彼ら自身も元々は攘夷派でありましたが、
英国の現実を見て、とても勝てる相手ではないことを瞬時に
悟ったのでしょう。

それにしても、こうした時代の流れに敏感な人を私たちの
ような後世の人間は高く評価します。当時の伊藤、井上の行動は、
大変勇気のある事だったと思います。結果として、彼らは
長州の首脳陣を説得しかけたものの、最後は「守旧派」に敗れ
「攘夷」は決行されてしまいます。しかし、そうした勇気の
ある行動の積み重ねが偉業につながったと言えるでしょう。

私もこの当時の伊藤、井上のごとくありたいと思います。

おそらく、当時の英国にとどまり、思う存分勉強を重ねると
いう選択もあり得たはずです。しかし、二人は、長州を救うと
いうことを優先したわけです。私は、こうした行動が大変
素晴らしいと思います。残った3人を責めるつもりはありません
が、残念ながら、彼らが「回天の偉業に加われなかった」と
いうことについては、すでに取り戻すことはできなくなって
いました。

そうした結果として、後世に伊藤・井上という二人の行った
勇気ある行動については、もっと高く評価されるべきでは
ないか、と感じました。

転載した記事
http://blog.canpan.info/kobuna/archive/1057


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