【「いじめ問題」の根本的原因とは
書籍「中江藤樹の霊言」(3)
●「道徳」を説けないようでは基本的に教師にはなれない
教育における道徳というのは、昔で言えば、校長先生や教頭先生が受け持つ
ぐらいの重みあったと思うのですが、やはり、道徳を説けないようであっては
、基本的に教師にはなれないですね。
学科の知識、すなわち、専門知識や技術論、職業につくための具体的な知識は、
(教師が)
善人悪人にかかわらず、教えられます。
有用な知識というものは、ある程度の頭と記憶力があれば、善悪にかかわらず、
教えることが可能です。
しかし、道徳となりますと、人間性の問題になってきますので、その人が、人を
導くに足る人間性を持っていなければ、
それを教えることはできないのです。
●道徳心や宗教心がなければ教育はよい方向に進まない
道徳は、受験では完全に無視された科目になっていると思いますけれども、
その完全に無視されている科目が、本当は大事なところで、
実は、親のほうが教育できない部分を、学校で教育しなければならないわけです。
つまり、「就職にあまり関係がない」「職業選択にあまり関係がない」と思って
いるかもしれませんが、
これは、やはり、大きいですよ。
例えば、医者でも、道徳心というか、宗教心というものが入っている医者と、
入っていない医者とでは、完全に違いが出るでしょう。
理科系の科目等は、「教師が、単なる唯物論的な教育論者で、『死んだら何もなく
なる。この世だけの命で終わりだ』というような人生観を持っていながら、数学や
理科だけを教える」ということであれば、そういう教師と同じような子供が再生
されていきます。
これでは、社会全体が啓蒙の反対のほうに進んでいく可能性は非常に高いですね。
やはり、「証拠がないものは一切認めない」というような考えであってはなりません。
そういう「信じる心」を失った世の中というのは、
やはり、精神棒がない非常に情けない国ですよ。
日本では今、このへんの最も肝心なところが抜けているような気がするのです。
これをなしにして、技術論で教育をやったり、進学率や偏差値だけでいくら学校の
よし悪しを言ったりしても、
根本のものがなければ、やはり、いい方向には進まないと思います。
(つづく)
.
子供は親対して感謝の思いが起きる、また親もそれに聖なる喜びを得て、家族の絆も強固なものになる、しかし教育、を無償にすれば子供は誰に感謝をしますか、
今の先生が子供に感謝のこと教えられますか、子供はおもいあがって家庭のこと、親に対してぞんざいなる事は想像に難くない。感謝を忘れた社会など見たくない。
日教組より根が深く毒がまわってくる。
すし学校教育は本当に大事ですね。
個人的な経験ですが、人の面倒見がよく優秀な人間は感謝の気持ちの強い人間だったかな。
ただ気になるのは、感謝の思いが強いゆえに長い物に巻かれたかな。残念です。